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あの戦争賛美の歴史教科書が、養護学校に、3年前に押し付けられたことついて
http://www.asyura2.com/0406/war60/msg/376.html
投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 9 月 23 日 13:28:07:HcDLIonJaW4jM
 

両手ポリオの身体障害者の近藤和也と申します。手と足を組み合わせてパソコンの文字を打ち込んでいます。

私がこういう運動にかかわった原点が、“2001.8.7の東京都と愛媛県の一部の養護学校にだけ、あの戦争賛美の歴史教科書が押し付けられたこと”だったからです。

以下、人の迷惑かえりみず、ながーい文章を投稿しますけど、長い文というものは、項目や、キーワードだけを斜め読みすればよいです。だが、しかし、戦争こそが、一番迷惑。こんな程度で、文句を言うことも無いのである。とは言うもののどうもすみません。
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「8/26、都立白鴎高校に、あの戦争賛美の歴史教科書が押し付けられたことに関連して、三年前に押し付けられた養護学校について調べたこと」

[前書き](ここは飛ばして読んでください。)
 そもそも、あの教科書は中学3年生用。通常、中学校というものは、市区町村立。都道府県立で中学校というものは、養護学校の中等部か、今回のような高校を中高一貫校(都立高校付属中学)にするかぐらいしかないのだ。そうすれば、都教委(東京都教育委員会)が直接採択を決定できる。私は子供のころ、養護学校へ通っていた。
 私は今頃、三年も経ってから、去年パソコンが手に入って最近インターネットなどもある程度使えるようになってから、ようやくわかった。パソコンの両上肢障害者等の人には補助金が“11万8500円”も出るし、周辺機器やソフトなどにも補助金が出るのだからどんどん活用しましょう。特に、体の不自由な者には、パソコンの重要性は大きい。「知は力なり!」「怒れ!」
 権力と闘わない組合は滅びる!物言わぬ民は滅ぶ!と沖縄闘争の牧師さんもヘリ墜落現場の前で怒りの大演説をしている。http://www1.jca.apc.org/videoact/actv/ 
このインターネット・ビデオ画面の中で、怒りまくっておられる。「怒ること」は、人間性の開放・向上へのエネルギー源なのです。
 ♪固き土をやぶりて〜民族の怒りに燃える島〜 沖縄よ〜…。
沖縄やイラクやパレスチナの民衆と、世界の障害者が連帯することが、インターナショナルということです。インターネットは、世界草の根民衆のネットワークだ。
 私たち障害者のできることは、体を使うことではない。私よりもっと、手が動かない人や、言語障害の人などは、パソコンこそが必要だ。また、目の見えない人も、話すだけなら普通に会話できるが、字や絵やいろいろ見て読み取ることは、パソコンこそがありがたい。
 そして、もっと大切なことは、心で、反骨精神を持って、「突き上げる」ことだ!未熟者でもだ!
  ♪が〜んば〜ろう〜、突き上げる空に〜……
   たたか〜いは ここか〜ら たたかいは 今から〜♪ オウ!  
  ♪聞け万国の障害者〜、汝の価値に目醒むべし〜…、
  ♪覚め〜よ、わがはらか〜ら 暁は来ぬ〜 
  ♪民衆の声インターネットは、安くてまわりが早い〜 
  ♪いざ、たたかわん〜いざ 奮い起ていざ〜
   ああ、インターネットは、われらがもの〜…。

 「徴兵は(戦争は)命かけてもはばむべし、祖母・母・おみな、牢に満つるとも」

この短歌は、一九七八年、福田赳夫首相が、有事立法の研究を指示する情勢のもとで東京都の石井百代さん(当時・七十五歳)が詠んだもの。石井さんの、兄、おい、二人のいとこ、義弟が戦死しています。(故人)。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-03-14/14_01.html 
ここに、「障害者」も入れるのです。

