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イラク派兵違憲訴訟陳述書
http://www.asyura2.com/0406/war56/msg/916.html
投稿者 てるじ 日時 2004 年 6 月 19 日 21:43:10:pZeqKd1TpfUOc
 

陳述書

徳岡敦人

 私は、アムネスティ・インターナショナル日本やNPJ非暴力国際平和運動などの会員として、人権と平和のために微力を尽くそうと活動している千葉在住の一市民である。

 政治的迫害や民族紛争、戦争、差別、貧困など、生活と生存の危機にさらされたあらゆる世界の人々に支援と励ましをおくり、その惨禍を断ち切るための平和的な活動を通じて、人の基本的人権を擁護していく運動は、こんにち益々大切な課題として私たちの前に提起されていると考えている。私は力不足を省みず、なしうる最善を尽くしてこんにちまでNGO、NPOなど市民運動に参加して幾多の人権擁護運動に多少なりともかかわってきた。

 これら市民による人権と平和のための運動は、何よりも中立と公正と平和的手段(非暴力)を原則的立場としながら、世界の人々との信頼関係を一歩ずつ地道に醸成し、交流と理解を培っていく事がとりわけ必要なことは言うまでもない。

一、イラク自衛隊派兵は人道・人権活動を阻害している

 しかるに現在、「イラク特措法」をもってする被告、国の自衛隊イラク派遣の政策により、私たちの人権擁護活動への取り組みは大きく阻害され、はなはだしい困難に遭遇するに至っている。

 私たちが誇りとし、恒久平和構築のための根拠として依拠してきたわが国憲法とその平和主義の政策・理念は、武装集団である自衛隊のイラク派兵によってまったく信頼と国際的評価を失ってしまった。


 人権・人道支援活動を担う民間人の市民活動やジャーナリストなど、非政府組織または個人で取り組む幾多の活動が「イラク特措法」と自衛隊イラク派兵により阻害され、渡航、移動、通信、輸送などの重要な活動上の制限をこうむっている。


 イラクにおける戦闘の一方当事者であるアメリカ等占領軍の、国連をも無視した武力行使に日本がくみする事で、民間や個人による人権擁護活動や人道支援そのものの中立性が損なわれ、支援行動に大きな支障をきたし、人質事件や殺害事件まで惹起する危険な状況に脅かされるにいたっている。


 イラクの人々およびアラブ世界、更にはイスラム圏諸国のひとびとに培われてきたわれわれに対する中立で友好的で平和的な日本人という好意的な見方は、日本政府のイラク占領軍や多国籍軍への参加表明により一挙に損なわれた。民間の交流で長く積み上げられてきた協力・協調・友好関係は後退し、自衛隊の占領軍参加でイスラム世界の人々に嫌悪と反感を生み、世界の各地で日本の民間人さえもが攻撃対象となりかねない事態を惹起させている。


 そして更に問題なのは、われわれ人権NGO運動がその活動の大切な拠りどころとする我が国憲法の「平和的生存権」が、被告、国の政策によって大きな打撃を被っている事実だ
 憲法が国際協調主義を謳い、その前文に全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏を免れ、平和のうちに生存する権利を確認しているのは、ひとり日本国民の安全と生存を保持すると言う事にとどまるものではない。憲法は平和的生存権を国民としての権利というばかりでなく、平和のうちに生存する権利を人類の権利として、その普遍性を明示しているのであって、それはまた戦争の被害者にならない権利であるだけでなく加害者にもならない権利として、世界に向けてこの人権概念の把握を要請しているものだといえる。このような人権と平和の連関構造を実現する具体的方途として、わが国憲法は国際紛争を解決する手段としての戦力の不保持を九条に掲げるとともに、国際協調の下、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して世界の恒久平和を目指す道筋を示すものとなっている。

 私たちアムネスティ・インターナショナル日本やNPJ非暴力国際平和運動などで人権問題と取り組むNGOでは、こうした日本の平和憲法と平和的生存権の立場をかけがえないものと捉え、これを重要な拠りどころのひとつに、人権運動と平和への目標実現を追及しているのであって、私は国策や国益論を超えた、平和的生存権の世界的な普遍化こそが不寛容と暴力の連鎖を断ち切っていく道標であり私たちの今日的課題であると考える。

 実際、私どもが取り組んできた「良心の囚人」とよぶ多くの非暴力の政治難民たちは(それも、私のところで担当してきているのはイラク、パキスタン、アフガニスタン、リビアなど、イスラム諸国の人たちが多いのだが)、みな「平和国家・日本」が憲法において平和的生存権を高く掲げている事に強く激励され、希望を見出している。平和憲法と人権条項の輝きを、嵐の暗闇の中であたかも灯台の光を見出したように期待を持ち、私たちを信じて手を差し伸べてきているのである。

 にもかかわらず、自衛隊イラク派兵は、わが国がいっときの政策によって自ら諸国民の信義を裏切り、武装せる実力部隊を海外派遣することでどれほど世界の良心たちを落胆させ、希望をうちくだいていることか。アメリカ・ブッシュ政権による国際法上、正当性の疑わしいイラク攻撃と占領政策に加担することは、私たち日本国民をも紛争当事者に加え、加害者の立場にすら立たせる事にもなるのである。

 このような、憲法、平和的生存権の趣旨にもとる日本政府の自衛隊イラク派兵は、私たち非暴力・人権運動の根底を切り崩し、人権を守るために手を繋ごうとする国際的な民衆の輪のひろがりを断ち切り、敵対させるものであって、どうして容認する事ができるだろうか。

