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「感性世界」=「物質的世界」と「観念世界」=「事象的世界」
http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/520.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 8 月 23 日 18:24:07:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: (あっしらさんへ)「感覚世界」「観念世界」とはどのようなものなのでしょうか? 投稿者 オニオン 日時 2004 年 8 月 23 日 02:38:49)


オニオンさん、どうもです。
お気遣いいただきありがとうございます。


>「感覚世界」「観念世界」とはどのようなものなのでしょうか?

感覚というと少し誤解が生じるので感性と置き換えます。
感性は、感覚を通じて得た外的世界に関する“認識像”です。
(感覚もひとによって違いがありますが、それは捨象して考えています)

感覚→感性→理性という認識の重層性を考えています。
(哲学で語られている「感性→悟性→理性」という認識レベルに近いものです)

自己を含む世界との関わりで、このように見える、このように感じるというのが、「感性世界」です。
「感性世界」は「物質的世界」と考えるとイメージしやすいかもしれません。

「感性世界」と言っても感じたままの世界ではなく、ひとが感覚を通じて受け止めた世界を解釈した「能動的(意味付けられた)世界」です。

言語(概念・論理)的認識がゼロのときは感覚で得た情報そのままなのかもしれませんが、言語で分節化された自己のなかにある「世界」と感覚で受け止めている世界を明確に分離できないのがひとの認識だと考えています。
(感じたままの「世界」は存在しないというかそういう認識はできないと思っています。美意識(美的判断)の即自性を思い浮かべていただければなんとなく理解していただけれると思っています)

「感性世界」自体が、(自己を含む)外的世界とそれまでに醸成されてきた「世界」(主観)との関係的(思考)活動が形成するものです。
世界は、自己及び他者関係性(共同体や社会)に“とって”の「世界」が意味ある存在というか、そのような関係性を捨象としては存在しない。逆に、外的世界が存在しない認識(主観)もないと考えています。
(主観と客観は、説明としては切り離せるが、現実の認識は切り離せない主観=客観であるという立場です)


「観念世界」は、思考を含む目的的対象活動を通じて形成される「世界」です。
「観念世界」は「事象的世界」と考えるとイメージするとわかりやすいかもしれません。
ひとの「感性的世界」は、対象範囲も限定され、認識手段も限られています。
(宇宙という概念はその大きささえ明確になっていないものです。認識手段も、物質や事象を直接に知ることはできないのですから、電磁波(光)や音波など感覚器官が認知できる媒介を通じて対象を見ることになります)

直接は見ることができない「物質的世界」の内的意味や相互関係性を思考を通じて付与し、それを基礎に「物質的世界」を再構築したものが「観念的世界」です。
内的意味や相互関係性は、世界が実際にそのようにあるわけではなく、人がそうであると理解しているだけの話です。
そうであっても、それは、目的的な活動を合理的に行うための有効な手段になります。
従来的な理解で活動を行なってうまくいかないことで、内的意味や相互関係性の理解を修正するのが人の智恵です。
(科学理論は、智恵を体系的論理的に説明したものです)

自然科学は知識も考察経験もたいしてありませんが、近代科学は、物質還元主義のきらいがあると考えています。
電磁波(光)現象も、物質として理解しようとしたら齟齬が生まれます。光は、物質ではなく、物質相互の関係性から生じる事象だと考えればけっこう腑に落ちる現象です。

「新しい物理現象存在か 日米で「標準理論」超える現象 [朝日]」( http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/752.html )を読んでも、物質と事象の峻別がされていないようだという感想を持っています。


>何より自分が一番可愛いときています。
>しかし、目の前で苦しんでいる人がいたらやっぱり好い気はしないし可能なら助けた
>いし(場合にもよりますが、、)、道端にゴミが落ちてたら何となく拾ってしまう小
>心者です。ついでに人様に迷惑を掛けるような事もみっともないしなるべくなら避け
>たい(あくまでなるべくならですが、、)。

「何より自分が一番可愛い」と思うひとに信頼感を抱き、「ひとのために自己犠牲を厭わない」というひとを危険視しています(笑)

「何より自分が一番可愛い」と思うひとは、「感性的自分」を尊重し、「感性的自分」が良くなるために「観念世界」という智恵(理論)を使おうとします。

「ひとのために自己犠牲を厭わない」ひとの恐さは、「感性的自分」をある意味で捨て、「観念世界」の現実化を目指すため、その活動に歯止めがかからないことです。
(宗教家や左翼的政治家を思い浮かべていただければイメージできると思います)

他者との関係性を通じて今の自分があり生存も維持できていると理解していれば、どう生きていくのがいちばん可愛い自分にとって“得”なのかわかります。

「何より自分が一番可愛い」人たちがそれを追求するために“フラット”な関係性を築き活動するというかたちが“害毒”の撒布を少なくすると考えています。


>最後に、「「面白おかしく生きていく」阻害要因が支配−被支配関係だと考えるよう
>になったからです。」
>とありますがそれはなぜか教えてもらえないでしょうか(放蕩や贅沢三昧では「面白
>おかしく生きている」という充足感が得られない事と何か関係はあるのでしょうか。)。


他者との関係性のなかで感じる面白さや喜びが、物を手に入れたりうまいものを食ったりなど他の過程で得られる面白さや喜びよりも較べものにならないほど大きいとわかったことが一因です。
「人がもっとも豊かな自然」だと思っています。そのような存在である他者との関係がもっと面白く楽しいものであって欲しいと願っています。(「何より自分が一番可愛い」ものとして..)

他者関係性のつまらなさそれをいろいろ考えていくと、少数者が多くのひとを“手段化”している国家社会の「支配−被支配関係構造」に行き着きました。

このへんは、「開かれた地域共同体」とも関わる問題なのでおいおい説明していきたいと思っています。


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