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「居場所」の喪失、アメリカの危機
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投稿者 外野 日時 2004 年 7 月 18 日 23:31:20:XZP4hFjFHTtWY
 

(回答先: イラク戦争:死亡米兵の45%は貧しい小さな町の若者 (毎日新聞) 投稿者 彗星 日時 2004 年 7 月 18 日 22:18:51)

 「居場所」の喪失、アメリカの危機
                  冷泉彰彦

 コロンバインのエリック・ハリスとディロン・クリボルトが追い詰められていった
場所はどこなのだろう。彼らの「居場所」のなさを指摘するマンソンの説明が、広く
受け入れられてしまう、その背景には何があるのだろうか。
 アメリカが育んできた二つの「居場所」が九〇年代を通じて奪われていった、私は
そんなストーリーから自分なりの見取り図を描いてみたい。
 アメリカの九〇年代とはクリントンの八年間だった。人権と経済の両立、グローバ
リズムと国内の国際化と、良いことずくめの「一〇年(ディケイド)」であったよう
に見える。だが、この時期にアメリカをアメリカたらしめてきた二つの居場所、「多
様なものの共存」と「孤独を愛する文化」のどちらもが崩壊していった。その後に続
く、9・11以降の「愛国」や「言論封殺」は表層ではあくまで九〇年代の陰画と言
えよう。
 カビの生えたような国家主義や排外主義、戦闘行為への軽率なコミット、まるで陰
惨な悲喜劇のような「ブッシュのアメリカ」という現象も、前世紀末から始まった
「居場所」の喪失の行き着いた果てなのかもしれない。

 ■ 画一化された教育現場

 アメリカのハイスクールライフは何もかもが輝いて見える。開放的な男女交際、ラ
イバル校とのフットボールの試合とそれを彩るチアリーダーたち、討論中心の授業、
そして角帽を放り上げて大人になったことを祝う卒業式、どれも絵になる光景だ。
 ここには、ある意味で日本の教育に欠けているものが揃っている。自主性の尊重、
個人主義、そして若者を大人へと旅立たせる仕組み、システムとしての整合性は確か
だ。そんなハイスクールライフを過ごした学生を、大学は総合的に評価してくれる。
専門の入学審査部門が成績、人格、スポーツなどの評価をして「成功者の卵」を見極
めてくれるのだ。
 評価対象は幅広い。成績は振るわなくてもボランティア活動にリーダーシップを発
揮し、それが明らかにその学生の人格に「光る」ものを与えていると判断されれば、
評価は大きく変わる。それがスポーツでも、ロックバンドでの演奏でも構わない。自
主的に行動して成果を出し、自分に誇りを持てる人物、大学はそんな人間を欲しが
る。教師たちも、いや生徒たちの多くでさえもそうした人物を賞め讃える。
 才能だけではない。家庭環境や社会階層のハンデも評価の対象だ。黒人の貧困家庭
に育てば、その苦労を乗り越えてきたというだけで「ポイント」になる。非行に走っ
て更生した、それこそドラッグに走って地獄を見た、などという履歴も、下手をする
と評価されてしまうのだ。
 九〇年代の教育改革はその勢いに拍車をかけた。カリキュラムがバラバラで「K・
ツー・12(幼稚園から高三まで)」の一貫性すら怪しかったアメリカの公教育が、
「K・ツー・16(幼稚園から大学四年生まで)」のカリキュラムの整合性を追及す
るまでになったのが九〇年代だ。カリキュラムは、教科ごとの知識や難易度の整合性
だけでなく、人生観や学習姿勢の全般にまで及んだ。
 教科テストの結果だけが問われる日本の「受験地獄」とは大きな違いがある。アメ
リカの教育の中では、生徒の「まともな活動」は全て体制に囲い込まれているのだ。
ロックも、スポーツも、ボランティアも男女交際もだ。
 リベラルな「社会的問題的関心」などというものも、例外ではない。今回のイラク
戦争の直前に、東北部では高校での反戦運動が盛り上がった。一見するとアメリカの
希望のように見える現象だが、一部の学校では「リベラルな教師」が先導する中で
「エリート大学の好きそうな行動」を打算的に選び取った学生もいたという。
 学校の体制が何もかもを「囲い込む」ことには、大きな危険がある。それは「何も
持てていない」存在、つまり究極の脱落者を作ってしまう点だ。コロンバインの二人
が陥ったのがその場所だった。社交も、スポーツも、学業も振わず、履歴書に書くこ
とのなくなった若者には、学校に居場所はない。「トレンチコート・マフィア」とい
う異様な格好を身にまとった強がりの裏には、何もかもを「囲い込まれ」て行き場を
失った若者の虚無感があった。