 世界の市民が手を繋いで暴力の連鎖を断ち切り、人権という観点から平和へのみちを探る地道で困難な取り組みに、真っ向から背く被告、国のイラク派兵政策は、私たちの運動的利益を阻害し、救済を求める無辜の蒼生の、人として守られるべき権利の獲得を妨げるものであると言わねばならない

二、人道支援活動の名に隠れた事実上の派兵

 被告、国は「イラク特措法」とそれによる自衛隊イラク派兵について、昨年来の国会答弁や閣僚の記者会見で、自衛隊はイラクに対する人道復興支援に行くのだ。戦争をしに行くのではないとしきりに繰り返してきた。「国連安保理決議1483」に応じた活動をしているとも言っている。しかしその実態はどうであろうか。

 イラクで医療支援など民生支援活動を行っている現地のNGO団体からは、日本の自衛隊のサマワでの活動について、「非効率だ」「人道支援の中立性が危うくなる」などの批判が相次いでいるという。

 今年2月15日、約一週間の現地調査をしてきた日本のNGO、日本国際ボランティアセンター(JVC)熊岡路矢代表は、現地で復興支援にあたる海外のNGOと協議した。その際、バクダッドやサマワで自衛隊と同じ浄水・給水活動をしているフランスのNGO「ACTED」から「浄水・給水ならNGOに任せてもらったほうがはるかに効率的にできる。自衛隊は人道支援とは別の目的で来ているという印象をうける」と指摘されたという。


 また、イラク現地で百団体を越すNGOが加わっている「イラクNGO調整委員会」(フィリップ・シュナイダー代表)からは「1:占領軍をはじめとする軍隊が人道支援をやるのは、専門が違い、中立性も確保できない 2:軍隊がやると、本来、人道活動をしてきた国連やNGOまで巻き添え攻撃を受ける危険性が増す」(2/23朝日夕刊)などの懸念が寄せられている。

 いま70%にものぼるすさまじい失業率と戦争の傷跡で、苦難にあえぐイラク民衆の復興・雇用ニーズとはかけ離れた「復興支援」が疑問視されるなか、自衛隊派遣とはなんなのか。

 政府は、自衛隊の活動は「生活関連物資の配布や輸送、施設、設備の復旧」「医療」などであるという。だが公表されている活動の実情をよくみると効果的な「人道支援」などとは到底いえた代物ではない。

 陸上自衛隊派遣要員550人のうち実際に浄水活動をするのはわずか30人ほどだ。

 その他、医療活動40人、公共施設の復旧活動50人を合わせても、いわゆる「人道支援」要員は120人しかない。

 残り430人のうち、警備担当が約130人、あとの300人は全て、いわゆる後方支援活動(この地区の治安活動を担当している英・オランダ軍の兵站支援を含む)に当たる。また、航空自衛隊は占領軍の運搬の一端を担い、掃討作戦に向かう米・英軍などの武装した兵士も輸送する。これで「人道復興支援」だなどと、誰が納得できるだろうか。

 そればかりか、「戦闘行為」にはかかわらない筈の自衛隊は、任務遂行にあたり、正当防衛や緊急避難の場合には、警告や威嚇射撃なしでも危害射撃をためらわないと防衛庁は言う。

 防衛庁では自爆テロ対策を理由に、武器使用の際、相手が「人」や「小型車」の場合は原則小銃の使用を指示。トラックなど大型車両に対しては110ミリ個人携帯対戦車弾や84ミリ無反動砲を使用できる「部隊行動基準」(ROE)を定めていることも明らかになった(12/13時事通信)。このROE(ルール・オブ・エンゲージメント)とは、「交戦規定」と見なすのが国際紛争下での常識なのだ。

 これまでの自衛隊の海外PKO派遣は、いずれも紛争当事者の要請または了解や停戦合意を大前提としていた。

 だがイラクはそうではない。相手国の了解どころか、米英占領軍自身が認めるように「古典的なゲリラ戦」がいまなお続いている。石破茂防衛庁長官も「国際法的に戦争が終結したと言える状況にない」と国会で答弁せざるを得なかったではないか。このようなイラクへの自衛隊派遣は、うたがいもなく国際法にいう「参戦」にほかならない。

 イラクでいま求められているのは、専門技術・知識を伴う援助、非軍事を前提とした大規模な人道支援だ。軍事攻撃の標的となる自衛隊が人道支援活動に参加することは、支援活動そのものの妨げともなる。

 国連では情況の悪化するイラクの事態を受けて、昨年3月に人道支援についてのガイドライン草案が作られた。「複雑な緊急事態における国連人道活動を支援するために軍事・非軍事の防衛力を使用することに関する指針」と題するガイドラインは改定ののち昨年6月26日に確定。その作業には日本も加わっている。

 この「指針」では人道支援の原則として「人道、中立、公平」を掲げ、ことに「中立」について、「人道支援は、政治、宗教、イデオロギー上の紛争で敵対行動やどちらかに味方することなく、行われなければならない」と指摘している。

 この原則が決められたのは、軍隊が関与することで人道支援が危険になり、遅延したり阻害されるという問題が現実に起きているからであって、その結果、「人道支援は非軍事で行うというのが国連の原理・原則」とされ、これを厳守することが強く要請されている。

 「指針」は、軍隊が人道支援を行えば、「支援従事者が敵対者の直接の標的とされる」だけでなく、援助を受ける側も「支援のアクセスがたたれ」「敵対者の直接の標的とされてしまう」ことを明らかにしている。