 「戦争は命かけてもはばむべし、祖母・母・おみな・障害者、牢に満つるとも」。

ほんとの抵抗・不服従・反骨精神とは?そして、本当の「自由」「平和」とは?
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[以下本文]なお、下記の中で特に注意してほしい箇所に⇒【 】を付けた。
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●『東京都教育委員会の「つくる会」歴史・公民教科書の採択決定抗議!!!都教委は採択を白紙撤回を!!!!』のページより。2001年8月9日 http://members.jcom.home.ne.jp/kyoukasyo/803.htm 
◆「病弱養護学校および青鳥養護学校梅ヶ丘分室についてのメール」
メールの転載です。
対象の養護学校の実態内容がわかると、本当に「政治的採択」のむごさにあらためて怒りが込み上げます。◆2001年8月9日
 今回採択された「病弱養護学校2校、青鳥養護学校梅ヶ丘分教室」についてですが、病弱養護学校は都内東久留米市にある久留米養護学校と静岡県(唯一都外にある都立学校です)にある片浜養護学校です。久留米養護は主にいわゆる 「病弱」の児童生徒が70名ほどがいます。中学生は30名くらい。片浜養護は主に「不登校」の児童生徒がいて30名ほどの児童生徒がいます。中学生は15人くらいです。
 この片浜養護は石原が進めている都立学校の統廃合の対象になっていて、現在強行されているろう学校の統廃合が済むと次に廃校になることが確実視されている学校です。どちらの養護学校も基本的に全員寄宿舎に入っています。
 この2つの病弱養護はともに組合の組織率も悪く、全教系の都障教組がそれぞれ30%強くらいの組織率で、日教組系の都障労組はいません。PTAなど保護者の活動も一番活発ではないとされてきている学校です。 
 青鳥養護学校梅ヶ丘分教室についてですが、この分教室は都立松沢病院内(住所が世田谷区梅ヶ丘)にあります。都立松沢病院はご存じの方もあるでしょうが、都内で最大規模の精神病院です。梅ヶ丘分教室で学んでいる児童生徒は皆、この松沢病院に入院している精神的な病気の児童生徒です。主に中学生で30人ほどいるようです。今回の都教委の決定は、一番反対の声が挙がらないところを攻めてきたといえます。
「公立学校採択」の実績づくりのために養護学校の生徒たちが踏み台にされている現実は酷いとしか言いようがありません。
 [青鳥養護学校梅ヶ丘分室での扶桑社版歴史・公民教科書の採択決定に思うこと]
松沢病院梅ヶ丘分院の児童精神科病棟に入院中の中学生の通う青鳥養護学校梅ヶ丘分教室で、公民・歴史とも扶桑社の教科書採用が決められたとのこと。子供たちも親もおそらく文句の言えない弱いところから押し付けてきたのでしょうが、⇒【とりわけ精神病院となると、あの戦争で松沢病院入院患者は多くの方が餓死したし、陸軍からは「誤爆」ということにして入院患者を殺してしまえなどという計画まであったそうです(幸いこれは計画だけだったわけですが)。】この歴史を考えると精神病院入院中の患者にあの戦争賛美の教科書を押し付けるという残酷さ許せませんね。戦争と障害者、戦争と「精神病」者、8月15日を迎え考えなければなりません。
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[※近藤・注]この文の終わりの「8月15日を迎え」は、これが書かれた日が、2001年8月9日だったからだが、今なら、先日「2004年8月26日、都立白鴎高校に戦争賛美の扶桑社の歴史教科書が押し付けられたことに対し」とでも置き換えればよい。しかも、子どもたちは病院入院中の中学三年。社会に向けて活動できるのは、親とか先生たちだけであり、それもごく少数。誰も見ていない、誰も気にしない。日本の中のアフガニスタン…。「誤爆」という言葉が出るのが、その証拠。だから私はたとえ迷惑がられても、こういう長文を送りたいのだ。
 なお、上の「都内東久留米市にある久留米養護学校」は「都内東久留米市にある久留米養護学校と、清瀬市にあるその清瀬分教室」とするべし。
▼松沢病院梅ヶ丘分院の沿革 
http://www.byouin.metro.tokyo.jp/umegaoka/annai/gaiyou.html
昭和20年3月 私立青山脳病院(院長:斎藤茂吉←北杜夫、斉藤茂太の父、「楡家の人びと」のモデル)が東京都に移管され、東京都立松沢病院分院(医療法定床 126床)として発足。結局、昭和20年5月25日、誤爆ではなく世田谷大空襲で、その隣の光明養護学校と共にここら一面は焼け野原。昭和27年11月東京都立梅ヶ丘病院となる。
▼『声なき虐殺―戦争は精神「障害者」に何をしたのか』塚崎直樹編 BOC出版部 1983年 
 http://popup.tok2.com/home2/nagano2/warandps.htm 
 「かわいそうな象」という話がある、戦争中に上野動物園で、動物たちが毒殺されたが、賢い象は毒入りのえさを食べず、飢え死にしたという話だ。しかし同様に檻に閉じ込められていた精神病院入院患者が餓死させられたことはあまり知られていない。
 たとえば都立松沢病院(現・梅が丘病院=その院内学級にあの歴史教科書が今押し付けられている!=光明養護学校の隣。)では1938年ごろから死亡率が増大し始め、敗戦の年1945年にはなんと入院患者の4割が死亡した。全国の精神病院はどこでも多かれ少なかれ同様の歴史をもっている。
 マラリア注射により家族の入院患者を「処分」された、という中宮病院入院患者遺族の証言もある(『声なき虐殺―戦争は精神「障害者」に何をしたのか』塚崎直樹編 BOC出版部 1983年)。
 ナチスのユダヤ人虐殺に先立ち、「精神障害者」や身体障害者が組織的に虐殺されていたった歴史同様に、日本でも精神病院入院中の患者は食料不足のまま放置され餓死し、そしてあるときは意識的「処分」までされたのである。
 自衛隊が海外出兵する時代、今私たち「精神病」者は新たな戦前に、いやまさに進行している戦争におびえている。
▼1977年9月27日横浜・米軍機墜落事件と、精神病院 http://www.asyura2.com/0406/war58/msg/962.html 
▼【本の紹介】戦争を生き抜いた肢体障害者たちの証言- 手ポリオ 2004/8/16 13:52:32
 http://www.asyura2.com/0406/war58/msg/656.html 
