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シリーズ・現代の優生思想との対決(10)精神的去勢
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投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 11 月 25 日 18:00:56:HcDLIonJaW4jM
 

なお、私は単なる障害者運動を取り上げようというのではありません。また、単に健康問題についての情報提供をしたいのでもありません。反戦運動を実(み)のあるものにしたいのです。反戦にしろ健康にしろ、日常性の中の価値観の「優生思想」を乗り越えなければ、「平和・安心・健康」などの名目で、弱肉強食・優勝劣敗のおぞましき世界になっていってしまうのを黙っておられないからです。その入り口として、障害者と優生思想の問題から入って行っております。まったく、今の反戦運動は、腑抜け・腰抜けでどうしようもないのみならず、それ自体が、戦争構造を形作る手伝いをしてしまっていることに気が付いていない。怒りや、反骨・抵抗・あらがうということを否定し、精神的去勢をし、従順な、おとなしい、言うことをよく聞く人間を作り出している。これでは反戦運動にならない。その根本的理由に優生思想が無意識下にあるのだ。
それでは、以下本文。
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今回も、まず、本の紹介から。古今東西、右も左も、世界中が優生思想。
■『優生学と人間社会―生命科学の世紀はどこへ向かうのか』講談社現代新書1511 2000/07 ¥777(悪税込)米本昌平,ぬで島次郎, 松原洋子,市野川容孝(著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061495119/qid%3D1100854373/249-7647952-3686754
http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sitem=%CD%A5%C0%B8%B3%D8%A4%C8%BF%CD%B4%D6%BC%D2%B2%F1&sv=30

――これを読むと出生前診断で危惧される優生思想は、ナチズムのあるところ以外でも北欧や日本等、どこででも普及しかねないなと思います。過去の歴史から。この頃時々、障害児を生まない権利が北欧で保障されてる、などという誤解があります。でも、この本を読む限り、そうは言えないです。世界中で、自己決定、という形で新たな優生学が広まっている懸念を、特に第3章の筆者が強調しています。その流れの中に日本も北欧も含まれているという主旨です。‘生む本人の自己決定なのだから優生思想ではない’という言葉のもと、実行されている出生前診断。その中で、日本だから、または北欧は福祉が盛んだから例外だろう、ということはない。どこでも危険性はある。[アマゾンの読者レビューより]

はじめに ぬで島次郎 5
第1章 イギリスからアメリカへ―優生学の起源 米本昌平 13
第2章 ドイツ―優生学はナチズムか? 市野川容孝 51
第3章 北欧―福祉国家と優生学 市野川容孝 107
第4章 フランス―家庭医の優生学 ぬで島次郎 141
第5章 日本―戦後の優生保護法という名の断種法 松原洋子 169
終 章 生命科学の世紀はどこへ向かうのか 米本昌平 237
おわりに 米本昌平 277
著者略歴 279
参考文献 280

――当初、優生学は社会改良の政策として“社会民主主義”と親和性が高く、「アメリカ」ではアメリカ人の好きな“ニューフロンティア”として、きわめて肯定的に評価されていた。特記されていいことは、優生学は障害者福祉と連動して、「障害者が新たに生まれてくるのを防げば、一人ひとりの障害者にかけられるサ―ビスや資金を厚くすることができる」という文脈で、社会福祉の一環として、「北欧」の“社会民主主義者”が強力に押し進めていたと言うことだ。もちろんそこには障害者を「保護」の対象とするパターナリズム(家父長主義)しかないことは簡単に見ることができる。「日本」では、障害者やハンセン氏病患者への断種術を合法化する優生保護法は、戦後“社会党”(当時)の代議士(!!!)により国会に上程されたものであった。 http://www3.ocn.ne.jp/~pwaaidgp/back26.html#sec25

――「自己決定優生学」(P.140)あるいは「レッセ・フェール優生学」(P.234)なる新たなタイプの優生思想の擡頭。
米本昌平による最終章「その危険とは、IQの遺伝子や、犯罪傾向の遺伝因子や、反社会的あるいは暴力的な遺伝子などという、生物学のレベルとは対応関係のない、その意味でありもしない遺伝因子を想定したり、人間の社会的行動を説明づけようとする生物学概念へ人間解釈を還元してしまったりすることである。それは人間解釈の浅薄さ以外の何ものでもなく、このような言説に対しては感度を鋭くして、ていねいに批判し続けていかなくてはならない」(P.269-270)
優生思想と福祉政策は強い親近感があった・・・生殖の自己決定・・・? 【※自己責任?自業自得?(自公自涜!)】
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_rev.cgi/40ca0e60792da010174d?aid=p-tateiwa25066&bibid=01908507&volno=0000&revid=0000016782
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【※手ポリオ・記】〜精神的去勢とは?
上の本には、ひとつ、肝心な国が抜けている。それは、ロシア=旧ソ連。なぜなら、現代の共産党系の障害者運動(障全協・系)の基礎となっている研究(全障研)の根源の「障害者の発達保障論」がソ連の社会主義教育理論からヒントを得てその理論体系を作ってあるからです。さらにそれは、ロシアやナチスドイツだけでなく、スウェーデン、アメリカ、そして日本などの現在の、ほぼ世界中のことで、しかも、保守層だけが主導したのではなく、革新派も中道派も、こぞって推進した「社会運動」であったのです。
そのロシアと、ドイツ、フランス、ブラジルの「優生学」については、下記の本を参照。

