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株主から企業を守る「自律的経営」の手法(加護野忠男)
http://www.asyura2.com/0406/hasan36/msg/341.html
投稿者 愚民党 日時 2004 年 8 月 20 日 10:52:22:ogcGl0q1DMbpk
 




株主から企業を守る
「自律的経営」の手法

筆者は、6.14号のこの連載で、株主のモラルハザードが企業経営に
悪影響を及ぼす可能性があることを指摘した。
今回は、その対策として「自律的経営への道」を提唱する。
戦後からバブル崩壊まで長く続いた銀行を中心とした株式の持ち合いが、
機能しなくなった今、どのような方法が考えられるのだろうか。
先駆的事例を検証しながら、脱「株主重視型経営」を考えてみる。

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神戸大学大学院経営学研究科教授
加護野忠男 = 文
text by Tadao Kagono
かごの・ただお●1947年、大阪府生まれ。70年、神戸大学経営学部卒業。75年、同大学大学院博士課程修了。79年から80年までハーバード・ビジネス・スクール留学。専攻は、経営戦略論、経営組織論。
著書に、『日本型経営の復権』『競争優位のシステム』などがある。



尾黒ケンジ = 図版作成

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大企業になっても上場しない理由

 現在の法制度の下では、株主のモラルハザードが企業経営に悪影響を及ぼす可能性があるというのが、前回(6月14日号)の議論であった。産業社会の長い歴史を振り返ってみると、この問題に気づいていた企業経営者は多い。彼らは、株主のモラルハザードから企業を守るためのさまざまな方法を編み出してきた。今回はその方法を探ることにしよう。

 戦後の日本企業は、銀行を中心とした株式の持ち合いを通じて、経営の自律を図ってきた。銀行の体力が低下するとともに、この慣行は維持できなくなってしまった。持ち合いの制度は、経営者に規律を与えるという点に関しても問題を持っていた。これまでの企業経営の歴史を振り返ってみれば、非上場、財団の利用、従業員持ち株制などの方法がある。

 前回も書いたとおり、フォード社はいったん公開した株式を買い戻すことによって株主の影響を排除しようとした。現在の言葉を使えば、マネジメント・バイアウトである。日本でも株式の公開を拒み続けた企業家がいる。出光興産の創業者、出光佐三である。出光が出光興産の前身、出光商会を設立するための資金援助をしたのは神戸時代に知り合った篤志家・日田重太郎である。日田は出光より9歳年長で、淡路島の資産家の養子であった。実家とも養家とも折り合いが悪く、神戸で気ままな生活を送っていた。彼は、神戸高等商業(現・神戸大学経営学部)を出て小さな商店で丁稚奉公をしている出光に興味を抱き、長男の家庭教師を依頼する。長男を厳しく教育する出光の人格を見込んだ日田は、出光に独立のための事業資金提供を申し出る。日田は現在の言葉で言うとエンジェルになったのだが、じつに奇妙なエンジェルであった。日田は、出光に6000円(現在の貨幣価値では6000万円程度)の資金を与えたが、まったく見返りを要求していなかった。それどころか、その後も出光が資金に困るたびに援助を続けている。資金を提供するにあたって日田は三つの条件をつけた。第一は、従業員を家族と思い仲良く仕事をすること。第二は、自分の主義主張を最後まで通すこと、第三は、日田がお金を出していることを誰にも言わないこと、という条件であった。この資金をもとに出光は、門司に出光商店を設立し、有名な家族主義的経営を行う。出光は、この商店を公開しようとはしなかった。それどころか、しばらくは個人商店を続け、株式会社組織にさえしなかった。資金調達には苦労したようだが、株式会社にすることによって責任の所在が不明確になることを恐れ、公開によって利益が流出することを嫌ったからである。

 竹中工務店は、1610年に初代竹中藤兵衛正高が名古屋で創業した組織をルーツにしている。明治32年には14代竹中藤右衛門が神戸に進出、この年を創立第1年とする。竹中は明治に入るとともに近代欧風建築を手がけるようになるが、最初は合名会社組織を採用し、後に株式会社組織をとるが、株式の公開は拒み続ける。株主を持つことによって経営に制約が加えられることを嫌ったのである。企業が成長するにしたがって株式公開が行われるようになるというのが常識だが、この常識に逆らっている企業は欧米にも日本にも少なからず存在している。

企業財団による株式所有の先駆的事例

 長期的な視野を持ち、会社の長期的な繁栄を願う個人あるいは団体に株式を持ってもらうという工夫は株主のモラルハザードを防ぐ貴重な手段である。この先駆的事例はドイツのカール・ツァイス社の財団法人形態である。この原型をつくったのは、同社の共同創業者であるエルンスト・アッベである。アッベの思想と経営政策については、市原季一『ドイツ経営学』と野藤忠『ツァイス企業家精神』が重要な手がかりとなる。

