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金久美子 哀悼
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/881.html
投稿者 愚民党 日時 2004 年 11 月 14 日 01:44:41:ogcGl0q1DMbpk
 


今年はよく生存できたと思う。この思いが根底にある。
デジタルそしてインターネットとは、おのれをさらけだすことにある。
これが出来なくなったとき、人は表出者から撤退する。

金久美子(キム・スンジャ)の哀悼文を夕刊新聞で読んだのは
京都から帰る電車のなかだった。夕暮れ。
妹とおなじ世代である。45歳。おなじくガンで死亡・・・

黒色テントから新宿梁山泊の女優そしてフリー。

彼女の舞台を最後にみたのは新国立劇場。
彼女は平清盛の妻を演じていた。
1998年12月、「野望と夏草」

「野望と夏草」へ遊行舎「中世悪党伝第2部」のおりこみに行ったとき
自分は新国立劇場の楽屋入り口ロービで折り込み開始時間を
待っていた。そのとき金久美子と目が合った。

「野望と夏草」
http://www.nntt.jac.go.jp/frecord/play/1998%7E1999/yabou/yabou.html

あれから6年がたとうとしている。

自分は根底からの総括の時期を迎えている。
崩壊から出発しなければならない。




新宿梁山泊92年9月公演「リュウの歌」感想
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/basyo01.html

テキスト存在とは何か?それは固有の人間存在がテキストそのものであ
るということである。学問から程遠い、われわれ民衆にとって、学ぶべき
大学とは社会であり、場所と格闘する人間こそが教師である。ロシア文学
者ゴーリキーの言葉は私の中で生きている。労働者の協働形態とは教え・
教えられる伝導にある。日本の現在においては階層としての知識人なども
はや存在しない。だから知識人攻撃をしたところで、主体はどうしようも
ない虚無に落下するだけであろう。問題はマス・メディアや知識人たちの
文体や批評構造には何ひとつ期待はしないという、腹のくくり方である。

 やはり日本のマス・メディアと批評構造は、昭和から平成の記号代替わ
りに置いて、日本的平面知覚に回収されてしまい、本質を追及する言葉を
自壊させたのである。それはおのれの知的実存世界を自ら崩壊させ、現世
利権の古代部族構造に総屈服したことでもある。記録者は現象を回収し本
質を追及するのであるが、この現象が永遠につながるメディア・レイプと
して一般・画一化・規格化の深層空間に回収されれば、記録者はもはやテ
キスト存在を表出することはできない。テキスト存在とは場所と格闘する
人間のことである。その意味で演劇はダイレクトに場所と人間を表出する。
こうして演劇思想とは場所と人間の固有の関係性を思考し、言語の連結・
連動によって、現在と肉体関係を結ぶ。

 ここでは新宿梁山泊9月公演「リュウの歌」と場所性を思考していきた
い。演劇にとって過去のできごとは交換のプロローグであり、現在のでき
ごとはエピローグである。そして演劇の空間は未来を胎動させる。演劇を
語るものは記憶装置を呼出し、すでに過ぎ去ったある演劇の時間と空間に、
己の身体と妄想をファクさせ、ある固有の空間世界を物語るのである。場
所・人間・演劇とは三者連関構造に生成する。
                   
 金久美子(キム・スンジャ)にあえる。なつかしい人間と再会するかの
ように私は浅草フランス座に歩いていた。金久美子を初めて見たのは俳優
座劇場であった。82年の夏、黒テント「灰とダイヤモンド」に彼女は出
演していた。その時私は舞台に仮設された階段式の観客席から舞台を上か
ら見降ろす形で体験していた。金久美子はまだ恥ずかしさが抜けていない
役者であったように思える。あれから10年がたった。92年春、テレビ
で金久美子を見た。私は彼女の額が好きになった。私は思考する女の額が
好きなのである。