■『比較「優生学」史――独・仏・伯・露における「良き血筋を作る術」の展開』
 マーク・B・アダムズ編著 現代書館 1998/07 \5775(悪税込)ヒェ〜、高いわ!
   ヴァイマール共和政下に大発展しナチス人種優生学を準備したドイツ、
   自由と人権の国フランス、
   混血人工国家ブラジル、
   革命前も後も優生学を育み続けたロシア、
   人類の質的改良をめざし世界的に流行した優生学の展開の諸相。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4768467342/qid%3D1101142342/249-7647952-3686754
            
「発達保障論」とは、下記の青い芝の会の里内龍史さんが批判しながら説明してくれているとおりのことです。だから、共産党だけでなくその他の系列も似たようなものなのだ。右も左も同じ…。国際障害者年とか国連というものは、そういうものに乗っかっているのだ。そして、その後も障害者年の20年・30年キャンペーンとして、今もなお強力にされて続いているのだ。
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▼[茨城青い芝・里内龍史会長『私の障害者運動史』]より。 http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/990.html
 「障害者の発達を保障する運動の主張は、「歩ける方がいいから歩けるように保障する」というように、目標が常に健全者である。発達するまで養護学校や施設で特別な教育や訓練をするという理論である。ソ連の社会主義教育理論からヒントを得てその理論体系を作ったのは、日共の党員の心理学者で、その理論を全面的に支持したのが、日共を支持する教師が主流である日教組の特殊学校部会(※これが全障研となる)である。  
 健全者により近くするとは、どういうことか? それは生産労働できるようにすることである。つまり、生産社会に排除される障害者を、生産社会にあわせるという理論である。それは障害者に働く幻想を持たせ、「ただで働いてもいい」ということになる。つまり、発達保障論は健全者の価値観を障害者に押しつけた理論である。(※ARBEIT MACHT FREI!?(Work Brings Freedom!?) 働けば自由になる!?) 
http://kervansaray.web.infoseek.co.jp/volare-est-poland-oswiecim.htm
 発達保障論の目玉は、障害の早期発見・早期治療である。生まれる前から障害を治療する発想である。また、生まれる前から管理し、隔離していくレールに乗せられることである。それが今の母体検診や遺伝子診断の問題につながる。
 もし私が10年若く青い芝や全障連と関わっていたらノーマライゼーション(スウェーデンの障害児の親が作った概念で、障害者も普通に生きるようにするという意味。日本では厚生省の障害者対策の方針になっている)の波に飲み込まれ、常識的な福祉を推進し、現在私のやっている、優生思想との対決や、障害者からの反戦の主張をすることができなかったであろうと思う。
 ADA(アメリカ障害者差別撤廃法の英略。総合教育の促進、障害者雇用と賃金差別撤廃、企業の介護保障、公共交通機関と公共施設に障害者設備と手話通訳者や点訳者を設置することなどが義務付けられている。「国家や社会のために使える障害者」のための差別撤廃法であり、脳性マヒ者や知的障害者は当てはまらない。私は発達保障を具体化した、究極的な姿がADAであると思う)やノーマライゼーションを推進し、厚生省の方針に結果的には協力している。それらの障害者は、障害者の御用団体のリーダーや行政に勤めたりして(当人の意識がどうであれ、結果的には)青い芝運動(※優生思想との対決や、障害者からの反戦の主張をすること)を脅かし、潰す存在になると思う。(以下略)」[引用ここまで]
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だから、それは共産党系だけではなく、その他のたいていの福祉運動、さらに反戦運動などにも多かれ少なかれこびりついた概念になっているのだ。それは、日常性の中にある無意識的な優生思想を普通の常識として自然に取り込んでしまっているからである。国家や権力側の法や制度としての優生思想と、庶民・大衆の中にあるそれとが、潜在的に呼応しあってしまう・・・。「青い芝の会」や、多分「全共闘」も、そういうものと対決していたのだ。(CPつまり脳性麻痺というのは、真っ向から優生思想とは反対のような障害のあり方だと言う。私のような両手ポリオは、その点まだ中途半端で、なさけない。)