▼「全国疎開学童連絡協議会」の中の「光明学校と全国障害児学校の集団疎開」 
 http://www.ne.jp/asahi/gakudosokai/s.y/sub31.komeigakko.htm 
▼単行本「信濃路はるか―光明養護学校の学童疎開」田研出版(1993/03)  
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4924339245/250-7216740-9482637 
■東京都立青鳥養護学校梅ヶ丘分教室…世田谷区松原6-37-10 
 http://www.seicho-sh.metro.tokyo.jp/umehp/top/umeindex.htm
 http://www.byouin.metro.tokyo.jp/umegaoka/nyuin.html
■東京都立光明養護学校…世田谷区松原6-38-27 の、すぐお隣。 http://www.komei-sh.metro.tokyo.jp/ 
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★私が少しかかわっている“障都連”の「抗議談話」2001.8.7(都障教組など多数の団体の連名)。
(このときは、いちおう、ちゃんとやっていたのにね。もっとその後も継続して訴え続けていなければならなかったのだ…。
 今回の白鴎高校に押し付けられた際も、一応、抗議声明は出している。それだけ。)
全文は、下記を開いて読んでください。
http://www.normanet.ne.jp/~syotko/kyoukasyonituite.htm 
(一部抜粋)…障都連では、七月二六日に開かれた東京都教育委員会で、「つくる会教科書」を採択する動きがあったことを知り、すぐに多くの団体に呼び掛けて、運動に立ち上がりました。各団体は、緊急で夏休み中にもかかわらず、私たちの呼び掛け応えて下さり、八月三日には要請を行い、会場あふれる百名以上の方が参加しました。この要請には、障全協の吉本会長、退職校長の星川さん、病弱養護学校の父母のみなさんも参加しました。(中略)
 そもそも「つくる会教科書」を検定に合格させた自体、政府・文部科学省の責任は重大です。この教科書は、検定前から国内外をとわず歴史の事実を歪曲するとともに、大日本帝国憲法や教育勅語を礼賛する、日本国憲法の理念を否定するなど、多くの問題が指摘されてきました。「人権の大切をいちばんに教えなければならない障害児学校にこのような教科書を持ち込むことは許されない」という声が出るのは当然です。こうした問題の多い「つくる会教科書」を、東京都教育委員会は、こともあろうに養護学校で使う教科書として、公立学校では全国で最初に採択を決めました。「つくる会」の賛同人に名を連ねている石原知事の思惑を通したものであり、全国でなかなかすすまない「つくる会教科書」の採択を、養護学校を「踏み台」に、突破口を強引に開こうとしたものでした。
 八月七日臨時教育委員会当日には、朝早くから、五百人を越える都民が都庁を取り巻き、ビラまき、集会を行いました。「教科書の採択にかかわる教育委員会の審議を公開にし、傍聴を認めること」という私たちの再度の要請を無視し、臨時教育委員会を非公開とし、都民の前で堂々と議論することなく、歴史を歪曲し、人権教育にそぐわない教科書の採択を決めました。都庁のまわりは、怒りの声で渦巻きました。
 私たちは、「人権を守ること、平和を守ること」を一番大切な運動の基本としてきました。特に、一九八一年国際障害者年以後、「戦争は障害者を生み出す一番の原因である」という提起からも、平和と障害者の人権を守ることを広く訴えて運動を進めてきました。そして、圧倒的多数の人々に受け入れられ、大きな声になっています。今回の運動も短期間にこれほど多くの人々が立上り、連帯が広がりました。マスコミなどにも、取り上げられ、都教育委員会の行為に疑問を持つものが多数でした。
 「つくる会教科書」を東京都教育委員会は、採択しました。しかし、都民の前で議論も出来ず、記者会見でも、明確な採択根拠も示せませんでした。一方、私たちの運動は、短期間に大きく広がりました。病弱養護学校のお母さんは、「障都連夏季要請行動でも訴えた私たちの切実な要求『病弱養護学校の高等部設置』にはぜんぜん耳を傾けないで、東京でどこも使っていない教科書を押しつけることは許せない」と語っています。また、今回教科書を使用することになる学校の内二校(久留米養護学校清瀬分教室と青鳥養護学校梅ケ丘分教室)は、衛生局が打ち出した病院統廃合案で廃止されようとする小児病院の中にあります。病気を持ちながら治療と学習に励む子どもたちに二重の攻撃です。石原都政の弱い者いじめの姿勢が表れています。(後略)
★また、障都連2001.9.21集会アピール文もある。↓
 http://www.normanet.ne.jp/~syotko/kyoukasyo-9.21apiru.htm 
★障害者は戦時中、一番虐げられた。戦争賛美の教科書押しつけやめて。障害者、教職員が宣伝――都庁前
 http://www.jcp.or.jp/activ/activ14_kyoukasyo/2001-0804_1501.html 
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★大江健三郎氏の声明。(氏の息子さん・大江光さんは、知的障害者であるとともに、りっばな音楽家でもある。)
 大江健三郎氏も、2001年、あの戦争賛美の教科書が東京都と愛媛県の一部の養護学校だけに押し付けられたときに『朝日新聞』8月8日に、「養護学校は身体の障害をもつ子どもには健常児よりも困難な勉強の場なのです。養護学校に使わせるのは、抵抗の弱い相手への狙い撃ちです。…どこに障害者への教育的配慮がありますか?都教委のやったことは、もっとも弱い部分に向けられた、むごい都合主義です」と述べています。
 大江健三郎氏は「障都連」の、この教科書撤回要求のパンフレットにもメッセージを寄せてくださいました。
そして、今、大江健三郎氏も加わっている著名人9人の「九条の会」のホームページ http://www.9-jo.jp/ で、大江氏は「九条の会発足記者会見」で「…自分に障害を持った子どもができれば憲法のことを思ったり教育基本法のことを考えます。そういうことで一生をやってきたと考えております。…」(2004.6.10.)と述べておられます。全文は、http://www.9-jo.jp/kaiken.html 。私たち障害者はこの角度から、今回の「九条の会」にも大いに参加していくべきだと思います。
