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開かれた皇室」論者は自分が何を言っているのか分かっているのか【宮台慎司Blog]】
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/872.html
投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 11 月 13 日 11:57:27:akCNZ5gcyRMTo
 

参照スレ
雅子さんと奥さん (よしののぶつぶつ日記) 投稿者 愚民党さん
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/833.html
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開かれた皇室」論者は自分が何を言っているのか分かっているのか
投稿者:miyadai
投稿日時:2004-07-25 - 23:19:01

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=130&catid=4

カテゴリー:お仕事で書いた文章 - トラックバック(1)
(インタビュー記事)
■雅子妃の騒動については「かわいそう」という報道ばかりです。背景に存在する構造的本質について議論をしないと問題は解決しません。具体的には天皇制とは何なのかを理解する必要があります。それには、近代社会のもとになっている西ヨーロッパ流の立憲政治の歴史、とりわけ立憲君主制の歴史について理解を深めることが必要です。
■明治憲政を立憲君主制だという日本の政治学者が数多く存在することが不可解です。確かに明治天皇や昭和天皇が立憲君主として振舞おうとした形跡はあります。しかし本人が「意図」したからといって立憲君主制という「制度」が存在することにはなりません。
■立憲君主制とは、君主が「私は憲法に従う」と約束をした体制です。約束に基づいて統治実務を王ではないものに委ねる体制です。委ねられた者が行う統治は、貴族政治でも民主政治でもあり得ます。だから立憲君主制と民主制とは対立しません。民主制と対立するのは独裁制です。王の約束に基づいて、王でない者たちが民主的に統治すれば「立憲君主制のもとでの民主制」です。
■立憲君主制は西ローマ帝国の伝統を背景にします。「王は俗人の最高者」という伝統です。「王は高貴なれども聖ならず」。各領邦の王は、人々の行為を制御できても、心の世界は王ではなくローマ教皇が主宰する。12世紀の叙任権闘争を経て成立したもので「聖俗二世界論」と呼ばれます。
■これに対照されるのが、東ローマ帝国つまりビザンティン帝国の伝統です。俗なる世界の主宰者が、同時に聖なる世界をも主宰者します。すなわち、行為を命じる神聖ローマ皇帝が、良き心についても命令を下すわけです。こういう聖俗一致体制をテオクラシー(神政政治)と呼びます。
■テオクラシーにおいては、良き心を示さないと皇帝に罰せられるので、人々は良き心を示すべく、際限ない服従を迫られます。同じく、行為の外形がマトモでも、悪しき心を粉飾しているのではないかとの疑心暗鬼が拡がり、陰謀説的コミュニケーションが蔓延します。ソ連や東欧など旧東側の社会主義圏はビザンティン帝国の伝統に連なります。
■西ローマ帝国的な聖俗二世界論の伝統だけが、近代立憲政治につながります。西ローマ的伝統のもとでの立憲君主制なら、王や王族が政治的発言をしても──イギリスで言えばチャールズ皇太子が政治的発言をしても──、約束違反の越権行為だとして民衆はこれを平然と無視できます。そのことが「王が権力を振わない」という内実を構成しうるのです。
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■日本の天皇制には聖俗二世界論の伝統はありません。天皇とは高貴でありかつ聖なる存在です。天皇が自ら政治的発言はしないと約束しても、西欧のようには行きません。立憲君主制の要件である「俗なる世界の最高者」という条件を満たさないからです。聖なる存在であるがゆえに、本人の意図にかかわらず、発言は大きな政治的影響力を持つのです。


■昭和天皇は明治憲法下で立憲君主として振る舞おうとしたと言います。しかし実際には疑問のある問題については質問を繰り返すことで意向を伝えようとしましたし、臣下たちが聖かつタブーな存在である陛下の御心を忖度して相互規制し合う「御前会議的な権力工学」が働いていました。
