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Re: 『テレビの黄金時代』小林信彦 弱っちい言い付け小学生必読(笑)
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投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 9 月 26 日 20:20:23:akCNZ5gcyRMTo
 

(回答先: パクリとか何とかウジャウジャ言ってもしょうがないと思います。(^^;→(汗)【創造について】 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 9 月 26 日 07:58:32)

>日本には本歌取りというのもあります。要はというか、大事なのはそれによってどういう新しい
>世界を構築できたか、それともできなかったかだと考えます。やましたさん言う所の「主体性」
>にも通じるのかも知れません。
御意。
「弱っちい言い付け小学生」(by 宮台慎司)みたいに「えーん、○○君がぼくのまねした。
ちぇんちぇい、しかって」みたいで全く見苦しいですね。
パクられたら、パクリかえす、要はポテンシャルの強さの勝負です。言い付け小学生が増えている
のは、そういうバイタリティが低下しているのかと危惧しますね。

日本のテレビの創世期にアメリカのドラマからバラエティからパクリまくったわけです。
作家で言えばカトリーヌ・アルレー、パトリシア・ハイスミス、フレデリック・ブラウンの
短編など無断借用で一銭もカネ払っていませんね。(笑)

『テレビの黄金時代』小林信彦 から引用
----------------------------------------------------------------------------------
井原高忠は子供のころ(太平洋戦争前)、すでにフレッド・アステアのタップ映画や、ロ
ーレル&ハーディの喜劇、戦後はMGMやパラマウントのミュージカル映画、アボット&
コステロの喜劇、ビング・クロスビーとボブ・ホープの〈珍道中〉シリーズが大好きだっ
たという〈アメリカ映画の世代〉の一人である。
バンドをやっていたのもそのためだし、テレビ局に入っても、ドラマよりも〈コメディ、
音楽、レビューをやりたい〉と思って番組を作ってきた。
歌って踊れる草笛光子を中心に、伊藤素道とリリオ・リズム.エアーズ(コミックソン
グ)、藤村有弘(テレビ向きのコメディアン)と一流モデルたち(松本弘子ほか)をレギュラー
とした「光子の窓」はその最初の結実である。

番組スタートの翌年、井原高忠はNBCのスペシャル番組「ジャパン.スペクタクル」
のスタッフの一人として渡米することになった。
ジェット旅客機がなく、プロペラ機でロスに降り立ったのは一九五九年二月だった。一
生に一度、アメリカヘ行けるかどうかという時代に、伊藤道郎(戦前にアメリカで成功した
舞踊家で、当時、日本テレビ顧問)がスペシャル番組の日本側のプロデューサーであり、井
原高忠に声をかけたのだ。ついでに書くと、伊藤道郎の弟が千田是也である。

ロスでは、NBCが郊外に、カラー用の大テレビ・スタジオを建設したばかりだった。
そこでの作業を見て、井原は自分の内部の〈アメリカのショウ・ビジネス〉が映画などか
ら作りあげられた〈イメージ〉に過ぎないことを知り、ショックを受けた。
「これが僕にとって非常に大きなターニング・ポイントになってますね。このアメリカ
行きが、それからの僕の仕事を一変させました。精神状態から、オーバーに言えぱ、哲
学から思想から、ショー・ビジネスに対する、手段から方法から全部変ったと言ってい
い。」

ロスヘの出張は一週間だったが、彼はさらにニューヨークヘ飛び、舞台の「マイ・フェ
ア・レディ」や「ウエストサイド物語」の初演を観て、NBCの「ペリー・コモ・ショ
ー」やCBSの「エド・サリバン・ショー」を見学する。
そこで、テレビの作り方に二派あることもわかった。
ロサンゼルス派(ハリウッド)「ジャパン・スペクタクル」ニューヨーク派「ペリー・コモ・
ショー」や「エド・サリバン・ショー」ただし、両方の底に流れているのは、ブロードウェイ
の演劇やミュージカルからきたものだった。
〈テレビの演出にスタンダードがあり、イロハがある〉ことを、井原高忠は痛感した。

−略−

セットを作るのは〈舞台くずれ〉で、スタジオの壁に近いところにセットを作る。人物
はそこに貼りついている。そして、カメラはスタジオの真中にいる。つまり、人物を撮る
のに、もっとも良い位置にカメラがいるというのがおかしい。
スタジオのもっとも良い位置には人物がいたのだ、アメリカでは。
では、セットはどうするかというと、必要な時には出す。必要がなければ片づけてしま
う。その方式は、もともと、ブロードウェイの劇場のものだった。

ロサンゼルスの場合は土地が広いから、なんでもできる。しかし、ニューヨークでは、
「ペリー・コモ・ショー」も「エド・サリバン・ショー」も、古い劇場を改造してスタジ
オにしていた。ニューヨークは土地がないから、そういうことになる。
井原はそれらのセット、照明の仕組みを何百枚かの写真にとって、日本に持ち帰った。
日本テレビの場合は、〈大きなスタジオ〉といっても、たかが知れている。しかし、ア
メリカで見てきたことは、極力とり入れた。