しかも、優生思想は障害者福祉や医療でだけの問題ではない。手術や出生前診断などの身体的な去勢や、予防という名目の抹殺だけではなく、手術も医療もなく進められている精神的去勢。日常性の中にある無意識的な優生思想。それは、社会の無言の圧力・圧迫・世間の空気(健康、元気、明るく楽しく愉快に、清く正しく美しく、さっぱり・あっさり、愛と正義、など)によって、精神的去勢をして従順な人間を作り、社会への問題意識や政治意識を去勢し、反骨・抵抗する運動や反戦運動をしない人間を作る、または、運動をしても形だけの骨抜きにし、体制と癒着する、ということ。トゲも毒も抜いて腰抜け・腑抜けにすること。なにも隠れて陰謀したり、強権的に押し付けるまでもなくだ。それが斉藤貴男や辺見庸の言う“安心のファシズム、自ら支配されたがる人々”“鵺(ぬえ)のような白い全体主義、健常性の暴力、善魔”というものの正体だ。生身のヘレン・ケラーの言う「慈善は社会悪に対する悲劇的免罪符にすぎない」ということだ。それは道徳や倫理観などという社会通念の根底にも、自覚なく広くへばりつき、だから、『心のノート』や「新自由主義歴史観」や「憲法改悪・教育基本法改悪・有事法」などに真正面から反論しにくくなっている原因もここにある。「福祉・人道・安全・自由・人権・平和」などという言葉が「戦争・軍事」の正当化に使われてしまう原因もだ。「戦後民主主義」と呼ばれているものの脆弱性もだ。これだから、今の反戦運動は反戦にならず、精神の去勢運動になり、軍事力や権力や経済力を使って支配する者への屈服する社会を作り、戦争をする側を応援してしまうことになる。つまり、「右」も「左」も根っ子は優生思想・社会ダーウィニズムだったのだ。もしかしたら、マルクスもそうだ。唯物史観とか科学の目なんて、あやしいもんね・・・と思う、カモネ!♪そ〜んな奴が、悟空の大冒険を、いっぺん見たら♪・・・オットット。しかし、そんな社会だから、反社会的・反体制的・人格障害・異常・危険思想・不健全とスティグマされるもののほうがトーゼン、「まとも」なのだ。なお、「ひきこもり」というのも、そういうところからきていること。

それで、「精神的去勢」をキーワード検索をしたら、中国の「宦官」(かんがん)や、ペットの動物の去勢手術・・・そして、人間の「ひきこもり」のサイトや本の数々が出てきた。そこには、「ひきこもり」の原因は社会的背景にあり、新自由主義と関係あることだ、と説明するところまでは良いと思うが、そのあとに、恐るべきことが書いてある。人間社会に適応するには去勢が必要だと。動物だけでなく、「ひきこもり」の人間に対して、一般社会人になることは、つまり、大人になって社会に参加するということは、精神的去勢をしなければならないだと?それが、「ひきこもり」を「ひきだす」方法だと?それは単に、身の程を知ってこの社会へ屈服せよと言っているに過ぎず、現在の社会体制・世間の空気を追随・裏打ちしてしまうことだ。そもそも、そういう本を書く人間自体が去勢されているのだ。しかも、専門家として本も出すぐらいだから、たとえ社会批判を書いていても、この社会が居心地が良いのである。むしろ、一見、反体制的社会批判をしているからカッコヨク見えたりする。だから、そういう専門家や学者・文化人・有識者のほとんどは、反戦運動にかかわらないか、かかわっても、去勢運動にしてしまい「清く正しくおとなしく」進めるのみで、反骨・抵抗・あらがう、などということは、しない。これでは、戦争構造・優生思想の応援団なのだ!

ひきこもりの原因が社会的背景にあり、新自由主義と関係あるなら、当然、その社会のあり方のほうを変えていく社会運動や政治運動をこそ、していかねばならないはずで、デモやストやピケやゲバルトなどにも参加し、壇上での講演でまつりあげられるのではなく一人の人間として集会などにも参加し、自分の立場と生活をさらけ出し、名も無き、力も知識もカネも無き民と、同じ地平でしゃべり合う、ということをするべきなのだヨナ。偉いお人は、デモなどには出ないかい?そういう奴こそ、アカデミズムという世界に閉じこもる「ひきこもり」だっ!へっ!

