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さて軍隊というのがどんなにアホなところか「軍隊体験記 −軍隊の衛生講話−」
http://www.asyura2.com/0406/idletalk11/msg/1348.html
投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 11 月 28 日 20:50:24:akCNZ5gcyRMTo
 

(回答先: Re: 元々は軍隊での習慣から。 投稿者 Sirent Tears 日時 2004 年 11 月 27 日 23:28:03)

いやー、もっともらしいこういう大嘘はほっておけない。(笑)

じゃーなんで人間の頭やチンコの周りだけ毛が残ったのか、大事なところを保護するためじゃないのか。
要するに「娑婆っ気は捨てろ」というおまじない。
鶴見俊輔が書いていたけど、ジャワで会った「厭戦派」「反戦派」の下士官は髭を生やして暗黙の抵抗をしていた。そういう連中とは「目配せ」で意思が通じたようである。
高野連のアホじじいが「高校生とはこういう物」と思い込んでるからでしょう。だから「不祥事」とか言ってすぐ出場停止にする。

さて軍隊というのがどんなにアホなところかは下記参照

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/4247/hokanshoko/m39.html
軍隊体験記 −軍隊の衛生講話−
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軍隊の衛生講話           広島県 Y・M生
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今から15年ほど前にいただいた手紙のテキスト化です。(慎太郎)
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 私はもう七十になるが、まだまだ元気で内科医をつとめている。私がこの道のことを覚えたのは陸軍軍醫学校である。軍醫学校教授の稚児になった事がこの道の始りであった。そして軍医となってからも男色の道は忘れられず、軍隊という男ばかりの組織の中で、軍隊の権威に隠れて人に知られてはならない、数々の隠れた悦びを体験してきた。

 さて終戦の2年程前、昭和18年に私は軍医となっていた。その当時、東南アジアへ出兵する兵隊の包茎手術を行う事も軍医の仕事であった。なぜ軍隊で包茎手術をするのかといえば、包茎は性病に罹患しやすいからである。兵隊が占領地で外出して商売女と性交をした場合、包茎であると黴菌が包皮の内側に残る。そうすると黴菌がいつまでも湿った粘膜に付着したままの濃厚接触となるため病気に感染する確率が大変高くなる。

 それで入営時身体検査において真性包茎がみつかった新兵にはかならず包茎手術を受けさせる。また勃起時においても用手的に翻転しないかぎり亀頭部の露出しない重度の仮性包茎の場合は、やはり病気感染の危険が高くなるので包茎手術を奨めていた。(普通は徴兵検査で包茎がみつかると、入営までに手術しておくように指示されるのだが、本人の事情によって受けないまま入営する場合もあったためである。)
 また兵隊の一人でもが性病に罹ると、慰安所を媒介してあっというまに感染が拡大し、組織の士気が著しく損われるため軍隊においては性病を発生させないと言う事が大変重要視されていた。そんな訳で、下士官以下の者に対しては月例検査といって毎月一回、ただ一人の抜けもなく厳格に陰部検査を行うことになっていた。

 軍医の私は将校であるので、定例の月例検査では監督をするだけで実際の触診はしない。実際の陰部触診は衛生兵が代りに行う。
 ただし、病気の疑いがある場合は、再度、私が丁寧に触診する規則になっており、また、それだけでなく、特別に興味を惹かれた兵隊の場合には指示して再触診を行った。


 さて、毎年恒例の行事であるが、5月にはいると『兵の衛生自己管理』という題目で各中隊ごとに午前、午後に分けて一日で2中隊に衛生講話が行われる。
対象は一等兵、二等兵、初年兵で参加はおよそ100名弱である。衛生管理と言っても、実際は性病に対する衛生知識が主な内容であった。

 性病に関する講話が終ると、休憩をはさんで慰安所での心得、手淫に関する教育などを行う予定になっていた。後半の衛生講話では各員に実技をさせる事にしていたのだが、講堂で脱衣すると混乱をするため、『休憩後は全裸集合』と命じた。

 その後半の衛生講話である。全裸の兵が集ると手淫教育が始った。
 仮性包茎の兵の中には手淫の方法が間違っているため包茎が悪化する者がいる。包茎にならないための手淫という衛生講話である。
 まず全裸で集った兵達を横隊に並べ順番に包茎検査を行った。
「貴様らのなかで包茎の者は一歩前に出ろ」と命令し、30名ほどが前に出た。
ざっと確認し、包皮が通常より長く伸びて余っている様子の3名を選び、全員に見えるように壇上に並ばせた。
 最初にこの3人に普段と同じ方法での手淫を行わせた。案の定、包皮を前後に強く引張っていた。これではますます包皮が伸びていつまで経っても露茎になることはない。

