★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > 政治・選挙5 > 249.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
【4年前の自国の大統領選挙はどうした?】ワシントン、ベネズエラの国民投票結果に異議を唱える【ルモンド・AFP他】
http://www.asyura2.com/0406/senkyo5/msg/249.html
投稿者 傍観者A 日時 2004 年 8 月 18 日 23:51:25:9eOOEDmWHxEqI
 

http://blog.livedoor.jp/media_francophonie/archives/5890296.html

2004年08月18日
ベネズエラの国民投票をめぐる情勢
Washington conteste le resultat du referendum au Venezuela
ワシントン、ベネズエラの国民投票結果に異議を唱える

8月17日付け ル・モンド−AFP−ロイター
元記事はこちら

8月15日から16日にかけて行われたベネズエラの大統領信任国民投票にまつわる状況を網羅的に報告するル・モンドの長い記事をご紹介します。痒いところに手が届くというか、本当にものすごい量ですが…。
記事中にも触れられている、2002年から2003年にかけての石油業界の大規模なスト時、ベネズエラ(世界第8位の産油国)の産油量は1日当たり15万バレルにまで落ち込み、ベネズエラ史上初めてアメリカへの輸出もストップしました。


ベネズエラには50社ほどの多国籍企業が進出して油田開発にあたっており(参考記事は"Le marche petrolier peine a se rassurer"(8月17日付け リベラシオン))その中にはアメリカ系の巨大企業、エクソン・モービル、シェヴロン・テクサコ、コンコ・フィリップスも含まれているそうです。

チャヴェスの「ボリビア革命」風社会主義改革路線(企業にとっては向かい風)と、反大統領派(石油企業優遇)支持によりベネズエラ政情の不安定が継続することをはかりにかけた場合、これらの企業(や米国)にとって反大統領派支持がほんとうに利益に適うのか…そこらへんの計算はどうなっているんでしょうね?


(翻訳はじめ)
ワシントンが日曜日のベネズエラ国民投票に異議を唱えた

16日月曜日、米国はベネズエラのフーゴ・チャヴェス大統領の在任を批准した国民投票結果を認めることを拒否し、反対勢力が唱える選挙違反について早急、完全かつ透明な調査を要求した。
元アメリカ大統領ジミー・カーターが設立したカーター・センターとアメリカ全州機関(OEA)による選挙監視業務を認め、評価しながらも、米国国務省はワシントンが選挙結果を認めるつもりがないと明らかにした。「OEAとカーター・センターによる迅速な開票は、国民選挙評議会(CNE)による予備調査の結果と一致することを認めている」と国務省報道官のトニー・カセイは説明し、さらにこう言及した。「しかし同時に、選挙結果についての完全な確認作業とあらゆる不安材料を取り除く調査に関し、彼らが反対勢力との共同作業を拒絶したことを我々は指摘せねばならない」。報道官は記者団の前でさらに「選挙のすべての疑問点に答え、ベネズエラ市民がこの国民投票が自由で公正なものであったと確信できるよう、国民選挙評議会が透明な調査を行うことを認めるよう奨励したい」と語った。
しかしながら国務省のある匿名希望の関係者は、ベネズエラ野党の異議申し立てについて米国が完全に納得しているわけではないとAFPに指摘した。「野党が選挙違反に関する信頼に足る証拠を握っているのなら、それを発表しなければならないでしょう。それらの証拠を分析すれば、この結果が全員に受け入れられるものであるという理論的な証明になります」

カーター・センターとOEAはベネズエラ大統領の勝利を確証した。ベネズエラ大統領は2006年12月の任期一杯政権の座に留まることになる。OEAを率いるシーザー・ガヴィリアとジミー・カーターは、カラカスでの記者会見は行わず、CNEの公式選挙結果を有効であると宣言し、野党党首の数人が唱えた「不正選挙」という告発を最終的に退けた。ジミー・カーターは「これまでのところ、選挙の過程において選挙違反に該当するいかなる要素も発見しなかった」と保証し、されにこう語った。「有権者の決定に影響を与えるような脅迫や暴力行為のような由々しい事態も発生しなかった」