 米占領軍を支援する自衛隊が人道支援に従事することは、こうした国連人道支援のガイドラインに違反しており、現地で人道支援活動を担っている人たちの活動を妨害するものだといえる。そして実際、「人道支援は非軍事で」、「国連の原則・常識を踏まえるべきだ」という現地NGOの人たちの反発の声も報道で伝えられている。

三、正当性を欠いた自衛隊イラク派遣

 被告、国は、自衛隊をイラクに送る「イラク支援特措法」は「国連安保理決議1483」を拠り所としているという。

 しかし、この決議の成立経緯をふりかえるだけでも、その内容については様々な議論がある。より重要なことは、この決議は、アメリカの強い圧力で、真の当事者であるイラク不在の下で作られていることだ。イラク側からすれば、押しつけられた不本意なものとみられている。

 これに乗じてわが国がイラク派兵に動いた事情を、昨年8月7日の朝日新聞はもののみごとにスッパ抜いている。

 「伏線は、2月10日、ワシントンの日米戦略対話で敷かれた。開戦の約40日前のことだ。竹内行夫外務事務次官がアーミテージ国務副長官にこう提案した。
『戦争だけでなく、戦後の復興にも、国連安保理決議を得るべきだ』この案は直ちにホワイトハウスに上げられ、評価された。
戦後の5月22日、米英など提出の決議1483が安保理で採択された。主目的は対イラク経済制裁解除だった。が、そこに日本提案の次の一文が盛り込まれていた。『イラクにおける安定及び安全の状況に貢献するよう加盟国に訴える』」(特集『帝国‥大統領の戦争』)。

 小泉首相はこれが国際協調を重視する日本政府の姿勢のように言うが、じつは自衛隊の海外派遣を禁じるわが国の法体系の中で、イラク派遣を可能にする新法を作るのに、どうしても「国連の要請」が不可欠だったからだ。

 だがしかし、そんな無理やり押し込んだ安保理決議1483全文のどこを探しても、占領軍の支援を要請する文言は見当たらない。占領当局支援に関しては結局、決議序文にただ一箇所こうあるだけだ。 

「‥‥さらに、当局の下で要員、機材及びその他の資源を提供することにより、イラクの安定及び安全に貢献するとの加盟国の意思を歓迎し、」(決議1483号序文)

 これは、「貢献する」なら受けいれる、というだけのことで、武装した部隊はおろか、特に「要員派遣」が要請されているわけでもなんでもない。

 これについては昨年、参院公聴会公述人の中では唯一の法律家、前田朗氏(国際人道法学)が、「安保理決議1483は、米英によるイラク占領が事実上行われていることに鑑みて、米英両国に関連国際法の遵守を求めているものであって、イラク占領の法的性格について何事かを述べたものではなく、ましてイラク占領に合法性を付与するものでもない」とはっきり指摘している。

 それでもなお日本政府は、「対テロ戦争」を掲げて「先制攻撃」すらとなえてはばからないアメリカの戦争政策につき従い、たとえ「国連中心主義」をかなぐり捨てでも自衛隊海外派兵と日米同盟の既成事実化を重ねようとするのか。それはいずれ憲法の制約を公然と取りのぞいて集団的自衛権なる軍事同盟への路を突き進むことへの合理的疑いさえ国内外に生じさせるものだ。

 文字通りこのようなやり方は世論を欺くものであって、こうまでして行われた自衛隊派兵にもとより正当性はない。

四、アメリカの戦争・占領政策に大義はない

 ブッシュ大統領は、九・一一事件以来、テロとの戦争をあらゆる政策課題の中心に据え、矛先を早くからサダム・フセイン打倒に絞り込み、先制攻撃による対イラク戦争を引き起こした。しかし、ケイ証言(最大の開戦理由だったイラクにおける大量破壊兵器の存在を実質的に否定)、クラーク証言(ブッシュ政権が九・一一事件直後からイラクに異常な関心を向けていた事実を暴露)など、ブッシュ政権の内部からの告発や、九・一一事件の真相を解明する委員会の活動などによって、対イラク戦争の正当性を問う声は、アメリカ国内でも急速に高まりを見せている。

 アムネスティ・インターナショナル(本部・ロンドン)は5月26日、世界の人権状況をまとめた「2004年版年次報告」を発表し、イラク戦争をはじめとする米国主導の「対テロ戦争」で「(米国や同盟国の)各国政府は道徳心という指針を失い、人権という世界共通の価値観を犠牲にしている」と懸念を表明した。

 そしてアイリン・カーン事務局長は、「(対テロ戦争には)将来をどうしようというアイデアもなければ、原則もない」と、米国などを厳しく批判して米英両軍などの行動が、「国際人権法に基づく占領軍としての責任を果たしていない」と指摘。また「過剰な武力行使のため、多数の民間人が死亡した」と具体例を挙げて批判している。

 特に、イラクでの被拘束者に対する拷問や虐待について、「日常的に残酷で非人道的な扱いが行われていた」事実を示し、〈1〉睡眠を長時間奪う〈2〉苦痛な姿勢での長期間放置〈3〉不必要な殴打の連続〈4〉性的な拷問など屈辱を強いる虐待等々、具体的な手法を列挙している。 そして米国が国際テロ組織アル・カイダのメンバーなどの容疑者を裁判抜きで長期間拘束しているキューバのグアンタナモ米軍基地や、アフガニスタンの収容所の状態なども「深刻な問題がある」と指摘、米国の人権問題に対する姿勢全般に強い懸念を示している。

 またアムネスティの独自調査により、世界の武装グループの数やアル・カイダなど国際武装組織によるテロ事件の件数が2001年の9月同時多発テロをはさんで増加している事が明らかとなっており、アメリカ・ブッシュ政権の言う「対テロ戦争」の失敗はいまや疑いもなく明白なものとなっている。