♪とぼけちゃいけねえ 知ってるぜ おまえら み〜んな ホゲタラだ ホゲホゲ タラタラ ホゲタラポン!♪

大体、こむずかしい話や本を出したりするなら、それをドシロウトにもよくわかるように、そういう集会などにも、へりくだって出て来て、ちゃんと対等な人間同士として説明できるようでなければ、その知識・教養など支配と服従の道具としての権威主義の何者でもない。だ〜から、私は遠慮なく教えてもらってもいいのだ。それが対話なのだ。対等な人間同士!!優性・劣性などで差別することがおかしいのだ。それなのに、精神的去勢をして社会に適応する従順な人間にして引き出すことが解決策のように偉そうに書くのはなんだ?ホゲタラか?そんなのは自立ではない。人間の尊厳ではない。三浦朱門や江崎玲於奈が喜んでいる。「非才、無才にはただ実直な精神だけを養ってもらえばいいんだ」「ヒトノゲム解析もできたし、人間の遺伝子がわかるようになると、就学時に遺伝子検査をして、できる子にはそれなりの教育をして、できない子にはそれなりの教育をすればいいんだ」(フフフフ・・・)。 http://userwww.aimnet.ne.jp/user/pjbekh/mondai/kyoukon/kyoukon08.htm

さらに、弱者差別問題の本の中には、弱者である障害者は戦略的に「道化」を装って、開かれた人と人との関係を形成しようなどという“たわけた”ことを書く「専門家」?がいる。どこが開かれているもんか!自分を自ら貶(おとし)め、卑下し、世間の空気や強い側の体制の価値基準に隷属させ屈服させているだけだ!“奴隷の平和”の勧めだ。自我の死だ。生きたしかばね。それこそ、精神的去勢と呼ぶ優生思想なのである。「専門家」という「権力者」はまさにそれにどっぷりとつかって、“高見の安全圏に身を置いた言説や行動”をしているにすぎないのだ!さらに、マイノリティについて感じる「言いにくさや遠慮の構造を、同情心からでなく、率直に接触体験や対話や自己への問いを通しタブーに挑戦すること」をマイノリティに向かっては言いながら、マジョリティや権力側に向かっては、「言いにくさや遠慮の構造を、率直にタブーに挑戦すること」を言うことをせず、世間・一般社会・権力側に、こびへつらい、「弱者」側の運動(青い芝の会など)を「タチの悪い弱者という暴力」と言って非を強調し逆転現象とし、去勢する。「放送自粛歌」と同様の構図でもある。 http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/900.html 「強者」側や世間の日常性の非をこそ問題にし、政治的争点にし、タブーに挑戦し、対決すべきで、そうするためには、去勢など絶対にさせず、怒りを持って、現実に、反戦運動・反権力・反体制・反抗・抵抗・反発・叛乱・蜂起・政府転覆・世間の日常性の価値観を否定する運動の現場に、おまえらも直接参加するべきなのだ!腰抜け・腑抜けめ!。

つまり、弱い者いじめをしないということは、そういう人の書いているような「弱い者との接触体験や対話や自己への問いを通して、誰もが持つ自己の弱者性を認識し自省し、深く知ること」だけではなく、強い者に突っかかっていくことなのだ!社会意識・政治意識がまったくないではないか!そうでなきゃ、いつまでたっても同類相憐れむゴッコに過ぎず、強い者・権力・体制側はさぞや枕を高くして眠れるでしょう。たとえ、負けても負けても強い者に突っかかっていくのだ。勝ち負け・優勝劣敗・弱肉強食―それ自体が優生思想だからだ!そういう基盤になっている価値基準をこそ無くしていくことだ。それを続けていく過程とその気構えこそが大事なんだ!それを「タチの悪い暴力」とはなんたることか!弱い者いじめをさらに上から弱い者いじめをし善意のつもりでいる、おぞましき構図がここに見て取れる。クソ!!!私「手ポリオ」こと「近藤和也」は、専門家とか権力者は徹底的にこきおろしたい。それは、私自身が障害者であり、専門家でも権力者でもないから、また、精神科へも連れて行かれ、精神障害者のスティグマも刻印されたからです。生身のヘレン・ケラーも言っています。「体が不自由で苦しんでいる人たちに希望を与え、勇気づけることができるのは、同じように体の不自由な私しかいない。健常者がいくら励ましても、障害者にとっては、同情と哀れみとしか受け取られないのだから・・・」。さらに、こう付け加えたい。「たとえ障害者でも、反骨精神・問題意識のない者は、奴らと同じ側である。」とネ。それには、専門性や知識・学問以前に、まず、怒りを認め、反抗・抵抗の出来る人間であることだ。ただし、現状分析の材料としての使えそうな部分は使わせてもらうヨ。そのあとの対応策のような部分は腑抜け・骨抜きにされ、去勢されるだけだから、使わねえケドネ。ヒヒ。また、著作権などというものを、こういう時に反戦運動のために、また、差別をなくすために真剣にやっている者に、それも年金生活の障害者に向かって、言ってくるか?なお、こういう言葉使い自体も反骨心・抵抗の形なんだヨ。つまり、優生思想の危険を告発するためサ。専門家様や知識人様には、こういう言葉で、できめえダロウガ。ヘッヘッヘッ。

