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華氏9/11… [バグダードバーニング]
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投稿者 なるほど 日時 2004 年 9 月 19 日 11:58:46:dfhdU2/i2Qkk2
 

2004年9月15日(水)

華氏9/11…

 8月はすさまじかった。ものすごい暑さだった。バグダッドがこんなに暑かったことはいままでなかった。8月半ば頃、観測史上の最高気温を更新したと思う。(訳者注:ちなみに、1921年7月8日バスラで観測された摂氏58.8度がこれまでの世界最高気温)

  バグダードでは、このところずっと遠く近く爆音が鳴り響いている。数日前、立て続けの大爆音で目がさめた。いまはもうすっかり慣れてしまった。どこからともなく現れて街中をおおっている、暑さ、蚊、破壊された建物、剔られた道路、つぎはぎの壁のように。いまは生活の一部だ。3日ほど前、屋上で寝ていたら朝5時頃、電気が通じたのでよろめくように家の中に戻った。そしてエアコンの冷たい風の下で寝入っていたら、最初の爆音が轟きわたったのだ。

 さめていく夢のしっぽにしがみついてなんとか眠りの世界に戻ろうとあがいているところへ、さらに数発の爆音が鳴り響いた。階下へおりると、E(弟)がニュースチャンネルをあちこち切り替えて、なにが起こったか知ろうとしていた。うんざりして首を振った。「まったく遅いったらありゃしない。お昼になったらやっとわかるんだろう」

  しかし事情はもっと早くにわかり始めた。ハイファ通りでイラク人武装グループと米軍の衝突があったのだ。焼け焦げた高機動軍用車両、浮かれ騒ぐ群衆、ヘリコプターから降るミサイル、ジャーナリスト死亡1名、イラク人負傷者数十名・死者数名。空港へ行く道路はここ数日間戦場だった。
  米軍への攻撃が増しイラク警備隊も攻撃された。空港付近に住む人々は夜中誰も一睡もできなかったと言っている。
 バグダード以外の地域もさして状況がいいわけではない。南部では、サドルの民兵と米軍の戦闘が続いている。バグダードの北では、毎日毎日が爆撃と攻撃である。ごく最近攻撃されたラマディでは、住民は負傷者を市外へ運び出すことを許されないという。いま現在、北部の町テル・アファは包囲攻撃されており、なおファルージャへの爆撃は続いている。
 
 バグダードの誰もがただただ疲れている。イラクは、新聞で記事を読んだ人が「いったいこの世はどうなるんだ?」と首をふりふりつぶやくような、そんな国の一つになってしまった。誘拐。爆撃。武装民兵。過激派。麻薬。ギャング。強奪。何でもあり。どの話を聞きたいか、言ってみて。
  お望みの話をひとつ、いいえいくつも聞かせてあげられる。

 さて、9月11日は何をして過ごしたと思う? マイケル・ムーアの「華氏9/11」を見ていました。8月初めに海賊版のCDを手に入れた(マイケル・ムーアさん、ほんとうにごめんなさい。だけどイラクで見ようと思ったらこれしか方法がない・・・)。このCDは、ほかのあまたのCDと一緒に引き出しの中にずっと収まっていた。ある日いとこの一人がこう言って持ってきたのだ。「すばらしいけど、がっくり落ち込ませる映画でもあるよ」 わたしはCDの存在を無視していた。だって、5分と続けてブッシュを見ることに耐えられないのに、2時間もの間もつとはとても思えなかったから。

 3日前、家の中が静まり返っていたので(つまりいとこもいとこの子どもたちもいなくて、親はテレビか何かに気をとられていて、Eはエアコンの前であと3時間は寝ているだろうと思われた)、CDを出してみた。

 CDはびっくりするほど鮮明だった。ぼけたり音質が悪かったりするだろうと思っていたのだが、何も問題はなかった。映画館で上映中にコピーされたものだ。どうしてわかるかというと、携帯電話の呼び出し音が数回入っていたし、前の席のうっとうしい人物が立ち上がっては座り直していたからだ。

 始まったとたん引き込まれ、終わるまで夢中だった。見ながら、ほとんど息ができないというときが何回かあった。が、何も驚かなかった。ショックなことは何もない。ブッシュ一族とサウジ・アラビアの盟友たちのあれこれについては何ら耳新しいことはない。衝撃を受けたのは、これとは別の場面だ。アメリカ人のイラク戦争の受けとめ方、インタビューされるイラクの米軍兵士たち、あるアメリカ人母親の息子の戦死前と後。

 あの母親! 初め彼女を見たときどんなに腹がたったことか! スクリーンを見ていられなかった。軍に志願することが高邁な行いであると世間を説得しようとし、娘と息子が“お国のために働いている”、いやお国のためどころか同盟国と“世界のために働いている”といって満足しきっていた。映画がイラクの犠牲――炎上する建物、爆発、ころがる死体や死にいく人々を映し出すと、彼女への憎悪はいっそう強まった。

