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第217部隊−ドゥヴデヴァン(桜)−「アラブ人に扮装した」特殊部隊
http://www.asyura2.com/0406/war58/msg/754.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2004 年 8 月 18 日 12:41:01:SjhUwzSd1dsNg
 

(回答先: 「イラク人部隊」の嘘【アラブの服装をした戦争の犬、ナジャフで暗躍】 投稿者 FakeTerrorWatcher 日時 2004 年 8 月 18 日 00:28:30)


http://arab.fc2web.com/israel/duvdevan.htm

第217部隊

■始まり

 特殊部隊ドゥヴデヴァン(桜)は、最初のインティファーダ(パレスチナ解放闘争)の開始直後の1987年に設立された。部隊は、ヨルダン川西岸のテロ対策のために創設された。ガザ地区では、類似部隊シムソン(サムソン)が行動した。当初、グループは、参謀本部の特殊部隊SAYERETMATKAL、戦闘潜水夫KOMANDOYAMI及びアメリカの「グリーン・ベレー」の類似部隊SHELDAGのような他のエリート部隊から転属した兵士で充足された。

 兵士の高い訓練水準にも拘らず、当初、主として、行動のまとまりのなさのため、頻繁な失敗が起こった。部隊は、急ごしらえであり、兵士達は、一緒に訓練し、何らかの作戦を処理することができなかった。それにも拘らず、多くの場合、DUVDEVAN兵士が行った作戦のおかげで、ファタハとイスラム・ジハードの多くのリーダーが、アッラーの元に召された。

 1988年、部隊は、ヘブロンで輝かしい作戦を行った。特殊部隊員により組織された待ち伏せにおいて、ヘブロンにおけるファタハ指導者マフムド・ファルクが殺害された。彼と一緒に、彼の2人の補佐も殺害された。その後、インティファーダ終結(1991年)まで、隊員は、多くのテロリストを除去したが、これら行動の詳細は、今に至るまで秘密とされている。

■選抜

 ドゥヴデヴァンに入ることは簡単ではない。当初、3日間の身体的持久力の試験を受ける必要がある。候補者は、30kgの袋を担いで走り、腕立て伏せをし、その他の身体的負荷を克服しなければならない。候補者がこれらの試練に耐えた場合、既に組織されているキャンプに送られる。兵士は、そこに半年間いる。彼らは、いかなる距離からいかなる姿勢からも射撃し、ありとあらゆる障害を克服することを習い、格闘技を研究し、長距離強行軍を実行する。半年間の工程の終わりに、メインの試験に入る。未来の特殊部隊員は、レッド・ベレー着用の権利を勝ち取らなければならない。参加者は、30〜40kgの装備を持った90km強行軍を実行する。最後の10〜15km、候補者は既に走っている。レッド・ベレー着用の権利に対する試験は、ロシアと同様、年に2回、冬と夏に行われる。その上、夏季の強行軍は、30〜40度という最も暑い期間に、冬季は強い雨の中で実行される。試験合格者は、ドゥヴデヴァンに入隊する。

■真の兵士になるには・・・

 しかしながら、真の特殊部隊員となるためには、更に多くの汗を流す必要がある。今や、上に列挙した負荷には、位置標定と格闘技の強化授業が加わる。多くの兵士は、空手と柔道の動作に習熟し、黒帯を有する。彼らは、ヘリ及び飛行機から撮影された写真による家屋の所在地の決定を習う。そして勿論、家屋の奪取に関する演習が行われる。兵士達は、窓、ドア及び屋根を通って屋内に入り込む。ドゥヴデヴァンが人質解放を使命としていないことを断っておくべきである。国外ではSAYERETMATKALが、イスラエル国内ではYAMAMがこれに従事している。

 全てが終わった後初めて、候補者全員は、隊員となる。入隊の際、各兵士には、伍長の階級が授与され、拳銃が手渡される。

 この外、ドゥヴデヴァンの装備には、アメリカのM-16小銃の短銃身版、SIG-SAUERR拳銃、擲弾筒及びBARET狙撃銃がある。主として、被拘束者から押収し、死亡者から取り上げた「カラシニコフ」も、RPG-7もある。

