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岡田克也とは何か [古川利明の同時代ウォッチング]
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投稿者 レイ 日時 2004 年 9 月 29 日 21:36:15:mRt2rX4ca0PnA
 

岡田克也とは何か(04・9・28)

 じつは、この前の日曜日(=9月26日)、新横浜プリンスホテルであった民主党の「岡田代表と語る党員・サポーター集会」なるものにふらりと顔を出してきました。
 民主党員ではないのはもちん、サポーターとしての自覚すらない私がこうした会合に顔を出すのも、何とも奇妙ですが(笑)、ここはヒマつぶしとばかりに、あのマルハム問題で岡田克也と“直接対決”してきました(#番記者のボンクラどもは、そんな質問は間違ってもせんしな)。

 やはり、野党第1党の党首となると、こんなところにも政治部の岡田番記者が金魚のフンのようにくっついていて、みんなのんびりと映画でも見ながら過ごしたい、日曜日の夕方の時間にスーツにネクタイ姿で、テープレコーダーを回しながら、岡田の言うコトバをすべてノートにメモしている様子は、本当に気の毒ではありましたが、まあ、何はともあれ、この目で岡田克也を見たというのは、それなりの情報を含んでいますし、そうした情報を公開することも、この本サイトにアクセスしている超ヒマな方々にとっても、それなりにキョーミある話題とは思い、それをここに書く次第です。

 と、本題に入る前に、昨日(=9月27日)、小泉“既に終わっている15代将軍”純一郎(&池田大センセイ)による、自眠党役員人事、および内閣カイゾーがありました。それについて、ひとことだけ言っておきます。
 長期的な政局状況を踏まえたうえでの、今度の内閣改造のポイントはひとつでした(小泉が趣味でやってる「郵政民営化」は瑣末の話ですので)。
 それは、安倍晋三の処遇です。
 7月の参院選の自民党惨敗を受け、党執行部の中で唯一マトモな感性を見せて、その「敗北責任」を感じ、「幹事長辞任」を漏らしていた安倍が、どういう出処進退を見せるのかに、私は関心のすべてを集めていました。
 で、出てきた人事が「幹事長代理」への降格です。思わず、腹を抱えて笑ってしまいました(笑)。

 まあ、いずれどういう時期かわかりませんが、最終的にはきちんとした理念や対立軸によるガラガラポン(=政界大再編)が必要だと私も思っています。
 んで、そうなった場合、私がいまいるリアル・リベラルとは対極にある「右翼反動」(=保守)のリーダーに、じつはひそかに安倍に期待していました。
 昭和の大勲位(=ナカソネ)あたりが、まだケツの青い安倍をサポートし、民主党内のネオコンチックな前原誠司みたいな松下政経塾系の有象無象が合体して、一方の極を作り、それに対抗する形で、加藤紘一、菅直人、白川勝彦、田中真紀子、辻元清美チャン(これに野田聖子を入れてもいい)あたりが、社民も吸収する形で、「リベラル・中道左派連合」という形でがっぷり四つで組めば、なかなかマトモなふうの「2大政党制」のカタチが整うのに、と、その意味で、「わが敵」としての安倍晋三には期待していたのです。

 それが、フタを空けたら「幹事長代理」ですから、「オー、マイ、ゴッド」です。
 別にガラガラポンにまで行かなくても、安倍的には2年後を見据えたとき、そのどうでもいい自眠党ソーサイのポストを狙うにしても、いまは小泉から距離を取ることは必要不可欠だったのに、近く設置されるであろう、ナントカ党改革本部長などといったどうでもいいポストに付けられて、雑巾掛けをさせられるわけですから、気の毒としかいいようがない。
 安倍を小泉を心中させるのはあまりにも惜しい。幹事長代理みたいなどうでもいいポスト(それでも、いちおう執行部の一員であるため、連帯責任は負わせられる)をどうして蹴ることができなかったか、それが彼の二世、三世としてのボンの限界ということなのでしょうか。

