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チェチェンは「ブレジンスキーの地政学」のごく一部
http://www.asyura2.com/0406/war59/msg/825.html
投稿者 木村愛二 日時 2004 年 9 月 08 日 20:46:54:CjMHiEP28ibKM
 

チェチェンは「ブレジンスキーの地政学」のごく一部

以下は、911事件の翌月、一応、フランス語の原文も見て、英語から機械訳し、補正したものである。

1)------------------------------------------------------------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/akuukan-01-10-47.html
『亜空間通信』47号(2001/10/17)
【ムジャヒディン援助はソ連の侵攻以前のCIA謀略と大統領補佐官が認めてた】
[中略]
 以下の中の最重要箇所だけを抽出すると、「実際には、1979年7月3日」、英語でIndeed, it was July 3,1979 のフランス語は、c'est en effet le 3 juillet 1979 となっている。
[中略、以下は、」訳文のみ]。英語の方は、以下にある。
http://www.counterpunch.org/brzezinski.html
ズビグニュー・ブレジンスキー:
いかにして私とジミー・カーターがムジャヒディン工作を始めたか

ズビグニュー・ブレジンスキーに対する『ル・ヌーヴェル・オブゼルヴァトゥール』(フランス)1998年1月15-21日号のインタビュー記事(p. 76) *

質問:CIAの元長官、ロバート・ゲイツは、彼の回顧録『物陰(CIA工作員の「意味の幽霊とも訳せる)から』の中で、 ― 「アメリカの情報機関はソビエトの干渉の6か月前にアフガニスタンでムジャヒディンを援助し始めた」―と述べた。この期間に、貴方はカーター大統領の国家安全保障補佐官であった。したがって貴方は、この工作で何らかの役割を果たしたと思われるが、その通りか?

ブレジンスキー:はい、その通り。政府の公式発表に基づく歴史によれば、ムジャヒディンに対するCIAの援助は1980年、すなわち、1979年12月24日にソビエト軍がアフガニスタンに侵攻した後に開始されたことになっている。しかし、現在まで極秘にされてきた事実に基づくと、この記述は完全に間違っている。実際には、カーター大統領がカブールのソ連寄り政権の敵手に対する秘密の援助のための最初の指令に署名したのは、1979年7月3日であった。まさしくその日、私は、大統領に向けて、この援助がソビエト軍の干渉を誘発するであろうという私の意見を彼に説明するための書面をしたためた。

質問:この危険を承知の上で、貴方は、この隠密作戦の唱導者の一人となった。ところで多分、貴方自身、この時にソビエトの参戦を望み、この作戦を、それへの挑発と看做していたのではないか。

ブレジンスキー:全くその通りとは言えない。我々はロシアが介入するように背中を押したわけではないが、故意に彼らがそうする可能性を増やしたのである。

質問:ソビエトが彼らの干渉を正当化して、彼らの意図が、アフガニスタンへのアメリカ合衆国の隠密の関与に反対して戦うことにあったと主張したとき、人々はそれを信じなかった。しかし、真実の基礎があった。貴方は現在、何ら後悔しないか。

ブレジンスキー:何を後悔せよと言うのか。あの隠密作戦は卓見であった。あれは、ロシアをアフガニスタンの罠に嵌める効果を挙げたのであって、それを貴誌は、私に後悔せよと言うのか。ソビエトが公然と国境を越えた日、私はカーター大統領宛てに書いた。我々は今、ソ連にヴェトナム戦争を与える機会を得た、と。その通りに事態は進み、ほぼ10年の間、モスクワは、政府が耐えられない戦争を続けねばならなくなり、その紛争が軍の士気崩壊とついにはソビエト帝国の解体をもたらしたのである[この部分を2001.10.20.読者からの御注意に従って改訂]。

質問:貴方は、イスラム[ 原理主義 ]を援助し、将来のテロリストに武器と助言を与えたことについても全く後悔しないのか。

ブレジンスキー:何が世界の歴史の上で最も重要なのか。タリバンか、または、ソヴィエト帝国の崩壊なのか。わずかばかりの扇動されたイスラム教徒なのか、あるいは中央ヨーロッパの解放と冷戦の終結なのか。