 大江健三郎氏の息子さん・大江光さんのことは、インターネットで引けばいくらでも出てきます。たとえば「生まれてすぐ手術をし、一命をとりとめましたが、発達の遅れが目立ちました。幼児期は、言語によるコミュニケーションはほとんど無く、クラシックや鳥の声などに反応したという、大江光さん。そんな純粋な彼の音楽は、シンプルであるからこそ、この上無いほど直接的に心に語りかけてきてくれます。」という文章など。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005EPBF/qid=1093969195/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-2276401-7280230
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★「養護学校」には、⇒【病弱養護学校や院内学級、訪問教育】というものがある。つまり「肢体不自由児」「知的障害児」と、「病弱児」というカテゴリーがあるわけだ。これが極めて少数者。小学、中学までで、高等部はない。寄宿舎のある学校。
 ほかに、障害児関連は、「盲学校」「聾学校」は、昔からある。盲学校とろう学校には幼稚部が設置されています。これらの中で、病弱児が、ほかの障害児よりも、こういう意味においては、ひどい目にあっているということだ。
 私、近藤は「肢体不自由児の養護学校」へ通っていた。それは、まだよく知られているほうだった。この、久留米養護学校と同清瀬分教室と片浜養護学校と、青鳥養護学校梅ヶ丘分教室に、あの戦争教科書が押し付けられ、今も使わせられているのだ。
 そして、次回の変更時期は来年2005年度に採択選考があるのだ。もっと、その身になって、身近なこととして考えて調べて、想像して、活動していこう。♪Imagine all the people living life in peace….
●「都立久留米養護学校紹介」東京都東久留米市野火止2−1−11
http://www.kurume-sh.metro.tokyo.jp/index.htm 
http://www.kurume-sh.metro.tokyo.jp/syoukai.htm 
小学校1年生から中学校3年生まで、病気やからだが弱くて、通常の学校生活活動に制限のある子どもたちが、のびのびと学べる学校です。学校、寄宿舎、医療が一体となり、大切に子どもたちを育てます。と書いてある。
●「都立久留米養護学校清瀬分教室」東京都清瀬市梅園1−3−1清瀬小児病院内
http://www.kurume-sh.metro.tokyo.jp/kiyobunhome.htm 
都立清瀬小児病院に入院中の小学生と中学生が学ぶ、病院内学級です。
ともに、西武池袋線 清瀬駅 徒歩20分。詳しくは、上記で行き方はわかる。
●「保護者から見た都立久留米養護学校 平成12年当時の情報です」というページ
 http://www1.ttcn.ne.jp/~ark.system/kurume.html の「病弱養護学校や院内学級、訪問教育」の説明。
…心臓病や腎臓病などの慢性疾患、喘息やアトピー性皮膚炎などのアレルギー性疾患、心身症や肥満などの病気のために、通常の学校生活を送るには無理がある子供たちのために、 病弱養護学校や院内学級、訪問教育などがあります。東京都でも小学校1年生から中学3年生までの 約600名の子供たちが学んでいます。
年々、長期欠席の児童数は増えていますが、 都内では健康学園が続続と廃止され、久留米養護学校には年間約60人もの見学者がいます。しかし、久留米養護学校では、生徒数は年々 減少方向です。(中略)
…東京都の病弱教育としては、病弱養護学校の片浜養護学校と久留米養護学校、院内学級のそよ風分教室と 清瀬分教室など、訪問教育、 区立の健康学園が有ります。このページは、私たちが子供たちを通わせている、東京都立久留米養護学校を紹介するために、PTAの有志で作成しました。久留米養護学校は通常の学校と同じような勉強をしながら、健康をとりもどすための学校です。病弱養護学校であることと、寄宿舎のある学校ということで、普通とはちょっと違った学校です。
…次の様な子供たちがいます。 H11/12/24現在で、小学校1年生から中学3年生まで(小学部3名、中学部28名)合計31名の子供たちがいます。心臓病や腎臓病などの慢性疾患、喘息やアトピー性皮膚炎などのアレルギー性疾患、心身症や肥満など色々な子ども達が、それぞれの病気を抱えながらも学校生活をいきいきと楽しく送っています。
…(※さらに詳しい説明が、学習の時間割や写真付きで、たくさん載っている。)
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●「片浜養護学校」とは? 静岡県沼津市大諏訪46番地
(唯一、東京都外・静岡県にある都立学校、片浜には中学校しかありません。) 
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gol13/sub409.htm 
 片浜養護学校は、昭和16年4月19日設立。当初は、ぜん息や結核といった、入院は必要ないが転地療養が必要な生徒を対象としていた。しかるに、時代の変化とともに当初の需要は減少し、現在では不登校等の「不適応」の生徒と、親に養育できない事情のある生徒が大部分を占めている。特に後者については、本来は福祉局の施設に入るべきであるが、親のメンツや親権確保といって都合によって、片浜を希望する事が多い(子供を施設に入れているか養護学校に入れているかの体面上の違い。(中略)廃止後の需要に対しては久留米養護学校が対応する。(久留米養護学校は生徒の定数まで受け入れることにして、新たな職員定数などは措置しない) (後略)
●[…(↑↓)上と下は、東京都の公務員をしていた「私自身、左遷格下げされて、静岡県にある養護学校にとばされ、2年間単身赴任を強いられた。東京に戻ってからも、格下げのまま窓際族をやらされている。その後退職し、ご隠居暮らし」という人の、石原慎太郎抗議関連のページより。]
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gol13/tub213.htm 
