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軍防諜員のチェチェン生活(対外情報調査部)
http://www.asyura2.com/0406/war59/msg/472.html
投稿者 愚民党 日時 2004 年 9 月 04 日 04:48:07:ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 秘密共同体「イチケリア」(対外情報調査部) 投稿者 愚民党 日時 2004 年 9 月 04 日 04:36:01)

対外情報調査部
http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/index.htm



彼らは、連邦司令部に全てを通報し、捕虜から人々を救出し、状況を監督下に置いている。

独立軍事評論、2000年2月4日

http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/russia/chechen/fsb.htm

 防諜員の業務については、広い社会に余りに知られていない。その上、これは、ロシアだけではなく、全世界において分厚い秘密のカーテンに包まれている敵特務機関に対抗することが要求される機関の活動にも関係している。彼らが具体的に何に従事しているかについては、通常、マスコミにおいて時折通り過ぎる個別的な、大変手短な報道によってのみ判断することができる。しかし、この場合ですら、公表された結果の達成のために行われた多計画かつ綿密な業務に関して、滅多に知られることはない。

 アフガニスタン戦争時に渡って、「川の向かい側に」1,200人の軍防諜員が滞在した。1994〜1996年のチェチェン戦役期間に渡って、約2千人が戦い、その多くは国家勲章を認められた。当時、9名の軍防諜部職員が戦死した。残念なことに、この痛ましいリストは既に、今年も満たされている。すなわち、1月11日に、チェチェンのチェベルロイスキー地区キリ居住区近郊において、第136独立自動車化狙撃旅団FSB課捜査官ヤチコフ大尉が戦死した。その外、この戦役に渡って、5名の軍防諜職員が負傷した。
 

■作戦業務

 北カフカーズにおける対テロ作戦の防諜保障のために、連邦軍連合集団の下に、かなり大げさだが、ロシアFSB軍防諜局(UVKR)北カフカーズ地域(SKR)臨時作戦グループ(VOG)という正確な名称を有する特殊機構が創設され、現在、上首尾に機能している。この部隊に委任されている全機能を語る必要性がないため、その一部についてのみとする。これらの機能の遂行が他の戦力機構の代表との積極的かつ互恵協力なしには不可能であることを同時に断っておく。

 この共和国の行政境界を通した隣接するロシア領土へのチェチェンにおける活発な戦闘行動の開始と共に、難民の流れが押し寄せた。例えば、10月中のモズドクの離散チェチェン人は、数的に約2倍に増加した。その後、連邦軍が匪賊部隊から地区を次から次へと解放するにつれて、難民は、平和な生活の整備への傾向が現れた場所に徐々に帰宅し始めた。言い換えれば、行政境界を通して、過去数ヶ月間に渡り、両側を数千人の人々が通り過ぎた。北オセチアの第14検問所、又は別名「オクチャブリスコエ」1つをとってみても、300〜400人以上が通り過ぎる日々がしばしばであった。彼らの大部分は、匪賊の支配にも、この戦争にも、既にうんざりした普通の人々である。

 しかしながら、全てにはほど遠い。軍防諜部職員は、チェチェンのマスハドフ・バサエフ指導部が、自分自身の計画を追求しつつ、実施されていた共和国領土からの難民の出国の促進に関する完全なプログラムを立案していたことについての情報を所有している。難民に変装して、イングーシェチア、北オセチア、スタヴロポリ地方及びダゲスタン領域に、自分の司令部の何らかの任務の遂行のため、及び単にロシアの飯で戦乱の時をやり過ごすことを希望した戦闘員が侵入を試みた。UVKR職員は、民警及び連邦移民局の職員と共同で、連邦軍部隊にとって有益であろう情報を入手するために、難民の文書を検査し、彼らと会談した。要するに、逃走中の匪賊及びその共犯者の摘発に関する複合措置が遂行された。

 この業務がどの程度有効なのかは、若干の事実により判断することができる。つまり、例えば、検問所「カフカーズ」における難民の一団のみの通過後、側溝に数枚の文書が捨てられていた。恐らく、チェチェン領土に侵入を試みた者がどれだけ厳しく検査されているかを見て、所有者がそれを捨てたのであろう。そして、ここに、驚くべきことは何もない。証明証とカードは、チェチェン特務機関職員に対して手続きされたものである。彼らの中には、アフメド・ヴァガノフ大尉、サラムベク・ヴィタエフ上級中尉、イスラム国家保安省(MShGB)の上級捜査官ソスランベク・ハルカエフ中佐等が存在した。

 チェチェンの行政境界に沿って配置された検問所において、軍防諜部職員の参加の下、匪賊部隊の積極的参加者であったもっともな疑いのある者数十名が拘束された。ここに、彼らの数名の名前が存在する。すなわち、その文書から判断して、かつてアゼルバイジャン警察に勤務していたアガシェリ・アルマズオグルイ・アルハゾフ、1995年から連邦手配されているチェチェンMVD職員ルスラン・インサエフ、MShGB職員ムサ・メルシエフ等である。