質問:あれを、わずかばかりの扇動されたイスラム教徒と言うのか。現在、イスラム原理主義は世界の脅威を代表すると、何度も繰り返し語られているが。

ブレジンスキー:ナンセンス! 西側にはイスラム教に対しての世界的な方針があったとも語られているが、愚かなことである。世界的なイスラム教などはない。イスラム教を、民衆扇動の目的や感情を抜きにして、合理的な方法で見るべきである。あれは15億人の信者を擁する世界の主要な宗教である。しかし、原理主義のサウジアラビアと、穏健なモロッコと、戦闘的なパキスタンと、、西欧びいきのエジプトと、ある いは、中心アジアの世俗主義と、それらの中のどこに共通したものがあるか。キリスト教国の団結と似たり寄ったりである。

*この雑誌には少なくとも2つの版がある。米国議会図書館にあるおそらく唯一の例外を除くと、アメリカ合衆国に送られた版はフランスの版より短くて、その短い版にはブレジンスキー・インタビューが入っていない。

 上記は、必読文献、『希望の殺戮:第二次世界大戦以後のアメリカ軍とCIAによる干渉』および『ごろつき国家:世界の唯一の超大国への案内書』の著者、ビル・ブルームによって、フランス語から翻訳された。 両著の一部分は、下記で読むことができる:
http://members.aol.com/superogue/homepage.htm
------------------------------------------------------------

 以下は、上記の亜空間通信を発した頃に、電網検索で出てきた「韋駄天迷宮」の記事である。

2)------------------------------------------------------------
http://www.idaten.to/meikyu/a081.html
ブレジンスキー一族と、トランスコーカサスのグレートゲーム

●ブレジンスキーの地政学

 カーター政権の安全保障顧問をしていたズビグニュー・ブレジンスキーは、『壮大なチェス盤』という著作と、『フォーリン・アフェアーズ』の最近のいくつかの号で、地理学を“地政学”という宗教に変形させている。
 ブレジンスキーは、イギリスのハルフォード・マッキンダーや、ドイツのカール・ハウスホーファーが提唱したのと同じ地政学理論を提唱している。
 イギリスは、第一次世界大戦と第二次世界大戦を主導して、ユーラシアの経済統合を妨げた。マッキンダーとハウスホーファーの理論は、それを覆い隠すのに使われていたのである。
 ブレジンスキーは、著作と商取引の中で、「トランスコーカサスと中央アジアを取り巻く“不安定ゾーン”が存在する」という考え方を奨励している。ブレジンスキーは、パーマストン卿や、“イスラム友愛団体”を創設したオックスフォード出のアル・アフガーニーが行っていたように、「種族や民族の不安定な状況を操作する」というホッブス的なアプローチを行っている。
 このような手法によって、第三次世界大戦は勃発する可能性があると思われる。

 “グレートゲーム”は、特にイギリスとロシア、それと、傾きかけていたオスマン帝国の3ヶ国を、“不安定ゾーン”の支配権を巡って、お互いに断続的に戦わせた。ブレジンスキーはそのようなグレートゲームを再び復活させている。
 また、それと同時に、ブレジンスキーの一族は、イギリスとアメリカの石油業界に加わり、石油、天然ガス、金など、“不安定ゾーン”で産出する重要な天然資源を、セシル・ローズ式に手に入れた。
 ブレジンスキー地政学の中心的なテーマの一つは、かつてはソ連の領土だったこの地域を、新たに登場したロシアには支配させないということである。たとえ、軍事的にどんな結果が出たとしても。
 ブレジンスキーは、トランスコーカサス、中央アジア以外の地域についても、狂気の地政学理論を展開している。