これには石原慎太郎氏とそのブレインによる遠大な(一寸大げさか)計画があったのだと思う。私が推測するところの理由は次の通りである。ここ2,3年騒がれている教科書問題が根底にあるのではないか。(中略)東京都では都教育委員会が決定権を持つ養護学校の中で、病弱と言われる清瀬、片浜、梅ヶ丘の3校であった。全国でも5校程度ではなかったか。ここでもし片浜を早めに廃校にしたとしたら、東京で3のところが2になってしまう。
 石原慎太郎氏とそのブレインは、教科書問題の行方を見守っていたのであろう。全国で相当数が採択されると読んではいたが、もし採択がうまくいかなかった場合には、最後の砦が東京である。東京で採用して実績を守る。都教育委員会が採択権を持つのは養護学校しかない、しかも普通の教科書を使える養護学校は病弱しかない。都には病弱は3カ所しかない。それを事前に2カ所にしてしまうわけには行かない。片浜の廃校は教科書問題の後にしよう。そう考えていたのでは無かろうか。その程度のことならば私にも思いつく。石原都政では全く評価されていない自分であるが。
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●そして、今年2004年3月31日、「片浜養護学校」は、廃止されました。
“教育内容の充実・適正な規模を確保・請願保留・統合”という言い方で・・・。
「平成14年第1回東京都教育委員会(都教委)定例会会議録」より。2002年1月10日
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/gaiyo/gijiroku/141teirei.pdf 
(※発言者ごとの、個別委員の名前が書いてない。)
 …次に、第11号議案、請願に対する回答について、説明をお願いします。
【学務部長比留間英人】その前に報告資料(1)の学校の統合の基本方針についてご報告申し上げます。前回12月13日の教育委員会におきまして、片浜養護学校を久留米養護学校に統合するという教育委員会としての基本的な方針についてご了承いただきました。ただ、都議会が開会されていたので、適切な時期に決定するということでご了解いただいた事項の報告でございます。翌日の12月14日に、教育委員会でご了承いただいた内容のとおり決定させていただきました。そのご報告でございます。
(1)といたしまして、都立病弱養護学校の統合ということで、平成15年度末(平成16年3月31日)をもって東京都立片浜養護学校を閉校し、東京都立久留米養護学校に統合する。
(2)といたしまして、東京都立片浜養護学校への入学及び転学の取扱い。平成13年12月14日以降、東京都立片浜養護学校への入学及び転学を停止する。以上のように、前回ご了承いただいた内容のとおり決定いたしました。(中略)
【学務部長】これも前回12月13日の教育委員会でご報告させていただきましたけれども、片浜養護学校の関係で請願が出されております。第11号議案資料をご覧いただきたいと思います。
1 請願者でございますが、都立片浜養護学校の充実・発展を求める連絡会代表吉田喜久雄さん、この方はPTAの会長さんでもございます。
2 請願の趣旨でございますが、都立片浜養護学校の存続を求める請願についてということで(1)から(4 、4点にわたっての請願でございます。)
(1)片浜養護学校と久留米養護学校の統廃合を行わず、片浜養護学校を存続してほしい。
(2)心や体に病気を持つ生徒が、片浜養護学校に入学できるように就学相談をすすめ、入学・転学希望者は片浜養護学校に受け入れてほしい。
(3)片浜養護学校の教育条件を一層充実してほしい。
(4)病気や不登校などによる長期欠席者の実態を把握し、今後の病弱教育の推進計画や現在の問題、課題等を明らかにするために、保護者や教職員、関係者を含めた検討委員会を開いてほしい。この4点でございます。
 回答案でございますが、これも読み上げさせていただきます。
東京都教育委員会は、都立病弱養護学校の適正な学級・学校規模を確保し、教育内容の充実を図ることを目的として、平成15年度末(平成16年3月31日)をもって片浜養護学校を閉校し、久留米養護学校に統合することを決定しました。このため、平成13年12月14日以降、片浜養護学校への入学及び転学を停止しました。なお、統合に向けて、久留米養護学校では、片浜養護学校の教育の特色を継承するとともに、統合による児童・生徒数増の効果を生かし、教育内容の一層の充実を図ってまいります。病弱教育を含め、心身障害教育の充実については、保護者や関係者等の意見も聞きながら、今後、検討してまいります。(中略)ただ、この教育委員会に対する請願とほぼ同じ内容の請願が都議会に提出されておりまして、2月にその請願の審査をする予定になっておりますので、そこでは一定の質
疑が行われるだろうと考えております。(中略)
【委員】(中略)また、都議会の2月の定例会で質疑が出るんじゃないかということがあるわけですけれども、それを待って回答なさるのですか。
【学務部長】いえ、そうではございません。
【委員】それは関係ないんですか。
【学務部長】はい。先ほど報告をさせていただきましたように、12月13日に基本的にご了承いただきましたので、方針につきましては、教育長の臨時代理で翌日の14日に決定をさせていただきました。教育委員会としてこういう決定をしたということにつきましては、都議会の各会派、関係者の方々、それからもちろん学校に対して、もうすでに連絡してございます。
【委員長横山洋吉】それを踏まえて、請願がまた出てきたということ(中略)
          ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
 ⇒【この日2002年1月10日の都教委では、こんなことまで、言われている。↓】
【委員】しかし、このインターネットの動画は、こちらの方から常に公開していくということだから、傍聴人が何千人も何万人もいるのと同じことになってしまうわけです。秘密にするというわけじゃないんですが、情報はきちんと会議録で開示しますけれども、すべてを開示するということはいかがなものかと私は思います。ですから、企業にしても、法人、団体にしても、この教育委員会にしても、すべてをオープンにすることはいかがなものかということで、私はこのインターネットの動画には非常に、反対なんです。すべてをオープンにしない方がいいのだろうと思うんで。(中略)
【教育長横山洋吉】では、これは改めて議論させていただきますから。