 「日本民衆からの真の叫び声はあるのか?」黒テントが発行していたA
5版の小雑誌に、韓国民衆演劇マダン劇の報告が掲載されていた。82年
の頃で、私の遺伝子は発動した。私の存在を投企したこの言葉は、場所と
人間をめぐるテキスト存在となった。黒テントから私は民衆的想像力の存
在を学んでいったと思う。

92年夏、フジテレビ深夜放送のドキュメンタリーで、金久美子を見た。
チョゴリを着た彼女は美しかった。「私達の演劇は日本の現在を表現する」
NHKの朝のニュース番組でのインタビューで彼女は答えていたが、フジ
テレビのドキュメンタリーでも、私は彼女の光のような言葉に魅せられた。

 浅草フランス座で私は金久美子の声と身体を感受しながら、新宿梁山泊
における彼女の場所性を思った。私がここでいう場所性とは、ある人間が
ある集団である位置を独占化しようとする、アトミズム政治的な意味での
場所ではない。歴史的に生成させてきた人格としての場所である。私がこ
こでいう場所とは協働的世界形成の格闘としての現在のことである。近藤
優花・村松恭子たち新宿梁山泊の若手女優人は、声の質と身体の質におい
て、金久美子が切り開いた地平を継承し飛躍させようとしているように思
える。私は彼女たちの鍛えられた声の質が好きだ。草原の匂いがするので
ある。

 ダンボール城の高台において、近藤優花が演じたリュウの死にざまを、
抱きかかえた金久美子はすぐ近くから、顔にライトを浴びていた。それ
は幻想には程遠い金久美子のリアリズムと彼女の現在が、私には映像化
された。彼女は恥ずかしさに揺らぎながらも自己存在の現在と観客存在
の現在を、裸と裸の対決として連結連動しようとしたのではないかと今、
私は思う。10年前の「灰とダイヤモンド」の金久美子もそうであった
が、彼女は揺らぎを感受させる女優である。この揺らぎとは主体形成途
上者の背骨のエネルギーといってもよいだろう。

 私は格闘し対決するものとして、金久美子に注目していくだろう。彼女
は世界を体験している、しかし私は今だ世界を体験していない。彼女はす
でにテキスト存在として表出している。しかし私は今だサブ・テキストと
妄想の過程に閉じ込められている。私の金久美子に対する欲望は、それが
モンゴル草原でも中国でも韓国南部でも日本でも、古代東アジアに、動的
中心の移動として、馬と鉄と風と人間が、一心同体となって活躍した、騎
馬民族の女王またはシャーマンを演じる彼女をいつか感受したいとゆう妄
想にある。天と場所と人間の動的中心の移動その関係構造を、東アジアそ
のもののダイナミズムを体現する女として彼女が演じたとき、私は彼女の
白い長い足に唇を押しつけなめまわし、仮想現実においてセックスをする
だろう。騎馬民族の戦闘甲をとったとき、金久美子の長い黒髪は、ハラリ
と肩に落ち風に揺らぐのだ。その時、天幕の窓からは広大な真昼の草原が
表出し、天幕の外に出た金久美子の天には圧倒的な星がきらめいているの
である。

 演劇を語る言葉とは、観客と役者の妄想の肥大化においてしか生成はし
ない。今や演劇の客観的批評など存在しないし、今だ通用しているとすれ
ば、それはスターリン言語であり、唯一、日本システムがスターリン統制
資本主義であることを持って、主体欠落の言語が生き延びているだけなの
である。裸と裸の対決、それこそが演劇を語る言葉なのであり、テキスト
存在として表出できるのである。民衆演劇とは観客と役者の思い入れ・思
い込みによってのみ生成する。なぜならわれわれ貧乏人である民衆は、数
多くの演劇を体験できない。演劇批評誌「MUNSKS」の佐伯隆幸の
「劇場日誌・パリ篇」によって私は民衆演劇とは何かを逆説的に教えられ
た。 
 