 ブレジンスキーは、カーター政権内の一部の人たちに、“ウッディ・ザ・ウッドペッカー(森のキツツキ)”と呼ばれていた。そのような彼が、エドワード7世と相性の良かったハルフォード・マッキンダーと同じ“イギリス地政学”の流れにあることは明らかである。
 イギリス地政学は、ユーラシア大陸が「科学と技術を発展させる原動力」として統合されるのを妨害するように構成されている。
 ブレジンスキーは、『壮大なチェス盤』の中で、カール・ハウスホーファーの地政学を讃えている。ハウスホーファーは、親英派のトゥーレ・ソサエティの神秘主義者だった人物である。
 ハウスホーファーの“ドラング・ナッハ・オーステン(東への勢力拡大)”という概念は、ヒトラーの『我が闘争』の中に、ハウスホーファーから直接取り入れられた。その概念は、“辺境の領主”としてのヒトラーのドイツが、“レーベンスラオム(生活空間)”とヒトラーが呼んだものを求めて、ソ連と戦うことを意図して使われていた。
 ここにおいてもまた、地政学の目的とするものは、ユーラシア大陸が統合されて、発展するのを妨害することだったのである。

 ブレジンスキーは、『壮大なチェス盤』において、第一次と第二次世界大戦のベースとなった地政学的観点と同様の観点から、次のテーマについて述べている。
 すなわち、「トランスコーカサスと中央アジアを不安定に保ちつつ、また天然資源も獲得しながら、その上でロシアが再びその2つの地方に再び支配権を行使しようとするのを、いかにして妨害するか」というのである。

●“ユーラシア・バルカン”諸国

 ブレジンスキーは、『壮大なチェス盤』で次のように書いている。
「ロシアは、バルト海に対する支配的立場を失ったが、黒海においても同様の状況となった。それは、ウクライナがロシアから独立したからだけではない。コーカサス地方で、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンが独立したために、トルコがいったん失ったコーカサス地方への影響力を、再び確立する機会が増大したからである。……
 中央アジアに独立国が登場したということは、ロシアの南東の国境線が、1000マイル以上も北へ押し戻されたということである。この新しい国家群は、諸外国の欲しがっている、膨大な鉱物・エネルギー資源を今や支配下に置いたのである。……
 中央アジアの諸国家は、トルコ、イラン、パキスタン、サウジアラビアからの援助を受けている。よって彼らは、経済面においては、ロシアと統合した方が利益があるが、たとえそのためであっても、新たに獲得した政治上の主権を売り渡したいとは思っていない。多くのロシア人は、中央アジアがロシアと経済的に統合することをずっと望んでいる。……
 ロシア人にとっては、ロシアの南に位置するイスラム国家と戦争が起こるかもしれないという恐怖は、深刻な問題に違いない(ロシアの南には、トルコ、イラン、パキスタンも含めて、3億人以上の人々が住んでいる)。」

 ブレジンスキーによれば、「ロシアにとってのトランスコーカサスと中央アジアは、西ヨーロッパにとってのバルカン火薬庫と同じ」ということである。
 ブレジンスキーは、『ユーラシア・バルカン諸国』というタイトルの章で、それらの国の不安定さについて論じている。

「ヨーロッパでは、“バルカン諸国”という言葉を聞けば、“民族紛争”と“強国の領土争い”というイメージが直ちに湧いてくる。そして、ユーラシアにおいても、“バルカン諸国”は存在している。
 しかし、その“ユーラシア・バルカン諸国”は、もっとずっと面積が広く、人口も多く、宗教も民族も遥かに多様である。それらは、“不安定ゾーン”の中央にある大きな楕円の中にある。……
 そして、“ユーラシア・バルカン諸国”には、南東ヨーロッパの一部、中央アジア、南アジアの一部、ペルシャ湾岸地帯、中東が含まれている。」

