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♪「我は海の子」第7コーラス ♪「蛍の光」三番・四番 ウゲエェ〜!!
http://www.asyura2.com/0406/senkyo5/msg/650.html
投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 9 月 22 日 18:22:11:HcDLIonJaW4jM
 

(回答先: お祭りだあ!♪日本狂産頭音頭 ♪チンドン日本世間様 投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 9 月 22 日 16:43:42)

http://homepage3.nifty.com/gakuronet-takatsuki/soto_040121_2.html より、転載。

2004年1月22日掲載
学校の外から
読者から (その3)

本庄さん、野崎です。問題提起を興味深く拝見していました。
実は、諫早市のワースト1位2位を争う小学校長が、いきなり14年度の卒業式に「仰げば尊し」を導入し、卒業生に歌わせました。

道徳では「郷土愛」から「愛国心」にもっていくのだと開示請求をした結果(中学校全校14年度・15年度)確信しました。それに家族愛もセットになっています。愛する家族の為に、ふるさとの為に国を守るのだというプロパガンダに使われます。(防衛庁の無料ビデオも)

音楽の歴史を専攻している方から、「我は海の子」にも立身出世の意味があると伺いました。音楽の歴史にも、国のコントロールを見る思いです。以下に音楽の歴史の興味深い話しをご紹介します。
学労ネット
ニュース
LA SIESTA
リンク

<Tさんから>

以前ある国際学会に参加した時、日本の唱歌がいかに日本人の音感を破壊したかと嘆くドイツ人がいました。伝統伝統で培われてきた日本人の音色や旋律の作り方に対する考え方を大きく変えたのが学校唱歌だったからです。

今日我々が「日本の叙情」として考える音楽が往々にして《六段の調べ》ではなくて《ふるさと》なのには、こういった明治政府による学校唱歌の普及があります。

また唱歌というものがしばしば「国民統合」に使われたことに関しては音楽学者の方も調査を進めています。『ExMusica』という雑誌のプレ創刊号には西島央さんによる「国家としての『にっぽん』、故郷としての『にっぽん』」という論考がありました。ここでも「ふるさと」や「我は海の子」の最終コーラス(今日ではほとんど歌われなくなった部分)に露骨な立身出世主義の歌詞があり、これらの唱歌が本来持っていたナショナリズム/軍国主義的側面があからさまに指摘されています。

※《2004年1月22日掲載
学校の外から
読者から (その3)

本庄さん、野崎です。問題提起を興味深く拝見していました。
実は、諫早市のワースト1位2位を争う小学校長が、いきなり14年度の卒業式に「仰げば尊し」を導入し、卒業生に歌わせました。

道徳では「郷土愛」から「愛国心」にもっていくのだと開示請求をした結果(中学校全校14年度・15年度)確信しました。それに家族愛もセットになっています。愛する家族の為に、ふるさとの為に国を守るのだというプロパガンダに使われます。(防衛庁の無料ビデオも)

音楽の歴史を専攻している方から、「我は海の子」にも立身出世の意味があると伺いました。音楽の歴史にも、国のコントロールを見る思いです。以下に音楽の歴史の興味深い話しをご紹介します。
学労ネット
ニュース
LA SIESTA
リンク

<Tさんから>

以前ある国際学会に参加した時、日本の唱歌がいかに日本人の音感を破壊したかと嘆くドイツ人がいました。伝統伝統で培われてきた日本人の音色や旋律の作り方に対する考え方を大きく変えたのが学校唱歌だったからです。

今日我々が「日本の叙情」として考える音楽が往々にして《六段の調べ》ではなくて《ふるさと》なのには、こういった明治政府による学校唱歌の普及があります。

また唱歌というものがしばしば「国民統合」に使われたことに関しては音楽学者の方も調査を進めています。『ExMusica』という雑誌のプレ創刊号には西島央さんによる「国家としての『にっぽん』、故郷としての『にっぽん』」という論考がありました。ここでも「ふるさと」や「我は海の子」の最終コーラス(今日ではほとんど歌われなくなった部分)に露骨な立身出世主義の歌詞があり、これらの唱歌が本来持っていたナショナリズム/軍国主義的側面があからさまに指摘されています。