 = ある階級の「ゲストゥス」とか、「集団的想像力」とでもいうもの
・いまなら、きっと集団心性という・の似姿としての劇場。わたしはど
うもその関係性に関心があるのだ。(略)安い席をもとめて売場のオバ
サンとやりとりあって、憤然と帰っていった老婆。クリスマスにフェー
ドーを観ようとすると同時に自分の懐具合に徹底してこだわる情熱。わた
しはそれをいいと思う。悲しいかな、わたしには、これだけの芝居を観て
いて、そうした生活としての演劇がない。まあそれはともかくとしても、
老婆にはとんと無愛想だった売場のオバサンは、高い席を買うわれわれに
は、一転、手の平を返すような微笑みを振り向けた。わたしは、ああマリ
ニーもブルジョア劇場だなと当たり前のことを思った。ことのついでにい
っておくと、こういう微笑みはこの頃よく見かける。それどころか、われ
われサル・ジャポネは、金を払う場では、いつもこういう微笑みで遇され
ているのではないか。=
                             佐伯隆幸
    

 全世界にはこうした老婆や私のように、徹底して脳の計算装置は自分が
現在、生存維持のための通貨簿記を、シュミレーションしながら、演劇や
映画を観る人間が存在している。観劇代にビビリながら金を払うのだ。こ
うした通貨簿記をなんら脳の計算装置に回路を持つことなく、生存の通貨
簿記から解放され、安心して観劇できる人間は、絶対的に少数者であろう。
全世界の絶対多数者は、観劇に払った金は、何倍にしても取り返す、ふと
どきな、がめつい、根性を持って楽しもうとするのである。こうして民衆
演劇は、観客の妄想と思い込みが限りなく肥大化する。役者と観客の腹の
くくった、騙しあいこそ、緊張した情熱なのだ。

 村上龍は日本の近代から現代文学は、病気と貧困の物語生成であったと、
主張している。しかし彼は、病気と貧困こそが戦略的準備のエレルギーで
あることを忘れている。問題は日本のサブ・テキスト構造こそ憎悪するべ
きなのだ。それが上部であり下部であれ、したたかな悪魔の如きテキスト
存在と人間を、日本サブ・テキスト文体は隠蔽してきたのである。

趣味的文化人の実態が、もろくも自壊し、
高度消費文化とは、高級品の買いあさりであり、どち
らも経営スキャンダルの下品な人格を、テキスト存在として表出した。要
するに彼ら趣味的文化人が領導してきた80年代の浮かれたバブル気分と
は、何ら歴史に蓄積できぬ無作為の権力だったのである。戦略的準備なき
浮ついた気分であり、ヘドロの死んだ湖に、底から現出するガスの泡だっ
たのだ。消費広告戦略を構築してきた鉄パイプ足場の根本は、腐食し立ち
腐れと生成し、巨大組織の背骨はへし折られ瓦壊しようとしている。

 しかし今から戦略的後退をしようとしても、遅いであろう。日本スター
リン資本主義の日本的経営その巨大組織は、かつての日本軍と同じ運命を
たどるであろう。中国大陸と東南アジアにおいて戦線を拡大した日本軍は、
毛沢東反日坑戦戦略と、アングロ・サクソン各個撃破・陣地奪回戦略によ
って、徹底して敗北させられてきたのである。中国大陸では、10万人か
ら延安にたどりついたときは1万人しか生き残ることができなかった革命
軍が、この長征という戦略的後退によって生成させたガイストによって、
日本軍の戦線をズタズタに分断した。この中国戦線の日本兵は生き残れた
が、東南アジア戦線では90%がアングロ・サクソンの戦略によって殲滅
させられてしまった。アングロ・サクソンとは固有の闘争者であり、一度
彼らがおのれの生死観において戦争を決意すれば、徹底して敵を壊滅させ
る。

 日本スターリン資本主義の巨大組織は、大日本帝国軍隊の敗北をリアリ
ズムにおいて総括してこなかったのである。70年代の気分とは、周恩来
によって、侵略戦争の賠償請求から解放されたことによる、他者要因から
生成した経済主義であった。日本イデオロギーとそのシステムは、日清戦
争により、中国から巨額の戦争賠償金を収奪し、その資金の活用により、
世界経済に伸し上がっていった歴史を隠蔽し、USAの世界戦略を利用し
て、中国民衆に支払わなくてはならない損害賠償金をチャラにしたのであ
る。何とゆう自己欺瞞・他者欺瞞の外交戦略であろうか?