 ⇒【↑なんだ?この閉鎖的秘密主義は!国会は委員会も、すべてインターネットの動画で公開され、生中継はもとより、何年も前のものもすべて動画で見られるぞ!彼らは「公務員・公僕」であり、「強権弾圧者」であってはならない!我々すべては、「傍聴できる権利」「知る権利」があり、部屋が狭いから、今は20人程度しか傍聴できないが、現代は、インターネット動画配信というものがある。裁判所などもそれをやるべきだ。ずるい、こすい、ひきょう、こざかしい。そのくせ、我々小さな個人のプライバシーは、盗聴法や監視カメラや住基ネットやエシュロンやカーニボアーなどでやたらと、盗み見るくせに。「安全・安心・便利」などのウソばかりの口実なのに、すぐだまされて、気をよくして、良い面もあるなどと言う民度の低い庶民たち。権力への警戒心・反骨心の無い人々。自ら管理されたがる、奴隷の平和に頼って満足する、魂の抜け殻の、おとなしい人間ども。そして、権力者だけの「個人情報保護法」などというものをつくり、権力者への報道・取材規制をし、「国民保護法」という「国民統制・管理・強制・弾圧・服従・戦争総動員法」も成立し、次から次へと、すべては戦争への道・・・くそっ、怒れ!】
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「東京都議会文教委員会速記録第二号 平成十四年二月十九日(火曜日)」より。
http://www.gikai.metro.tokyo.jp/gijiroku/bunkyo/d3030053.htm 
請願陳情の審査
(1)一三第一八五号 都立久留米高校の存続に関する請願
(4)一三第一九四号 東京都立片浜養護学校の存続に関する請願
(5)一三第二三七号 都立片浜養護学校の存続と教育条件の充実に関する請願
〇比留間英人学務部長
 平成十五年度末をもって都立片浜養護学校を閉校し、都立久留米養護学校に統合をいたします。(中略)久留米養護学校は現在五十一名でございます。片浜養護学校は三十二名の在籍(中略)
〇曽根はじめ委員(日本共産党)
 片浜養護学校の存続の請願について、(中略)ここは私、現地に行ってみないとやはりわからないなと思ったんですが、うちの会派で視察に行きました。十一月ごろでしたか、去年。三十二名の生徒さん全員、一人はお休みしていましたが、ほぼ全員と会いまして、全員がこの学校に残りたい、学校を残してほしい、後輩たちにもこの学校を残してほしいという希望を持っていました。こういうところは珍しいと思います。統廃合計画が出て、ショックで、校長先生のところに涙ながらに抗議したりというようなことが、(中略)病弱児で、そこで暮らしてやっと自分を支えているという子どもたちが、自分の住まいと教育の場を、学びの場を奪われるということで、非常にショックを受けたということも聞きました。(中略)それから、今生徒数が減っているという現実は、実際には片浜養護学校については、まだ廃校が決まっていない去年の春の時点から、入学したいという希望について制限が加えられた、いろいろいわれたということを実際には私たち聞いておりますので、宣伝をしないだけではなく、希望者まで門戸を狭めていたのではないかという強い疑いを私は持っております。そういう点では、逆に、片浜でこれだけの子どもさんたちの回復があったということをどうして教育庁は大いに、東京じゅうの肥満で苦しんで悶々と自宅で閉じこもったり、引きこもりになったりしている子どもたちに知らせてあげないのかということを強く思います。その点で、活用はまだできる、大いに活用の道はあるということを申し上げて終わります。
〇東ひろたか委員長
 ほかに発言がなければ、お諮りいたします。
 本件は、いずれも保留とすることにご異議ありませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
〇東委員長 異議なしと認めます。よって、請願一三第一九四号及び請願一三第二三七号はいずれも保留と決定いたします。
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●現在2004年度の「東京都教育委員会ホームページ・東京都教育庁総務部教育情報課」の「東京都公立盲・ろう・養護学校一覧」のページには「片浜養護学校」は、載っていない。http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/link-3.html
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[その他の参考]
■ 子どもと教科書ネット21
http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/
■市民の教科書研究所・教科書情報資料センター
http://www.h2.dion.ne.jp/%7Ekyokasho/
■都障教組ホームページ
http://www.zenkyo.org/tosho/topics/fset01.html 
■日教組書記長談話 2001.8.7.
http://www.jtu-net.or.jp/library/zissen/kk/kk01/kk1006.htm 
■東京都立七生養護学校…東京都日野市程久保843番地
http://www.nanao-sh.metro.tokyo.jp/nanao/ の「性教育バッシング問題」もあり。
■東京都立光明養護学校そよ風分教室…世田谷区大蔵2丁目10-1国立成育医療センター内
http://www.komei-sh.metro.tokyo.jp/soyokaze/ 
■「心の東京革命」などという「心のノート」の東京都追加版のような「教育勅語」の復活の現代版
「心の東京ルール〜7つの呼びかけ〜」などというものも、やられている。http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/soumu/kyoiku2003.pdf 
■日の丸・君が代の卒業式・入学式での車いすの生徒など障害児への対応のひどさや、障害児学級の「特別支援教育」の問題もある。