「ここからは野田衛生一等兵に解説と見本演技をしてもらう。」
と野田一等兵に見本として実技と解説をさせた。
 野田一等兵は自身が軽い仮性包茎である。また包茎であるためか非常に勃起しやすい体質で、月例検査では触診のおりにいつも勃起させている。必要なときにはすぐ勃起させることができるため、このような衛生講話の場合には野田一等兵を実演者に指名していた。また仮性包茎ではあるが、勃起させると亀頭もよく発育していて陰茎全体が大きく、後ろの者にもよく見えてこれも好都合である。
 5月の衛生講話の後半は鉄カブト(避妊具)の装着方法、慰安所の利用心得、包茎を治すための手淫方法など陰茎の勃起をさせた上での講話が中心になるので、衛生兵として知識経験も豊富であり、命令すればすぐ勃起する野田一等兵は助手を兼ねた実演者として大変重宝していた。

 野田一等兵は軍袴を脱ぎ、越中褌も外して全裸になると、説明しながら実演を始めた。
「陰茎の胴体部分を握って前後運動をする方法はすぐに改めろ。こんな方法だといつのまにか皮が伸び切って、ますます包茎がひどくなってしまうからだ。正しい手淫の方法とは、亀頭の部分をじかに刺激すること。こうすれば、刺激によって亀頭が発達して包茎が治る。さらに亀頭粘膜の皮膚化が進み、例え黴菌が付着しても感染する危険が少なくなる。」
と説明すると手淫の方法を実演した。

「亀頭がちょうど露出するまで皮を剥く。必要以上につよく引張ってはならん。次に左手で陰茎をしっかり構え、露出した亀頭部を右掌で扱く。この時、皮を前後に動かさず、あくまで亀頭部のみを擦る。これが軍隊推奨の手淫法である。刺激がきつくて痛い場合は唾を付けて擦る。そのうちに亀頭の粘膜が厚く、丈夫になり痛くなくなるから心配するな。亀頭粘膜が強くなれば病気にも罹りにくくなるから今後は必ずこの方法で行うように。」
 後ろの列の兵隊にも前列と交代させて、よく見せると実演を終えた。
 その後、今度は兵隊たちに手淫させ、間違った方法でしていないかを確認した。
若くてすぐ勃起する元気な二等兵や初年兵の手淫を確認するのは簡単であったが、中にはなかなか勃起しない、歳のいった応召兵の初年兵がいて手を焼いた。

 戦争も緊迫度が高くなってきた昭和18年頃は徴兵検査を乙種で合格した応召兵の割合も多かった。徴兵令という法律では45歳までは第二補充兵役、国民兵役として応召の義務があった。戦争も長くなり、徴兵可能な国民がだんだん少なくなるにつれて、召集される者の年齢も高くなってきていた。
 したがって初年兵と言っても、年齢はまちまちで、第三乙種の応召兵の場合では、年齢が40歳近くになって初めて軍隊に召集されたという初年兵までもいた。
 30歳過ぎで子供が何人もいる年輩の初年兵に、今さら手淫教育でもなかったが衛生講話の受講は規則であったため、全員一律に20歳の初年兵と同じ教育を行った。

 引続き、鉄カブトの説明が始った。私は中隊一番かと思われる見事な陰茎をした応召兵を指名して壇上に上がらせた。年齢からしても、陰茎の色艶からしても娑婆での性交経験は豊富と思われた。しかし年輩の応召兵であっても全裸で大勢の前に出るのは苦手らしく緊張していた。

「そんなに固くなるな。固くするのは陰茎だけでいい。娑婆でいつもしていたように鉄カブトを着けて見よ!」と私は軍医らしく堂々と応召兵に命じた。
応召兵はおずおずと陰茎を擦り始め、ようやく勃起してくると亀頭が大きく露出していた。年輩の応召兵とはいえ、産めよ増やせよの時代、避妊具を使ったことのない者も多かった。この兵も使ったことはない様であった。応召兵は勃起した陰茎に鉄カブトをいきなり被せ始めた。
「それでは、だめだ。」野田一等兵はその応召兵を使ってもう一度鉄カブトの装着実演をした。