※《我は海の子》の第7コーラスの歌詞です。

 いで大船を乗だして
 我は拾はん海の富。
 いで軍艦に乗組みて
 我は護らん海の国。

つまり学校唱歌というのは、各地の民謡や伝統芸能にあった日本古来の音楽習慣を、「和洋折衷」という、表向きは東西融合、内実は欧風帝国主義に染めたのですね。これは音楽に限らず生活のあらゆる面で進行した明治以来の文化の流れではないかと思います。

(その4)

さて、唱歌に関して、それが国民統合に使われただけでなく、植民地支配にも使われた例として、わたしの友人が別のMLに投稿した一部分を転送します。(本庄)

<本庄の友人から>

田村志津枝『悲情城市の人びと』(晶文社 1992年)より

「台湾では・・・思わぬところで日本の歌に出くわすことがある。・・・(撮影中の)ある日、山肌のどこかから、鼓笛隊に中国の伝統的な楽器、哨吶(スオナ)や銅鑼をまじえて、ブンチャカブンチャカというマーチふうの音楽が聞こえてきたこともある。合間には台湾の歌も日本の歌も入っているようだ。きけば葬式の楽隊で、霊柩車とともに行進をしているのだという。・・・音楽はしだいに山を降りてきた。『しょうじょう寺の狸囃し』を演奏しながら山肌沿いのカーブを曲がり、一行が撮影現場に姿をあらわした。・・・
 このタヌキの歌は、台湾では『白ウサギ』という童謡になっていて、いまでも子どもたちにうたわれている。『むすんでひらいて』は『かくれんぼ』になっているし、「いまは山なか、いまは浜」の『汽車』は『田舎のネズミ』だ。・・・考えてみれば不思議なことだ。戦後、台湾の政府は日本の植民地支配の名残を払拭しようとさまざまな試みをしたと聞くが、文化政策の根幹である教育の場に、こんなに堂々と日本の童謡がたくさん残ってしまったのはなぜだろう。小学校の卒業式では、侯孝賢の『冬冬の夏休み』の冒頭にあったように、いまでも『あおげば尊し』がうたわれているという。」

(その5)

諫早市北諫早小学校の津田龍一アホ校長は「仰げば尊し」と「螢の光」を卒業式に強行導入しました。こいつは、確信犯だったのですね。こんな意味を保護者は知らないんじゃないでしょうか?今回、本庄さんから歌の歴史を教えて頂いたので、全国で「螢の光」と「仰げば尊し」の歌を復活させる動きがあればすごく参考になりますね。このバカ校長の裏は「校長会」なのか、日本会議のような右翼組織の入れ知恵なのか、気になります。(野崎)

本庄です。蛇足をします。

「ふるさと」よりかなり古い唱歌として知られているのが「蛍の光」です。周知のように、歌詞三番と四番が大き> な問題となっています。

わたしは以前、李香蘭の講演を聴きに行ったことがあります。当時は山口淑子という本名で参議院議員となっていました。もちろん自民党です。彼女が、卒業式で「蛍の光」を歌うなら、三番・四番こそが大事だといっていました。

【作詞】ロバート・バーンズ
【作曲】スコットランド民謡
【訳詞】稲垣千穎(ちかい)
【MIDIデータ作成協力】Iwakichsky

1.蛍の光 窓の雪
  書(ふみ)よむ月日 重ねつつ
  いつしか年も すぎの戸を
  あけてぞ今朝は 別れゆく

2.とまるも行くも 限りとて
  かたみに思う 千(ち)よろずの
  心のはしを ひとことに 
  さきくとばかり 歌(うと)うなり

3.筑紫のきわみ 陸(みち)の奥 
  海山遠く へだつとも
  その真心は へだてなく
  ひとえにつくせ 国のため

4.千島のおくも おきなわも
  やしまのうちの まもりなり
  いたらんくにに いさおしく
  つとめよわがせ つつがなく

「蛍の光」ですが、その4番の冒頭は日露戦争後、台湾の果ても、樺太もと変わっています。日本の支配地域が広がっていくのがよくわかります。

》の第7コーラスの歌詞です。

 いで大船を乗だして
 我は拾はん海の富。
 いで軍艦に乗組みて
 我は護らん海の国。

つまり学校唱歌というのは、各地の民謡や伝統芸能にあった日本古来の音楽習慣を、「和洋折衷」という、表向きは東西融合、内実は欧風帝国主義に染めたのですね。これは音楽に限らず生活のあらゆる面で進行した明治以来の文化の流れではないかと思います。