他にもいっぱい、障害児、病弱時などの学校へは実に数々の弾圧が、かけられている。

戦争に進むとき、真っ先に犠牲とされ、いけにえにされるのが障害を持つ人たちである。
私は、「両手ポリオ」で、そのことが他人ごとに思えない立場になっていて、幸いだと思う。
…きりがないので、URLは、このへんで。
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[あとがき]
 今回、都立白鴎高校に戦争賛美の歴史教科書が押し付けられたことは、こういうことにつながることです。日の丸・君が代処分などもです。
 世の中の仕組みは、こんなふうになっていた。タコ壺に入ってちゃだめだ。自分の身の回りの活動だけではだめだ。ほかの養護学校のことも知らない者が、沖縄やイラクやアフガンのことに想いを致せるわけがない。身の回りの福祉に取り組むのは、まず第一番目としても、それだけで良いのか?すべての底辺では、戦争のできる国づくりと、世界の巨大軍産複合体の仕掛けにつながっているのだ。ひとりの障害者の福祉の後退は、その氷山の一角なのだと考えよう。単に、戦争はひどいねえ、だから、反対する、だけの、世間一般レベルでの平和運動で良いのか?そんなことでよいのだろうか?
 私たちは今こそ、ほかのさまざまな問題に目を開き、幅広い反戦運動へと、連帯していかねばならない。