 あと、北側一雄を国交大臣に送りこんだ信濃町についてですけど(このことに詳しく触れると、また本題から外れていってしまいますので、ポイントだけ述べるにとどまります)、今度の小泉の党役員人事、内閣改造とまったく同じですが、これも「中途半端」のひとことに尽きます。
 今度の参院選の「自・公協力」の結果を踏まえて、マルハムの大臣枠を「3」くらい要求しても全然、おかしくなく、最低でも「2」は取れるのに(もっとも、そのことによって自眠党内の反信濃町感情に火をつけることにはなりますが)、それもせず、送り込んだのもあんまり風体のあがらない北側のオッサン、んで、「ポストも経産か国交でいい」でしょう。
 私がもし大センセイの立場であったなら、ここで大臣枠を3つ(=法務、総務、国家公安委員長)要求して、完璧な形での「総体革命」の仕上げに入りますが、それすらしない。「大センセイ、いったいどうしたの? 『中途半端はダメだ』と口グセのように言ってたのはアンタでしょ」と言いたいのです。それも含めて、自・公が終わっているということなのでしょう。

 で、まあ、大臣枠を「2つも3つも取ったら、自眠党の中2階連中がマルハム叩きにワーワーしてくる可能性がある」ってことで、「まあ、今回もやっぱ1で抑えときますよ」にするのなら、「環境大臣・浜四津敏子」しかなかったでしょう。いまや「反戦平和」のお題目すら、完全になくなってしまったのですから(笑)、ここはいま流行りの「環境問題」をやってますというフリを最大限アピールするため、浜四津のオバハンを代表代行のまま、小池百合子の後釜に放り込んでおけば、閣議のたびに小泉の隣に座る浜四津のオバハンの姿がテレビで映し出されるわけです。
 これほど安上がりで、あの年金後だしジャンケン出しまくりで地に落ちたマルハムのイメージアップを図る方法だったのに、それをしなかったわけですから、「大セイセイ、大丈夫か?」と言いたいですね(#あの中身のない保守党がそれでも持ちえたのは、扇のオバハンが閣僚で入っとったからやろ)。今回こそが、「浜四津カード」を切る絶好のタイミングだったのに、もうちょっと、大臣人事にも「戦略と戦術を持て」って言いたいですね。

 さて、そこで本題に戻ります。
 んで、先日の日曜日に、夕方4時から新横浜プリンスホテル4階千鳥の間であった、その「党員・サポーター集会」なるものに出てきたのですが、まあ、ざっと会場全体で400人くらいは入っていたでしょうか。
 ただ、日曜日の夕方にそんなところに足を向けているのは、オッサン、オバハン、ジジイ、ババアといったコアな関係者(あと、いかにも政治ゴロといった風采のオッサンとか)がほとんどで、それもこの日曜日なのにネクタイ、スーツといった暑苦しい格好をしているのがほとんどで、Tシャツにジーパンというラフな格好でいたの私ぐらいのもので、じつに全体の中では浮きまくっていました(笑)。

 さすがに、野党第1党の党首となると、ケーサツのSPをはじめとして、カバン持ちやた何やら、ワケのわからないのがゾロゾロとくっついてきて、まあ、それだけでも私などは「ふーん」と面白がって見ていましたが、午後4時すぎに岡田が会場入りすると、さっそく、ワイシャツの腕をまくって、あいさつを始めました。
 実物の岡田を見るのは今回が初めてでしたが、本人が「相撲をやっていた」というふうに、テレビで見るよりずっと体型はがっしりとしていて、まあ、周りがオッサン、オバハン、ジイサン、バアサンだったせいもあるでしょうが、やはりそれなりの若さというものは感じました。

 要するに、この日の党員・サポーター大会というのは、9月の代表選で無投票再選した岡田の、「全国お披露目行脚」の一環ということで、「おらが党の代表が地元にさ、来てくれたべ」というノリですね(笑)。
 んで、岡田は手元に配られていた党の広報紙に掲載されていた「2015年、日本復活ビジョン」に書いていることをひととおり話したというカンジで、さほど中身はなかったのですが、その3ページにわたる「2015年、日本復活ビジョン」というのは、この8月の夏休みの間に、嫁ハンと子供は地元に残して、自分が一人で九段の議員宿舎の籠もって、メシは近くのコンビニに弁当を買いに行って、3日間かけて書き上げたものだ、ということを言ってました。

 で、その「2015年、日本復活ビジョン」とは、岡田によれば、「民主党が自民党に代わって2期8年間の長期政権を打ち立てた後に、日本はこうなっている」という青写真を示したものだとのことですが(もちろん、その間、本人がソーリ大臣をやっているという想定なのでしょう)、そこで、単純な引き算になりますが、「2015−8=2007」ですから、岡田的には今の衆院の任期満了となる2007年で政権交代をすると想定しているようにも受け取れます。
 まあ、この2007年は夏に参院選もありますし、衆院の任期はその年の秋までですので(信濃町が最もイヤがる)衆参ダブルを想定しているのかとも受け取れないこともないですが、でも、たぶん、本人はそういうところまであまり深く考えていないのかもしれません。