「使用する前に必ず袋を点検すること。」
野田一等兵は息を吹き、鉄カブトが風船のように膨らむ事を確かめた後、元のようにくるくる巻き戻した。そして応召兵の勃起した陰茎に被せ始めた。
「被せるときには空気が入らないように十分気を付ける事。空気が入ると射精までの時間が長くなり、慰安所で時間切れになり途中で追出される事になる。また発射後は陰茎がまだ勃起しているうちに、直ちに女陰から抜いて鉄カブトを外す。口のところで縛って持ち帰り、帰隊するとき門衛の詰所で待っている衛生兵に鉄カブトを見せて入門する。使用中に鉄カブトが破れたり、抜けたりして病気感染の怖れがあるときは医務室で衛生兵に洗浄してもらう事。また直後に小便をするのも有効である。」
と鉄カブトの説明が終った。


 次は慰安所の利用心得である。
 軍隊では兵隊の性器は性器ではない、陰茎という器官である。従って月例検査でも性器検査とは言わない。衛生隊では陰部検査と称している。

 下腹部にぶら下がっている睾丸は兵隊を強く逞しくするための男性ホルモンを分泌するきわめて重要な臓器である。
 それに反して陰嚢の前にぶら下がっている、長さ2寸ほどの円柱状の器官は戦闘にはあまり関係ない器官である。むろん性行為の快楽を楽しむ器官でもない。陰茎は精液をすみやかに体外に排出するための器官としてとらえられている。
 睾丸が男性ホルモンを生産するときに余剰な副産物として生成される精液は、一時的に精嚢内に貯蔵される。その副産物を体外に排出する時に使う器官が陰茎である。

 軍籍にある2年間のあいだは、兵隊にとって睾丸、陰茎は快楽を楽しむ器官ではなく、他のすべての体の器官と同じく軍務を果すための器官である。射精する場合も、他の軍務と同じくいかに効率よく行うかが決められていた。
 当然、慰安所利用心得の中に、隠微な雰囲気で性行為の快楽を楽しむための規則はない。
溜りすぎた体内の精液をひたすら排出するための心得があった。慰安所の利用心得の第二は、『迅速に発射せよ』である。軍隊では兵の心得として『早飯、早糞』とよく言われるが、もうひとつの心得が『早精』であった。
 ちなみに心得第一は『銃後の守りは完璧にせよ』つまり鉄カブトを必ず装着せよという意味である。休日外出した兵は、帰りに入門する場合、精液に汚れた鉄カブトを衛兵に見せて入るのが規則であった。

 以上の4教科で、毎年恒例の衛生講話は終りであった。


 さてそれから数日後の事である。普段、軍医の私は医務室奥の部屋にいる。
 ふと耳を澄ますと隣の医務室から衛生下士官と二等兵らしい兵の話が聞える。
「どうだ?元気か?」
「はい。元気であります。」
 衛生兵が元気か?というのは、なにも健康のことではない。陰部に異常はないかという意味なのである。当時衛生兵は陰では『ヨーチン』とか『魔羅いじり』と呼ばれていた。
 若い健康な男達ばかりの組織である軍隊では衛生兵の仕事は限られている。切傷にヨーチンを塗って消毒するか、兵隊の陰部の衛生管理の二つである。ほとんどの兵隊にとって、衛生兵とは自分の魔羅を弄くり回すだけの存在であった。また任務に忠実な衛生兵にとっては兵隊の『魔羅をいじる事』が大事な自分の責務であった。衛生兵に元気かと聞かれたら、すぐに陰部を見せなければならないというのが軍隊の習慣であった。
 薄い壁の向う側では二等兵が越中褌も外して裸になり陰茎を下士官に見せているのであろう。
「なんだッ!貴様、まだ剥けていないのかッ!」
「はい」
自分より若い下士官に包茎のことで怒鳴られ、恥ずかしいのか応召兵は声もつまっている。
「軍医殿はお国のために戦傷した兵の手当で忙しいのだ。包茎なんかで手をわずらわせるな!」と、二、三発ビンタをくらわせた。それから声は聞えなくなった。
 しかし、隣の部屋で何が起っているのか私には分っていた。下士官が応召兵の包茎を握り、皮を剥き上げて亀頭をしごいているのだ。手淫教育で指導した亀頭だけを擦る方法で射精させようとしているのだろう。私は軍医である。興味があるからと言って、下士官の代りに私がやってやると扉をあけて踏みこむわけにはいかない。
 応召兵は未熟な包茎の亀頭粘膜へ与えられる強烈な刺激に歯をくいしばって耐えているに違いない。やがて、下士官の手によって射精させられたのであろうか「うッうー」とうめき声があがり「よし。行け!」という声が聞こえてきた。
 私は耳をすましてじっと聞き、我慢した。
 次の月例検査は特別検査とする事を計画した。特別検査では軍医である私がひとり一人じっくり時間をかけて全員の陰茎を直接触診をするように計らった。