(その4)

さて、唱歌に関して、それが国民統合に使われただけでなく、植民地支配にも使われた例として、わたしの友人が別のMLに投稿した一部分を転送します。(本庄)

<本庄の友人から>

田村志津枝『悲情城市の人びと』(晶文社 1992年)より

「台湾では・・・思わぬところで日本の歌に出くわすことがある。・・・(撮影中の)ある日、山肌のどこかから、鼓笛隊に中国の伝統的な楽器、哨吶(スオナ)や銅鑼をまじえて、ブンチャカブンチャカというマーチふうの音楽が聞こえてきたこともある。合間には台湾の歌も日本の歌も入っているようだ。きけば葬式の楽隊で、霊柩車とともに行進をしているのだという。・・・音楽はしだいに山を降りてきた。『しょうじょう寺の狸囃し』を演奏しながら山肌沿いのカーブを曲がり、一行が撮影現場に姿をあらわした。・・・
 このタヌキの歌は、台湾では『白ウサギ』という童謡になっていて、いまでも子どもたちにうたわれている。『むすんでひらいて』は『かくれんぼ』になっているし、「いまは山なか、いまは浜」の『汽車』は『田舎のネズミ』だ。・・・考えてみれば不思議なことだ。戦後、台湾の政府は日本の植民地支配の名残を払拭しようとさまざまな試みをしたと聞くが、文化政策の根幹である教育の場に、こんなに堂々と日本の童謡がたくさん残ってしまったのはなぜだろう。小学校の卒業式では、侯孝賢の『冬冬の夏休み』の冒頭にあったように、いまでも『あおげば尊し』がうたわれているという。」

(その5)

諫早市北諫早小学校の津田龍一アホ校長は「仰げば尊し」と「螢の光」を卒業式に強行導入しました。こいつは、確信犯だったのですね。こんな意味を保護者は知らないんじゃないでしょうか?今回、本庄さんから歌の歴史を教えて頂いたので、全国で「螢の光」と「仰げば尊し」の歌を復活させる動きがあればすごく参考になりますね。このバカ校長の裏は「校長会」なのか、日本会議のような右翼組織の入れ知恵なのか、気になります。(野崎)

本庄です。蛇足をします。

「ふるさと」よりかなり古い唱歌として知られているのが「蛍の光」です。周知のように、歌詞三番と四番が大き> な問題となっています。

わたしは以前、李香蘭の講演を聴きに行ったことがあります。当時は山口淑子という本名で参議院議員となっていました。もちろん自民党です。彼女が、卒業式で「蛍の光」を歌うなら、三番・四番こそが大事だといっていました。

【作詞】ロバート・バーンズ
【作曲】スコットランド民謡
【訳詞】稲垣千穎(ちかい)
【MIDIデータ作成協力】Iwakichsky

1.蛍の光 窓の雪
  書(ふみ)よむ月日 重ねつつ
  いつしか年も すぎの戸を
  あけてぞ今朝は 別れゆく

2.とまるも行くも 限りとて
  かたみに思う 千(ち)よろずの
  心のはしを ひとことに 
  さきくとばかり 歌(うと)うなり

3.筑紫のきわみ 陸(みち)の奥 
  海山遠く へだつとも
  その真心は へだてなく
  ひとえにつくせ 国のため

4.千島のおくも おきなわも
  やしまのうちの まもりなり
  いたらんくにに いさおしく
  つとめよわがせ つつがなく

「蛍の光」ですが、その4番の冒頭は日露戦争後、台湾の果ても、樺太もと変わっています。日本の支配地域が広がっていくのがよくわかります。

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