 このようにアメリカの行動に大義がないことが明らかになり、アメリカとともに行動する各国軍隊の存在をイラク人が拒否するようになった現在、日本政府が、もっぱらアメリカとの同盟関係に忠義立てして自衛隊のイラク駐留に固執することには、もはやいかなる正当性もありはしない。現実に、イラクから部隊を撤退する国が続出しており、日本のみがアメリカに従うことにこだわるならば、それはますますイラク民衆の日本に対する反感を高め、第二、第三の人質事件を誘発する危険性を高めるだけだろう。

 したがって私は、一刻も早くこの大義も正当性も欠く「失敗」の刻印されたイラク占領政策への加担をやめ、自衛隊をイラクからただちに撤収すべきだと訴える。ましてやこの6月シーアイランド・サミットで小泉首相が国会審議も経ずに勝手に表明した多国籍軍への自衛隊参加など、断じて容認できるものではない。

 イラク復興支援は、国連を中心とした国際協調のもとで、実質的な効果を挙げている中立・独立・公正な国際NGOの非武装の運動団体の手に委ね、そうした国際市民運動をこそ政府を挙げて支援すべきであろう。

五、「平和国家・日本」の信頼を裏切る被告、国の責任は重い

 被告、国は、「答弁書」に第2として「原告は原告のいかなる法的権利又は利益が侵害されたとするものか、明らかにされたい。」と求釈明でもとめているが、本意見陳述初頭の1から5をもってそれにこたえるものである。ただこれは、非武装の平和的手段により自由と人権をかちとろうとする国際的な市民運動と、強権を行使して国策の実現を図ろうとする国の、今後のありようがかかった重要な問題であると思われるので、改めて強調しておきたい。

 右に述べてきたように、人権状況の改善を実現するための幾多の人権擁護運動が、被告、国の「イラク特措法」によるイラク国内への武装した部隊である自衛隊の派遣や、その周辺地域ならびに周辺海域への派遣という国の政策によって大きく阻害され、国際的な平和活動を担う私たちの運動の遂行が損なわれるに至っている事はすでに明らかだと言わなければならない。

 昨年5月1日のアメリカ合衆国ブッシュ大統領によるイラク戦争終結宣言ののち今に至るも、日本政府の政策によってイラクで救済を求める人々との渡航、交流、移動、通信等はその自由を大きく制限されており、国連人道支援指針ガイドラインに基づいてなされる私たち市民の活動そのものの展開が侵害されている。さらに、武装した実力部隊である自衛隊の派遣は、中立・公平・人道の立場に立ってなされてきたNGO活動の独立性・中立性にイラク国民やアラブ・イスラム諸国の人々の不信を抱かせるものとなり、私たちの人道支援や人権活動への信頼は傷つき損なわれている。そればかりか、さる4月、高遠菜穂子さん、今井紀明さん、郡山総一郎さんら、日本人3名のイラク人武装集団による拉致・人質事件、そしてこれに引き続く渡辺修孝さん安田純平さんら2名の人質事件、さらには橋田信介さん小川功太郎さんら2名の殺害に至った事件にみられるように、民間人道支援者や報道人まで生命を奪われ、或いはまた大変な危険に晒される事態を生んでいる。これらの事件はとりもなおさず政府の「イラク特措法」と戦闘当事者アメリカの側に立った自衛隊派遣という被告、国の政策によって生み出された事態であり、こんにちNGO民間人道支援、人権擁護運動が被っている活動上の危難と不利益は甚大であって、その責は当然、被告、国に帰する。

 また自衛隊派遣は、こんにちまでイラクのみならずアラブ・中東地域において築かれてきた「平和国家・日本」と言うわれわれに対するアラブ・イスラム諸国民の信頼を裏切り、私たち日本の平和と人権を追求する運動と市民の組織は、その信用、信頼と名誉を国際的にも国内的にも大きく傷つけられ、失墜させられている。

 一九四五年の敗戦ののち、日本は戦争を放棄し、戦力の不保持を国際社会に誓って、国是として非武装による平和主義を明らかにする憲法をかかげたことは世界に広く知られてきた。そして「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」安全と生存を保持するとともに、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利をその憲法前文ははっきりと確認している。また平和的生存権が、戦争の被害者にならない権利であるばかりでなく、加害者にならない権利としてもあることが、各国民に把握される事を要請し、国際紛争を解決する手段としての武力の行使を否定し、政策的には国連を中心としながら国際協調主義に立って問題を解決していくことがわが国の基本政策であったはずだ。たとえ武装集団としての自衛隊の存在や、日米安保条約といった憲法の立法事実に矛盾する現実があるにせよ、こうしたわが国の平和主義の立場と、平和的生存権を国民としての人権にとどまらず人類の普遍的な権利として掲げる立場が、曲がりなりにも世界の諸国民に広く認知され、その信頼と評価をかち得てきたという戦後の経緯は紛れもない事実である。

 だからこそ迫害と窮乏の死地を逃れんとする戦争被害者や、難民、祖国で迫害を受け「平和国家・日本」に期待を寄せ活路を求めてくる人々が数多く存在するのであり、私たち中立・公平・人道の立場に立つNGO人権活動は憲法前文の述べる恒久平和の希求を、文字通り平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、国民の安全と生存を保持するとともに全世界の人々が平和のうちに生存する権利の実現を図る活動をなしうるのである。そう言ってよければ二度と加害者の側に立たない我が国民の反戦意思と決意が広く世界に認知され、期待をもってむかえられてきたと言えるのだ。

