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Re: ジャック・デリダ 『言葉にのって』
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投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 10 月 10 日 10:24:58:akCNZ5gcyRMTo
 

(回答先: ジャック・デリダ氏死去 ポスト構造主義の仏哲学者 [東京新聞] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 10 月 10 日 01:34:13)

ジャック・デリダ 『言葉にのって』  ちくま学芸文庫から抜粋
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■問い
 あなたはアルジェリアで生まれ、一九三四年から四一年までのあいだ、エル=ビアールの幼稚園、次いで小学校に通いましたね。しかし、その時期はまた、開戦と学校のペタン政策化の時期にもあたっています。一度もドイツ兵の姿を見かけたこと、占領されたこともない当時のアルジェリアにおいても。しかし、そこでのユダヤ人の社会的地位は、彼らがフランス市民権を得るためには一八七五年とクレミュー法を待たなければならなかったのですから、すでに問題の多いものでした。あなたはこの出来事をどのように見ましたか。その当時、一人の少年の頭の中では、どんなことが起こっていたのでしょうか。

■デリダ
 その質問に答えるのは容易ではありません。そうしたことがらでは事態がもつれ合っているからというばかりではなくて、あなたが言われるように、その少年の頭の中で何が起こっていたのか、今日でもなお、私にはあまりよくわかっていないからです。しばしば私は、資料に裏付けられた事実や主観的な里程標とは別に、その当時、私がいったい何を考え、感じ、印象深く受けとめたのか思い出そうとします。しかし、そうした試みは、たいていの場合挫折します。それゆえ、私は再構築します。私たちはいつも再構築するのですが、こうした場合、再構築はしばしば抽象的なものなのです。
------[略]------
アルジェリアの学校には一人のドイツ人もいなかったのですが、私たちにペタン元帥に手紙を送らせたり、「元帥、私たちはここに」などと歌ったり、毎朝、授業の始めに国旗を掲げたりし始めました。そして、いつもは一番の者が国旗を掲げるように言われていたのに、私の番が来ると、他の生徒に交代させられたのです。

