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深まる溝…日本の対イスラム外交史 『理解』より『利害』優先(東京新聞・特報)
http://www.asyura2.com/0406/war56/msg/660.html
投稿者 らくだ 日時 2004 年 6 月 13 日 08:29:16:bZcL6nRNDZWPQ
 

深まる溝…日本の対イスラム外交史 
『理解』より『利害』優先


 イラクで先月下旬、日本人ジャーナリスト二人が殺された。その約十日後、小泉首相は「多国籍軍」への参加を表明。イスラム圏で悪化する対日感情は無視された。日本政府の対イスラム圏外交は、イラク戦争前から目先の利害にとらわれてきた。相互理解が最高のテロ対策であるにもかかわらず、その「常識」は対米追随思考に押しやられている。 (田原拓治)


■90年代 経済協力が親近感生む

 「日本の独自中東外交は遠くなった。友好の貯金残高は減っている」。外務省きってのアラビスト(アラブ専門家)だった片倉邦雄氏(現・日本イスラム協会常任理事)は目を伏せる。

 一九九〇年夏。イラクのクウェート侵攻で、両国にいた日本人駐在員ら二百余人が旧フセイン政権の人質になった。暮れまでに全員が解放されたが、片倉氏は当時、イラク大使だった。

 欧米諸国も「人質」策の対象になった。事件の渦中では各国大使が情報を交換したが、片倉氏は「情報量は日本が抜き出ていた。日本企業と働いたイラク人技師らが危険を顧みず、内緒で教えてくれた。人質にされた人々も虐待などに遭った人はいなかった」と振り返る。情報は米国頼みという現在の対イラク外交とは対照的な時代だった。


■民間人中心に汗水流す援助

 「フランスやロシアもイラクを援助したが、その多くは軍事援助。経済協力では日本が一番だった。心の移転というか、人づくりによる親近感が強かった」

 湾岸戦争では日本は百三十億ドルを拠出したが「血も汗もかかない」という風当たりが強かった。だが、片倉氏は「それは何も知らない人のせりふ。民間人は友好のために汗をかき、犠牲を払った」と反論する。

 アラブ諸国を含めたイスラム圏と日本の外交史は明治維新直後にさかのぼる。明治政府は一八七一年、欧米に使節団を派遣するが、その途中、米、英、仏、ロシア、オランダとの不平等条約を覆す法整備のため、同じ状況下のエジプトの法律体系を学ぼうと、特使を送ったのが始まりだ。

 そのエジプトでは十年後に英仏からの独立を掲げた反乱が発生。指導したオラービー・パシャがセイロン島(現スリランカ)に流刑されたが、日本の農商大臣谷干城(たてき)は同情し、流刑地まで訪ねている。


■亡命者たちを政治結社歓待

 一九〇四年の日露戦争は「有色人種の白人帝国主義に対する勝利」として、イスラム圏では絶賛された。トルコ人知識人のアブドラ・ジャウデは当時、「日本がもしイスラム国家になれば、天皇がカリフ(イスラム圏の指導者)になるのが適当」と述べている。

 こうした「イスラム」と「興亜(アジア復興)論」を重ねた考え方は、日本の民族派(右翼)にも歓迎された。

 玄洋社、黒竜会、猶存社などの政治結社は、欧米のアジア侵略との対抗で共鳴し、各国のムスリム亡命者たちを歓待した。

 だが、日本は次第にアジア、イスラム圏との連帯ではなく、欧米と競って植民地分割に参戦する方向に流れていく。

 日本人ムスリムの草分け、田中逸平氏は二〇年代半ば、「イスラームと大亜細亜主義」で「日本主義とは(欧米とは違い)侵略と排他を行うことを意味しない」と警鐘を鳴らしたが、イスラムの理念とも一致した民族間の平等主義は一掃されていった。


■日中戦争 アジア進出目的、官製の研究団体

 三七年からの日中戦争は決定的な転換点となった。官製のイスラム研究団体が乱立し、その一つ、大日本回教(イスラム教)協会の初代会長はイスラムと縁のない林銑十郎陸軍大将だった。漢民族を締め付ける狙いで中国国内のイスラム教徒工作と、東南アジアでの石油やスズなど天然資源獲得に目的が定められた。

 四五年の敗戦直後、インドネシアでは市来(いちらい)竜夫氏らムスリムに改宗した日本兵らが残り、イスラム教徒の独立勢力支援のため、義勇兵として戦った記録もある。とはいえ、日本でのイスラム研究は敗戦で一度は途絶える。


■互いの思惑に「ねじれ」が…

 現代イスラム運動に詳しい同志社大の中田考教授は「戦前はイスラム圏の側でも日露戦争で日本に対して『幻想』を抱き、日本は政府が軍国主義にそれを利用するという相互のねじれがあった」と指摘する。

 しばしの中断の後、五〇年代はエジプトのナセル大統領に代表されるアラブ民族主義や第三世界の台頭への対応と、石油資源確保のため、外務省も上級職(キャリア)のアラビスト育成に乗り出す。前出の片倉氏はその第一号だった。さらに七三年のオイルショックを機に、政府は親アラブ政策を採り、民間でもアラビア語の研修生派遣、専門家育成の機運など「アラブブーム」がわき上がった。

 しかし、「脱石油や脱中東というエネルギー政策の転換で、こうした人材は生かせず、流れも続かなかった」と最首公司・日本アラブ協会理事は残念がる。


■中東主要大使、専門家はゼロ

 冷戦体制が崩れ、九〇年代に入り、イスラム復興の流れが国際政治ににじみ始めた。こうした中、二〇〇〇年には河野洋平外相(当時)が「文明の理解」を掲げ、自ら主導して外務省に「イスラム研究会」を発足させた。しかし、この例外的な試みも後続の外相時代に雲散霧消してしまった。

 在外公館では現在、エジプト、サウジアラビアに加え、原油の最大輸入国であるアラブ首長国連邦にもアラビストの大使はいない。外務省が委嘱する現地専門調査員の募集資格もここ数年、アラブ諸国では従来のアラビア語から英語が増え、相互理解を図る意思すら疑われている。


■対米協調重視 弱まる存在感

 京都大学教授で日本中東学会会長の小杉泰氏は「相互に理解が足りないのは事実だが、経済力を考えれば日本が手を差し出さねばならない。だが、その兆しすらない。テロ対策は警察力の問題ではなく情報力。イスラム圏との友好はまさに安全保障上の課題だが、政府の動きはそれに逆行している」と批判する。

 前出の片倉氏は「日本の存在感が弱まっている。パレスチナ和平協議が代表例だ。かつては米国、国連、EU、ロシアと肩を並べたが、最近はこの五極から日本が消えた」と指摘する。

 「対米協調は重要だろうが、もっと大切なのは現地住民の受け止め方だ。米国との溝を恐れず、筋を通してくれるという日本への期待を裏切るべきではない」

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040613/mng_____tokuho__000.shtml

※ がんばる東京新聞

『アラブ親日』はもう壊れている 日本人外交官2人殺害【東京新聞】
http://www.asyura2.com/0311/war43/msg/896.html

自衛隊イラク派遣 もうひとつの危険 『文明の衝突』加担(東京新聞)
http://www.asyura2.com/0311/war45/msg/146.html

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