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アスナールによる世界史捏造:アルカイダの起源は8世紀だと!この殺人者・破壊者の子孫めが!
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投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 9 月 23 日 10:30:21:SO0fHq1bYvRzo
 

アスナールによる世界史捏造:アルカイダの起源は8世紀だと!この殺人者・破壊者の子孫めが!


9月22日付エル・ムンド紙(電子版)の記事からです。これは重要部分のみの抄訳といたします。またこの記事の後で、スペインの中世史について、若干の説明を付けておきます。どうぞ、最後までお読みください。


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『アスナールはワシントンで、スペインにおけるアルカイダの問題は8世紀に始まった、と明言』

ワシントン:ホセ・マリア・アスナールはワシントンのジョージタウン大学の客員教授として、テロリズムについての講義の中で、「我々は前例の無い戦争の只中にいる」と警告し「スペインでのアルカイダの問題は8世紀に始まった」と明言した。

このスペイン前首相は、「現在のテロリズムの7つの論理」と題された授業で、多くの人が3.11はスペイン政府のイラク戦争参加が理由だと考えているが、そうではなく、もっと以前からの原因である、という確信を述べた。「スペインは、ムーア人によって征服された際に、イスラム世界の一部であることを拒否し、自分たちのアイデンティティを失わなかった。」

彼はすべて英語で授業を行ったが、アーノルド・シュワルツネッガーがその奇妙なアクセントの英語でカリフォルニア州の知事になったからには「私にも希望がある」、と聴衆に語った。

今や米国の首都の最も権威ある大学の教授である彼は、新たなテロリズムを、選択の余地の無いそして「逃れようも無い」「新しい形態の紛争」であると述べた。

【後略】

http://www.elmundo.es/elmundo/2004/09/22/espana/1095805990.html

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もう、アホらしゅうてこれ以上翻訳する気をなくした。

知り合いのカタルーニャ人は「アスナールは本当に馬鹿だ。あんな頭の悪いやつは見たこと無い。」「ユーモアのセンスのかけらも無い。」と散々に悪口を言っていましたが、彼の言うことが誤りでないことがよく分かりました。頭の悪さはブッシュといい勝負です。

このオッサンの英語の下手糞さは有名で、相当に特訓をしたのでしょうが、それにしてもシュワルツネッガーを引き合いに出すとは、ねえ。さすがのエル・ムンド紙もただただ呆れ果ててやけくその記事を書いているようです。集まった学生の数などは一切書かれていません。(多ければ必ず書くはずでしょうがね。)またこのジョージタウン大学というのはカトリック系(イエズス会系)ですから、その筋に頼んで何とかもぐりこませてもらったのでしょう。それにしても、こんな無茶苦茶な講義で単位をもらいたいと思う学生など、いくらアメリカでも、いるのでしょうか。


ここで、スペインの中世史について、若干の説明をしておきましょう。いくらなんでも、こんなデタラメを聞いて黙っておれません。

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西ローマ帝国滅亡の後、イベリア半島の大部分はゲルマン種族の一部である西ゴート族の治めるところとなった。西ゴート族は、荒々しさと残虐さで有名なゲルマン諸族の中では多少はおとなしく早くからキリスト教も受け入れていた。しかし他の種族同様、技術や造詣などの文化の程度は低く、わずかのキリスト教会と幼稚な細工物を除いて、ほとんど目立った痕跡を残していない。ただ、他のヨーロッパ地域と同様だが、中世の封建的な社会関係の原型がこの時代に作られた、といわれる。

しかし、この西ゴート王国は、711年にジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島に攻め込んだイスラム勢力によって、わずか8年で、カンタブリア山脈の北側の海岸地帯を除いて、ほぼ完全に征服されてしまう。イスラム勢力、といっても、内容はアラブ人ばかりではなく北アフリカの諸民族連合、といった感じなのだが、ヨーロッパ諸族とは比較にならぬ高度な文化と組織形態を持ち、720年には南フランスに攻め込んだ。しかしさすがに北上しすぎたと見えて、732年のツールの戦いに敗れた後は、ピレネー以西に立てこもり、アンダルシア(アル・アンダルース)を形作った。

スペインはサラセン帝国の一部ということになったが、実際には独自の王国の形であり、8世紀後半には後期ウマイヤ朝、10世紀には地中海に覇を唱えた西カリフ国となった。ただ、複雑な民族構成から内紛が絶えず、複雑に王朝が入れ替わり、結局これが命取りになった、と言われる。

しかし首都はほぼ一貫してコルドバでありトレドも大都市としてにぎわった。イスラム教徒たちは決して異教を禁止しようとせず、多少の経済的・社会的不利は与えても、むしろキリスト教やユダヤ教徒の同居を選んだ。キリスト教徒たちもイスラム教徒と積極的に婚姻で交わり、経済を支えるユダヤ教徒と共に、イスラム王国を支えていった。

現在、コルドバやセビージャに残されているイスラム建築を見ても、その文化がいかに高く、しかも多くの種類の人間によって支えられていたか、よく理解できるだろう。何よりも農業基盤がしっかりしていた。現在のスペイン南部には半砂漠状の荒野が広がるが、イスラム時代には、実は肥沃な農地が広がっていたのだ。人々は乏しい水を極めて巧妙に利用し、ローマ時代から続いた施設の上にイスラムの卓越した水利技術を駆使して水路を作り豊かな麦畑を実現させた。それがこの国の高い文化を保証していたのだ。

