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分断統治にご用心!−−「プロ市民」という言葉について(ベルナール氏)
http://www.asyura2.com/0406/war56/msg/1178.html
投稿者 天魔降伏 日時 2004 年 6 月 26 日 12:00:09:8b6UqhBoidy/2
 

(回答先: イラク駐留米軍女性兵士の手記 砲撃におびえ(毎日新聞) 投稿者 天魔降伏 日時 2004 年 6 月 26 日 03:18:12)

川中島合戦場
http://bbs8.otd.co.jp/kawanakajima/bbs_plain
より正体未詳の知識人「ベルナール」氏の寄稿


2004/06/26 11:28

分断統治にご用心!-- 「プロ市民」という言葉について

みなさん、こんにちは。

6月26日付の『毎日新聞』に、砲撃に脅えるイラク駐留米軍女性兵士の手記が載っています [1]。

> 陸軍予備役に志願した大学院生のこの女性は、全く予想もしなかったイラクに長期派遣され、民政部門の任務を担当している。しかし反米武装勢力が多い地域での民政活動は必ずしも住民の理解を得られず、その苦悩がにじむ手記となっている。父親によると、女性は予備役兵士になれば米政府から大学時代の授業料相当額を得られる制度を利用するため家族に相談なく志願。昨年3月のイラク開戦から間もなく招集され初めて両親に知らせた。最近は6カ月以上、最も危険なイラク北部で活動している。これまで予備役が前線に招集されることはほとんどなかった。しかしイラク戦争で動員されることが多くなり、この女性のケースは、本人が思いがけない形でイラクに投入される現在の予備役兵士の典型と言える。

ここで注目すべきは、「予備役兵士になれば米政府から大学時代の授業料相当額を得られる制度」に関する言及です。アブ・グレイブ刑務所における捕虜虐待事件に関して起訴されたリンディー・イングランド上等兵もまた、トレーラー・ハウスに住む貧困層出身で、大学進学のための学費を得るための予備役への入隊でした。旧日本軍においても、旧制中学出身者には予備仕官への道が開け、先の大戦末期に戦局が極端に悪化するまで -- 当時人口の一割もいなかったエリートである -- 大学生は、兵役を免除されていました。ジャーナリストの斎藤貴男氏は、高橋哲哉氏との共著『平和と平等をあきらめない』(晶文社)において、失業率の高い地域で自衛隊入隊が勧められるケースさえ出始めているという実例を挙げ、「結局、貧しい者、学歴の低い者がまず戦場に行かされる」[2] と慨嘆されています。もちろん、米兵による捕虜虐待は憎むべき犯罪ですが、いつの時代のいかなる軍隊においても、戦争の第一線に送られたり、汚れ仕事を押しつけられたりするのは、社会の貧困層や学歴の低い者であることは同じでしょう。ブッシュ米大統領が海外派兵のない州兵にもぐり込んだように、親に社会的地位や縁故があれば、戦場に行かなくても済む抜け道はいくらでもあるわけです。

先にご紹介した、山口二郎氏の新刊『戦後政治の崩壊 -- デモクラシーはどこへゆくか』[3] には、異質な者や弱者へのいじめをめぐって、「庶民はみずからの不利益を求める」[4] という興味深い一節があります。治安主義と結びついた生活保守主義に逃げ込む弱者が、権威主義的なポピュリズムを掲げる政治家やマスコミに扇動されて社会で抵抗力の弱い部分を攻撃して「溜飲を下げる」という、 -- イラク邦人人質や家族へのバッシングなどに見られた -- 典型的な倒錯が指摘されているわけです。在日外国人、女性、身体障害者から不幸な事件の被害者に至る、社会的抵抗力の薄い弱者叩きの担い手に関しては、「生活保守主義」とか「新保守」とか「ネット右翼」などの言葉を使って説明されることがしばしばありました。しかし、オールドリベラリストの誰彼を想起してもわかるように、「保守」とは継承すべき歴史や伝統に対する一定の教養を前提としており、“風格”や“国柄”などを重んじる体裁屋の保守主義者は、限度を超えて見苦しい振る舞いはしないでしょう。

