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なぜJUSCOの近所で凶悪な殺人事件が続発するのか?日本全国が郊外型社会になりコミュニティが崩壊している
http://www.asyura2.com/0406/nihon14/msg/448.html
投稿者 TORA 日時 2004 年 9 月 16 日 16:17:59:CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu79.htm

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なぜJUSCOの近所で凶悪な殺人事件が続発するのか?
日本全国が郊外型社会になりコミュニティが崩壊している

2004年9月16日 木曜日

◆規制緩和、自己責任の美名の下に、コミュニティは「液状化」し、ファスト風土化が日本を浸食している。
http://www.culturestudies.com/city/city04.html

コミュニティの流動化

(前略) ジャスコを中心とするイオングループは、ジャスコ、サティという総合小売業だけでも327店舗持っている。国土面積38万平方キロ、平野部は12,3万平方キロしかない日本に327店ということは、ほぼ360平方キロ弱に1店はあることになる。つまり18キロ四方の範囲に1店はあるわけで、どこからでも10キロ行けば必ずジャスコかサティはあるわけだ。だから犯罪の起きた場所に近くにジャスコがあるというのは、その意味では当然だ。

 もちろんジャスコが犯罪と直接関係しているわけではない。すでに警察白書が指摘しているように、全国に張り巡らされた道路網とモータリゼーション、それに伴う郊外化によって、日本の地域社会の流動化と不安定化が進み、犯罪を誘発しているのだ。かつ郊外化による犯罪の広域化により、警察が日常的に目の届かない地域に犯罪が拡大し、それにより警察の初動が遅れる。

 おそらく、暴力団の活動範囲も、昔であれば中心市街地の歓楽街に限られていたのが、郊外のパチンコ店やスナックやカラオケ店などにまで分散しているはずである。狭い歓楽街だけを見回ればすむ時代ではなくなった。しかも所轄を複数またがる犯罪が増えているために警察の捜査がますます困難になる。こうした理由から、近年犯罪検挙率が低下しているのであろう。

 さらに、これも警察白書に指摘されているが、大量生産品の増加により、物的証拠による捜査が困難になっているという。大量生産品なんて昔からあるじゃないかと思うかも知れないが、日本中の田圃の真ん中のスーパーで、まったく同じアディダスやナイキのジャージーやスニーカーが売られているという状況は、この10年ほどに起きた現象だ。2000年12月に世田谷で起きた一家惨殺事件の犯人が着ていたと言われる服装も、あまりにもありきたりで何の手がかりにもならない。日本中の人間が、ロードサイドのチェーン店で売っている同じものを着るようになったので、犯人の特徴がつかみにくくなったのである。

 かつ、新しいニュータウン、郊外住宅地の開発は、地域住民のコミュニケーションとコミュニティを消滅させた、あるいは衰弱させた。田舎でも昼から玄関の鍵を閉めるようになり、プライバシーが重要になった。いきおい近所づきあいは減り、隣は何をする人ぞという価値観が広がった。そうなると、警察の捜査も益々やりにくくなる。まして車に乗って移動する人がほとんどすべてになれば、人を町で見かけることも減る。捜査が困難になるのだ。

 弘前の事件にしても、あれだけよくできた似顔絵がありながら、犯人逮捕まで1年もかかったというのは、どういうことなのか? 犯人の顔を知っている人が隣近所にもいなかったのか? まったく不思議だ。地方においてもコミュニティが衰弱していると考えなければ理解できないであろう。

 こうした日本全土の総郊外化、ファスト風土化の大きなメルクマールがジャスコだ。郊外化が進めばジャスコが出店するし、ジャスコが出店すればますます郊外化が進む。郊外化が進んで、不安定化し、流動化した地域社会はいま述べたように犯罪を抑制する機能が低下している。あらぬところから高速道路に乗って、どんな犯罪者が来るかも知れない。犯罪者も腹が減るから、たまにはロードサイドの商業集積地で食事をするであろう。しかし周りに知る人はいない。そして駐車場で、たくさんある車のなかから気に入った車を盗めばよい。(中略)

規制緩和はコミュニティをつくるのか、壊すのか?