 特殊部隊入隊の際、兵士達は、狙撃教育、自動車運転及び偵察に関する補足課程を受けることを語る必要がある。

 最も強力な打撃グループは、言うまでもなく、縦深偵察中隊である。その入隊の際、兵士には、3ヶ月間の補足訓練が行われる。この中隊のどの兵士も、手元の資材で地雷を発見し、無力化することができる。彼ら全員は、アラブ語を自由にしゃべり、驚くべきことに、彼ら自身がアラブ人に似ている。これは、ミスターラヴィム、翻訳すると、「アラブ人に扮装した」である。

■暗黒の日

 1991年から2000年まで、部隊は、主として、普通のテロ実行者の拘束に関する作戦を行った。この全ては、DUVDEVANの歴史で最も暗い日である2000年8月まで続いた。最も危険かつイスラエルにより手配されているテロリストの1人、アブ・フヌドの拘束に関する大作戦が悲劇に終わるとは、当時、誰も予想できなかった。2300頃、兵士達は、手配者がいる住居の近くに位置する家屋に密かに陣地を占領した。10分後、射撃が始まった。そして突然、テロリストではなく、3人の特殊部隊員が射撃されたことが明らかになった。まずく計画された行動とその立案に従事した将校の怠慢の結果、3人の特殊部隊員が、誤って、味方の狙撃手により射撃された。

 高所に陣取った狙撃手グループに警告せずに、指揮官は、アラブ人の服装をした3人の兵士に、少し下に陣地を占めるように命令を下達した。狙撃手は、アラブの服を着て、武器を持った人々を発見した。強力な夜間暗視装置ですら、味方を識別できなかった。作戦は既に始まっており、狙撃手は、この3人のテロリストがその進行を妨げることを恐れて、発砲した。指揮官に通告せず、彼らは、額に撃ち込み、3人全員を片付けた。この後、監督者に報告された。

 これらの事件の後、イスラエルでは、服喪が布告され、特殊部隊を巡る壮大なスキャンダルが起こった。参謀総長は、その場で、いかなる活動であろうが、特殊部隊としてのドゥヴデヴァンの停止に関する命令を下達した。非常に高位の肩章が飛んだが、有責者の名前は、結局挙げられなかった。

■歯を食いしばり

 無作為が結局継続されるように思われたが、2度目のインティファーダがやって来た。そして、ドゥヴデヴァンについて、再び思い出された。特に、この特殊部隊の兵士は、2000年10月に起こったラマラでの2人の予備役兵のリンチの有責者計14人の拘束を行った。歯を食いしばり、特殊部隊員は、ハマスとイスラム・ジハードの匪賊を捕まえた。彼らは、彼らの3人同僚の死が、彼らが非難された低水準の職業意識ではなく、偶然以外の何物でもないことを証明しなければならなかった。ほぼ毎日、彼らは、テロリストを拘束した。最近の最も有名な行為となったのは、2ヶ月前に行われ、ラマラで第17部隊長*が拘束された作戦だった。

 早朝、修理工に変装した特殊部隊員は、テロリストの車と警護の車を停車させた。車が停車するや否や、グループ「A」と「B」は、アラブ人を車から引きずり出した。

 結局、7人が拘束された。彼らの中には、将軍、中佐及び2人の少佐がいた。4人は、シャバクでの証言後解放された。テロ対策時には、民主主義は誰にも不必要なものである。2日後、パレスチナ海上特殊部隊の指導者がシュケム(ナブルズ)で拘束された。

■債務返済は、神聖な義務

 テロ対策部隊の活動の最も知られている事実だけで、こうである。しかし、ドゥヴデヴァン兵士は、たとえアラファトを拘束しても、安らかに眠ることはできない。というのも、アブ-フヌドが自由なままだった。戦死した戦友に対する債務の返済より重要なことがあるだろうか?

 部隊の参考として、17人がアラファト周辺の高官と彼自身の警護に従事している。アラファトの全兵士は、アメリカのTS. R.U.基地か、「デルタ」の教官の指導の下で訓練を受けた。

最終更新日:2004/04/25

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