 その「日本復活ビジョン」については、岡田の意気込みは十分にわかりますが、ただ、内容はあまりも総花的で文章もカタく(本当に官僚の書く文章)、パンピーは絶対に最初から最後まで読み通すことはないとは思いますが(笑)、まあ、好意的に受け取れば、そのあたりが彼に「クソマジメ」「原理主義者」というレッテルが貼られる部分なのかもしれません。
 私は「党員・サポーター集会」というと、この7月末に私も参加した「平野貞夫&宮崎学勉強会」のように、もっとこじんまりしたスペースで、お互いが言葉のキャッチボールができるような雰囲気だと思っていたのですが、そうではなく、岡田の一方的なあいさつを聞いた後、会場に詰めかけた人が挙手をして、その質問を後でまとめて岡田が答えるという形式でした。

 んでもって、質疑応答にそんなに時間をもってじっくりとやりとりができる余裕もなかったのですが、私もその場に出席していた以上、マルハムとの関係はどうするのかと問いただすのは、「義務」だと思い、こう、岡田に切り込みました。
 「ガリレイは、『私に支点を与えよ。さらばテコで地球でも動かせる』と言ったが、その支点に位置しているのが、公明党・創価学会というより、池田大作である。図らずもあなたが代表に就任することになった菅直人辞任の本質とは、信濃町批判を強めていた菅直人を追い落とすための、『池田大作VS菅直人政局』だったわけですよ。で、それ以降、小泉自民党は批判しても、公明党・創価学会の批判をしなくなったのは一体どういうことか。もし、今度の選挙でももっと信濃町を叩いていれば、良質な保守層を抱え込む形で間違いなく民主党は議席数をもっと増やしていたのに、なぜ、それをしなかったのか。あなたはこれから、公明党・創価学会に対して、どういうスタンスで臨むのか。叩くのか、それとも組むのか」

 これに対する岡田の答えは、非常にシンプルで、以下の通りでした。
 「これまでも言っているが、次の選挙で(民主党は)過半数を取る」
 まあ、一般の人はこれだけではマトモな答えになっていないので(笑)、私がさらに解説しますと、これは7月22日の外国人特派員協会で、「私は原理主義者だから、単独で過半数を取るという前提で物事を組み立てていく。それがわれわれの政策を実現する道につながる。公明党との協力は前提としない」と喋ったことと繋がっています。
 ただ、それは中、長期的な戦略であって、私が問いただしたのは、もっと短期的な戦術面で「なぜ、マルハムを叩かないのか。叩けば票になるだろ」ということでしたが、彼はそれを知ってか知らずか、敢えて触れませんでした(もっとも、全体の流れとして、質問者に言うことにじっくりと耳を傾けて、それに答えるという雰囲気ではなく、トコロ天式に質問を処理していくというカンジでしたので)。

 まあ、岡田とは極めて短いやりとりでしたが、正直、彼の胸の内は「わからない」というのが、実際のところです。
 つまり、マルハム問題は敢えて避けたいのか、それとも、今は民主党内の自らの権力基盤を固めるのが第一で、マルハム攻撃はそれからじっくりと腰を据えて取りかかるのか、この短い時間のやりとりだけでは、見えてきませんでした。
 確かに、あのどうしようもない内閣改造に象徴されるように(もう、タフの首相補佐官抜擢は腰を抜かしました。あれこそサプライズですよね)「小泉末期状態」はその通りですが、しかし、ナンダカンダ言ったところで政権与党というのは強い。「小泉は終わった」といっても、まだ、内閣支持率が40%もあるのです。

 で、私が「テコの支点にいるのが池田大作」といったように、池田大センセイが小泉を支持する限り、小泉政権は存続する。であるのなら、政権奪取に向けて、権力の「真の中枢」に向けて切り込んでいくのは、いわば当然のことで、それなくして民主党の政権交代など、「絵に描いたモチ」にすぎない。
 ここでチョー重要なところは、小泉の自眠党ソーサイの任期と、岡田の民主党代表の任期が、同じ再来年の9月で切れることです。
 小泉的には、あとは「郵政民営化」というオモチャをいじくって、「抵抗勢力との対決」という、見え据えた田舎芝居で延命を図り(早期解散だけは絶対に困る大センセイもそれを支持し、じつは大センセイ的には郵政民営化はどっちでもいい)、「次」にバトンを渡せばいいだけで、再来年の9月に新ソーサイになった時点で、その秋ぐらいに「解散」とやれば、自民党得意の「解散前に党の顔をスゲ代えて、選挙に臨む」という、ゾンビさながらの“延命作戦”を続行できるわけです(それであれば、衆参ダブルを避けたい大センセイ的にも飲めるでしょう)。