「ユーラシア・バルカン諸国は、その楕円の中心核を形成している。……
 そして、ユーラシア・バルカン諸国と、その外側の地域にある国とは、特に重要なある一点において違っている。それは、ユーラシア・バルカン諸国が、“パワー・バキューム(動力真空装置)”だということである。ペルシャ湾岸や、中東の国家の大部分も同じく不安定だが、アメリカが、その地域の最終的な調停者となっている。
 そのように、ユーラシア・バルカン諸国の外側にある不安定な地域は、ただ一国のみが主導権を握っている地域であり、その主導権によって調整されている地域である。
 ユーラシア・バルカン諸国はそれとは対照的に、南東ヨーロッパにある、人々がよく知っている一昔前のバルカン諸国を思い出させる。それは、政情が不安定というだけではなくて、強大な隣国の侵入を誘っているということである。どの国も、よその国がその地域を支配することには反対しようと決心している。
 このように、“パワー・バキューム”と“動力による吸引”のコンビネーションが見られるので、“ユーラシア・バルカン諸国”という名前がついたのである。……」

「ユーラシア・バルカン諸国は、……安全保障と、近隣諸国の昔からの野望という観点から見て重要である。ユーラシア・バルカン諸国は、歴史的に、少なくとも近隣3ヶ国の野望の対象となっていた。それは、最もそばにあり、より強大な力を持った国、すなわち、ロシア、トルコ、イランである。
 中国も、ユーラシア・バルカン諸国に対する政治的関心をますます示すようになってきている。
 しかし、ユーラシア・バルカン諸国を獲得する価値が極めて高いのは、経済の将来性という点である。ユーラシア・バルカン諸国には、莫大な量の天然ガスが集中しており、石油も埋蔵されている。さらに、金を含めた重要な鉱物資源も眠っている。」


●“ブラック・ゴールド”獲得競争

 ブレジンスキーが『壮大なチェス盤』を書いた当時、彼は巨大石油企業アモコの顧問をしており、カスピ海の石油のことについて相談を受けていた(ブレジンスキーは、少なくとも、アモコが競争相手のブリティッシュ・ペトロリアムに乗っ取られるまでは、顧問を続けていた。彼はその相談料の額については明かそうとはしない)。

 アモコは、アゼルバイジャン・インターナショナル・オペレーティング社(AIOC)・コンソーシアムを作るのに大きな役割を果たした。
 1993年6月、アゼルバイジャンで武装反乱が起こり、国民から選挙で選ばれたアブルファズ・エリチベイ大統領を追放した。その後、ゲイダル・アリエフが政権についたが、このコンソーシアム(共同事業体)は、その後に作られたものである。
 当時70歳だったアリエフは、レオニード・ブレジネフの政権時代に、ソ連共産党政治局で、KGB長官を務めたという経歴を持っていた。

 『ワシントン・ポスト』は、1998年10月4日より、「パイプラインの夢――カスピ海の石油を求めての戦い」というシリーズを3回に渡って掲載した。
 第1回目の記事は、「アゼルバイジャンの資源がチェス盤を変える」というタイトルで、それを書いたのは、ダン・モーガンとデビッド・B・オッタウェイという人物である。そこには、ブレジンスキーとアモコが、アゼルバイジャンで行ったことについて書かれている。
 その記事によれば、「アリエフのクーデターの影には、ロシア政府がいたのではないか」という第一の疑惑があるにもかかわらず、欧米の石油会社は、「アリエフは、待ち望んでいた指導者だ」と直ちに認識したのである。

 アリエフは、自ら寵臣を指揮して、テキサス州にあるアメリカ石油業界の中心地、ヒューストンのアモコの会社と取り引きを行い、息子のイルハム・アリエフを、アゼルバイジャン国有石油会社の副社長に就任させている。

 1994年9月20日、アリエフと石油会社の経営陣は、バクーに集まった。それは、アリエフが“世紀の取り引き”と呼ぶものの契約を結ぶためであった。
 AIOCコンソーシアムは、3つの主要油田の開発のために、74億ドルを出すことに合意した。3つの油田とは、アゼリ、チラグ、それに隣接するグナシリである。目標としては、「2010年までに、一日当たり80万バレルから100万バレルを産出する」と公言された。

