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報道統制:有事に放送事業者「公共機関」指定−−柳澤恭雄さん、流れに警鐘 [毎日新聞]
http://www.asyura2.com/0406/war58/msg/468.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 8 月 12 日 19:18:06:dfhdU2/i2Qkk2
 

 ◇「戦前に似てきた」−−終戦の日の玉音放送にかかわった元NHK職員・柳澤恭雄さん

 「戦前の報道統制の流れに似てきた」。1945年8月15日、日本の敗戦を告げるラジオの玉音放送にかかわった元NHK職員、柳澤恭雄さん(95)はそう警鐘を鳴らす。あれから59年が過ぎようとする今、日本が外国から武力攻撃を受ける有事の際、政府や自治体への協力が事実上義務づけられる放送事業者として、政府はNHKに加え民放19社を指定する方向で動き出した。自衛隊のイラク派遣から半年がたつ。自戒を込めて報道の自由の大切さを訴える柳澤さんに話を聞いた。【臺宏士】

 柳澤さんは日中戦争時の38年、NHKの前身、社団法人・日本放送協会に入り、45年の終戦時は報道部副部長としてニュース編集の責任者を務めていた。

 −−太平洋戦争中、日本放送協会は政府や大本営の検閲をどのように受けていたのですか。

 ラジオ放送を対象にした無線電信法には「政府之ヲ管掌ス」とあり、協会の実態は政府の下請け機関。ニュースは同盟通信(戦後に共同通信と時事通信に分割)の配信記事の中から記事を選び、ラジオ用に書き直すことが主な仕事だ。逓信省や内閣情報局は、検閲済みの同盟の記事を放送前にさらに検閲した。開戦後は協会と軍との間に直通電話も置かれた。検閲が厳しいため自己規制するようになるが、放送は新聞以上だった。軍はラジオの大きい影響力を思い通りに使いたいと考えていた。ラジオ放送には言論の自由もなかったが、(軍などからの命令を拒否するという)沈黙する自由もなかった。

 −−8月15日の午前4時には反乱軍が放送局に押しかけ、柳澤さんは陸軍少佐に拳銃を突きつけられたそうですが。

 少佐は「決起の趣旨を国民(向け)に放送させろ。させなければ撃つぞ」と要求したが、もちろん放送させるわけにはいかない。死を覚悟しながら、少佐の目と拳銃を持つ手と指を見つめて向き合った。「(放送を)やらせてくれよ、頼む」と少佐は語ったが、結局、陸軍の東部軍参謀長に説得され、去った。無事、玉音放送は正午に流れた。

 −−終戦後直ちに独自取材体制づくりに取り組まれたそうですが。

 広島に原爆が落とされた時、言論の自由を奪ってきた逓信省や軍の終焉(しゅうえん)の姿が浮かんだ。ようやく自主取材制度もつくれると思った。やっと自由に放送できる時代がくる、と。46年6月、新規採用した13人で放送記者制度はスタートした。

 −−放送局は有事の際、政府の要請による放送が義務づけられることになりました。自衛隊は今年に入り戦闘が続く「戦地」のイラクに初めて派遣され、メディアは自衛隊取材で防衛庁との間で一定の情報は報道しないことで合意しました。

 今の状況は満州事変が起きた31年や日中戦争が始まった37年のころと似ていると思う。軍の独走を天皇や政府が追認していった。小泉純一郎首相が自衛隊のイラク派兵や多国籍軍への参加をなし崩し的に決めたことなどは戦前のやり方をまねているようだ。

 −−憲法改正論議も盛んです。

 憲法を変えようというところまで来た。昨年までの「8月15日」と、これからは意味が違ってくる。「45年8月15日」が再び来ないという保証はない。

 −−今のメディアへの提言は。

 日本放送協会は、戦前は政府・軍部、戦後は占領軍と、四半世紀にもわたり検閲下にあった。いろいろ疑問を持ちながらも、うその放送をしてきた私の責任は大きい。戦争に賛成できないことを表明できなかったことは、ジャーナリストとしても人間としても深刻な問題だ。私の「戦後」は死ぬまで続くだろう。どんなことが起きても国民が「日本のメディアは正しいことを報道してきた」と思えるメディアであってほしい。

 ◇総務相「制限もあり得る」−−発言に本音

 武力攻撃事態法や国民保護法の成立で、政府から「指定公共機関」と指定された放送事業者は有事の際、政府が発する警報や避難情報の放送を事実上義務づけられることになった。政府は9月中旬に政令で指定するが、言論統制に道を開くという指摘が出ている。

 「仮に民間放送が知り得た軍の装備、人員が放送されるということは日本の利益にはならない。ある程度、放送が制限されることは十分あり得る。知り得た秘密であっても安易に放送で流すことは考えてほしい」

 麻生太郎総務相は4月の国会でそう答弁した。政府は再三、国会審議で「有事であっても最大限報道の自由は尊重する」(小泉純一郎首相)と表明してきたが、関係者は総務相発言を政府の本音だと受け止めている。

 政府はNHKのほか、在京のキー局などテレビ、ラジオの民放19社を指定する意向だ。さらに、来春には都道府県知事が地方のローカル局を「指定地方公共機関」に指定する予定。今のところ、放送事業者から反対の声は上がっていない。民放幹部は「放送界全体が足並みをそろえなければ、この種の問題に反対することは難しい」と明かした。

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 ◇弾圧立法に転化の危険も−−「大本営発表は生きている」などの著書がある作家、保阪正康さんの話

 戦時中のような、政府にとって都合のいい国民とならないよう、昭和史から教訓を得るとすれば、▽教育の国家統制▽弾圧立法の制定・適用▽暴力による言論の封殺▽情報発信の一元化−−の四つの動きに警戒することだ。

 現在はどうなのか。東京都が日の丸・君が代を学校現場に強制するのを見ると、教育の統制は進みつつあるし、有事法制は運用次第では弾圧立法に転化する危険性を十分抱えている。政府による情報の一元化までにはまだ至っていないが、イラク派遣の自衛隊の取材・報道規制や、自衛隊の多国籍軍参加をめぐる政策に批判的なメディアを、小泉純一郎首相が「反米マスコミ」とレッテル張りしたことなどは看過できない。

 「今の日本は昭和の初めごろと雰囲気が似てきている」という指摘に、「言論の自由もあり、戦前のような道を歩むことはない」という批判がある。ところが、1930年代もそれなりに言論の自由はあったという人もおり、「まさか日本が米国と戦争するようなばかなことはしないだろう」と思っていた国民は少なくなかった。私は戦前と似た動きだと思っている。日本社会は無意識に歴史の教訓を忘れていないか。メディアは歴史的な視点を持って報道してほしい。

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 ■人物略歴

 ◇やなぎさわ・やすお

 1909年、京都府生まれ。東京帝国大文学部社会学科卒。50年、レッド・パージでNHKを退職。60年にテレビ向け通信社の日本電波ニュース社を設立し、初代社長。現在は同社顧問。著書に「検閲放送」「戦後放送私見」など。

毎日新聞 2004年8月10日 東京朝刊

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/archive/news/2004/08/10/20040810ddm012070002000c.html

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