初期の「光子の窓」のオープニングは、草笛光子が「窓をあけましょ……」と歌いなが
ら、がっしり作った家の窓をあけることで始まる。この家は奥の部屋までできていた。
一例をあげれば、まず、そこが変った。
板一枚の家があって、草笛光子が窓をあけ、カメラが草笛光子にぐっと寄ってゆくと、
家は左右に二つに割れて消えてしまう。
だから、次のショットでは広いスタジオの真中に草笛光子が一人で立っていても、なん
の不思議もない。ナマ放送の時代だから、視聴者は、こりゃどうなってるんだ、と思うこ
とになる。こうしたノウハウは、以後のヴァラエティ番組に受けつがれてゆくのである。

−略−

で、六〇年安保である。
一九六〇年五月三十日の夕方五時に草月会館へ行った。
〈若い日本の会〉を中心とした〈安保通過を認めぬ会〉で、ホールには三百人以上の人が
いた。
ぼくのノートによれば、司会は江藤淳。進行の中心に石原慎太郎、大江健三郎、浅利慶
太、羽仁進といった名前が記してある。そして、「どうも〈若い日本の会〉はサロンのに
おいがする」とも、メモしてある。
次の会合は六月十一日。土曜日の五時という時刻もよく、場所は都市センター.ホール
だった。

そんなことが〈テレビ・ヴァラエティの発達史〉と関係があるのかと問われるかも知れ
ないが、これがあるのです。
この時は壇上の右手に石原、江藤、羽仁、浅利がいた記憶がある。そこで自民党反主流
派、社会党の議員たちの意見をきくと、議会主義では反対を貫けないだろうという話で、
参会者はがっくりした。
客席には、大藪春彦と水上勉(ともに新進推理作家)がならび、芳村真理、笈田敏夫、ヨ
ネヤマママコらの姿があった。「ここに爆弾が落ちたら、若い世代の代表は壊滅するな」
と品田雄吉が評したほどである。

ぼくは会場に出たり入ったりしていたが、廊下で作家の山川方夫に会った。会場の空気
が突然変り、全員が国会にデモに行くことになりそうなのだ、と言う。
きっかけは、永六輔が舞台で口惜し泣きしたとか、極左分子のアジのためだとかいうの
だが、この部分の記憶はあいまいである。
ぼくは国会にデモをかけても一向にかまわないのだが、前年の春から親しくしてもらっ
ている山川方夫が「この会はデモまでは持っていかない趣旨なので、きみ、反対の意見を
述べて欲しい」とたのむ。

必ずしも納得はできないが、それはそれ、「承知しました」とぼくは答えた。
そのつもりで会場に入ると、空気が異常に昂奮している。
いざ発言しようとすると、さすがに身体がふるえたが、羽仁進らがハナ肇とクレイジ
ー・キャッツを舞台に上げた。意外な展開に、会場の緊張は緩和された。
人気が出かかっていた彼らの演奏が「赤とんぼ」だったかどうかは忘れたが、終ったと
ころで、角刈りみたいな頭の若い男がマイクの前に立ち、
「私、フジテレビで、クレイジー・キャッツの皆さんの『おとなの漫画』の作者として、
政治的圧力と日夜戦っている青島幸男であります」 と自己紹介した。
その発言のとっぴさに満場は爆笑した。

「おとなの漫画」という生番組があるのは知っていたが、お昼の放送では観られない。こ
んな妙な男が台本を書いているのか、と思った。
青島幸男を初めて見たのはこの時である。何十年か後を思えば、壇上には未来の東京都
知妻天いたことになるのだが、その時はそんなことはわかりゃしない.
のだが、お二人は二十七歳であった。

ぼくの友人たちは〈物好き〉ぐろいの目でぼくを見ていたにちがいない。「怪我をする
なよ」と声をかけてくれる人もいた。
どう転んでも、ぼくは反米的ではない。ぼくの大学時代はMGMミュlジカルの全盛期
で、片っぱしから主題曲やポップスの歌詞を暗記していたぼくは、反米的にはなれない。
二十になるかならぬころ、ぼくは自分が反米的になれないことに悩んでいた。
学生運動に深入りしなかったのは、コミンフォルムによる日本共産党批判の影響で、精
神的にずたずたにされた先輩たちを身近に見ていたからで、その辺はぼくなりのバランス
感覚で生きてきた。学生運動どころか生活費がなく、卒業まで新宿の裏通りの店でアルバ
イトをしていたが、「火炎ビンをあずかってくれないか」とたのまれれば、その程度の手
伝いはした。学生のころは、ぼくなりの内的葛藤があったわけだが、これ以上、書く必要
もなかろう。単純にいえば、ぼくははしかを経験していたのである。
−−−つづく

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