 アモコ(現在はブリティッシュ・ペトロリアム)は、AIOCの中において、マクダーモット、ユノカル、ペンゾイルの主な協力相手だった。この3社は、AIOCの中で40%のシェアを占め、他を引き離して最大の連合体を作っていた。
 その1年後には、エクソン社がコンソーシアムに加わった。そして、ブリティッシュ・ペトロリアムのシェアは、アモコを乗っ取る前でも、すでに17%であった。ブリティッシュ・ペトロリアムは、明らかに、元イギリス首相マーガレット・サッチャーが仲介した取り引きを通じて、それだけのシェアを獲得していた。
 後の残りは、アゼリなど、比較的小さな様々な石油会社が占めていた。その中には、10%を占めるロシアの民間石油会社、ルクオイルも入っている。

 1995年の前半には、アゼルバイジャンで操業しているアメリカの石油会社は、ワシントンに本社を有する“フォーリン・オイルカンパニーズ”というグループを設立した。
 そのグループは、国家安全保障会議のエネルギー専門家シーラ・ヘスリンと会い、その後に、彼女のボスの国家安全保障顧問サンディ・バーガーが委員長を務める、政府関係諸機関合同の委員会と会っている。
 この2回の会合のテーマは、「アゼルバイジャンとカスピ海の石油を運ぶために、パイプラインと船はどのようなルートを取るべきか」ということだった。
 ロシア製のパイプを使えば、安い費用で改良・拡張ができ、アゼルバイジャンから石油を大量に運ぶことができる。しかし、そのような契約をすれば、ブレジンスキーと、クリントン政権の一部の人たちが望んでいない程度にまで、AIOCの商取引にロシアが入ってくる。

 『ワシントン・ポスト』の先ほどの記事によれば、バーガーは1995年に、AIOCの会社と2回会合を持っている。
 バーガーは、ブリティッシュ・ペトロリアムの役員で、AIOCの会長であるテリー・アダムズを説得し、欧米諸国に石油を輸出するために、2億5000万ドルの費用がかかるパイプラインを建設する必要があることを認めさせた。そのパイプラインは、バクーから、黒海に面したグルジアの港、スプサまで延びる予定だった。スプサは、ロシアの支配下にないからである。
 ブリティッシュ・ペトロリアムは、ロシアを通して、5000億ドルの安いパイプラインを作る方を希望した。
 1995年9月、AIOCは、ロシア製のパイプラインを使って、アメリカが援助する新たな欧米向けのルートを作ることに合意した。

 AIOCがその決定を行った直後、当時国家安全保障顧問だったアンソニー・レイクは、クリントン大統領の手紙をアリエフに渡すことを、密かにブレジンスキーに頼んだ。
 その手紙は、「アメリカは、パイプラインを2つ作ることを望んでいる」と強調しており、アリエフを釣る餌として、「アメリカは、アゼルバイジャンとアルメニアの間で起こっている、ナゴルノカラバフ論争を解決するために協力する」と述べてあった。

 ブレジンスキーは、その使命を果たした少し後に、カスピ海の石油に関するアモコの顧問となった。ブレジンスキーは、「顧問になったのは、ロシアがトランスコーカサス地方を狙うことを心配していたからだ」と語っている。
 ブレジンスキーは、パイプラインのルートを2つ作ることを提案した手紙をアリエフに持って行き、数日の間、延々と会談を行った。ブレジンスキーは、ロシアが、「アゼルバイジャンの石油はすべてロシアを通せ」と要求しており、さらに、アゼルバイジャンに基地を置くことを要求していたことを知った。

 1995年10月、アモコのユーラシア部門の責任者であるT・ドン・ステーシーに説得されて、計画を受け入れたクリントン大統領は、アリエフに電話をし、2つのルートを建設するように働きかけた。
 アリエフは、その1週間後に賛成の返事を伝えた(『ワシントン・ポスト』によれば、クリントン大統領は、アリエフとある約束をした。クリントン大統領は、アルメニア系アメリカ人のロビー活動によって、アゼルバイジャンに制裁措置を課していた。それは、アゼルバイジャンが、ナゴルノカラバフを巡って、アルメニアと戦争を起こしたという理由だったが、クリントン大統領は、その制裁措置(セクション907)を外す約束をした)。
 ロシアは、1996年の前半には、「2つのパイプラインのうち、片方を支配できれば、どちらもできないよりはましだ」と結論づけており、なすすべもなく、手をこまねいていた。