さて、その運動は、日常性の中の根が深いところを変える運動だから、とても大変であるが、それをやることこそが真の解決策につながることだと分析しているくせにやろうとしないで、そこから先は、おとなし〜い「羊たちの沈黙」、お行儀の良い「思考停止」、社会適応という「体制屈服」の「専門家さん」ドモメラガ!サイテーだ!。あらがう運動をやるには、どうすればよいか?「青い芝の会」の苦労が、しのばれます。ここでカン違いをされてもらっては困ります。去勢せず怒ると言うと、すぐに暴力だの右翼の軍国主義だのにつなげる人がいますが、すでに書いてきたとおり、青い芝の会のような重度障害者としてのたたかいかたを言うのである。そしてそれは障害者のみならず、一般庶民みんなが、まさに憲法9条の本当の意味を実現していく方法へとつながるのだと思う。また、左翼革命とも違うし、もうひとつの世界などというお行儀の良いのとも違う。青い芝の会のことを調べていけば、カギはあるゾ。近代化・民主化・文明化・発達・発展・進化とは何か?正常とは?狂気とは?優劣とは?「健康」とは?そして、人間とは?生命とは何か?すべては、優生思想・精神的去勢との対決がカギなのだ!ゆく手には、きびしく険しい道が待ち受けている。だが、障害者は今こそ奮い立たなければならない。人類が、生きるしかばねになってしまわないために・・・
♪聞け万国の障害者、汝の価値に目醒むべし〜、全一生の休業は、社会の虚偽をうつものぞ〜♪ http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/kike.html ・・・【つづく】
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【注】文中の障害者団体の略称の説明、と、あとひとことふたこと。

※全障研=全国障害者問題研究会。障全協=障害者の生活と権利を守る全国協議会――ともに日共(日本共産党)系。全障連とは違う。まぎらわしいネ。
※全障連=全国障害者解放運動連絡会議、ここは青い芝の会の系統も一部入っているところです。――旧・社会党系、現在は社民党と民主党系。(DPI系)。
※[蛇足]全商連は民商(民主商工会)の全国組織のこと――日共系。・・・商工業者さんの日共系って、どういうことかわかるね、ヒヒ。
※ほかに、もちろん、一般的?な障害者の団体、つまり政府寄り(自民、公明系など)もある。ほかにも親の会や教師の会や障害種類ごとの会や、その中でもバックの政治的背景がいろいろで、たくさんある。活動歴二年半の私でもこれくらいの説明はできるヨ。・・・いずれも、議会制の欺瞞・矛盾、多数決原理の少数者排除・切り捨ての不条理・・・

・・・実際に現場の運動にかかわれば、こういうところと、からむのサ。理論・理屈・情報・知識だけじゃどうしようもないんだヨ。精神的な去勢したやり方では、何も変えられないどころか、どんどん悪くなる。しかし今や、どれも、「おだやか」に「まとも」で「健全」なのダ。どこも、きちんと反戦運動・反優生運動に取り組まないのダ。政府や世間にたてつくのを極端に避け、タブーとし、怒りや反骨心を否定して、精神的去勢をすることに躍起になっているのデアル。どれも、腰抜け、腑抜け、アカンタレ。クソッタレ!
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・・・なお、障害者団体の詳しく細かくは、下記参照。

■『障害者はどう生きてきたか――戦前戦後障害者運動史』杉本章・著 3000円+悪税(送料別)2001年3月16日発行
…下の本と一対になる労作。さまざまな障害当事者の運動の経過と中身と精神がよくわかる。青い芝の会もきちんと評価されている。 http://www.mainichi.co.jp/universalon/clipping/200107/063.html この本は、ちと高いけど、それだけのことはある。むしろ安いぐらいのいい本だ、と思うヨ。
『戦前戦後障害者運動史年表──戦前戦後障害者運動と関係法制』杉本章・著 1300円+悪税(送料別)2001年11月2日発行
…掲載年代1868年から2000年。年表・資料集。
ともに著者:杉本章(元NHK福祉番組ディレクター/賢明女子学院短期大学教授/EPO正会員研究者)
http://homepage3.nifty.com/epoepo/books.htm#−日本の障害者運動−
↑ともにお申し込みは直接ここへ。「EPOエンパワメント・プランニング協会」(大阪)
↓または、ここなら8割引(2400円、1040円)で、送料も無しと書いてある。(神戸ポリオネットワーク) 
http://polio-kansai.kir.jp/kaiho/29/29_13lastpage.pdf その他あちこち。

