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「イタリア人人質救出作戦疑惑」その後&イタリア最新事情
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投稿者 縄文人 日時 2004 年 6 月 15 日 09:53:46:bfek92EqWeCqg
 

★日本では「有事法案」が国会を通過し、ますます「有事」が意識されるなか、イタリアでは「イタリア人救出」に関する疑惑がさらに深まってきています。その辺りのことを伝える「イタリア事情」が、また届きました。

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この週末は、イタリアではEU加盟国代表選出選挙が土日にあったほか、サッカーのヨーロッパカップ?も始まり、マスメデイアはどれもこの二件につき大幅な時間、ページを設け、特番につぐ特番で超多忙です。一般のニュースは少し減っています。
そのあいだに、イタリア人人質解放に関する新聞記事をひとつ訳しましたので、お送りします。
あの救出劇は信憑性に欠けるという事実がどんどん出てきていますが、そのうちのひとつ、救出のための急襲作戦が実行されたのか否か、また身代金が支払われたのかということについてです。

〔‘il manifesto’、六月十一日付け、A.MAN.氏記事の一部〕

(前略)………
しかし、同時に、火曜日(六月八日)の救出作戦と先に行った協議には、謎と疑問が濃くなってくる。アメリカの特殊部隊の急襲自体まで疑わせる。実際には、軍事行動はなく、人質は月曜(六月七日)の夜、二人の見張りをつけて、アブ・グレイヴのザイトウン通りにある名も無い灰色の小さな家に放置されたらしいのだ。

アブ・グレイヴは、バグダッド西部の郊外の、あの虐待で悪名高い刑務所も所在する近郊地区だ。そこへ火曜の朝、アメリカ兵は一発も発砲せず、ヘリコプターで空から騒々しく包囲することもなく、人質を引き取りに行ったはずである。
現場の住民は、イタリアの新聞「レプブリカ」の派遣員、ダニエレ・マストロジャコモにこのように語った。
彼は昨日、同地域でイラク人の一団に危うく誘拐されそうになった。このグループは彼の自動車に発砲してきて、長いこと車を追跡した。同じような証言が、非政府団体Emergencyとつながりのあるデータ通信処理局、peacereporter.orgにもある。

それによると、Sismiイタリア諜報局も、伝えられたのとはちがう役割をしたようだ。人質の拘束されている「牢屋」を突き止めるスパイの仕事ではなく、イタリア政府からの九百万ドルの身代金支払いをもって終わった、宗教的リーダーと利権屋との取り引きに骨を折ったのだということだ。
これについては、ジノ・ストラーダ氏がのちに詳しく語る。

Peacereporterは、ファウド氏にインタヴューした。彼はその隣人のモハメッド、イブラヒムと共に、三人の人質、アリアーナ、クペルテイーノ、ステフィオの救出をそばで目撃した。
ファウド氏は、アブ・グレイヴのザイトウン通り十三番地に住んでいる。同じ通りの十七番地に、三人のイタリア人が人質として最後の、五十八回目の夜を過ごした家がある。「あの家は少なくともニヶ月前から人が住んでいない――Peacereporterにファウド氏は語る――月曜の夜遅くまでは、誰もいなかった。その夜、二十三時前後に、バタバタという音がした。私は数台の自動車が来て止まったのを見た。数人の人が家の中に入った。暗くてよくは見えなかった。しばらくして人が去り、また静かになった。
翌朝、九時半頃、緑オリーヴ色のアメリカ軍の自動車が五台やって来た。私服を着てサングラスをかけた男が数人降りた。きっとアメリカの諜報局員だ。彼らはドアを開けた。力など使わずに、まるですでに開いていたかのように。そして、すぐに人を四人連れて出て来た。その人達は、あとで三人のイタリア人人質と一人のポーランド人人質だと知った。
彼らは四人を白いトラックに乗せて、行ってしまった。とても落ち着いて――ファウド氏は繰り返す――。家の中には、人質のほかには明らかにもう誰もいなかった。」実際、救出から三日経っても、アメリカ人が仮定される救出作戦の間に捕らえたという、二人だか三人だかそれ以上だかの誘拐犯人に関する情報は、ひとつもない。
そして、ファウド氏はこう話を締めくくる。
「三時間後に告げられたような、軍隊による救出作戦などはぜったいになかった。あれはただ、渡されたものを引き取りに行っただけだった。アメリカ人は確信をもってあそこに行った。人質はあそこに連れて来られたと知っていた。同意のうえだったのだ。あなた方イタリアの政府は身代金を支払った。九百万ドルだ。ここではもう、皆知っている。」


以上が新聞記事の訳です。
ジノ・ストラーダ氏のインタヴューも同じ新聞に載っていますが、以前お送りした翻訳記事と内容が重複するところがあり、一部を省略、要約して、訳した部分と合わせてみました。
それは以下です。

※同じく六月十一日の同紙に、Emergencyの創立者、ジノ・ストラーダ氏のこの件に関するインタヴューが掲載された。
Emergencyは誘拐犯グループの、「軍隊の駐留を続けるイタリア政府ともその配下につくイタリア赤十字とも対話をする意志はない、人質は非政府の平和主義団体に引き渡す。」ということばを信じ、同団体が九十五年からイラクで活動してきた実績と人脈を通じて、四月末より独自に犯人グループと対話を始め、人質の解放にむけ尽力していた。五月三十一日に犯人グループから送られたイタリア人人質のビデオが放送されたが、その時も犯人らはEmergencyに、人質の解放はもうじきだから心配しないようにと言っていた。しかし、順調に進んでいたこの対話に、異変が起きる。

(以下、インタヴューの一部)

――身代金の取り引きについては?