弱者叩きの担い手のモラル・ハザード、知性と教養の完全な欠如、他人の不幸を喜ぶ獣性等は、彼ら自身が、 -- 権威主義的な疑似ファシズム的な社会体制が出来れば -- 真っ先に戦場に送られるか、末端の暴力装置として《捨て駒》に使われる社会層に属していることを雄弁に示しているでしょう。マルクスがボナパルティズム -- まだその名前がなかった時期の「ファシズム」 -- の担い手として『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で分析したあの雑多な社会層です。ネオリベラリズムの民衆分断策にとって、弱者叩きに腐心する不定形のモッブぐらい使い道のある存在はありません。山口二郎氏は、前掲書で、この分断政策について、こう指摘しています [5]。

> 最近の日本社会では人々の利害関係を強調する議論がしばしば聞かれる。大都市で納めた税金が地方の公共事業で無駄遣いされているとか、現在の高齢者は払った掛け金の数倍の年金をもらう一方、現役世代は掛け金の元もとれない、といった類の議論である。この種の議論は、一面の真理を衝いているという厄介さがある。しかし、このような形で普通の人々がいがみ合う状況こそ、不平等を是認し、小さな政府路線を推進する強者にとっては好都合なのである。社会的な連帯感が存在しないところでは、平等を思考する政策は生まれないからである。

「分断して統治せよ」という古来の格言は、ポピュリズム的扇動によって政権を維持しようとという者にとって、依然として統治手段の要諦であるわけです。弱者叩きに腐心するモップの愛用語の一つに、「サヨク」とともに「プロ市民」という言葉があります。例えば、デモ参加者は、一見普通の市民に見えるが、実は左翼政党の党員や活動家であるというわけです。しかし、現在デモなどで社会的意志表明する担い手に関して、この指摘は明らかに間違っており、デモの主体が労組などを中心としていたバブル期以前の冷戦時代の固定観念にとらわれた発想です。

例えば、社会メディアを研究する山本英弘氏らのグループが、イラク反戦運動に関してまとめた論文「市民の攻防 -- イラク戦争抗議運動にみる現代社会」(2004年5月31日刊)は、いわゆる「団塊世代」の学生運動の壊滅の後、政治的・社会的意思表示のテクネーが失われたバブル期を経て、いままた盛り上がりを見せている市民運動の担い手たちが、旧来の社会層とは異なることを教えています。山本氏らの論文には、2003年2年27日付の『毎日新聞』の「日本にも広がるイラク攻撃反対『平和パレード』」の記事が引用されています [5]。

> ようやく「普通の人たち」が主役に躍り出たように見える。(…)このスタイルは確かに、昔ながらのデモとは違った。(…)この夜一番驚いたのは、実は歩くスタイルなんかではなく、参加者の顔ぶれの方だった。(…)多くが個人参加の若者や家族連れだったのだ。おまけに「デモは初めて」などという。

質問紙調査を用いた昨今の反戦デモ参加者に関するフィールドワークは、上掲の毎日記者の記事の直感的印象の正しさを証明しています。調査報告は、以下のような市民運動の特徴を引き出しています。

>(1)労組からの参加者よりも、一人ないし友人・知人、また家族の参加者が圧倒的に多い。
>(2)社会情勢のデモの情報源は、新聞とともにインターネットの役割が大きい。
>(3)六対四の割合で女性の参加者の方が多い。
>(4)全体の三分二が大卒者であり、全体的に高学歴である。
>(5)職業分布では、専門職と事務・販売などのノンマニュアル職が多い。

現代日本の社会的マニュフェストの積極的担い手は、弱者叩きに腐心するモッブたちが想定するような「キャリア活動家」や運動員がむしろ少数派であることをこの調査は示しています。実際、昨今の新聞やテレビなどのデモ報道などには、女性の映像が極めて多いことが目に付きます。これは、-- 成人女性の大半が専業主婦だった -- ハブル期以前の日本社会ではまったく考えられないことであり、女性の大学進学率と就職率とが男性のそれを凌駕して経済的独立を達成しつつある現代日本を象徴しているでしょう。英語など日本語同然に読める新世代は、海外の社会運動の同行にも敏感で、先のイラク邦人拉致事件の人質解放に、国際的な市民のネットワークが多くの役割を果たしたことは周知の通りです。