 カール・ツァイス社の創業の製品は顕微鏡であった。職人の経験ではなく、理論に裏打ちされた顕微鏡をつくりたいと思っていたカールは、イエーナ大学の物理学の無給講師だったアッベの協力を仰いだ。それがきっかけになって、学者であるアッベが開発した製品を職人であるカールが生産するという共同事業が始まった。アッベが何よりも重視したのは、経営の永続性である。経営の永続のためには、人間のエゴイズムから経営が解放され、自律性を持たなければならないと彼は考えた。そこで彼が考え出したのは財団法人形態である。カールがなくなった後、息子のローデリッヒとの共同経営をしていたアッベは、自分の農場で悠々自適の生活をしたいと考えていたローデリッヒに保証金を支払い、二人の持ち分をカール・ツァイス財団に委譲した。1889年に設立されたこの財団の定款にはアッベの思想が反映されている。定款の第一条では財団の目的として、光学工業の発展に尽くし、地域社会に貢献し、従業員は高度な社会的責任を履行するという理想が掲げられている。アッベはツァイス社の利益の使途についても定めている。利益は、将来への投資、従業員への利益分配、学術振興に三分されるべきことが定められた。

 第二次世界大戦後、イエーナは東ドイツに属することになった。ソ連の占領に先立ってツァイス社の技術者や職人はアメリカ軍に強制連行され、これらの人々によって西ドイツのオーバーコッヘンでツァイス社は再建された。会社は東西に分断されることになったが、財団法人形態は維持された。国家統一後に二つの会社も統一された。二度にわたる敗戦、国家分割、さらには工学技術の工業化をめぐる厳しい国際競争という激動の中でツァイス社が存続できたのは、財団法人形態のもとで、株主の影響を排除し、技術と技能を伝承することができたからである。日本では財団が大株主になっている例は少ないが、財団は短期株主の影響力を排除する重要な手段となるかもしれない。

 日本ではあまり知られていないが、アメリカの企業が短期株主からの圧力を和らげるための手段として用いているのは、従業員持ち株制である。従業員は株主のモラルハザードによる最大の被害者になる可能性があるので、それを防ぐ勢力になりうる。

 日本では新聞社などの例外があるが、従業員持ち株制をガバナンスという視点から積極的に進めようとしている企業は少ない。しかし、先駆例はいくつかある。神戸にあった兼松商店がその嚆矢である。兼松商店の創業者である兼松房治郎氏は、大正2年に逝去する。同年、兼松商店は、合資会社組織となり、養子の馨氏が社長となる。

 大正7年には、資本金200万円の株式会社となる。その約4分の1(4万株中9970株)を馨氏が所有し、従業員の約半数の21名が株主となり、2万9000株の株式を保有することになった。

従業員持ち株制度の長所と短所

 大正末年には500万円の資本金となるが、資本の増加は、すべて留保利益によるものであった。従業員持ち株制度の根幹となったのは、兼松奨励会である。従業員株主を会員とする組織であり、勤続年数3年に達した従業員に対して、その持ち株中から株式を贈与し、引き続き追加贈与し、退職時に株式を買い戻すという役割を演じている。

 この組織の生みの親、前田卯之助は「尋常の権義の問題にあらず、至高の徳義と精神に発し、相互の信頼と人情の基礎に立つべき組織」と述べている。

 兼松の従業員持ち株制は、時代の息吹を受けたものであった。1917年にはロシアでボルシェビキによる革命が起こり、フランスで従業員参加株式会社が立法化されている。1924年にはニュージーランドで会社授権法が制定されて労働者株が認められた時代であった。

 従業員持ち株制が導入されるとともに、定年(定限年齢)制が導入されている。持ち株とともに従業員が新陳代謝していく制度である。定年制は「一定年齢に達した従業員が後進に道を開き、常に店内を活気横溢する制度」と位置づけられている。

 このような株式所有制度の改革に伴って、兼松商店は、同じく神戸にあった鈴木商店とはまったく異なる道を歩むことになる。兼松商店は、投機的取引から撤退し、コミッション営業に徹するという戦略に移行する。鈴木商店が投機で急拡大し、その投機で破綻したのとは対照的である。安定的な事業に重点を移行したとはいえ、兼松商店は十分な利益を挙げている。同社の自己資本はその後も増加し続けたが、それは留保された利益によってまかなわれた。それだけではなく、兼松商店は、その利益を商業の人材育成という社会貢献のためにも使っている。大学昇格準備中の神戸の高商には商業研究所を寄贈し、その3年後には東京商科大学(現・一橋大学)には講堂を寄贈している。

 ただし、従業員持ち株制度が障害となって、戦後の総合商社化に後れを取ったという見方もある。従業員持ち株制度によって、従業員は大きなリスクを抱え込むことになるので、経営政策が保守化する性向があるのである。従業員持ち株制度の戦略的な欠点の一つだといえるかもしれない。

 戦後に成長した企業でも、神戸のアシックスの前身、オニツカタイガーの創業者は自分自身の株の持ち分を4分の1とし、残りを従業員に分配している。

 以上の諸制度は、コミットメントを持つ人々に株主になってもらうという共通点がある。株主の利益という視点からはコミットメントを持つのは合理的ではない。しかし、企業を持続的に繁栄させるには、コミットした人々が必要なのである。

 資本主義社会を成り立たせるには、合理的な損得計算が不可欠であるが、それだけでは企業は発達しないのである。コミットメントという非合理なものが必要である。



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