 しかし日本経済の幻想が、夢の残骸として立ち腐れしつつある90年代
は、いかなる意味構造においても、70年代80年代の浮かれた気分に止
めをさすだろう。その歴史が自己欺瞞・他者欺瞞の歴史であろうが、結語
は必ず表出するのだ。私の現在の精神的危機とは、終わりの始まりの過度
期に、自己動物的本能が未来から規定されていることによる。

 記録者の原点とは皇帝権力に、おのれのきんたまを切って落されても、
徹底した執念で歴史を叙述した、司馬遷「史記」の表出形態であろう。あ
る体系を創造するためには十年単位で仕事を孤立無援でしなくてはならな
い。クラウゼッヴィツの「戦争論」、マルクス「資本論」、こうした人間
の長期持久のパワーに私は興味がある。

 新宿梁山泊のシンボルは龍である。司馬遷「史記」の言葉は蛇身人首で
神聖の徳がある神龍から物語が開始される。龍とは人間に言葉を伝導する
神話的動物なのである。この11月初頭、日比谷通りの松岡美術館で中国
中世の水墨画を観た。荒々しいユーラシア大陸の空間が記録されているの
である。仙人画であっても他者関係としての空間の匂いがあるのだ。本質
が持つテキスト存在と人間を、力ずよく感受できるのである。中国水墨画
を模倣したサブ・テキストの日本画は、あらかじめ他者関係としての空間
が、隠蔽されナルシズムの生成として歪曲されてきた。テキスト存在とし
て表出したのは、鎌倉時代の美術である。江戸時代においてはより空間が
消却され、平面の単一化として形態化される。

 圧倒的な日本コミック雑誌の発行部数と、消費する読者の平面知覚、そ
のナルシズム構造は江戸時代からの延長形態にある。日本の映画・テレビ
番組で世界に売れるのは、唯一アニメーションである。平面の線画とその
色づけによる動画。他者関係性を隠蔽する平面知覚こそ、日本イデオロギ
ーの本質なのである。しかしもはや日本語を読み書き話せる他者は、世界
に数多くなってきた。彼らの空間知覚は、これまで日本が隠蔽してきた空
間をあばくであろう。日本スターリン資本主義のマフィア構造をあばいた
のも彼ら西洋人エコノミスト・ジャナーリストとしての他者である。記録
者とは固有の空間と場所と人間を教え伝導する人間である。日本のマス・
メディアが本質的な情報を、われわれ貧乏人に流さなくても、「島」にと
ざされた民衆はこうした他者から本質的な情報を受信し、この「島」の構
造を相対化することができるのである。もはや、日本語によって世界から
日本システムを隠しとうしてきた構造は、日本語を話し読み書きできる圧
倒的な在日国際人の出現によって崩壊している。

 新宿梁山泊の「リユウの歌」は場所性をめぐる演劇であった。江戸とい
う世界都市の形成において、台東区浅草一帯は下層民衆の町として、身分
制度化されてきた。「リュウの歌」は山谷の演劇でもあったのである。プ
ロローグはフランス座前の路上演劇からはじまった。梶村ともみがホーム
レスとして、観客の後に並んでいた私の前に現われたとき、寿町の恵子さ
んが何故ここにいるのだろう?と、私の記憶装置・判断回路は混乱してし
まった。釜ガ崎で見た人だろうか?それとも笹島で見た人だろうか?しか
し寿町の恵子さんに似ている。私は梶村ともみがフランス座の舞台に現わ
れたのを見て、はじめて彼女が役者であったことを知覚できたのであった。