■これは東ローマ帝国的伝統とも異なります。東ローマ皇帝は「俗世界の最高者」と「聖世界の最高者」を兼ねますが、「俗世界の最高者」という意味は本人が統治実務を行うということです。日本の場合は天皇が統治実務を行うことはありません。だからこそ、統治実務を行う者たちにとって、聖なる存在である天皇が、政治的影響力のリソースとして貴重になるのです。
■聖なる存在が政治的影響力のリソースたりうるシステムが成立したのは、飛鳥時代の継体帝前後のことです。それまでは氏族社会で、部族共同体が鱗状に分布するセグメンタル(環節的)な構成でした。それが朝廷へと集権化する過程で、氏族間に階層が導入されて、社会はハイラーキカルな構成へと変化します。
■その際、仏教導入を梃子にして氏族を階層的に配列したことで持ち込まれた「貴賤観念」と、階層社会以前の呪術的な「聖穢観念」が、政治的に結合されます。「聖なるもの」は階層頂点に配当される一方、かつてミカドと同格だった各部族のシャーマンは階層末端に配当されて「穢れたるもの」となり、被差別民の生成へとつながります。
■幕藩体制の統治権力も、誰が統治するかという事実性factualityを、天皇の聖性を用いて正統化してきました。事実上の強者が統治の便宜のために天皇を担ぎ出してきました。実際に錦旗が上がった途端、鳥羽伏見の戦いが決するわけです。自らを最強者だと思う田吾作が朝廷の一筆を貰いに行き、朝廷も自己保身のために強そうな田吾作に一筆書きます。
■天皇制の伝統とはそういうものだと見切った岩倉使節団系が、敢えて天皇を担いだのが明治憲政です。その事実が自明だからこそ、明治のエリートには天皇機関説以外ない。この認識と、「聖なる天皇が全てを決める」という民衆の認識との間にギャップがあるので、明治憲政は「顕密体制」と呼ばれます。しかし、これはやがて田吾作エリートどもが陛下の神意を忖度ないし擬制しつつ相互監視する「御前会議的な権力工学」へと移行します。
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■以上を踏まえると、「開かれた皇室」論は、西ローマ帝国的な伝統のもとでの立憲君主制を前提とすることが分かります。王室を開くということは、王室の方々が自由かつ奔放に発言しても、統治権力が政治的影響を受けないということです。王が聖なる存在でない限りにおいて、それが可能になります。
■日本はどうか。皇室を開いて天皇や皇族が自由奔放に発言するようになれば、政治的影響力は甚大です。陛下の「桓武天皇の母君は百済の出身だった」発言でも、今回の殿下の「雅子妃の人格が否定されている」発言でも、田吾作どもは上へ下への大騒ぎ。皇室を開けば「田吾作による天皇利用」合戦となり、田吾作どものつばぜり合いになるでしょう。
■「だったら陛下や殿下には政治的発言を控えてもらえばいい」と思う向きもあるでしょう。お願いすれば控えていただけるかもしれないし、控えていただけないかもしれない。でも確かなことではありません。陛下や殿下の意思でどうにでもなりえます。実は、こうした「陛下や殿下の意思次第でどうにでもなる」という偶発性が、日本国憲法の近代憲法としての根本的欠陥をなしていることが、どれだけ知られているでしょうか。
■そこに、例の「雅子さまのご公務」問題が出て来るのです。分かりやすい切り口から入ると、「雅子妃のご公務」という言い方を、宮内庁の高級官僚がしています。しかし、これは私に言わせれば不敬千万。右翼はすぐに天誅を加えなければなりません。
■公務とはパブリック・サービスです。政治家とお役人が国民に対して負う憲法上の義務的行為のことです。皇族はむろん統治権力ではありませんから、彼らが国民に対して憲法上の義務を負うことはありえません。まして法律によって何かをしろと命じられるということもありえません。ゆえに皇室に“ご公務”はありえません。
■憲法第7条で細目が列挙された天皇の国事行為についてはどうか。国事行為ですらも、公務すなわち国民に対して負う義務であるかどうかは疑問です。というのは、憲法第1条で象徴天皇制が規定されていますから、天皇は統治権力の側には属さないと解するのが自然だからです。
■第7条に列挙された国事行為は、「天皇に対する命令」と解するべきではなく、「統治権力は天皇に対して何をお願いしてよいか」を列挙した許可条項だと解するべきです。このことを理解しない向きが多いのは問題ですが、本当の問題はそこから先です。