チャヴェスの反米発言

米国国務省の発言に対し、月曜日、フーゴ・チャヴェスは「ベネズエラはアメリカの植民地ではない」と反論した。チャヴェス大統領は「ホワイトハウスにも、私の勝利を知って驚いた人がいる」と皮肉を言い、アメリカ大統領選挙期間中はアメリカ経済、とくに石油業界における景気維持が必要であることをほのめかした。それより先に、キューバの公共テレビ局は国民投票の最大の敗者がアメリカ大統領と、アメリカの傀儡であるベネズエラの少数の政治家」であると断言した。キューバ政府見解を代弁することが多いアナウンサーのランディ・アロンソはさらに「キューバは友人の勝利に喜んでいる」と語った。さらに「敵が激しい運動を展開したにもかかわらず、チャヴェスは退陣しない。国民が求めているのはチャヴェスだ」と続け、ベネズエラ大統領の勝利を、ハヴェスのおかげである「社会正義、平等の追求、1998年以来ベネズエラで開始された政治への民衆参加の賜物」であると説明した。

野党への叱責

月曜日、ベネズエラ大統領は野党との対話再開とベネズエラの社会改革のペースを早めることを約束した。もと落下傘部隊の将校である大統領は、野党に対し、暴力的な手段に訴えるよりも対話という提案を受け入れるように促した。「我々は、(社会改革という)計画をさらに深めることを目的とする新たな段階に入った。(…)国民は、社会的な負債から解放されるのは今をおいてほかにないということを知らなければならない」と大統領は発言した。大統領は石油という恵みを、ベネズエラ最貧民層のための住宅建造、保健改革、教育のために利用している。ポピュリスム的な側面がまったくないとはいえない「ボリビア革命」の仕掛け人である大統領は、「ベネズエラは変化し、この変化は永続する。(…)あらゆる対話は、この計画の推進に役立つものでなくてはならない」と語った。

カラカスで衝突

月曜日、野党は「不正選挙」に抗議するための大規模なデモをカラカスで呼びかけた。1名が死亡し、少なくとも4名が負傷した。その中には下院議員1名が含まれている。チャヴェス大統領派とみられる者が首都の東部で発砲した。この襲撃の後、200名から300名の野党派が、血まみれのベネズエラ国旗を立てた広場に集合した。彼らは「人殺し!人殺し!」あるいは「不正選挙!」などと口々に叫び、ある者は武力での報復を呼びかけた。野党の本拠地である首都東部区域では、月曜日、彼らのリーダーの告発が正当なものであると信じきった住民が落胆と怒りの間で揺れ動いた。31歳の会社員グロリアは「私たちは最後まで闘い続ける」と怒りをぶちまけた。「この狂乱状態の中であと3年も暮らさなければならないなら、チャヴェスを殺してもいいわ」

反チャヴェス連合の将来は不安定

野党の代表者たちは、彼らによれば選挙を汚した「大規模な選挙違反」の証明に取り組んでいる。民主連合のエンリケ・メンドーザは「ベネズエラ国民の意志が愚弄されたという証拠を挙げるために努力を惜しまないつもりです」と約束し、新たな国民投票を要求した。
しかしながらチャヴェスの勝利は反対勢力の辛辣な敗北をもたらした。反対派は1年以上も前から「大統領罷免国民投票」の実施のために戦っており、複数の異質な政党、組合、市民社会の寄せ集めからなる。庶民階級のヒーローの勝利が、1998年の大統領選挙での大勝利に付け加えられた。この大統領選挙は、40年間に及ぶ民主党と社会民主党の2大政党制に終止符を打った。2000年に行われた再選挙、2002年4月のクーデター失敗、2002年末から2003年初頭にかけての石油業界の大規模なストの失敗につづく大統領の勝利だ。