 然るに「イラク特措法」発動と自衛隊の派遣は、国連による平和的な問題解決のためのプログラムを無視した、一方的なアメリカ合衆国ブッシュ政権の武力行使をつうじたイラク政策を、日本が武装集団の派遣で補完するものであり、現に戦闘が行われているイラクにおいて、日本が名実ともにはっきりとアメリカのイラク占領政策の側に立って、武装部隊の投入をもって支えている事を誰の目にも焼きつけることとなった。

 これにより、わが国「平和憲法」の掲げる平和主義と平和的生存権、そして「公正と信義」は現実にいたく傷つけられ、「平和国家・日本」への信頼は損なわれている。もはやわが国の平和主義と国連中心主義は欺瞞であり、一方の戦争当事者アメリカ・ブッシュ政権のがわに加担する武装した占領当事者になり下がってしまった。

 かさねて言うが、抑圧と迫害を逃れ、自由を求めて困難な闘いを続けている世界中の難民や人権活動家は、皆この日本という国で戦争放棄と平和的生存権を高らかに掲げた憲法が、平和と希望の光を遍く放ってきたことをよく知っている。世界に難民問題や戦火の絶えることのないこんにちにあっても、私たちに対する世界の信頼は戦争放棄と平和的生存権、そして幸福を追求する権利を確認したわが国憲法の理念とその誠実な実践によってかたちづくられたものといって過言ではない。しかるに、われらのかけがえない財産とも言うべき憲法理念と「平和国家・日本」への信頼が、被告である国の政策によって瓦解をよぎなくされ、われらの人権を守る闘いが阻害される事態が惹起されている。いまや世界中で自己の良心をかけて立ち上がり抑圧された世界の人々に、手を差し伸べる人権運動が更なる重要性をもって喫緊の課題となっているとき、また対話を通じ、非軍事的手段によって問題を解決しようとする趨勢が国際間の主要な流れとなりつつあるときに、日本政府による自衛隊のイラク派遣は、人権と和解のための貴重な努力の積み重ねを無残に破壊し、踏みにじるものにほかならない。

 被告、国による違憲、違法な自衛隊のイラク派遣は、憲法の前文、各条文に違反するものであり、原告は、大いなる精神的苦痛から逃れられないのである。よって、その違憲立法審査を司法にもとめ、被告、国によってもたらされた苦痛に対する賠償を請求するものである。

 被告、国はこう言って来た。「自衛隊はイラクに戦争に行くのではない。復興支援に行くのだ」と。ならばその装備と能力を持った専門家集団を派遣すればいい。既に活動しているNGOを支援せよ。何故武装集団である自衛隊を派遣する必要があるのか。イラクに対する自衛隊の派遣、米軍による占領政策に対する協力、占領行政への財政的支援、これらに対し原告はその差止めを求め、かつ慰藉料の支払いを求め、裁判所に対し法的救済を求めるものである。
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2004年(ワ)第6919号 違憲行為差止請求事件
原告 北沢洋子
被告 国

第1回口頭弁論書

時間:2004年6月14日午前11時30分

場所:東京地方裁判所民事第18文民事K15号法廷

原告:北沢洋子
職業:国際問題評論家

裁判長様
 私は、自衛隊のイラクへの派兵は戦争放棄を規定した憲法第9条に違反する行為であり、また日本政府自身が国会で採択されたと主張している「人道復興支援活動及び安全確保支援活動を行うイラク特措法」にさえ違反しており、さらにイラク戦争そのものが国連憲章や安保理事会決議に違反する、すなわち国際法に違反する不法行為であると考える。その3点に基づいて国に対して民事訴訟を起こした。

 04年3月29日に東京地方裁判所に提出した訴状には、以上の3点の不法行為について、述べた。しかし、その後3ヵ月近くの間にイラク戦争そのもの、そしてイラクをめぐる国際情勢も著しく変化した。以下は、訴訟を補完する文書である。

 この新しい情勢は、自衛隊のイラク駐留の目的とされている「人道復興支援活動」と「安全確保支援活動」そのものの大義をさらに一層失わせるものである。

1. イラク戦争そのものの変化

■ファルージャの悲劇
 バグダッド陥落後の03年5月1日、ブッシュ大統領が、「イラクでの大規模軍事作戦は終了した」ことを宣言し、さらに同年12月13日、米軍がサダム・フセインを拘束して以来、米英共同軍の任務は、平和維持と戦後復興であるかのように思われた。これは日本政府がイラクに自衛隊を派兵する際、意図的に使われた言葉であった。

 このイラク情勢を決定的に変えたのは、04年4月の米海兵隊によるファルージャ包囲攻撃であった。その結果、イラク全土に米占領軍に対する抵抗闘争が激化し、さらに、その標的は米軍の占領に協力する国の軍隊、民間人にまで広がっていった。

 3月31日、バグダッド北部のファルージャで、米軍の民間請負会社で働く4人の米国人が嬲り殺されるという事件が起こった。これに対して、その2日後、米海兵隊がファルージャの町を包囲攻撃した。

 そもそもファルージャの町は、人口30万人、フセイン政権を支えるスンニー派の牙城であった。ここには、フセイン時代からの民兵も多く、米占領軍に対して抵抗闘争も激しかった。この町に対して、正面から米軍そのものが軍事作戦にでるということがはたして有効であるかについては、米軍内でもさまざまな論争があった。しかし、あえて海兵隊が包囲攻撃に踏み切ったことの背景には、海兵隊と陸軍との根深い抗争があったといわれる。