 ブレジンスキーは、『壮大なチェス盤』で、ロシアをアゼルバイジャンの石油から遠ざけ、ガス開発をさせないようにしていた理由について、非常に明快に述べている。

「ナゴルノカラバフは、アゼルバイジャンにあるアメリカの飛び地である。そこには、主にアメリカ人が住んでいる。
 このナゴルノカラバフの地位を巡って、野戦が起こったが、その時には、400万人弱のアルメニア国民と、800万以上のアゼルバイジャン国民が巻き込まれた。そこでは大規模な民族純化が行われ、膨大な数の難民が、アゼルバイジャンとアルメニアに向かって逃げ出した。
 アメリカはキリスト教で、アゼルバイジャンはイスラム教の信仰を持っている。よって、この戦争は、宗教戦争という意味合いを幾分持っていた。経済は荒廃し、両国とも、しっかりとした独立の状態を保つのが非常に困難となった。
 アルメニアは、ロシアに相当の軍事援助を頼らざるを得なくなった。アゼルバイジャンはナゴルノカラバフを失ったことにより、獲得したばかりの独立と、国内の安定が危機に曝された。

 アゼルバイジャンの弱さは、地理的にもっと幅広い意味を持っている。というのは、アゼルバイジャンの位置は、アゼルバイジャンを地政学的に“要”の国とさせているからである。
 アゼルバイジャンは、カスピ海と中央アジアの資源を入れている“ボトル”へのアクセスをコントロールしている、極めて重要な“コルク”と言うことができる。チュルク諸語を母国語とする独立国のアゼルバイジャンには、民族の上でも関係が深く、政治的にも援助を受けているトルコへのパイプラインが存在している。
 アゼルバイジャンは、ロシアにコーカサス地域の資源を独占させないようにしてきたし、ロシアが中央アジアの新しい独立国の政治に対して、決定的な政治的影響力を持たせないようにさせてきた。しかし、アゼルバイジャンは、北においては大国ロシアの圧力に弱く、南においてはイランからの圧力に弱い。
 イランの北西部には、アゼルバイジャン本国の2倍のアゼルバイジャン族が住んでいる。それを2000万人と推定している人もいる。こういう事実があるので、イランは、イラン国内に住んでいるアゼルバイジャン族が、分離主義を掲げることを恐れている。
 よって、イランもアゼルバイジャンもイスラム教だとはいえ、イランはアゼルバイジャンの主権の地位に関しては、極めて曖昧な態度を取っている。その結果として、アゼルバイジャンは、ロシアとイランの両方から、欧米との取り引きを減らすように圧力をかけられている。

 アモコ(と顧問のブレジンスキー)は、アゼルバイジャンでナンバーワンの海外法人として登場し、バクーの古くからの地区にある、改装した大邸宅を本拠地として活動を行っていた。
 しかし、ひとたびアモコがブリティッシュ・ペトロリアムに乗っ取られると、イギリスは、優勢な勢力として公然と登場した。それはまさに、1992年9月の再来であった。
 当時、ブリティッシュ・ペトロリアムは、サッチャー夫人に総額3000万ドルの小切手2枚を持たせて派遣した。それは、“折り紙”つきのチラグ油田の頭金と、まだよくわかっていないシャク・デニズ油田のための金だった。」