 私はプロローグの路上演劇、リアリズムあるホームレス労働者として登
場した彼女の出現に緊張した。寄せ場は私が仲間達と労働し生活してきた
場所であったからである。浅草は山谷の労働者が歩くところであり、梶村
ともみが演じた人間がフランス座の路上に存在していたとしてもおかしく
はない。梶村ともみに衝撃を受けた私の構造こそ問題なのである。私の動
揺した身体は、すぐ近くにいた鄭義信(チョンウイシン)によって確認さ
れたにちがいない。新宿梁山泊と私の関係はおそらくテキスト存在と人間
としての格闘の関係なのである。演劇のリアリズムとは場所に閉じ込めら
れ、場所世界と生活そのものが生存闘争であるテキスト存在としての人間
の空間表出であることを、私は梶村ともみから教えられた。しかし彼女は
もっと役者として腹をくくるべきであろう。彼女はやがて路地のはじでう
つむいてしまったからである。寄せ場で生存闘争をしている人間は、市民
社会の人間に対してうつむいたりはしない。もっと対決的なのだ。路上に
おける梶村ともみの武装的身体は最後まで貫徹されるべきであったと思う。

 しかし私は主体の破産と重いうつ病に落ち込み、寄せ場の仲間達の前か
ら逃亡したのである。動的中心が移動してしまった私は、いかに残酷な人
間・裏切りもの・最低な人間・非人間とののしられようと、寄せ場に労働
者として復帰することはできぬであろう。不況で寄せ場には、経済の構造
的矛盾が押し寄せ、労働者の生存はおびやかされている。街頭で日雇い労
働者は殺されていく、むきだしの日本経済。
しかし私は復帰できない。私は最もずるい卑怯な人間なのである。

 ビルの谷間に展開されたダンボール城はおそらく、90年代に起こるで
あろう関東大震災後の世界である。巨大ビルのみが生き延び、荒野と化し
たその舞台装置のはじに、キリストの顔が見えた。

 衛生管理都市を推進する実戦部隊長を演じた朱源実は、かつて「光る風」
からナンセンスギャグまんがへと動的中心を激しく移動させた、山上たつ
ひこ的世界を表出させたと思う。「それからの愛しのメディア」において
も、不動産業を倒産させ、労働者へと転生した彼の姿をみて、私の記憶装
置は寄せ場から朝早く横浜港に向かう港湾労働者を引き出した。演劇のコ
スチュームとは情報類型としての装置なのである。

 朱源実に対する私の欲望は、彼がさらに身体を鍛え、いつか韓国南部の
古代騎馬民族が身に着けていた、鉄の戦闘鎧を取り込んで欲しいとゆうこ
とである。全州中央舞台の役者は、実に古代騎馬民族的な骨格を感受させ
てくれた。鉄と人間は馬と人間の関係のように一心同体であったのである。

 近藤優花のエネルギーは女のエロスを切り開いたように思える。テキス
ト存在と人間それは原始の裸像であり未来の裸像なのだ。裸力の対決それ
が演劇の役者と観客の交換なのかもしれない。紫陽花の中に一体化してい
た近藤優花は美しかったが、「リュウの歌」のラストシーンも輝いていた。
自然が終焉した今日、植物の対話は演劇の力によって復活するのかもしれ
ない。

 金久美子がその樹を見あがていたとき、私は幼少の頃の故郷の秋、風に
頭をおどらせる、黄金の稲、田園を思い出していた。1961年、豊田小
学2年生であった私は、小学校からの帰り道その美しい黄金の稲の田に、
引き寄せられ田の中を駆けずりまわった。しかしそれは農村にとって罪だ
ったのである。翌日、私は担任の先生から耳をひっぱりあげられ身体に罰
を受けた。学校に通報した人は、何故その場で注意してくれなかったのだ
ろうか?と、私は不思議だった。街道があるその豊田村から、山を越さね
ばならぬ場所、山に囲まれた小さな集落「ましろく」に住んでいた私たち
は、豊田村から見てあるテキスト存在であったのである。田園の動的中心
に対して、私たちは不気味な山の動的中心であったのだ。