 ファルージャの民兵の抵抗が激しいことにいらだった米軍がお得意のハイテク型の火力戦に出た。言い換えれば、住民に対する無差別攻撃であった。その結果、ファルージャ市民の側に600人の死者と2,000人以上の負傷者を出した。死者の大部分が女性と子どもであった。

 これは、ファルージャの悲劇として、イラク国内、アラブ地域、そして全世界に決定的な影響を与えた。イラク国内では、スンニー派と対立するシーア派の反乱を誘発した。それまでフセインに弾圧されてきたシーア派は米軍の占領に対して好意的であった。しかし、「ファルージャの悲劇を忘れるな」の合言葉とともに、シーア派の若者が続々と義勇軍としてファルージャ入りをした。4月7日の戦闘では、12人の米海兵隊が戦死した。これは2003年5月以来、米軍の1日の死者の数では最大規模となった。

■ナジャフのモスク爆撃
 一方、イラク人の米占領軍に対する抵抗闘争は全土化した。バグダッド南方シーア派の牙城であるナジャフでは、サドル師が率いる民兵が反米蜂起した。これに対して、サドル師逮捕のために米海兵隊2,500人が派遣された。米軍はナジャフにおいては、モスクを空爆するという暴挙を犯した。

 こうして米軍は、イラクにおいて2つの戦線を闘わねばならなくなった。結果として、ファルージャからもナジャフからも撤退せざるをえなくなり、さらに悪いことに、ファルージャの治安維持については、フセイン時代のバース党治安部隊に委ねることになった。これで、米国の当初の目的であったフセイン政権打倒の大義は、消滅した。

■イラク国内で米軍以外の外国人の誘拐・攻撃事件続発
 米軍によるファルージャ、ナジャフ包囲攻撃は、広範なイラク人の抵抗運動を触発した。それは、米軍占領に協力するすべての国の軍隊、そして民間業者にも向けられた。このような状況下に「日本の軍隊の撤退を要求する」ことを目的とした5人の日本人誘拐事件が起きた。これに対して、日本の国内では、NGOグループがアラブのマスメディアに対して、「誘拐の被害者はNGOやフリーのジャーナリストであり、イラクの友である」ことを証明する働きかけが行われた。その結果、人質が無事釈放された。

 日本の中で、これら5人の勇気ある国際連帯行動を表彰するどころか、彼らを貶める発言が政府やマスコミ、議員などによって行われたことは、時代の認識錯誤もはなはだしい。

 重要なことは、自衛隊の派兵そのものが、NGOによる人道、復興支援を妨害する存在になっているということを、この誘拐事件が教えてくれたということである。

■テロのグローバル化
 スペインのマドリッド駅爆弾事件は、米国のみならず、米占領軍に協力する有志連合国もテロの脅威に晒されることを証明した。日本もスペインと同様、テロの標的になる可能性が濃くなった。これは海外に住む日本人の安全を脅かすものである。

 また、米国のイラク攻撃の背景には中東の石油の権益を独占しようという米国の石油戦略があり、その要となっているサウジアラビアの石油生産の破壊を攻撃の標的とするテロが発生した。これは、バレルあたり42ドルという歴史的な原油価格の暴騰をもたらし、日本を含めた石油依存の経済に打撃を与えた。

■有志連合の動揺
 ブッシュ大統領は、30カ国がイラクに派兵していると言い、それが、あたかも真実であるかのように伝えられている。しかし、実際に、軍隊を派兵したのは、30人しか送っていないカザフスタンを除くと、米英を含めても20カ国であった。この数は国連加盟国191カ国の1割にすぎない。

 スペインはマドリッド事件後に誕生したサパテロ社会労働党政権が、かねての公約どおりイラクからの撤退を決めた。スペインに続いて、かねてから国内で派兵反対の声が大きかったホンジュラス、ドミニカ共和国、ニカラグア、シンガポール、ノルウエーが撤退を決定した。さらに、ブルガリア、タイ、フィリピン、ニュージーランド、ポーランド、エルサルバドルなどが撤退を検討中である。

 その結果、イラク駐留を決めている国は、米国、英国、イタリア、オランダ、ウクライナ、オーストラリア、韓国、日本の8カ国である。しかも、この8カ国の中には、英国やイタリア、オランダのように断固としてイラク駐留を主張する首相の政治的生命が危うくなっている国もある。これが有志連合の現状である。日本は先進国の中で、米軍と運命をともにする唯一の国となるであろう。自衛隊はイラク人の抵抗闘争の標的となって、犬死することになろう。そして、日本はこれまでつちかってきたアラブ世界の友という地位を失うことになるのだ。

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2. サマワでの自衛隊の活動について

 6月2日の『朝日新聞』朝刊は、「自衛隊50年 検証 アフガン・イラク戦争」と題する特集記事を掲載した。そこでは、小泉首相が米国の圧力によって陸上自衛隊をイラクに派兵することにいたった経緯が明らかにされている。

 それは、実際にイラク戦争がはじまる半年前、米国のアフガニスタン戦争最中の02年10月23日にさかのぼる。この日、ワシントンで、イラク戦争の有志連合に参加することを日本に打診するために、日米の外務、防衛当局の安全保障審議官級会合(ミニSSC)が開かれた。ここで、ローレス国防次官補代理が、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊を派遣せよ)」と日本側に要求した。つまり、日本は、アフガニスタン戦争では派遣しなかった陸自をイラクに派遣しろということであった。この場合は、実際にイラク戦争に参戦を意味した。