「十日前、犯人グループから連絡があった。それによると、イラク人二人が彼らのところに現われ、九百万ドルを申し出てきたということだった。私たちの対話者は、その申し出が私たちのものかと尋ねたが、いや、それは私たちではないと答えた。」

――犯人グループの前に現われた二人のイラク人とは?

「その二人のイラク人は、聞くところによると、一人はサリク・ムトラクというビジネスマンで、彼はマフィアの仲間で、通商停止令に関わることをして何十億という金を稼いだという。もう一人は、アブデル・サラム・アル・クバイシ師、Ulemaのひとで、バグダッド大学の教授だ。」

――その金はどこから出されたのか?

「おそらくイタリア政府からだ、彼らが交渉していた。他に誰が関係しているだろう?この点が、犯人グループの中に誰か『人質は解放するにまかせて解放してもいいが、せめて九百万ドルを手にして帰ろう』という主張を支持する者がいることを説明している。先日、人質解放の知らせのあと、私たちはコンタクトを取ってくれていた人物と話をした。図式は理路整然としている。師団のなかのいろいろな地位の者のうち、誰かが身代金を受け取ることに決定し、それは当然現金で支払われ、そこで人質はバグダッド南部のアブ・グレイヴに移された。そこに彼らは放置され、アメリカ人を待たされた。Peacereporterは、人質が発見された家の近くに住む男性と話し、月曜の夜(七日)に犯人らが、また翌朝にはアメリカ人が自動車で来るのを見たということだった。」

このように、救出作戦のうそを暴く証言が出てくるかと思えば、そのうそを守り通すのに加勢するような、妙な言動もあります。まずイタリア政府関係者で中道右派の者は皆揃って、絶対に身代金は払っていない、アメリカ軍による救出作戦は実行されたと主張し続けています。イラクのイタリア赤十字特別委員代表も同様の主張をし、彼はうそを指摘したジノ・ストラーダ氏に対し怒りをむき出しにした発言をしました。

また、人質解放後になって、人質は実は六月十一日に殺害されるという予告がアラブ系の放送局にされていたとか(斬首刑になったニック・バーグのビデオが放送された局だというが、不明瞭な点が多く信憑性は薄い)、それから救出作戦を実行したというアメリカ軍もコメントはほとんどしておらず、作戦実行中に逮捕したという数人の誘拐犯についても氏名、身元など全然公表していなくて、昨日今日になって、犯人は最初三人捕まえたと言ったが四人だったとか、人質救出の瞬間の写真があるといってイタリアの新聞に公開(他の国にも?)してきたり――これは、特殊部隊が隠れ家に押し入って、拘束されていた人質たちの手錠や鎖をペンチで切断して解放しているという場面で、ポーランド人人質と、イタリア人人質のサルバトーレ・ステフィオが米兵にむかって泣きながらO.K.のサイン?なのか右手の親指を立てて喜んでいるという写真なのだが、こんなときに写真を撮ったりするのだろうか?――。

今日十四日には、ローマの検察庁で人質だった三人のイタリア人に対する事情聴取が再度行われました。その報告が、ほんのわずかだけ夜のニュースで伝えられましたが、特に新事実はなく、彼らは身代金のことは知らない、アメリカ軍はほんとうに救出作戦を実行した、などの繰り返しでした。近日中に、ジノ・ストラーダ氏やイタリア赤十字特別委員代表も検察庁で証言をするそうです。

つぎつぎに肯定否定両方の証言が出てきて混乱するばかりのこの事件、EUの委員長ロマーノ・プローデイ氏や中道左派の政治家は、事件の一部始終を国会できちんと報告すべきだと訴えています。まったく同感です。

ところで、選挙の結果ですが、ベルルスコーニのフォルツァ・イタリア党は、プローデイのオリーヴの党が最多票をとり一位になり、ニ位に甘んじて、実質的には敗れたかたちになりました。負けてショックなのか不満なのか、ベルルスコーニは開票結果のあった今日ずっとノーコメントで、夕方頃ようやく部下の者にたくした「文書で」意見を発表しました。
それによると、票は減ったがフォルツァ・イタリア党はまだイタリアの第一党であり、挽回するには党内および政府の改革が必要なのだということです―――。

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