 母親はこの戦争を支持する人々の傲岸不遜と無知蒙昧を体現していた。わたしは、映画の終わりまで彼女を憎みぬきたかった。この母親に対する、このときの気持ちをうまく言えない。憐れみの気持ちもあった。自分がどこへ何のために我が子を送りこんだのか、まったくの無知であることがはっきりわかるから。憤っていた。自分が送りこんだ我が子が何をするのであろうか、という省察のかけらもみえなかったから。しかし、このときの気持ちが何であったにしろ、母親が死んだ息子の最後の手紙を読み聞かせる場面で、その一切がくずれ失われた。感じまいとしていた同情を感じ始めていた。さらに彼女がワシントンの市中を歩いて、抗議行動をする人々を見、泣き叫ぶ場面で、まわりのアメリカ人がその怒りを理解しようともしないことに、打ちのめされた。同情しているイラク人のわたし、無関心なアメリカ人。彼女が共感を得ることができたであろう唯一の場がイラクだ、ということの皮肉。わたしたちはわかっているのだ。戦争のために家族や友人を亡くすことがどういうことか。その人々の最期が恐ろしいものであったこと――渇きと痛みに苦しんで死んでいったであろうこと、愛する人々の誰にも看取られなかったことなどを思うとどんな気持ちがするものか。知っているのだ。

 母親が、どうして息子が召されたのか、行い正しい人間だったのに、どうして息子はこんなことになったのか、と問うたとき、わたしも心の中で問い続けていた。この人はイラクの犠牲者たちのことを少しは考えたことがあるのかしら。ファルージャの破壊された家の瓦礫の下から我が子たちを懸命に掘り出そうとしている、あるいはまたカバラで、子どもの胸の大きく口を開けた傷口から吹き出る血を必死に止めようとしているイラクの親たちも、彼女と同じ思いをしていると、一瞬でも思ったことはあるかしら。

 イラク爆撃と犠牲者の映像には、想像していたより大きな苦痛を受けた。わたしたちはこれを生き抜いてきたのだ。だが、スクリーン上にそれを認めることは、なお激しい責め苦だった。わたしは、この1年半の間にイラクが爆撃でこっぱみじんにされ、外国軍によって破壊されているのをみるという体験で、自分が少しは強くなったのでは、と思っていた。だが、傷口はまだ開いたままであった。これらの場面では、傷の裂け目に尖った棒を突き刺されるような気持ちだった・・・痛かった。
 
 全体としてこの映画は・・・なんと言えばいいのだろう? よかった? 驚くべき? すごい? いいえ。わたしは怒り狂った。なさけなく悲しく、自分に許せる限度以上に泣いた。それでも、映画はすばらしかった。マイケル・ムーアがもの語る言葉は、簡潔で要を得ていた。誰もがこの映画を見ることができたらと思う。こんなことを言うと、怒ったアメリカ人から、これこれと主張されているがその点は誇張だなどとわたしに教えてくれるメールをどっと受け取ることになるだろう。だけど誇張だろうがなんだろうが、かまわない。真に重要なのは、映画にこめられた一貫するメッセージだ。つまり、事態は、アメリカ人にとって2001年当時よりよくなっておらず、イラク人にとっては確実に悪くなっている、ということ。
 
 3年前、イラクはアメリカにとって脅威ではなかった。いまは、脅威だ。2003年3月以降、イラク国内で千人以上のアメリカ人が死んだ。死者数は増え続けている。20年後、過去を振り返ったとき、イラク人がこの占領をどのような形で思い出すとアメリカ人は思っているのだろうか。

 ずっと疑問に思っていることがある。9月11日から3年たって、アメリカ人は今の方が安全になったと感じているのだろうか? 最初の9月11日、イラク全体がショック状態だった。2002年のときは、ある種の同情と理解があった・・・わたしたちも同じ経験をしてきたのだから。過去に起こったことを言っても、アメリカ人はまず信じないことだろうが、アメリカ政府は毎年のように、この同じ悲しみを世界各地の人々の上にもたらしてきたのだ。それが、突然、戦争は何千キロも彼方の話ではなく、自分の国のことになったのだ。

 今年、9月11日にどう感じているかって? 少しばかり疲れたわ。

 イラクでは毎月9月11日が起こっているのだから。弾丸、ミサイル、手榴弾、拷問、あるいは運悪く爆発に行き当たったりして、死ぬイラク人すべての一人ひとり――その誰にも家族があり友人があり大切に思ってくれている人がいる。
 2003年3月以降のイラク人の死者数は、少なくみてもワールド・トレード・センターの死者数の8倍だ。彼らにも、人生が一瞬にしてくずおれたとき、言い残したい言葉、言い残したい思いがあったのだ。この1年で、これまで生きてきて経験したものを全部合わせたよりもたくさんのお通夜とお葬式に参列した。追悼の式次第とむなしいお悔やみの言葉は、すっかり身になじんで無意識に行えるようになった。

 9月11日。その人は座って新聞を読んでいた。お茶を飲もうと目の前のカップに手を伸ばしたとき、頭上に飛行機の音を聞いたような気がした。いい天気の気持ちのよい日で、さあこれから仕事にかかろうとしていた・・・突然世界は暗転。ものすごい爆発音、続いてコンクリートと鉄骨の塊の下で骨の砕ける音・・・そこいら中が叫び声で満たされ・・・男も女も子どもも・・・ガラスの破片がむき出しの柔らかな皮膚を狙う・・・その人は家族が気になって立ちあがろうとした。が、からだのどこかがやられているようで、立ち上がれない・・・熱気が押し寄せてきて、人肉の焼ける臭いと煙りと粉塵が混ざり合って鼻をふさぐ・・・ふたたび突然真っ暗に。

2001年9月11日のこと? ニューヨーク? ワールド・トレード・センターでしょう?

いいえ。

2004年9月11日。ファルージャ。あるイラク人の家。

午後2時49分 リバーによって掲示

(翻訳 池田真里)

http://www.geocities.jp/riverbendblog/



『バグダッド・バーニングイラク女性の占領下日記』
著:リバーベンド 訳:リバーベンド・プロジェクト
http://www.artone.co.jp/review/baghdad.html

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