弱者叩きを社会的ルサンチマンのはけ口に使っているモッブたちが冷笑的に用いる言葉の一つに「地球市民」という言葉がありますが、現在の市民運動の中心は、弱者を叩くモッブ化した庶民とは、まったく対極的な社会層に属しています。それは、プロレタリアートの革命的前衛でも「人民」などという言葉を抵抗なく使う「活動員」や「運動家」でもなく、比較的高学歴の国際的視野を持った、-- 女性が少なくない -- 自覚的市民であるという事実は、「プロ市民」などの貶下語がまったく無意味であることを示しているでしょう。この「プロ市民」なる語は、政治や社会問題は「エラい人」が扱うものであり一般国民が介入するものではない、つまり「民は民は知らしむべからず、よらしむべし」の愚民化政策の傑作作品でしょう。

なにしろ、教育改革国民会議のメンバーで、元教育課程審議会会長の三浦朱門氏が斎藤貴男氏によるインタビュー(『機会不平等』文藝春秋)で、「非才、無才」つまり能力のない人たち、能力のない人間は「実直の精神」だけを養ってくれればよいとしているのですから、驚く他はありません。《ゆとり教育》とは、国民の意図的な学力低下を期したものであり、つべこべ言わずに黙々と働き、お上に楯突かない《愚民》を量産することを意図したものでした。なにしろ、サラリーマンが通勤電車でマンガを読み、教科書の漢字が読めない大学生が珍しくない現在、国民の分断政策に役立ってくれる《愚民》には事欠きません。なにしろ『バカの壁』なる題名のキャッチフレーズ以外に取り柄のない駄本がベストセラーになる -- つまり、自分は「バカ」の側に属さないと慰撫してくれるナルシシズムの誘いに簡単に身を委ねてしまう反省的知性を欠く大量の人々の存在を暗示している -- 現代日本ですから、なおさらのことです。後は、「サヨク」「自虐」「反日」「プロ市民」等の決まり文句を五つか六つも仕込んでおけば、壊れたレコードのようにずっと同じことを言い続けてくれるのですから、これぐらい便利な《捨て駒》はないでしょう。

弱者叩きの担い手自体は弱者であり、生活保守主義ないし治安主義に立つ人々は、決して、自分たちが叩かれる側に回るとは考えていません [6]。もちろん、これは誤解であり、途方もない自己欺瞞です。弱者イジメの構造は、学校におけるイジメの構造とまったく同じです。つまり、自分が「いじめられる側」にならないように、自分がイジメの担い手あるいは傍観者になるというわけです。イラク邦人拉致事件の際のバッシングは、それが官邸主導の世論操作であるだけに、内外を驚かせました。これは、学級内で教員が「こいつはみんなでイジメて良いんだぞ …」と扇動しているのに等しい行為です。一国の政治的首長と無名の市井の市民たちとは、象と蟻ほどの社会的パワーが違うでしょう。また、被害者が帰国した空港まで嫌がらせをしに行く《愚民》がいてくれるのですから、政府の要路は笑いが止まらなかったでしょう。《ゆとり教育》が、着々と成果を上げたわけです。愚劣な「自己責任」論のイカサマ性を見破り、その欺瞞を押し返すのに、国際的な市民的連帯とインターネットというツールは不可欠の靱帯でした。バブル期の前と後では、市民運動のあり方は大きく変わったのです。

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[1]
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20040626k0000m030141000c.html
[2] 119頁。
[3] cf.
http://bbs8.otd.co.jp/kawanakajima/bbs_plain?base=1142&range=1
[4] 162-165頁。
[5] 岩波新書、164頁。
[6] cf. 杉田敦「『彼ら』とは違う『私たち』」、『世界』2003年6月号。

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