コルドバの大学ではアラビア語に翻訳されたアリストテレスやプラトンの哲学、ユークリッドの数学などを学ぶ学生であふれ、その中には大勢のキリスト教の僧侶たちもいた。アリストテレスの思想とプラトンのそれとを弁別したスペイン人イスラム教徒アヴェロエスの研究が、キリスト教に多大な影響を与えスコラ哲学の誕生につながり、やがては西欧合理主義の基盤となっていったことは有名である。

一方キリスト教徒たちは、8世紀後半には北部にアストゥリアス王国を築き、ピレネーの山岳地域の諸侯はフランク王国の庇護を得て、次第にイスラム国へと反攻を開始していった。10世紀から11世紀にかけて、アストゥリアス王国からはカスティーリャ王国、レオン王国、ポルトガル伯国(後に王国)が誕生し、またピレネー地区には、北部にバスク人の王国ナバラ、中央部にアラゴン王国、そして地中海側にはバルセロナ伯国ができた。その中で最も強力だったのはカスティーリャであり、レオンを吸収して南へ南へと、イスラム勢力の内紛を利用しながら占領地を増やしていった。

彼らが占領地で行ったことは何か。ローマ時代からイスラム時代まで大切に守られ続けてきた農業水路を片っ端から破壊し、肥沃な畑は羊用の牧草地に変えられた。そして羊たち他その草を食い尽くした後に残ったものは、もはや何を生み出す能力をも失った乾き果てた台地だけだった。カスティーリャのキリスト教貴族たちの目には、外国で高値で売れるメリノ羊の羊毛の生産以外に何も無かったのだ。ドン・キホーテが放浪した乾き果てたスペインの台地は、実はキリスト教貴族たちによるこの農地破壊の結果だったのだ。

こうして、中央部メセタ、西部のエクストレマドゥーラ、そして南部のアンダルシア、と、不毛の半砂漠を広げながら、キリスト教徒によるイベリア半島の再征服(レコンキスタ)は完成に近づいていく。

一方、ピレネー山脈東部から出発したバルセロナ伯国は勢力を拡大し、12世紀には後継者の途絶えたアラゴン王国を継ぐ形で、カタルーニャ=アラゴン王国を形成し、13世紀には征服王ジャウマ1世によってバレンシアとバレアレス諸島がその領地にになった。以後、この国は西地中海を制覇する海洋帝国として発展する。

さて、15世紀にはイスラム勢力はわずかにシェラネバダ山脈南のグラナダ王国を残すのみとなり、イベリア半島中央部はカスティーリャ、西部はポルトガル、東部はカタルーニャ=アラゴン、そして北東部にナバラという地理になった。アラゴン王国では後継者が絶えカスティーリャ系の王が誕生した。15世紀後半にはカスティーリャの女王イサベラとアラゴンの王フェルナンドが結婚し二人で統治する、という形で統一スペイン王国が誕生した。

そして運命の1492年、女王イサベラの支援を得たコロンブスが大西洋の西の土地を発見した、ちょうどその年、最後のイスラム王国コルドバは、あの華麗なアルハンブラ宮殿を残して永久に消えることになる。

その後は、荒廃し生産力を失い果てたスペインの大地から追い出されるように、南米に渡ったスペイン人たちの残虐な南米制服が繰り広げられることになる。たとえば有名なコルテスはスペインの中でも最も荒廃の激しいエクストレマドゥーラの出身である。中南米でのスペイン人の強盗・略奪行為は、要するに、イスラム王国に対する侵略、農地破壊、文明破壊の延長であろう。

さらにスペイン本土で繰り広げられたことは、まず1492年のユダヤ人追放、数年後それに続くイスラム教徒追放、そして血も凍る異端審問であった。イサベラとフェルナンド、およびキリスト教貴族たちは、ユダヤ人とイスラム教徒の持つ豊富な財産を巻き上げるついでに、この地域によって歴史も文化も異なる複雑な国を、カトリックという強力な単一のイデオロギーで支配したかったのであろう。

しかし、この二人の王は跡継ぎに恵まれず、血族であるハブスブルグ家がスペインの統治者となる。そしてスペイン王は、実質的にはヨーロッパ内の植民地であるスペインの提督、スペイン人は海外侵略の手先となっていく。この植民帝国スペインの2重性を見抜いておかねばならない。そしてその支配者はやがて18世紀初頭にはフランス・ブルボン家に置き換わることになる。

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アスナールのデタラメ、気違いぶりは、救いがたいものです。この馬鹿は、自分が血に飢えた殺人者・破壊者である中世カスティーリャのキリスト教徒の末裔であることを忘れ(というよりその本性をむき出しにして)、大嘘をばら撒いて、世界の豊かな多くの文明を破壊しようとたくらんでいる、としか言いようがありません。

破壊者・殺人者はむしろ彼らキリスト教徒(指導部)であり、彼らこそが8世紀に起源を持つ「アルカイダ」に他ならないでしょう。前出のエル・ムンド記事には、このアスナールの馬鹿が「現代の脅威は危険なイデオロギーであり、このイデオロギーとの戦い」を強調している発言が載っていますが、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教がおおらかに混在していた豊かな中世スペインを、単一イデオロギーが異端審問の狂気で残虐に支配した近世スペインに作り変えてしまったのが、アスナールの先祖、カスティーリャのキリスト教貴族だったのです。

誰が本当のテロリストなのか、どうか皆さん、歴史から学んでください。

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