■問い
 当時、そのわけを理解していましたか。

■デリダ
 いいえ

■問い 
 あなたの家庭では、そのことについて話さなかったのですか。

■デリダ
 はい。私が何を感じていたのか、私にはもうわかりません。そのことが起ったことはわかっています。私には理解できなかった何かが。しかし、私がそのこと激しく傷ついたのか、混乱してあるいは漢然と傷ついたのか、もはや知ることはできいのです。それは、私の記憶の中で、うまく復元することができないものなのです。
それから、私は、リセの第六年級に入りました。一九四一年でした。入学者数制限法私のリセで実施されたのは、一九四二年の十月、連合軍による北アフリカ上陸作戦の少し前のことです。その法律は、それ以前にすでに実施されていて、私の妹と兄は、学校から追い出されていました。私の方は、私の知らない理由によって、さらに一年が与えられていたのですが、新年度の最初の日、ベン・アクヌーンのリセで、学監が私を彼の部屋に呼んで、「きみは家に帰りなさい。きみの両親が説明をするだろう」と言ったのです。私は、そのことをまったく予想していなかったし、何もわかりませんでした。その当時、私の中でいったい何が起こったのか思い出そうと努力してみるのですが、だめです。
なにしろ、私の家でも、どうしてこうした事情になったのか説明してくれなかったのでから。一人のドイツ兵もいなかっただけに、アルジェリアの多くのユダヤ人にとって、それはなおさら理解しがたいものであったと思います。フランス本土におけるよりもさらに容赦のないものであった、フランスのアルジェリア政策による率先した行動であったためです。アルジェリアのユダヤ人教師は、全員彼らの学校から追放されました。そうしたユダヤ人社会にとって、事態は依然として謎に満ちたものであり、何ひとつ説明のない自然の災害のように、おそらくは受け入れられることなしに耐え忍ばれたのでしょう。とにかく私の家では、何の説明も与えられませんでしたし、子供たちと話すことができたものはもっと少なかったのです。そのことについては、ほとんど話されませんでした。
連合軍が上陸したときには、少しおしゃべりが始まりました。あとになって知ったのですが、アルジェリアには組織化されたレジスタンスの運動があって、アルジェの多くのユダヤ人のインテリたちがそれに参加していただけに、皆の舌がいっそうほぐれたのです。
その後、事態は、人々が期待していたほど順調には回復しませんでした。双頭のエピソードと呼ばれた体制において、ジロー将軍とドゴール将軍が権力を二分していた時期に、六ヶ月以上のあいだ、ユダヤ人排斥の人種法は廃止されなかったのです。ジローは、の法律を際限なく存続させる必要性すら考慮しました。ジローとドゴールのあいだの長い争いの果てに、ジローが負けて、翌春、私はリセに戻れたのです。言うべきことは多くあるでしょう。連合軍が上陸を完了し、アルジェリアが《解放》されても、人種法が維持されたあのエピソードについても。そうしたことすべてには、古くて深い根があるのです。
------[略]------
私がリセに戻ったとき、リセはイギリス軍に占拠されていました、イギス軍の病院に変わっていたのです。リセの近くにあったバラックのようなところで授業が行なわれましたし、男の教師が召集されていたので、引退した教師や女性たちの手借りていました。そうしたことのすべては、当然のことながら、大混乱のうちに行なわれました。一九四二年から一九四五年のあいだのことです。そして、その時期、級友たちといっしょになって、私たちは、実際、ばか騒ぎすることばかり考えていたのです。私たちは、大騒したものです。私たちが打ち興じたばか騒ぎについて語るのを、今でも恥ずかしく思ほどです。というのも、時にそれは過酷なものだったのですから。
私たちは、サッカーもしました。スポーツ一般に対する、特にサッカーに対する私の情熱は、その頃に始っています。その頃、学校に行くというのは、鞄の中にサッカーシューズを入れて出かけるという意味だったのです。私は、私が磨いたあのサッカーシューズに真の愛着をっていて、私のノートよりもずっと気を配っていました。サッカー、徒競走、アメリカ兵から教わった野球、イタリア人の捕虜たちとの試合、そういったことが私たちの頭占めていました。学業は、まったく二の次でした。そんなわけで、自分がしなければらないことを実際にはしていないという、自分はあの《不良たち》のグループ、まったく騒々しい若者たちのグループには所属していないという漠然とした意識をもちなが、同時に、彼らに受け入れられようと努めていたのです。

それは、放校による心的外傷の結果生じたものだったのですが、その心的外傷は、私の中に、二つの心の動きを引き起こしたのです。一方では、仲問たち、他の家族たち、当時の私の階層であった非ユダヤの階層によってもう一度受け入れられ、したがって、精神的圧迫と心的外傷に対応すべく形成された集団性の高揚とは縁を切りたいという願望。私は、ある意味では、ユダヤ人社会に所属したくなかったのです。追い出されたユダヤ人の教師たちによって創設され、そこに私が登録されていたアルジェの新しいユダヤ人リセに通うことを承知する前に、私は、ほとんど一年問、学校をサボっていました。
私は、そうした共同体の中に閉じ込められることに我慢がならなかった。だから、私の中では、深刻な情緒的破綻が行なわれていたのです。他方で、私は、反ユダヤ主義や人種差別主義のあらゆる示威には極度に傷つきやすくなり、とりわけ子供たちの側からしっちゅう沸き起こっていた悪口にひどく敏感になりました。そうした暴力は、いつまも私の記憶に焼きつきました。孤独の感情や願望、あらゆる共同体に対して、さらにはあらゆる《民族性・国籍》にして身を引きたいという感情や願望、そして、《共同体》という言葉そのものに対す不信感は、たぶんその時期に始まっています。少しでも過度に自然で、庇護を押しつ、一体感を生むような帰属関係が形成されるのを目にするやいなや、私は姿を消すのす……。それは、私に特有なその時期の後遺症ですが、今日では、より一般的な倫理の裏づけとなりうるものです。
------[つづく]------

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