 日本は、アフガニスタン戦争の段階から、フロリダ州のタンパにある米中央軍司令部横に設けられた「有志連合村」に数名の自衛隊の連絡官を派遣していた。しかし、ここで米国はイラク戦争に参加することを「コミット」しなければ、日本に「情報」を渡さないと圧力をかけた。そして、3月15日、タンパの自衛隊の連絡官は米中央軍司令部に招かれ、「ショック・アンド・オー(衝撃と恐怖)作戦」のコンピュータ画面を見せられたのであった。これは、日本が、事実上有志連合に参加し、米国のイラク戦争に参戦した瞬間であった。そして、5日後の3月20日、米軍のイラク攻撃がはじまった。

 どのように陸自をイラクに派遣するかについては、その後日米の間では、緊張したやり取りが続いた。日本政府は湾岸戦争の時のように海自による「海上の機雷処理」を提案したが、4月の統一地方選での世論への影響もあって、ぐずぐずしているうちに、英国の掃海艇が機雷除去作業を完了してしまった。そして6月30日、再び、外務省、防衛庁、自衛隊の担当者がワシントンの米国防総省を訪問した際、ローレス国防次官補に、日本は「やる気が見えない」と批判された。そして、米国側は、具体的に日本にたいして1,000人規模の一定地域を制圧できる戦闘部隊とヘリやトラックなどの輸送部隊の派遣を要求した。

 日本は、ともかく陸自を派兵することを決めた。そして、米軍に対して水を提供することを申し入れた。2週間後、米軍からは、「バグダッド北方約90キロのバラドに展開している米軍部隊に水を供給してほしい」という要請が来た。

 しかし、「イラク特措法」(03年7月26日)の制定などでもたついて入る内に、イラク情勢が悪化し、米軍に対する武装抵抗闘争が激しくなった。バラドは、イラク特措法の「非戦闘地域」ではなくなった。そこで、水の提供目的を「米軍支援」からイラク人への「人道支援」に切り替えた。こうして、南部のシーア派の町、サマワが選ばれた。イラク情勢は悪化する一方で、給水の規模も縮小され続けた。結局、100人の予定であったのが数十人規模となり、浄化装置の数も半分近くになり、24時間稼動予定が日中だけになり、全体の浄水能力は4分の1に落ちた。ちなみに自衛隊派兵の費用は、377億円である。さらに日本は政府開発援助(ODA)として、総額1,650億円を支出しており、また米国の要請に応じて、先進国では唯一イラクの債務7,700億円の帳消しを約束した。

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3. 新しい国連決議と多国籍軍への参加問題

 04年6月8日、ニューヨークの国連安保理は、同年6月末に予定されている主権委譲後のイラクに関する1546号決議を15カ国一致で採択した。

 4月以来、米軍はファルージャとナジャフという2つの戦線での困難な作戦を余儀なくされ、ベトナム戦争末期のような泥沼に陥ってしまった。さらにアブグレイブ刑務所での米軍の捕虜虐待事件の全容が世界のマスコミに暴露されるにいたって、米国の「イラク戦争の大義」はまったく色あせたものになってしまった。

 米国に残された唯一の道は、国連を引き込み、イラク戦争を国際化することであった。

 そのために、国連に働きかけて、新しい安保理決議を採択させることであった。それが、1546号決議であった。

 この決議案は米英の共同提案となっているが、実は米国の草案はこれまでにフランス、ドイツなどからすでに3回も修正を求められ、その都度、米国が譲歩して書き直してきたものであった。したがって、当初米国が意図していたものとは、随分違ったものになってしまった。

 第1に、6月末には米英の暫定占領当局(CPA)は解散し、イラク人の暫定政府に主権が委譲される。しかし、この暫定政府はイラクの将来に関する決定は何もできない。つまり、これは05年1月までに直接選挙によって成立する本当の暫定政府のための「暫定政府」に過ぎない。米側が今の暫定政府はCPA寄りだという仏独の疑惑を考慮した結果であった。

 第2に、国連は直接選挙の実施、憲法草案作成など、民主イラクの誕生に中心的な役割をはたす。しかし、現在、国連はイラクから撤退している。国連のイラク復帰はアナン事務総長の判断に委ねることも明記された。これは、米国が国連に配慮した結果であった。

 第3に、米英共同軍から移行する多国籍軍の駐留が決まった。これは、米国と仏独との間で最ももめた部分であった。仏独側は、イラク暫定政府に、多国籍軍の駐留の拒否権を与えることを主張した。最後には、暫定政府の要請にもとづくものとする、多国籍軍とイラク暫定政府との間に治安問題で調整する場をもうける、暫定政府は多国籍軍の作戦にイラク軍が関与するかどうかの権限を持つ、というところで折り合いがついた。

 多国籍軍に参加する軍隊は、統一した指揮の下に置かれる。その任務は、治安維持、人道復興支援、国連イラク支援団(UNAMI)の保護とする。その駐留期限は正式の政府の樹立が完了した時点、あるいは、暫定政府の要請があったとき、ということになった。

 小泉首相は、この安保理決議が提案される前から、多国籍軍への参加を表明した。それは多国籍軍の任務の中に人道復興支援が含まれるからというのであった。しかし、多国籍軍の任務として挙げられている3つの任務は、それぞれ孤立したものではなく、切り離すことはできない。そして、統一した指揮下、当然これは米軍の指揮下に置かれる。したがって、日本の自衛隊は、人道援助だといって水の浄水ばかりしてはいられない。