■天皇の国事行為も皇室の“ご公務”も、国民に対して負う義務ではありません。国民は命令権限を持たないからです。憲法上自らに何の義務もなく、誰にも命令する権限がないのに、陛下や殿下やお妃様が“自ら”統治権力からの「お願い」に粛々と従っておられ、それゆえにこそ象徴天皇制がうまく回っているように見えるのです。陛下や殿下が「自分はもう国事行為はやらない」とか、「わたくしはもう“ご公務”はやらない」と宣言されれば、全ては終わります。
■同じことですが、巷間、陛下と殿下は皇室典範的には離婚できないと言われます。退位の規定も皇室典範に存在しないので退位できないなどと言われます。何という勘違いか。本人が「私は退位する」とか「離婚する」と宣言すれば終わりです。私たちは法律に規定があるので「離婚する」と宣言しただけでは離婚できませんが、法的規定がないのなら宣言すればそれで終わりです。
■すなわち、陛下や殿下の振舞い方次第では、みなさんのイメージする象徴天皇制は簡単に回転を停止します。陛下や殿下を始めとする皇室の方々がたまたま“自発的”に一定の振舞いを継続して来られたという事実性に、象徴天皇制を中心とする戦後憲法体制が寄りかかっているのです。その事実をどのくらいの人が理解しているのか。
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■もともと日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正条項に基づく欽定憲法です。手続き的な正統性はそこにしかありません。「8月15日革命説」など笑止千万。問題を覆い隠す姑息なごまかしです。日本国憲法は、明治憲法下での主権者たる天皇が、たとえ米国の影響があったにせよ自らの意思で憲法を改正し、「国民が主権を持つ」と宣言した形になっているのです。天皇が国民に主権を与えたのです。
■GHQはそういう構造を熟知していました。熟知した上で、統治可能性governabilityを高めるには、幕藩体制下で長い伝統をもつ「田吾作による天皇利用」のメカニズムを十全に利用するしかないと考えたのです。だから中国やソビエトの反対を押し切って天皇処刑を拒否し、かつ戦後憲法に象徴天皇制を書き留めたわけです。
■これは、岩倉使節団系が明治天皇を担ぎ出し、維新体制の正統性の源泉とし、立憲君主制が成立しているかのようなフィクションを駆動させたことと、瓜二つです。ところが皮肉なことに、日露戦争前で言うならば、民権派が反体制運動を行う場合にも、「天皇は我が方にあり」と宣言する吉野朝的伝統が、脈々と流れているわけです。
■体制を保持せんとする体制側も、天皇を正統性ないし動機付けの源泉として用いようとするし、これに抗って謀反を起こさんとする側も負けじと「これぞ真の天皇なり」「これぞ真の御心なり」という形でやはり天皇の聖なる力sacred powerを利用しようとしてきました。体制側がこれを恐れて「皇室を閉じて」いる面もあります。
■かかる「田吾作による天皇利用」の伝統の中に、明治憲法の改正条項に基づく欽定憲法としての日本国憲法も位置します。それも実質的には天皇の主体性というよりも、日本の伝統を観察したGHQの作り上げたシナリオ通りの、GHQによる「田吾作の天皇利用」です。こうした事態を最も敏感に受けとめておられるのが皇室の方々でしょう。
■僕は奥平康弘先生と共著した『憲法対論』でも、皇室とりわけ天皇の人権問題について詳しく取り上げています。天皇ならびに皇室は「憲法の飛び地」であり、そのことは「人権の飛び地」であることを見れば、思い半ばに過ぎるはずです。具体的に言うと、選挙権、被選挙権、職業選択の自由、婚姻の自由、移動の自由、労働の自由、諸々ありません。
■職業選択の自由さえあれば、諸権利が制約される職業を自己責任で選んだという自己決定の契機が入るので、まだしも近代社会と両立しますが、それさえないのです。日本国憲法が日本国民に例外なく人権があると規定する以上、日本国憲法が天皇を国民ではないと規定しているのと同じです。「全てを背負う現人神」ということなのでしょうか。
■「雅子さんがかわいそう」「殿下がかわいそう」という類の発言をされる方は、どうも、戦後憲法体制下における天皇や皇室のポジションをちゃんと理解しておらず、そうしたポジションを帰結した歴史的な流れについて知らなすぎるのではないかと思います。