※送料は障害者団体発送だから低料第三種郵便物を摘要できて安いし、無料になる場合もあるヨ。アマゾン等で1500円以上送料無料とは基本的に違う理念ダワヨ。今、それが郵政民営化で危うくなっているんだ。特に点字郵便物などの視覚障害者の第四種郵便物が、万国郵便条約では世界中無料なのに、日本だけ有料にはさせないゾ。目の見えない人には、普通の紙より重くて大きい点字用紙や録音テープ等でないと困るんだ。また、車いすの人や寝たきりの人などの、外に出にくい人たちも郵便は大事なんだ。署名運動などもやってるから、どこかで見かけたら、よろしくお願いします。私は両手不自由でも両足はいいから関係ないと思うでしょ。そんなことはありませんよ。重い物や大きい物は持ち運びにくいから、郵便はありがたいんだ。まったく何が民営化だよ。郵政と優生、二大「ゆうせい」との対決だよね。宅配便は、障害者割引や点字物の送料無料などはないし、そのほかの制度も現在の郵便制度よりはるかに劣るんだよ。経済利益優先・能率効率主義だけでは、所詮、人間社会のやり方ではないゾ。つまり、たとえば、ヤマト運輸は、創業者の初代社長・元会長の小倉昌男が、ヤマト福祉財団というのを作り、パン屋さん・コーヒーショップ「スワン・ベーカリー」をあちこちでやっていて、そこでは障害者雇用もたくさんしていて、メセナだかの宣伝材料にもなっていて、それ自体は誰も否定のできない「とってもいいこと」だけれども、でもね、肝心の本業・配達業での障害者割引や福祉的な制度はないんだ。これで本当に福祉に力を入れている企業として胸を張れるのかな?ヘレン・ケラーの本音の言葉を思い出すよねえ。「慈善は社会悪に対する悲劇的免罪符にすぎない」「私の反骨精神は今も生きています」ってね!うふふ。ではでは。
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【参考資料――米本昌平さんとは?】・・・優生学史の専門家。上記の『優生学と人間社会』の著者の中心。視点はなかなかよいのだが・・・。たとえば下記のようになっちまってる。

◎自伝『独学の時代―新しい知の地平を求めて』米本昌平(著) NTT出版 2002/08 ¥1995(悪税込)のアマゾンのページより。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4757140436/qid=1101310800/sr=1-11/ref=sr_1_2_11/249-7647952-3686754
〜1970年、京都大学ブータン学術調査隊の学生隊員として京都に戻った著者を迎えたのは、荒廃しいっそう管理化された大学の姿だった。著者は、独学で自然科学研究を続け、証券会社に就職する。あらゆる世代におくる一冊。
 第1章 大学紛争とヒマラヤ 第4章 証券会社調査部とドリーシュと 第5章 オイルショックと生物学史 ・・・など
―――――[カスタマーレビュー]〜哀しき全共闘世代, 2003/07/03 レビュアー:みゆの父―――――
僕は「三無主義」と呼ばれる世代に属していて、いつまでたっても全共闘世代に頭が上がらない、というよりも、わからない。「大学解体」と言ってたわりには、知識人になった人が多いし、「連帯を求めて孤立を恐れず」とか叫んでたわりには、エリート街道に乗ってる人が多いし。この本は、そんな全共闘世代に属する米本さんが書いた半自伝だけど、やっぱりよく分からない。「残る一生は、京大理学部を呪いつぶすために道なき道を歩く」(96頁)と決意して在野の科学者になったそうだけど、ちゃんと恩師(白上謙一さん)は「嵯峨野通い」(110頁)を認めてくれたし、三菱化成生命研究所に就職できたのも一人の大学人(中村禎里さん)がサポートしてくれたおかげだった。それを「アカデミズムの中に共犯者がいた方が、研究がすみやかに進む」(182頁)って言われたら、立つ瀬がないだろうなあ。 おまけにこの研究所は「本社社員と同格の給料が支給され、研究費が認められ、一日二四時間、一年三
六五日、研究に没頭してよい」(208頁)そうで、地方の弱小大学の教員が聞いたら、それこそ悶絶しそうな研究環境じゃないんだろうか。「勝ち馬には乗らない、大勢には迎合しない」(241頁)と見栄を切る傍らで、政府の方針で「国立大学は、二〇〇四年から独立行政法人になる」「いまこそ大学解体論を」(244頁)と叫ばれても困るし。これじゃせっかくの「基本的人権としての真理探究権」(192頁)っていうコンセプトも、どこまで本気なのか疑われてしまうんじゃないだろうか。本当にもったいない。まぁ屈折した自分の気持ちを素直に素直に書いたのは立派だけど、それだけの本。