 構造改革、規制緩和、自己責任という美名の下に、日本中のコミュニティの完全なる崩壊が始まっている。その崩壊は、ガラガラと音を立てて崩れ落ちるような崩壊ではない。見かけ上は立派な道ができ、商業施設ができ、ニュータウンに新しい家が建っている。しかしその地盤が揺らいでいる。コミュニティのよって立つ地盤が、流動化し、液状化している。地面の上には立派な建物が建っているが、その土台がどろどろになっている、そんなイメージだ。

 大地震による液状化は、地中に均等にしみこんで接着剤のように土を結びつけていた水が、地震の震動によって土と分離し、地盤が液体のようにどろどろになることをいう。地域社会、コミュニティというものも、毎日の人間関係などによって安定している。つまり、生活時間、生活空間、価値観などが共有されていて、人々のコミュニケーションが緊密であればコミュニティは安定している。しかし生活の個人化が進み、価値観も多様化し、生活時間が人それぞれになるなどの事態が進むと、コミュニティが一気に液状化すると言えるであろう。

 そうした現象はこれまで長い間大都市に固有のものだと思われてきた。地方の、特に農村部は、反対にまだまだ地縁血縁が強く、べとべととした人間関係があるとすら言われてきた。もちろんそういう傾向はたしかに今もある。が、他方では、急速にそうしたコミュニティが衰退しつつあるということもまた事実であろう。そして新しいコミュニティは必ずしもできていない。

 2004年度もイオンは23店出店する。ウォルマート傘下に入った西友も出店を強化し、10店を出す。イトーヨーカドーは8店である。日経新聞によれば、工場跡地など大型店の出店に適した土地が増加しているという。

 また同じく日経新聞によると、イオン、イトーヨーカドー、西友、ダイエー4社のうち、23時以降まで開店している深夜営業店舗が2004年2月末で全店舗の70%を占め、1年前より300店舗増加しているという。2000年6月の大規模小売店舗立地法の施行で、スーパーの深夜営業が原則として自由化されたからである。イオンに至っては370店のうち深夜営業が329店、24時間営業ですら159店ある。

 イトーヨーカドーは179店中深夜営業が106店、24時間営業はなし、西友は211店中深夜営業が105店、24時間営業が14店、ダイエーは266店中深夜営業が160店、24時間営業は2004年度は未定だが、2003年度は10店である。いかにイオンが24時間店舗が多いかがわかる。もちろんコンビニは全国でほぼ全店舗が24時間営業であろう。

 さらに日経新聞によれば、午後10時以降の勤務には25%の割り増し手当がかかる。しかも従来2回だった勤務シフトを3回に増やす必要が生ずるなど、深夜営業の人件費は日中の1.5倍に達する。そこでコスト削減のため、夜間を派遣社員やパートタイマーだけで運営する店舗も現れたほか、通常は早朝行う商品の陳列を夜中に行う店もあるという。大規模なショッピングセンターを24時間運営するとなれば、相当な無理が必要になることは想像に難くない。

 都市の消費文化を代表するパルコだって、8時か9時で閉店だ。ところが日本中の田圃の真ん中で、雪国の山の中では24時間営業が普通になっている。これはどこかおかしくないだろうか。

 先にも書いたように、父親か母親か長男か長女か知らないが、深夜に家を出て朝に帰ってくるような暮らしをしているわけだ。そういう生活の変化が、家族や地域に影響をもたらさないわけはないだろう。

 そもそもなぜ深夜にパートに出るのか? 地方でも住宅ローンの負担が増えているのか、教育費がかかるのか、夫の会社が傾き給料が減ったのか? 息子の通勤に車を買う必要があるからか? 娘の進学資金のためか? 