 ブレジンスキーは、イギリスがこのような乗っ取りを行ったことに対して、少しも慌てたりはしなかった。サー・ヘンリー・キッシンジャーと瓜二つの、イギリスの手先であるブレジンスキーは、『壮大なチェス盤』の中で、イギリスが行っている陰謀を擁護する文章を書いたのである。
 ブレジンスキーは、帝国イギリスを、「地政学的には、リタイヤした国である」と表現した。彼は次のように述べている。
「イギリスは、アメリカの重要な援助者である。また、非常に忠実な同盟国であり、必要不可欠な軍事基地でもある。そして、極めて必要とされる諜報活動においては、親しいパートナーである。」

●一族が勢揃い

 1998年5月18日、ブレジンスキーの息子マークは、『ワシントン・タイムズ』に、「アゼルバイジャンの未来」という記事を書いた。マークはその記事の中で、「セクション907を外せ」という嘆願を述べている。
 マーク・ブレジンスキーは、ホーガン&ハーストン法律事務所に勤務しており、彼の言うには、その事務所は、石油とガスの豊富なカスピ海沿岸に、顧客を多く持っているということである(それについては、弁護士と依頼者の人権を犯すことになるので、明かすことができないそうである)。
 マークは、「アメリカは、400万人の人口を持つアルメニアには、6億ドルの海外援助を行っているのに対し、800万人の人口を持つアゼルバイジャンには、1億ドルの援助しか行っていない。しかし、石油とガスの資源を持っているのは、アゼルバイジャンの方である」と述べている。

 彼はさらに次のように書いている。
「セクション907を課されているにもかかわらず、アゼルバイジャン大統領ゲイダル・アリエフは親米的である。それは、アリエフがアメリカに期待を寄せているからというのが主な理由である。
 ロシアとイランは、アゼルバイジャンが、あまり欧米と取り引きをしないように圧力をかけている。
 アリエフは、『アメリカは、北においては大国ロシアから守り、南においてはイランから守ってくれる』と期待しているのである。
 アゼルバイジャンをロシアが支配すれば、中央アジア、特にトルコから、欧米勢力を締め出すことができるようになる。するとロシアは、石油の豊富な中央アジア諸国への支配をますます強化する。
 ロシアがアゼルバイジャンを支配するようになれば、アゼルバイジャン以外のコーカサス地方の国、特にアルメニアとグルジアに対しても、ロシアは支配力を強化するだろう。」

 マークは次のように結論を述べている。
「アゼルバイジャンはその位置により、カスピ海と中央アジアの資源へのアクセスをコントロールする、極めて重要な輸送通路となっている。アゼルバイジャンは国力があり、自治権も持っている。そして、アゼルバイジャンからトルコへはパイプラインが延びている。
 アゼルバイジャンは、欧米がコーカサス地方の資源を利用することを保証してきたし、ロシアとイランに対しては、両国が中央アジアの新しい独立国の政治に、決定的な政治的影響力を持たないように努めてきた。
 このような理由と、極めてアメリカ寄りの対外政策を取っていることによって、アゼルバイジャンは、アメリカの援助を受けるにふさわしい国の1つになっている。
 最初に取るべき望ましいステップは、セクション907を廃止することではないだろうか。クリントン大統領は、このような措置を要求するだけの政治的勇気と、戦略におけるビジョンを持つべきである。」

 7月に、マーク・ブレジンスキーと話した時、マークは次のように述べていた。
「サム・ブラウンバック(共和党、カンザス州)上院議員は、セクション907の廃止を定めた、シルクロード条例の修正案を提出した。しかしそれは可決されなかった。
 その修正案は、人道主義上の災害に対する援助と、石油とガスのインフラストラクチャー、特に輸送関係のインフラストラクチャーを提供するというものだった。」

 そこでマークに質問した。
「中国人が、カスピ海の石油・ガスの開発を行うようになっており、ロシアへの緩衝国となっているが、あなたは、あなたの父親と同じように、そういう中国人に好意を感じますか?」
 それに対して、マークは、「そのような開発は、その目的のために行っている限りは賛成する」と述べた。