 ■ 群れ始めたアメリカ

 アメリカ人は賑やかな行事や、お喋りが好きだ。言葉で社会を組み上げてゆき、視
覚聴覚に訴えるイベント文化で社会の一体感を作るためだ。一方では「孤独を愛する
文化」という伝統が、アメリカ文化にひそやかな立体感を与えてきた。
 例を挙げるのは簡単だ。淋しい風景に柔和な微光を漂わせるエドワード・ホッパー
の油絵、怜悧な白黒イメージの中に自然を神格化するアンセル・アダムスの写真、環
境音楽の甘さの中にもスタインウェイの鋭い叫びを埋め込んだジョージ・ウィンスト
ンのピアノ、映画で言えばロバート・レッドフォードの監督作品や、こんな例はまだ
穏やかなほうだ。国中にある「隣の家まで歩いてゆけない」隠れ屋敷に、深い森、広
大な平原、そんな人気のない風景には「人間嫌い」が住みつき、時には傷ついた人々
を無言で迎え入れてくれた。
 そんな「アメリカの孤独」が危うい。音楽シーンがいい例だ。八○年代には「音楽
マーケットの分断」が言われた。人種や階層、そして世界観などでジャンルが細分化
されていった。初期ラップは明らかに黒人にしか理解できない心情が託されたし、オ
ルタナの世界観には極端な側面もあった。だが、九〇年代が全てを変えた。ラップは
牙を抜かれてマスマーケットに躍り出たし、ラテンも気がつくと差別意識など消えう
せて万人のものになった。アイドル歌手がいつの間にかオルタナ風の心理描写を当た
り前に歌い、ニュー・エイジはマスの風俗として鋭さを失った。
 映画もそうだ。公開時の週末だけで50ミリオン、60ミリオン、というお化け大
作が一般化する一方で、「芸術性三割、名誉欲五割、商業的計算二割」といった「ミ
ラマックス、ニューライン商法」がアート系作品を囲い込む中で、個性の毒は薄めら
れていった。
 最大の問題はメディアだ。ネットが広大なアメリカ大陸の距離感を壊し、ケーブル
TVや携帯電話の普及もそれに輸をかけた。世代が下るにつれて、文化の地域色が急速
に薄れつつある。アメリカは文化の面でも群れ始めた。学校で、社会で、行き場を
失った「個」を認め、その差異を包み込んでくれる大平原や森林がバーチャルな世界
では消えつつある。

 ■ 行き場としての軍隊

 9・11以降、そしてアフガンやイラクの戦争という事態の中で、行き場のない若
者をターゲットにした「もう一つの進路」が脚光を浴びている。それは軍だ。兵員不
足に悩む軍は全米に徴募所を展開している。ショッピングモールの一角にあるものな
どは、一見すると旅行代理店かと見間違うが、ポスターにある「海兵隊」とか「海
軍」、「陸軍」という文字と、ヒロイックな文句、軍装の男女のモデルなどでそれと
わかる。
 そんな徴募所に掲げてられているスローガンは、「麻薬撲滅」、「奨学金で明るい
キャリアを」といった文句だ。高校生活を通して、貧困や麻薬などの問題で「居場所
を失った」若者が徴募のターゲットにされている。
 そうした若者は、一旦軍務につけば、過酷な訓練や生死をかけた実戦経験などを経
て見事に「居場所」を見つけてゆく。経済的な理由で志願する若者が多い一方で、軍
に入って「まともな」人間になりたい、などという心理的動機も大きな要素だとい
う。例えば、一〇代に妊娠しシングルマザーとなった少女が、軍務に人生の「やり直
し」を賭けるケースもあると聞く。一人で子供を育てる責任感から人間的に更生し、
崇高な目的と経済的自立のために子供を親に預けて母は湾岸へ、などという話を聞く
と暗澹とした気分にさせられる。
 私は軍を志願する若者が、特別に破壊衝動が強いということはないと思う。物理的
なカヘの憧れよりも、「まともな人間」になりたい、あるいは「こんな自分でも」
拾ってくれる国家に忠誠を、洗脳の回路としてはそんな心理が機能しているようだ。
 コロンバインのハリスとクリボルトは、なぜ軍ではなく破減を選んだのだろう。そ
の選択は紙一重だったように思われる。家族に軍関係者が多い人間に志願兵が多いの
は、親や「世界」との和解、大人への通過儀礼的な思いで軍を選択するからだろう。
逆に親や周囲のリベラリズムのスノップな匂いへの反抗として軍に走る若者もいない
ではない。ただ、ハリスとクリボルトにはそのどちらも無縁だったのだろう。

 ■ 変化への恐怖

 居場所のなさが乱射という暴力ヘと噴出する、究極の行き場を求めて戦争に身を投
ずる、そんな暴力の問題はどう考えたらいいのだろう。「いわれなき恐怖」という
ムーア監督の問題提起には、どう答えてゆけばいいのだろうか。
 私の仮説は「変化への恐怖」だ。居場所のなさが恐怖心に、そして憎悪や攻撃衝動
へとエネルギーを蓄積してゆく心理には、周囲が変わって行くことへの恐怖や怒りが
核にあるようだ。いつの間にか増えた移民がハイテク技術を身につけて高給を得てい
たり、昔は敗者であったはずのマイノリティーが優遇される一方で、自分たちは、IT
革命や金融グローバリズムといった変化から取り残された、そんな心情が屈折してい
るのではないだろうか。
 建国以来、加速度的に社会変革を進めてきたアメリカの人々が、とにもかくにも
「正気」を保ってきた背景には、無茶な理想主義とすら言えるような多様性の尊重
と、自己愛の極致とでも言うべき孤独な文化があった。この両者が変化に距離を置き
たい人々の「居場所」として、社会の変化を両側から支えてきたのだ。
 九〇年代のITとグローバリズム、ハリウッドとMP3、インターネットによるマス文
化の奔流は、置き去りにされた人々には恐怖と憎悪を残した。そして、追い詰められ
た人々には「居場所」は残されていない。
 アメリカは大きな危機を迎えている。(「Michael Moore Media Missionary」よ
り)

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