 「リュウの歌」の結語、イミテーシュンに輝く大きな樹木は、私から山
が遊び場だった遺伝子を呼び起こしたのである。私の遺伝子は山のダイナ
ミズムによって生成させられたといってよい。現在の「ましろく」の山は、
東京の不動産企業に買い占められ、宅地造成へと変貌してしまった。しか
し私は消却された山の記憶を必ず復活させるだろう。それが私にとっての
テキスト存在と人間である。その時はじめて私は、金守珍(キム・スジン)
、鄭義信、小檜山洋一たちの物語創造力と対決できるのだ。

 私にとって方法としての相対は、韓国の詩論として70年代初期に出版
された「民衆の声」に教えられた矛盾と矛盾の衝突を、この日本の場所で
方法として記録する構造にある。私の相対的表出は主体形成途上者として
の方法であり、階級と階級の空間をテキスト存在として表出させることに
ある。そのためにマス・メディアのサブ・テキストを盗みまくり、意味構
造を逆転させ、むきだしの「現」の空間に集約させるのである。本質とは
執念のパワーの連結・連動にあるのだが、いかに本質なき日本のサブ・テ
キスト結語の先には、さらなる先によって回収されてしまうかを、固有の
事実としてむきだしにすることこそ私の欲望形態である。

 固有の場所との格闘、それが演劇のリアリズムを生成させる。私が言う
リアリズムとは、空間のことである。新宿梁山泊の「リュウの歌」は、山
谷・吉原・浅草一帯の歴史と人間の格闘構造・場所を演劇の動的中心によ
って回収し、場所と人間の情念と幻想を昇華させたように私には思えた。
場所には人間と物質の情念と幻想が渦巻き、それがテキスト存在と人間の
動的中心を生成させる。固有の場所とは、人間と生物・植物・物質の情念
と幻想が幾層にも形成されているのである。80年代とは行政官僚とスタ
ーリン資本主義が連結・連動したマフィア構造による場所の占領と変貌で
あったが、場所を確保せねば生き残れない90年代の現代演劇は、揺らぎ
つつも動的中心を形成し、場所の回収と場所の身体的言語の昇華に向かっ
ているように思えてならない。

 固有の男と女には,けして一般には回収されない物語がある。人間にと
って最大のテキスト存在とは誰でもない自分自身である。私は幼少のころ
から心という空間が不思議でしかたがなかった。それは対話すれば対話す
るほど深いのである。いつからか私は自分のこころと遊ぶようになってし
まった。この私のこころの空間と他者のこころの空間はどう違うのだろう
か? 私は今でもわからない。こころとこころの出合いと自己が問われる
こころの関係は緊張する。この緊張から現代演劇が逃亡したとき、その向
こうにまっているのは「飼い慣らされた死」である。

 私は現場からの逃亡者であるが、すくなくても飼い慣らされた死は拒否
したい。アダムとイブが失楽園に追い出されたように、私ももうすぐ世界
と出会うだろう。その世界とは何か? おのれの腹をくくり、自己存在を
テキスト存在へと表出させることのできる、緊張したそれでいて、なおか
つ激励される関係の世界である。この固有とはかけがいのない固有なので
ある。新宿梁山泊は民衆の辺境の場所へと空間と時間を置き、そこから固
有の物語を立ち上がらせる。そこに私は感銘する。しかし私の欲望は民衆
の辺境の場所と、同時多発的に進行しているローマ帝国の執行人たちの円
卓、そのもうひとつの辺境をかいまみせてもらいたいのである。その場所
が永遠に隠されている以上、そのテキスト存在は想像力の辺境から幕を切
って落とし、むきだしにせねば、全体空間をめぐる演劇へと上昇すること
はできない。司馬遷がなにゆえに龍神から「史記」を叙述したのか? そ
の答を私は求めていく。

    
1992,12,04


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