――[※手ポリオ追記]米本昌平さんのような人に、今の反戦運動の根底の精神を叩き直してほしいと思っていたのに、これでは結局「精神的去勢」にもっていかれそう。私も「三無主義」(「さんむしゅぎ」と読む。さんなしではないヨ)と呼ばれる世代に属していて「全共闘世代」のかなりあとだ。三無主義世代は全共闘世代よりはるかに保守的・古臭い価値観が多い世代。学生時代はやりにくかった。「無責任・無気力・無関心」だそうだ。「無思想・無節操・無駄」という人もいる。どっちにしても、シニシズム・ニヒリズムってやつだな。これじゃ社会運動や政治運動は、やらないわな。または、やったとしたら、きわめて保守的・軍国主義的なほうへすぐに吸い付けられちまうわ。今の若手ネオコンの議員や財界やあの漫画家などの奴らのこと。二世議員とは限らないがそういうのが多いネ。それにしても、全共闘世代はどうなっちまったのか?団塊の世代はなんなのか?(「だんかい」と読む。だんこんじゃねえゾ。)あの1968年革命はどこへ行った?あさま山荘やよど号や内ゲバやリンチ殺人や三菱重工ビル爆破やダッカやリッダ空港などのトラウマで、とどめがソ連崩壊で、腑抜け・腰抜けになり、体制順応・社畜奴隷・ことなかれのマイホーム主義になり、そこそこいい暮らしをしているつもりになっちまってる。私は「世代」で人をひっくるめて、人を見るのはイヤだけど、やはり、その時代の世間の空気というものはあると思う。今の新軍事主義復活は、あの68年革命のバック・ラッシュ(反動)という意味が強いと思う。戦前と戦後はほとんどつながっていて、昭和20年で別れているものではないということは、優生思想を見てきただけでもわかるが、他にもいろんな分野で言われている。戦争責任や天皇制や経済界や、厚生省だけでなく他の省庁・行政・立法・司法のあり方など、ほとんどすべての分野でつながっている。年金制度もそのひとつ。また、アメリカやヨーロッパでも根っ子のところはほぼ同じ。その戦前戦後のいっしょくたのつながりを断ち切ろうとしたのが、あの「1968年世界同時革命」なのだったと思う。

サイケデリック、アンダーグラウンド、ヒッピー、フーテン、ハレンチ、アナーキー、アバンキャルド、アンデパンダン、アブストラクト、ダダイズム、シュールレアリズム、…日常性からの脱却!価値観の否定!既存秩序は支配秩序!既成秩序の破壊!人民の叛乱!既成秩序維持によって守られていた幾千万の神話を破壊せよ!自己の日常生活を温存したまま進められるものと考えない!…レジスタンス、パルチザン、サンディニスタス、抵抗、反抗、反骨精神、異議申し立て、反発、叛乱、反社会的、反常識、反・世間の空気、反・日常性、反差別、抗暴、あらがう、さからう、たてつく、つっかかる、あらぶる、ふるいたつ、いざたたかわん、不服従「従=従順、服=屈服」は「不=しない」こと、拒否、政治的緊張感、政治的焦点の明確化、対決・対立、怒る、怒る、怒る、怒る、怒ること、一揆、蜂起、乱、革命、ゲリラ、ゲバラ、ゲバルト、ゲバゲバ・ピー♪
…テロは軍事ではない、カミカゼトッコータイとは大違い!。国家テロ、グローバリズムテロ、シオニストテロ、IMFテロ、WTOテロ、自由貿易というテロリズム、健常という暴力、明るく元気にたくましくという暴力、身体的暴力と精神的・世間の圧力的・日常価値観の押し付け包囲的な暴力・テロ、文明・民主化・解放という暴力、進化論・社会ダーウィニズム・優生思想による福祉・健康・健全・健常・まともで丈夫で健やかにという暴力、健全者多数者テロリズム、強者側・支配者側の自由・人権・公共性・社会性、多数決原理の欺瞞、公共・「公」・社会・全体・全員・みんなという概念の誤用、少数の切り捨て・見殺し・黙殺、慈善・慈悲・ボランティアの高見のお情けの施しの、自身の生活保守のままの日常性の価値観の根本を変えないままの善意・善行・愛と正義・安心安全安泰安定平穏無事平静平安太平秩序治安維持・国民保護・ことなかれ・あたらずさわらず・思考停止・現状維持・体制翼賛・おしゃか様の手のひらの上の構造改革・おしゃか様の手のひらの上の改善・おしゃか様の手のひらの上の革新・おしゃか様の手のひらの上の一新・おしゃか様の手のひらの上の維新、という暴力テロリズム、善魔、ハマスは福祉団体だ、ブラックパンサー、本当の生存権、ほんとうのいのち・・・・・・