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■「開かれた皇室」は、皮肉を申し上げれば、なかなか良いでしょう。例えば「開かれた皇室」のもとで、陛下や殿下が、「私は、そろそろこの日本国も、アメリカから自立して、自らの道を歩むべきだと思う」と繰り返しおっしゃったとします。これは甚大な政治的影響力を及ぼします。小泉「米国ケツなめ」政権も無傷じゃ済まないでしょう。
■立憲君主制のもとでの「開かれた王室」においては、王族がこれをおっしゃっても構わないんです。イギリス王室関係者も、この種の政治的発言をすることがあります。しかし、王も王族も俗人であり、統治にたずさわらないという約束ゆえに、民衆はこれを無視することができるわけです。ところが、日本ではそうは問屋が卸しません。
■私は対米自立主義者ですが、陛下や殿下がそうした政治的発言をしてくだされば、改めて維新革命を起こすまでもなく、既存レジームの根本を左右できるでしょう。北一輝はそれを熟知したがゆえに、もともとは反天皇主義者だったのに、晩期には敢えて変節、「国民の天皇」を革命シンボルに押し立てました。現に下級青年将校たちが影響を受けて、2・26事件と相成ったわけです。
■「開かれた皇室」を主張される方々は、「北一輝的な企み」を想像したことがないのではないでしょうか。素朴すぎると言わざるをえません。歴史を学んだらいかがでしょうか。繰り返すと、統治権力が、第二の維新革命を恐れるがゆえにこそ、田吾作による天皇へのアクセスを遮断するべく、敢えて「皇室を閉じて」いるという機能的側面もあるのです。
■遠い将来、私たち日本人が呪術的な聖俗二元図式から自由になることで、天皇や皇室を聖性から切り離し、英国王室のように「俗人の最高者」として認めるようになるならば、「開かれた皇室」も良い。私が根っからの近代主義者ならば、それに越したことはないと申し上げる他ありません。ただしそのためには、長い歴史的時間と、さまざまな軋轢の乗り越えが必要だろうと思います。
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■幕藩体制このかた、体制変革を真剣に考える者は、維新革命期における「玉を取る」という言い方に象徴されるように、最終的には天皇の聖性に基づく正統化機能を、どのように体制側から奪い返すかに腐心しました。むろんこれも「田吾作の天皇利用」の系列です。
■戦後左翼はこうした「革命のための天皇利用」という日本的革命の伝統に鈍感でした。戦後右翼も吉野朝的・民権派的・北一輝的な「革命のための天皇利用」の伝統に無自覚で、素朴に天皇を担ぎがちです。北一輝や三島由紀夫の思考を再認識するべきはありませんか。
■戦後の象徴天皇制が空洞化しているとの議論があります。大間違いです。今も十分に機能しています。その証拠に、陛下や殿下が何か発言すれば上へ下への大騒ぎ。それを知る陛下や殿下が、敢えて宮内庁の田吾作役人の「お願い」を聞き入れ、また敢えて言いたいことを禁欲してくださっている。そうである以上、象徴天皇制はまさしく機能しています。
■陛下や皇室の方々の自発的な振舞いや不作為があって初めて回る戦後のシステムにおいて、彼らがこの自発的な振舞いや不作為をやめるとき、真の空洞化が訪れます。こうした極限的事態を想像することすらなく、国民の皇室に対する見方が多少変わった程度で「空洞化」などと言わないでほしい。
■戦後体制は、天皇とアメリカがそれぞれ一定の仕方で振舞ってくれているという、必然性なき事実性によって、支えられている。この事実性が崩壊するときこそが、真の空洞化です。そうなったときに起こるのは、大規模なアノミー、すなわち大混乱状況です。こうした液状化現象は、それ自体は好ましいことではありません。
■しかし、私たち日本国民が、一国の民主政体が、こうした必然性なき事実性に寄りかかるのは良くないと考えるのなら、一度はそうした液状化状況を経験しなければならないことになります。私たち日本人がそれに耐えられるかどうかです。たぶん無理でしょう。それとも「皇室を開け」とおっしゃる方々は、もしや、第二の維新革命を企図しておられるのか。なるほど、そうであるなら……いや、ここから先はやめておきましょう(笑)

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