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とりあえず「世界の中に奇跡があるのではない。この世界があることが奇跡だ」(ヴィトゲンシュタイン)ということにしておきます
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/448.html
投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 10 月 11 日 22:42:36:akCNZ5gcyRMTo
 

(回答先: Re: 最近のFBIサイキック捜査官ブームはどう思われますか? 投稿者 南青山 日時 2004 年 10 月 11 日 04:09:19)

南青山さん レスありがとうございます。

>バルタン星人さんはサイキックマニアでもあるのですか。
とりあえず「世界の中に奇跡があるのではない。この世界があることが奇跡だ」(ヴィトゲンシュタイン)ということにしておきます。

>小生は工学系(基礎電子物性)出身で科学的見地からの興味もあって実演に参加しましたが、>結局はっきりした結論は出ませんでした。
K君のことですかね。恥ずかしながらお尋ねしますが「観測者問題」というのはあるんじゃないでしょうか?(笑)


最近、木田元さんの『偶然性と運命』岩波新書 を読んだのですが、(木田元さんは終戦後ほとんど「坊や哲」みたいな無頼の生活をしていて、ハイデガーの『存在と時間』を読むために大学の哲学科に入ったのですが)麻雀でいわゆる「バカづき」を経験したり、自分の経験から「通常の確率ではありえない」事象に何度も遭遇したのが本を書くきっかけなようです。
(そういえば『麻雀放浪記』に出目徳が九蓮宝塔をアガった途端に死んでしまうというエピソードがありましたが−−高品格も上州虎の名古屋章も死んでしまいましたね。)

カントは「時間と空間は直感の形式であって存在の形式ではない」と言っていますが、メルロ=ポンティで言えば環境と「癒合」している動物には「今、ここ」しかないわけです。(マルクスなら「動物は一般に何物にも関係しない」という『経哲草稿』の下りですね。)
人間は(たぶん)ニューロ系が、あるしきい値を超えることで差異=ずれが生じて環境に癒合した状態=「今、ここ」から自らを引き剥がしていく、いわば「現在」が「かく能しうべき状態」=(将来)、「かく能しえた状態」=過去に分節し、かつ「世界が構成される場」としての現存在(「我能しうる、故に我あり」)に統合する、つまり「時間」という感性的直感の形式を掴むんじゃないかと思います。
(木田さんの孫引きですが)ベルグソンが『思想と動くもの』で「回顧的評価」と呼んでいますが過去は現在から絶えず意味づけられ再構成され、都合の悪いことは「忘れたことにする」、まさに「今」と共にあるわけです。

ニューロ系と言いましたが、デビッド・ヒュームの懐疑論でいけば「人間は知覚の束に過ぎない」わけですが、知覚の分節化ですよね。しかし、もし本当に「束」のままで何の「統合」も無かったとしたら、「この世の生き地獄」の様なものになるんじゃないでしょうか。たとえば視覚についても「意味構成体」として触覚、聴覚などと総合し「悟性的」に統合されなければ色や形(塊)の脈絡のない蠢きとしてしかないわけで、上記と同様に空間が感性的直感のもう一つの形式であるということになるのではと思います。
(参照スレの鷹眼乃見物さんの投稿にあった途中から視力を回復した視力障害者の話でいけば
知覚における視覚の優位という自明性、そもそも「五感」「六感」などというカテゴライズ自体はなはだ怪しいものだという事になりますね。)

ですから認識は純粋主観による対象の内在化や「消化」ではなく、分節し統合する、いわば原因と結果が循環する「身体」という場で起きる「突然の分解」(ベルグソン)であるということです。(「カントをそこまで引っ張るのか」と言われそうですが。)
よくSF映画なんかで「培養液に浮かんだ脳から電線が沢山出ていてスピーカーから喋る」なんていうのがありますが、「それはないだろう」ということですね。(笑)

「臨死体験」とか「幽体離脱」ってありますよね。前レスでの柄谷の「視差」に即して言うと「人間は自分の顔を見ることができない」というです。「バカ言うんじゃない。毎日見てるだろう」と言われるでしょうけど、見ているのは鏡を通して「左右反転」した顔ですね。自分のイメージにある自分の顔は。だから写真で自分の顔をを見るとある種の「おぞましさ」を感じるわけです。私の同居人も「この写真写りが悪い」とか言うわけです。「悪いのは別のものだろう」などとは決してツッコミは入れません。(苦笑)
「臨死体験」だとパターンがあって必ず浮遊した自分がベッドに寝ている(死んでいる?)自分を見下ろしているのですが、そのとき自分の顔はどう見えているのか、立花隆の『臨死体験』を読んでもはっきりと書いてありませんね。

スピノザ=ドゥルーズ的に言えば「人間の思惟は身体を超えられない」だから三島由紀夫は愚直にも肉体を拡張しようとしたわけですが、しかし三島が言うように「肉体は保守的なものだ」ということです。(『三島由紀夫VS東大全共闘』)
統合とはカテゴライズであり「有用」な情報を恣意的に選択し他を切り捨てることに他ならないわけですが、統合を停止して全ての「知覚の束」を受け止めれば最悪狂気に陥るしかない。
逆に中村雄二郎の言うように狂気は生体の維持の為に外部をシャットダウンする下位の生体メカニズムの発動とも言えるわけです。精神科医の木村敏さんが書いていましたが治療がうまくいくようになった途端に患者さんが自殺したという悲惨な例もあるわけですし。
以前南青山さんにご紹介戴いたティモシー・リアリーの「共感覚」もサイキックもそうした知覚の分節化と統合(認識と被拘束性)に関わる話しではないかと思っています。

>最後に、ベルグソンの心霊研究について言及した箇所(1913年5月ロンドン心霊研究会での
>講演録)を紹介します。

ご紹介ありがとうございます。
講演の論旨は後期フッサール(『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』)と通底する認識だと思いました。 『時間と自由』『思想と動くもの』は岩波文庫から新装版が出て最近読了しました。機会がありましたら、もう少し突っ込んだ事を書きたいと思います。

−−−−−−−−−−−−−
参照スレ
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/279.html  鷹眼乃見物さん

>光学系の機能不全が原因で幼くして失明した人が成人後に「処女開眼手術」を受けた場合
>には、その人の視覚学習(視力回復のリハビリ訓練)の効果を高める(モノの形や色の区
>別がつくようにする)ことが極めて困難だそうです。

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