ベネズエラの観測筋は野党が分裂し、現在の指導者がその正当性を失う恐れがあると予測している。この分裂は、1998年の大統領選でチャヴェスの対立候補であったヘンリケ・サラス・リジマーに有利に働くかもしれない。彼は反チャヴェスの右派から極左までにわたる曖昧な連合体である民主連合の作戦を批判することが多かった。ヘンリケ・サラス・リジマーはおもに、カリスマ的な大統領に対抗するために、民主連合は唯一かつ実力のある統一候補を指名するべきだと批判していた。

コスタリカ、野党党首を見捨てる

月曜日コスタリカ政府は、ベネズエラ野党党首の1人、カルロス・オルテガに与えていた亡命許可を撤回した。この措置について、コスタリカの外務大臣は、オルテガが彼に課されていた義務に違反したためであると発表した。ベネズエラ労働中央評議会(CTV)の議長であるオルテガ氏はベネズエラの経営者組合の長であるカルロス・フェルナンデズとともにチャヴェス大統領の主要な反対者の1人で、2003年3月17日以来、コスタリカ亡命の恩恵を蒙っている。カルロス・オルテガの亡命許可撤回は、組合のリーダー・オルテガ自身が「追跡されるおそれがある国」であると宣言したベネズエラに7月30日に入国し、ベネズエラ・メディアでも公的な発言を行ったためとされる。月曜日、コスタリカ政府はベネズエラの政府と国民に対し、国民投票の投票率の高さについて祝辞を述べた。

国際社会の満足

ラテン・アメリカの大多数の国と国際社会の多くも、月曜日、ベネズエラ大統領の勝利を歓迎した。月曜の朝、最初に反応したのは欧州委員会だった。選挙管理当局の結果発表の3時間後、欧州委員会は「民主主義の偉大な勝利である」と言及した。ヨーロッパではスペインだけが月曜の夜にベネズエラ大統領に祝いを述べた。パリは様子を伺っている。外務省の報道官は、少し前に「意見表明するには時期尚早」であると指摘していた。
月曜日の日中にはチャヴェス氏の長年の同盟者であるアルゼンチンとブラジルから、チャヴェス氏に批判的な隣国のコロンビアまで、南米の大多数の国が反応を示した。
南米の大多数の政府は、国民投票がつつがなく実施されたことに安堵を表明し、深く分裂したベネズエラという国に再び平安が戻ることを期待した。その1人、ブラジル大統領ルイズ・イナチオ・ルラ・ダ・シルヴァは、勝者に「謙虚であれ」、敗者に「冷静さを持て」と呼びかけた。

石油レートわずかに低下

月曜日、べネズエラの政情安定を期待して石油価格はわずかに低下した。NYMEXでは、公取引開始前の電子取引で46.91ドルの最高値記録を更新していた原油基準価格の終値は53セント安値の1バレル46.05ドル(37.28ユーロ)だった。終値の高値記録は1バレル46.58ドルで、金曜日に達成された。ロンドンではブレント原油の1バレルあたりの終値は21セント安の43.67ドルだった。ロンドンのレートはイラク南部の油田火災後の取引で44.11ドルの高値記録を更新していた。
アナリストらは、ベネズエラ石油業界で2002年12月の時のような別の新たなストが発生するリスクは現在は最低限に抑えられていると分析する。チャヴェス大統領が国立石油会社PDVSAの反対派1万8000名を解雇したためだ。反米路線を言明しているにもかかわらず、フーゴ・チャヴェスはベネズエラ最大の顧客である米国への石油輸出継続を政府は保証すると約束した。ラテン・アメリカ唯一のOPEC加盟国であるベネズエラは1日当たり310万バレルの原油を産出している。これにより、ベネズエラは世界第5位の石油輸出国となっている。
しかしながら、原油レートの低下は一時的なものに過ぎないと考えている者は多い。需要はいぜんとして非常に大きく、イラク情勢は極度に不安定だからだ。
火曜日、アジアでは石油価格の小幅の安値傾向が継続した。シンガポールでは11時5分(パリ時間で5時5分)、先物相場の9月渡し価格は1バレル当たり45.94ドルで、ニューヨークの月曜日の終値46.05ドルより11セント安になっている。
(翻訳おわり)

 次へ  前へ

政治・選挙5掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。