■状況分析

 軍防諜員は、チェチェン居住区及び地区の行政府首長、社会及び宗教界代表と連邦軍指導部の会見の準備にも参加した。

 臨時作戦グループにより遂行される業務の次の段階は、撃破された匪賊部隊の行政建物及び本部において鹵獲された文書の分析である。この業務は、極めて重要で、責任あるものである。さらに、有益な情報を獲得するだけでは不十分である。いかなる事実を、いかに最も合理的に使用できるかを評価する必要がある。そのあるものは、指導部に対する報告書にのみ記載され、あるものは、作戦業務において使用され、そして、あるものは、いかなる国際匪賊連合体がロシアだけではなく、全ての文明世界にも抵抗を試みているのかを納得させる具体的な事実に関する機会を社会に与えるために、マスコミを通して流布される。

 事例として、チェチェンへの連邦軍の導入前日に、特に、国家勤務員への給料、年金及び手当金の支払い業務においてどれ程の混乱が生じたのかを切に示している鹵獲文書を挙げることができる。このための資金は、イチケリア上層部が連邦予算から誠実に受け取り、その後、自分の裁量で支出したことを強調する。教師及び医師への給料は、数年間払われておらず、学校及び病院は、惨めな生活を送り、当時、そのための金は極めて乏しかったが、流通していた・・・。問題は、手当金として振り込まれる資金を、1994〜1996年の戦役参加戦闘員が受領していたことである。言い換えれば、ロシアは、自分の戦争参加者を物質的に援助せずに、事実上、その手により我が兵士が多数殺された分離主義者を間接的に扶養していた。例えば、セルノヴォツクでは、連邦軍に対する戦闘で戦死した3人の息子の父親に手当金が支払われていない。スンジェンスキー通信拠点職員アマゴヴァは、戦死したアフマドヴァの年金を横領した。人道援助の分配に対して責任を有するS.マハウリ及びM.ダダロフは、自分の同郷人から盗まれた製品を販売のために車で搬出した。そして、これは、軍防諜員に明らかになった唯一の事実ではない。そのような情報が社会の財産とならなければならないことが理解される。

 別の事例。文書は、チェチェンにおいて気違いじみた反ロシア・キャンペーンが活発に行われていたことを切に証明している。戦闘員及びその家族は、ロシア人(この場合において、「ロシア人」という言葉は、明らかに、ロシア人、ウクライナ人、白ロシア人、コサックだけではなく、ジプシー、ダゲスタン人、オセチア人、他の「非チェチェン」民族の代表者も意味する。)にかつて属していた家屋及びアパートを乱暴に占拠した。つまり、アシノフスカヤ駅では、ジナイド・セレズネフが暮らしていたソビエツカヤ通り65に位置する家には、1人の息子が戦死し、次男は分離主義者側での戦闘時に負傷し、2人の息子はロシアで無事に暮らし、残りの6人の子供は母親の扶養下にあるレイルイ・フェルザウリ一家が引っ越した。イシェルスカヤ、ナウルスカヤ駅、及びその他の場所においては、防御施設の建設のために、連邦軍に対して戦うことを望まない「非チェチェン人」の地域住民が積極的に参加させられた。拒否した者は、無慈悲に殺害された。戦闘員がそのような「犯罪」に対して、信仰の一致にも関わらず、トルクメン人すら射殺した事例が知られている。

■濾過

 チェチェン北部地区からの平和的住民の大量出国期間、クラスノグヴァルジェイスコエ村において、戦闘員により濾過収容所が建設され、そこから、恐らくロシア語を話す男性難民全員が、テルスク山脈の北斜面における防御施設の建設に強制的に送られた。チェルノコゾヴォ居住区では、レノフ夫妻が虐殺され、その上、妻の死体に対して、匪賊は、その死後ですら侮辱を加えた。メケンスカヤ駅では、某アフメド・イブラヒモフは、これといった理由もなく、自動小銃で39人のロシア人同村人を射殺した。VOGは、この射殺の犠牲者の名簿を所有している。駅の1つのコサックのアタマンは、針金で手足を縛られ、テレク川に沈められた。彼の母親は、今までこれについて知らず、待ちながら、彼がどこかで捕虜になっていることを期待している。膨大なリストは、「イスラム戦士」により強姦されたロシア女性の名前で構成することができる。

 イスラム国家保安地域地区課の1つにおいて鹵獲されたShGBと自発的に協力した地域住民(注意:我が後方に残った敵エージェント、そして潜在的テロリスト)のリストは、何の役に立つのか?麻薬の流通に関与した者のリストは?連邦軍に対して戦い、武器を交付された地域住民のリストは?匪賊部隊の指導者を援助した隣接国の市民に関する情報は?・・・