 米国は、仏独に対してどんなに譲歩しても、国連安保理1546号決議さえ通してしまえば、米英共同軍を多国籍軍に肩代わりさせればよいと考えている。しかし、この決議の最大の問題点は、米英の暫定占領当局(CPA)から主権を委譲される暫定政府が、イラク人に受け入れられるかどうかにかかっている。それは、当然のことながら、これまでの反米抵抗闘争が沈静化し、イラクが安定化するかどうかにかかっている。残念ながら、安保理決議以後のイラクからのニュースを見ても、そのようには決して動いていない。

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見陳述

2004年5月26日

佐  高    信

東京地方裁判所 民事28部合議係  御中

             
 4月7日に小泉首相の靖国神社公式参拝は憲法違反であるという判決を出した福岡地方裁判所の亀川判事は、遺書をしたためて、それを書いたことを知りました。

 時代はまさにそこまで来ているということでしょうか。しかし、だからこそ、司法は行政に対して毅然たる態度を示さなければならないと思います。

 「戦争の放棄」を高らかに謳った日本国憲法第9条に関して言えば、1959年に東京地方裁判所で下された、いわゆる伊達判決というのがあります。平和憲法の下で米軍が駐留するのは憲法違反であるというこの判決について、『北海道新聞』は「まずもってこの裁判長の法の前には何ものも恐れざる勇気に敬意を表したい」と称えた上で、「在日米軍の存在が、平和憲法の解釈上いままで司法上の問題とならなかったこと自体がおかしいのである。今回の砂川事件の判決はこのような国民の疑問に一つの明快な解答をあたえるとともに違憲審査の終審たる最高裁の決定をうながした点で、画期的に重大な意義をもつといえよう」と指摘しています。

 あれから45年経って、遠いイラクに自衛隊が派遣されるまでに状況は変わりました。私これでは「自衛隊」ではなく、他を衛る「他衛隊」だと批判しましたが、不法がどんなに続こうともそれが正義とはならないという言葉が示すように、状況がそのように変わったからと言って法の目指すものが変わっていいはずがありません。いや、むしろ、状況が変わっているからこそ、法はその原理を光らせなければならないでしょう。

 イラクへの自衛隊派遣が憲法違反であることは明らかですが、仮に百歩譲って、それをごまかすためにつくられたイラク特措法に従っても、もはや、イラクに非戦闘地域などないことは明々白々ではありませんか。

 憲法第9条は理想に過ぎるという言い方があります。しかし、イラク戦争の泥沼が突きつけているのは、その理想をこそ現実のものとしなければ解決できないということでしょう。

 かつて、湾岸戦争の時、日本に対して、特にアメリカから、日本はカネは出すけれども血は流さないという非難が寄せられました。しかし、そうではないのだと、当時、高知に住んでいた日本の高校生が、好きだったアメリカのコラムニスト、ボブ・グリーンに英語で手紙を書いたのです。

 日本は憲法9条があるから軍隊を出さないのだということですが、それを読んだグリーンがそのことをコラムに書き、全米で配信されました。

 そして、それを読んだアメリカ人から、その高校生のところに多くの手紙が寄せられたのですが、そこには、異口同音に、「知らなかった」「アメリカにも9条がほしい」といった言葉が並んでいたそうです。

 私は、だから、軍隊ではなく、この9条をこそ世界に“輸出”すべきだと思います。

 イラクで人質になった日本人に、アメリカからヒロシマ、ナガサキに原爆を落とされた日本人がなぜアメリカに盲従しているのかという疑問が発せられたそうですが、再びあのような犠牲を繰り返すまいという覚悟が9条にはこめられているとも言えるでしょう。

 アフガニスタンで医療活動を続ける中村哲さんは、9条こそが日本の誇りなのに、なぜ、それに違反してイラクに自衛隊を派遣するのか、と嘆いていました。

 また、人材育成コンサルタントの辛淑玉(シン・スゴ)さんは、私が対談相手となってまとめた『日本国憲法の逆襲』(岩波書店)の中で、「弱い男ほど暴力を使うでしょ。戦争というのは口できちんと対応できない男たちのなれの果てだと思うんですよ。日本国憲法というのは、軍事力を放棄しろということではなく、巧みな外交によって国際社会に啓蒙をはかり、口だけで国を守れといったわけ」と喝破し、日本国憲法が求めた人間像として、ペルーの日本大使公邸人質事件の時の国際赤十字のミニグ氏を挙げました。


 「あのとき、本当に人質の命を助けたのはミニグさんです。権力の銃口とゲリラの銃口の間をバギーバッグひとつひきずって何度も往復して、人質を励まし、医者を連れて行き、食料を与え、しかも飄々と威張ることもなく、『赤十字』というゼッケン一枚をつけて、あの紛争のなかに入っていった」
 こう語った辛さんは、また、「国際紛争のなかに、日本国憲法というゼッケンひとつつけて、日本は一度として入って行ったことがあるのか」と怒っています。

 この辛さんの言葉を私たちはしっかりと受けとめなければならないでしょう。もちろん、司法の場にある裁判官に最も重く受けとめてもらいたいと私は思います。

 いま、イラク人捕虜に対する米英軍の虐待が問題になっていますが、大義なき、もしくは疑わしい戦争に従軍して、アメリカやイギリスの兵士たちは正気でいられるでしょうか。ただでさえ、正気を失わせる戦争に大義もないとなれば、残虐行為に走るのは、むしろ、自然でしょう。

 そういう意味でも、軍隊を持たないことを決めた憲法9条は平和のための先駆的宣言なのであり、イラクへの自衛隊派遣が違憲であることは明らかです。

 私は、当裁判所において、高らかに、イラク派兵をストップする判決が下されることを願ってやみません。

http://comcom.jca.apc.org/iken_tokyo/tinjutu/f_tinjutu.html

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