 たとえば母親がパートに出るとしよう。父親が夜6時頃帰宅する。夕食を作り終えた母親が、そそくさとパートに向かう。帰ってくるのは深夜3時。そんな生活が増えているのかも知れない。たしかに既婚女性の就業率は地方のほうが高い。それでも父ちゃんが冬場に東京に出稼ぎに行く時代よりは今の方が良いと思うのかも知れないが、はたしてどうなのか。

 他方、地方で24時間営業が成り立つほど、生活時間が夜型になっているということも、にわかには信じがたい。もちろん客は地元民とは限らない。トラックの運ちゃんが深夜に立ち寄るのかも知れない。

 いずれにしろ、かつては大都会の一部の人のものだった24時間型の生活が、驚くほど急速に全国の地方に広がっている。それは、遅れているが、のんびりしているという地方のイメージを根本から覆すものだ。地方の現実は急速に24時間化し、ライフスタイルが奇妙に都市化し、消費社会化しているのである。そこに何の問題も生まれないはずはない。


JUSCOの近所で殺人事件が多発するのはなぜか?


(私のコメント)
最近のテレビのニュースを見ると凶悪な殺人事件が毎日のように発生している。後から出てきたニュースもどれの関連ニュースなのかわからない。親子が殺された事件といってもどの事件なのか、毎日起きているから分からない。しかもほとんどの事件が東京や大阪のようなヤクザや不良外国人がうようよいるような大都市ではなく、自然豊かな地方都市で起きている。

殺人事件が起きた家を見ても、モデルハウスかと思えるような立派な家も多い。だから環境的には申し分ない所なのに何故凶悪な殺人事件が多発するのだろう。特に少年犯罪が目立つのは何故だろう。学校が荒廃しているとか家庭が荒廃しているとかは前から言われていたことですが、それ以外にも地方のコミュニティーが崩壊していることも原因の一つだろう。

もちろん大型スーパーが悪いわけではない。流通の合理化や近代化は時代の流れで避けて通る事が出来ない。大型スーパーの出来たところは活性化するし雇用も創出する。一箇所で食品から生活用品まで全て買い揃える事が出来る。自宅から車で買いものに出かけて大量に物を買って車に積んで帰ってくる。まったくアメリカの車社会のような生活が日本社会に定着した。

私は東京生まれで東京育ちだから車で買いものに行った事がない。用事があっても電車でみんな間に合う。ところが地方では車が一人一台の時代が来て、買いものは10キロ離れたJUSCOへ車で買いものに行くのが普通になっている。自転車で駅前の商店街へ買いものに行くのは過去の話だ。大型スーパーのほうが都会と同じ品物ぞろえで買う事が出来る。

その結果、ほとんどの大人は車で出かけて徒歩で出歩くことはなくなった。歩いているのは老人か通学途中の学生ぐらいだ。だから地方でも顔を合わせる事がなく生活できる。もちろん古くからの地方都市はコミュニティーは今でもしっかりしていますが、人口移動の激しいところや新興の住宅街はコミュニティーが出来ていないから、見知らぬ不審者を見かけても気にも留めない。

このように郊外化した社会では事件が起きても犯人の捜査もままならず、犯人も車を使って広範囲に移動するから警察も適応できない。今までは玄関の鍵も掛けずに生活していたところが鍵をかけるようになった。車を使った殺人事件や誘拐事件は当たり前になり、事件が起きても周りが気がつかない。近所づきあいも薄くなったから事件の芽があっても近所も気がつかない。

このような環境が子供たちにも悪い影響を与えて、子供の凶悪な犯罪の増加にもつながっているのだろう。戦後のアメリカで起きた郊外型社会の青少年犯罪の多発が日本でも起きているのだ。一見豊かできれいな町並みのニュータウンで青少年犯罪が多発するのはなぜか。そのような環境では家庭も個人も孤立してしまうからだろう。

戦後のアメリカのホームドラマのような社会が日本に出現している。JUSCOのような大型スーパーもアメリカ型社会の象徴だ。日本もモータリゼーションがやってきたからそのようなライフスタイルが実現した。つまり日本もアメリカのような犯罪多発社会になってもしかたがないのだろうか。地元の商店街も衰退し工場も中国へ移転した。多くの人が会社員になり数年で皆転勤する。地域にあった古くからのコミュニティーは崩壊した。

日本ではアメリカのような社会が理想であると教え込まれてきた。だからこそ誰もが車を持ちそれで大型スーパーへ買いものに行く。しかしその理想が実現したとたん青少年の非行化と犯罪が多発するようになった。凶悪な殺人事件も増えた。日本はこれでいいのだろうか。地域のコミュニティーを作るにも人口の流動化で無理だろう。

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