 他の種類の資料も、軍防諜員の手に渡った。これは、戦場において直接鹵獲された文書である。そのような不完全な書類は、多くのことについて語り得る。例えば、戦線の当区域において防御している匪賊部隊の員数及び編成について。

 つまり、激戦が行われた500.8高地地区において、生きてるように眠っていた1人の戦闘員、拳銃で自分を首を撃ったグループ指揮官マホメッド・ヒャムザトフ、イスマイロフの2人の兄弟を含めて、8人の死体の埋葬地が発見された。彼らから発見された文書は、後退した集団の編成及び員数を決定することを可能にした。ちなみに、1人の死者のポケットには、ロシアのビジネス界における、及びある隣接国の政治活動家との死者の広い関係を証明する名刺の入った財布が見つかった。彼らに関する情報は、検査のため、しかるべき機関に移送された。

■後方における尋問

 任務を遂行した後、前進しつつある連邦軍の後方においても、大きな業務が行われている。問題は、軍の背後に、可能な限り機動的に無力化する必要がある少なからない数の破壊工作員及びテロリストが残っていることである。例えば、グローズヌイから遠くない戦闘行動地区において、文書を持たない戦闘員が発見及び拘束された。自分はジビル・ユルト生まれのチェチェン人であると主張しつつ、彼は、余りに下手なチェチェン語で話した。自分の名前すら混乱して、ヴァッハ・イリヤソフとか、ビスラン・ユヌソフとかを挙げていた。自分の匪賊部隊編成への参加を否定せず、個人武器を受領した某ラムザン支隊において戦ったことを話した。あらゆることから判断して、彼は、ジプシーか、タジク人かであり、チェチェン人では全くなかった。

 防諜員の手に落ちた他のスパイは、牧夫に偽装して連邦軍の移動を追跡し、「食い物のために」情報を引き渡していたロシア人アレクサンドル・ナブイチェエフであった。

 戦闘中、木に足を鎖で結ばれていた狙撃兵モハメッド・アストラハノフもまた拘束された。彼は、占領した陣地から追い出された場合、「イスラム戦士」の退却を援護しなければならなかった。しかしながら、モホメッドは、死ぬことを欲せず、自分の同宗派から逃走することにまんまと成功した。

 被拘束者のリストは、延々と続けることができる。同様に、被拘束者達が打ち明けたことも話すべきである。

 尋問は、一般にしばしば、興味深い情報をもたらす。つまり、1996〜1998年にハッタバで訓練を受け、匪賊行為のかどで現在服役中の某ジミー・タンドゥエフは、隣接国を経由したチェチェン領土への国際テロリストの進入経路について詳細に語った。

 ついでに、匪賊がチェチェンで化学兵器の使用を計画していることについて、UVKR臨時作戦グループの将校は、既に昨年の10月、司令部に適時に警告していた。軍防諜員には、バサエフが直接ロシアで大量破壊兵器を見つけようと試み、ウドゥゴフがイラン、パキスタン及びアフガニスタンの民間人及び組織と同種の交渉を行ったことが明らかになった。連邦軍が放射線照射にさらすために、ロシア部隊の予想配置場所に残された処理済産業用核燃料棒を使用する可能性も排除できない。防諜員は、戦闘員が連邦軍の圧力の下で今にも離脱しなければならない地区において、積極的に麻薬を搬出していたことについても、しかるべき機構に通報した。

 犯罪の予防もまた、VOG将校の心配事である。特に、彼らは、何らかの対象に対するテロ行為実行の可能性、及びこの責任を有し得る者に関して、指揮官及び文民当局に再三通報した。ハッタバ野営地において、最も広範囲に専門化されたテロリストが活発に訓練されていたことが一般に知られている。軍防諜員が各種情報源から入手した情報は、しかるべき、つまり管轄機関に機動的に伝えられた。

 そして勿論、軍防諜員は、「イスラム統治」期間に、解放領域においていかなる犯罪が実行されたのかについて通報している。例えば、セリム・ムラは、ペルヴォマイスコエ・ナドテレリヌイ地区の居住区の1つの長老の1人と共に、連邦軍部隊指揮官との交渉に入った。同夜、地域ギャングのアルビ・ザカエフが、自分の「親兵」と共に、2台の「UAZトラック」で村に来て、住民を追い払い、全員の目の前で不幸な老人を殺害した。ヴェジェノ郊外では、ある住宅の地下室において、負傷した匪賊の治療を拒否したことにより殺害された主としてロシア人の医師19人の死体が発見された。ナドテレチヌイ地区においては、連邦当局の接触の接触的支持者で、地域行政府の権威ある代表のシャミル・ラバザノフが、棍棒で死ぬまで残虐に殴られた。匪賊は、この犯罪をロシア軍のせいにしようと試みたが、責任を否定することは、UVKR臨時作戦グループ職員にとって、特別の労力を要しなかったくらい、ちくはぐなものだった。その論証を、地域社会は納得している。

http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/russia/chechen/fsb.htm



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