 確かに岡田が「原理主義者」として、長期的な戦略、ビジョンを打ち立てるのはそれでいい。
 また、その東大法学部卒、通産官僚出身のきまじめさから、「政策オタク」として、いろんな数字をこねくり回して、「こんな素晴らしいマニフェストができました」と自画自賛するのもいい。しかし、肝要なことは、テメエの代表任期中のこの2年間に小泉内閣を解散、総選挙に追い込まないことには、「岡田首相」など、それこそ「絵に描いたモチ」でしょう。
 「永田町の男女の仲は一寸先は闇」と言われるように、岡田がどこかノー天気なのは「自分は06年9月以降も民主党の代表に座にいれる」と思い込んでいることです(じつは、あいさつの中で、岡田はそのようなことをチラッと口を滑らせている)。

 岡田は小沢一郎にくっついて自民党を飛び出し、新生党に参加した際、「細川非民
連立政権」を打ち立てたことの「感激」を、ここのところ、繰り返し喋っていますが、では、なぜ、あのとき、政権交代が可能だったのか。
 もちろん、日本新党ブームというのもありましたが、「新党さきがけ、新生党結成」という、自民党の「内部分裂」があったからこそでしょう。その意味を彼はどれだけわかっているのか。
 ですから、結論を先に言いますと、岡田があと2年以内に首相になるには、自民党を割って民主の側に取り込んで、内閣不信任案を可決させ、「解散・総選挙」に持っていくしかない。それくらいの「なりふり構わず」があって、ようやく「運」は岡田に転がってくるのです(#今回の代表就任はビギナーズラックそのものや。そんなもん、いつまで続くか)。

 つまり、岡田の致命的な点は、大風呂敷的な「戦略めいたもの」はあっても、「緻密かつ具体的な戦術」がないことに尽きる。
 申し訳ないが、いまの岡田の発想では、残念ながら政権は取れない。そんなチンタラした姿勢では、「やっぱり、岡田はつなぎだった」ということで、「岡田下ろし」、果ては「民主党分裂」にもなりかねない。
 それでいて、口先では「我々民主党は政権を奪取します」と言っています。
 「奪取する」とは、権力中枢にケンカを仕掛けて、その「玉座」を自分の手を奪い取ることを指します。しかし、岡田が言っていて、やろうとしていることは、どうもそうではない。
 これから先は中学生でもわかるレベルの話ですが、「倒閣」し、「解散・総選挙」に追い込むには、内閣不信任案を可決させる以外にありません。しかし、現在の野党の議席数をいくら足したところで、過半数には遠く及ばないわけですから、岡田の代表任期中に総選挙をやるには、2000年秋の「加藤政局」のような仕掛けが必要になります。

 そのあたり、小泉のように「3度目の正直」で、「党首」の座を自らの手で奪取したのではなく、「気がついたら転がり込んでいた」という差なのかもしれません。言われるほど、小泉はヤワではない。相当、しぶといというか、打たれ強い。
 で、そのバックには「政界三国志」を地で行く、例の「大センセイ」が控えておられるわけですから(笑)、「結構、岡田もチョロイなー」というのが、先日の彼との“直接対決”での私の正直な感想です。
 政治家が権力をつかみ取るには、もちろん、「理想や志」は必要ですが、それと一緒に「時流を見抜く直観力」は必要不可欠です。

 岡田のように「総選挙は任期満了の2007年でいい」とタカをくくっていたら、政権は死んでも取れない。さしずめ、いちばん民衆の心が動くのは、「サマワ政局」でしょう。そこでスパッと倒閣に追い込むだけの緻密な戦術を積み重ねていくことが、岡田に求められますが、残念ながら、民主党にそういう人材もいそうにないので(それがわかるのは、小沢一郎ぐらいのものでしょうが)、当分は「小泉&大センセイ」の高笑いが聞こえてきますね(笑)。

http://toshiaki.exblog.jp/

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