というようなことを、こむずかしい理論ではなく、20才前後そこそこの大学生や庶民でもわかるようにやりだしたのが、1968年革命だったのだ。その基本精神を今こそ復活させ「ねばならない」。それには、まず、「怒ること」の「復権」=「権利」の「回復」からだ!!!すべては「怒ること」から始まる。ただし、何度も言うが、官製の政府公認の怒りではないぞ。世間の空気に乗った許されている怒りとか、やりやすいとこをたたく怒りのことではないのだぞ。トーゼン、怒ることが一番やりにくい人たちが怒れるようになる怒りのことだぜ。わかるかな?わっかんねえだろな?「オレが○○だったころ、××は△△だった」っていうことをちゃんと言えよ。オレは障害者施設にいたころ小学生だったから、ようわからんがや。だどもよ、そんでもってよ、いわゆる、肉体暴力っつうのを身内にやらかすってのは、ようわからん。内ゲバやリンチ殺人。だがな、そんなふうにならなくて、大衆に呼びかける方法はあるはずだ。それを考え実践していくのが反戦運動なのではないか?なのに、ラブ&ピースで思考停止。これでは戦争構造を、つまり、レッセフェール優生思想を追認したままなのだ。まず、うわべのたてまえのきれいごとを、すべて、やめることだ。本音・本心・みにくさをすべてさらけだしやがれ。みにくいという概念自体が優生思想。何がみにくいのか?何がきれいなのか?そこを再考せよ。うわっつらの見た目ではない。特に偉い人、何かの代表者、表立って反戦活動をしている(つもりになっている)人たちにだ。反戦運動も障害者運動もその他の差別撤廃運動もあらゆる市民運動も、すべての根幹、フフフ、すべて、あらゆる、全部のだな、根幹には、優生思想との対決があるのだよ。そこを踏まえなければならない。それには、何度でも言うが、一番、怒りにくい人が怒れるようにするとだ。怒りの復権、「精神的去勢」とは正反対のことだ、と言っているんだああああああああああ!!!!!
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【その他の本の米本昌平の参考資料】・・・使えるところは使えばよい。たとえば「病者でいる権利」など、いいこと言うぜ。なっ。ほら。これに反戦運動がくっついていたらなぁ・・・。
◎米本昌平の著書と、雑誌や専門誌へ発表の論文等の題名一覧→ http://www.arsvi.com/0w/ynmtsuhi.htm
◎『遺伝管理社会―ナチスと近未来 叢書 死の文化』米本昌平(著) 弘文堂 1989/03 ¥1575(悪税込)現在、在庫切れ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4335750064/contents/ref=cm_toc_more/249-7647952-3686754
〜慢性疾患の時代にこそ認められなければならないのは、「病者でいる権利」だ。健康が義務である社会の恐怖を描く、書下ろし。
第1〜4章 ナチズムと優生学 第5章 戦後精神と現代医療
―――このほかにもいっぱいある。あとはインターネット検索でもしてみなさいヨーダ。浦辺粂子。気になる嫁さん、メグさんへ。
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「ヨッシーとジュゴンの家」曲『ささやかな願い』
 ♪ハンセン氏病 薬害エイズ 様々な公害病
   精神障害者 身体障害者 知的障害者 
    優生思想とやらの為に
     差別され 隔離され 断種させられ
      生まれてくるはずの命を殺され
       資本家はアジアの各地で環境を破壊し
        人々の人権を抑圧しながら 莫大な利益を得ている
   そんな事が許されるのか・・・ 
http://www1.plala.or.jp/akahane/cd2.html#sasayaka
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【次回予告】シリーズ・現代の優生思想との対決(11)日本社会と今西進化論
ダーウィンの進化論に負けたとされていたラマルクの進化論がその後復権して来た。社会ダーウィニズムに対して社会ラマルキズムというのがあるそうだ。だが、社会ラマルキズムもまた同じ穴のムジナだった・・・。そして西洋と東洋、日本的なるものの欺瞞。
◇「調和」とは管理統制か?
◇「共存、調和、協調的、和」といった思想…一見平和的なイメージ…「個体に対しての種(国家)の優位性」という全体主義の芽。

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