 以下は、マークが述べた内容である。

「中国は、カザフスタンのいくつかの場所で資源踏査の権利を買い、(トランスコーカサスと中央アジアのシルクロード地域の)エネルギー開発の分野において、主な投資者となっている。また、幹線パイプラインを2600マイル延長して、中国東部にパイプラインを引こうという構想が出されている。これは全く天文学的な話である。
 しかし、中国人は真剣にそれを考えている。先週、カザフスタンの外相が中国を訪問し、その構想について国家主席と話し合った。中国では、今もなお真剣にその構想についての議論が続いているようである。
 カザフスタン大統領ヌルスルタン・ナザルバエフは、10月に中国を訪問することになっている。……

 中央アジアのエネルギーと石油に対して、様々なセールスポイントを与えるような開発をするのはよいことである。今のところ、資源を利用できるはロシアだけだからである。
 ロシアはこの点に関して、信頼できる相手に、本心を明かすようなことはしていない。つまり、ロシアは中央アジアのガスと石油を手に入れ、輸送しようとする。しかし、ロシアは、そのガスと石油に市場価値を与えようとはしない。
 そして、中央アジアのこれらの国は、もっと国際的に兌換できる資本を必要としている。ロシアは、バクーからノヴォロシースクに石油とガスを輸送することに、必ずしも協力的なわけではない。」

 ズビグニュー・ブレジンスキーは、『壮大なチェス盤』の中で、次のような見解を展開している。
「中国は、英連邦とアメリカが結びついた“金融寡頭権力”のビジョンに従って、国の未来についてのビジョンを持つことが許される。
 すなわち、中国がイギリスとアメリカのルールに従っている限り、ユーラシアの大国になるのはかまわない。しかし、世界的な大国になるのは許されない、ということである。」

 ブレジンスキーは、次のように書いている。

「中国が大国として登場してきたことにより、極めて重要な地政学的問題が出てきている。最も魅力的な結末は、民主化と自由市場化を進めつつある中国に任命して、より大きな枠組みでのアジアの協力関係を作らせることである。……
 考え得る中で、最も危険なシナリオは、中国、ロシア、そして多分イランが加わって、壮大な連立を作ることである。しかも、イデオロギーによるのではなくて、お互いの不満を補足し合うために、巨大な“反ヘゲモニー”の連立を作ることである。
 このような連立のスケールとビジョンの大きさは、中国とソ連がかつて作った同盟を思い出させる。かつての同盟と違う点は、中国がリーダーであり、ロシアがそれに従うということである。
 また、すぐにはそのような連立は実現しないとしても、そのような事態を避けるためには、アメリカが、ユーラシアの西部・東部・南部において、同時に戦略地政学的手腕を示すことが必要不可欠である。」

 ズビグニュー・ブレジンスキーの甥、マシュー・ブレジンスキーは、つい最近まで、『ウォールストリート・ジャーナル』のスタッフライターだった人物である。
 彼は面白いことに、アナトリー・チュバイスなどのリベラルなイギリス型の自由市場改革論者と、ソ連で行われていた石油開発を讃える文章を書いている。
 マシューは、ロシアの石油・ガス産業の民営化について述べており、さらに、民営化された会社が提携する可能性についても書いている。例えば、ロシアの少数独裁者ボリス・ベレゾフスキーのシブネフトや、AOユクシなどである。
 シブネフトは、世界最大の石油グループを形成している会社である。AOユクシは、エクソンとロイヤル・ダッチシェル・グループを合計したよりも、資産の多い石油会社である。
 マシューは、ブリティッシュ・ペトロリアムやロイヤル・ダッチシェルなどのイギリスを中心とした会社や、フランスのエルフ・アキテーヌが、ロシアの石油とガスを、安い値段で買い上げようとしている行動についてしっかりと追っている。
 さらに彼は、ルクオイルについてたびたび触れている。ブリティッシュ・ペトロリアムが支配しているアゼルバイジャンのAIOCの中で、ルクオイルは唯一のロシアの会社である。

 明らかに、ブレジンスキー一族は、彼らの狂気の地政学にさす潤滑油を見つけたのである。特に、コーカサス地方と中央アジアにおいて。
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