 軍隊はとかく、兵隊を裸にするところである。裸にさせられる状況は頻繁にあった。また意図的に裸にしたからと言って上層部は何も不審に思わないそういう組織だった。
 陰部まで検査する月例検査は当然の事ながら全裸である。内務班で脱衣し、全裸で検査場に集合する。
 被服検査も定期的に行われるが、この時は軍服の洗濯状態、ボタンや鉤裂き等の修繕状況を検査されるのだが、越中褌も検査するので最後は全裸になって、全員の検査が終るまで待つことになる。
 また昼間の日課訓練では正しく軍服を着ているが、訓練外の洗濯中や内務班での夕食後など、初夏以降となると上半身裸あるいは越中褌姿がおおくなる。ただし敬礼するため軍帽だけはかぶっている。

 就寝前に点呼がある。それから就寝までの1時間ほどが初年兵にはもっとも憂鬱な時間であった。その日の課業への励み方に不足があると古兵から説教され、ビンタやいじめとも思える罰直を受ける時間でもある。このとき裸にされる事が多い。鶯の谷渡り、蝉、うさぎと亀、空中自転車、見習士官、野球見物、安全装置、引鉄(ひきがね)、銃口のぞき、砲身磨き、発射訓練、吹流しなど罰直の演目には事欠かない。その半分は裸でする演目であった。

 この罰直については戦後、海軍にいた知人に話を聞いたが、海軍では陸軍以上に全裸にされたそうだ。
 海軍では雑巾でぴかぴかに磨き上げる甲板掃除が有名である。
 この甲板みがき、長時間中腰でするので体に大変こたえたというが、さらに罰直としてもさせられる事が多かったそうで、罰直の甲板みがきは全裸、前列の兵の金玉と陰茎がブラブラし、大きく開いた臀部の肛門を目前に見ながら力一杯磨くのだそうである。
 また罰直でなくても、夏の訓練では全裸になることが多かったそうだ。船に乗っていると真水は貴重品であるし、干す場所も限られているので洗濯は自由に出来ない。したがって暑い季節の航海中において、甲板みがきに限らず訓練中に『全裸命令』がでるのは、汗で汚れた軍服を洗濯しなくて済むようにという上官の親心なのだと言う。

 海軍の、この全裸甲板みがきの伝統が引継がれているのか、海軍新兵として海兵団で受けた新兵訓練の時には、しょっちゅう全裸にされたそうである。
海兵団の訓練は4ヶ月ほどでおわったが最初の1ヶ月間、午前中の行軍練習、体力訓練はずっと全裸だったという。

 話は陸軍に戻るが、慰安所もない前線で戦ってきた兵の中には、手近なところで性欲を処理するため、機会的男色の経験者も多くいた。野戦から帰ってきた、それら男色経験者がいる内務班では初年兵が鶏姦(肛門性交)の対象にされることがあった。寝台を並べて初年兵と古兵が寝るを寝台戦友というが、演習中にはひとつの毛布に二人が一緒にくるまって寝ることも多い。戦友と一緒に抱合うように寝た。1年間なにもなかったと言う方が不自然である。しかも下着は越中褌である。越中褌をしたことがあればわかるであろうが、夜間の下着としてははなはだ心許ない物である。目が覚めた時に越中褌の前布が陰部を覆い隠していることはほとんどない。たいてい丸出し状態になるほど乱れて、ずれている。
 朝方、古兵がふと目を覚したとき、隣の初年兵の越中褌は大きくずれ、陰茎は固く勃起していれば男色の興味を持たない兵隊であっても悪戯をするであろう。悪戯の範疇を越えた関係も多かった。慰安所にいく自由時間もなく、前線では女もいないという軍隊で肛門性交を覚えたという男は大変多かった。

 ある時、月例検査で初年兵の肛門に裂傷が見つかった。本人は否定したが稚児経験のある医者の目から見れば鶏姦であることは明白であった。その後、注意して見ていると同じ内務班の他の初年兵、二等兵の数人に肛門裂傷まで行かなくてもやや異常が見られた。衛生下士官に確かめると、その内務班の武田兵長は野戦帰りであった。
 武田兵長はおそらく男色経験者なのであろうと興味を持ち、その後ときどき、就寝点呼後に武田兵長のいる内務班を巡視にいった。
 内務班では兵が全裸で罰直を受けていた。しかし内務班内の兵隊教育については、身体に危害を加えない範囲であれば軍医としては口を挟む筋合でもないので、特に制止することもしなかった。武田兵長はそういう事が好きなのであろうか全裸罰直が毎日にように行われていた。

 それから2年後、こんな軍医生活も敗戦とともに終り、私も田舎の内科医に戻った。

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