  「戦争は命かけてもはばむべし、祖母・母・おみな・障害者、牢に満つるとも」。

 私は、戦争反対のあらゆる行動をして、逮捕され、すすんで刑務所に入る覚悟はしています。戦争反対する者が、なぜ犯罪者になるのか?どっちが犯罪者か?警察、政府権力こそが犯罪者である。戦争は最大の権力犯罪なのだ。主権在民。権力は本来権力であってはならず、我々主権者に奉仕する公僕、しもべ、サーバントでなければならない。「お上」ではなく「お下(おしも)」であらねばならん。おまわりを見たら、犯罪者だと思え。警察・政府とは障害者の敵であり、絶対に仲良くしてはならない。もし、身内にそのような職の者がいたら、すぐやめろと言え。たとえ、飢え死にしてもだ。なぜなら、戦争反対を弾圧する側だからだ。それくらい障害者の福祉運動にかかわる者ならあたりまえだ。さもなくば、どこかの「平和・福祉」の党とか言っている邪教カルト政党か政権与党かの障害者の団体へ、とっとと入りなおして、行けばよい。

…しかし、最も重い犯罪者は、身近な内部にいる。こういう私のような発言を危ないおかしな過激なことを言うとか言って、反戦をすることを、押さえつける空気を作る者たちのことだ。ほれ、あんたのことだよ。これを今、読んでいるおまえのこった。または、今の情勢に関心を持たず、知らん顔をしている者たち。そういう者たちこそが、一番罪の重い犯罪者だ。「法を守って、おとなしく、穏やかに、礼儀と節度と道理と道徳を」などと言って、あたらずさわらず、「あおるな、怒るな、奮い起つな」と押さえつける者どものことたちだ!そいつらが、一番悪い〜!!!!!
なぜなら、これを守らないからだ。

「日本国憲法」 第9条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 マーチン・ルーサー・キング牧師は、ベトナム反戦集会で、次のように語ったことがある
「後世に残るこの世界最大の悲劇は、悪しき人の暴言や暴力ではなく、善意の人の沈黙と無関心だ」。
 チャールズ・オーバービー(オハイオ大学名誉教授、第9条の会USA設立者)の言葉は、多くの方々が語られています。
「憲法の中のわずか73単語のゆえして、第2次大戦以後、日本の兵士によって誰一人、殺されたものはいない。これは驚くべき素晴らしい記録だ。」
 
 憲法第9条を中心に、日本国憲法全体が、人民(we, the people)は、政府・権力に、抗い続けよ、政府・権力の横暴を規制せよと、言っているのだ。第1条の「天皇」でさえも、規制し、あらがえと書いてある。そこを、読み取り、不断の努力で実践を続けよ、と言っているのが、わかりませんか?
 それを矮小化し、消極的な、与えられた平和や、道徳を守りましょうでは、全く憲法の精神ではない。だから、戦後民主主義の消極性、守りの側だけの、隠蔽活動や、墨塗りや、押さえ込み運動に加担するような平和運動だったから、今、こんなことになっているのだ。
 政府・権力の思う壺とは「民は寄らしむべし、知らしむべからず」ということです。何も知らさず、頼らせる、考えなくさせて、保護してやるということが、戦争勢力の狙いです。それが、今のポピュリズムや、「心のノート」や、オリンピック騒ぎなどで、ナショナリズム、日の丸・君が代が当たり前のような空気をつくり、沖縄のヘリ墜落や、イラクや、日本の白鴎高校や養護学校の教科書や、9・1防災の日などなどの、はぐらかしと隠蔽です。そして、抵抗・独立運動や反戦平和運動に、テロリストのレッテルを貼り、あぶないことにふれるなと、みんなおだやかな、おとなしい、従順人間にされてゆく。反骨精神のかけらもなしにされてゆく…。
George Orwell's 1984=2004。http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/orwell.htm 

 パソコンを活用しよう!つまり、この文章は、非常に長い。しかし、インターネットができるなら「それぞれの詳しくはURL(http…)を参照」とだけ載せておけばよい。きわめて短くもできるのだ。実際に、ここに今まで載せたURLだけを連続して開いて見ていくだけでもよい。いろんな意味で、パソコンをもっと使おう。うちの中で、寝たきりの人でも、パソコンでできることを、フル活用しよう。障害者としての闘い方や、語り方です。
 インターネットは元々ペンタゴンのアーパネット、つまりアメリカ軍の全地球的連絡網として作られた軍事道具であった。GPS(カーナビなど)も同様。が、パソコンも「ナントカとハサミは使いよう」という言葉があるように、ただの機械で道具です。それを「戦争推進勢力」に使うか、「反戦・福祉運動」に活用できるかは、人間の使い方しだいだ。だから万国の障害者自身よ、パソコンを使いまくろう。インターナショナルなインターネットを!
 ♪民衆の声インターネットは、安くてまわりが早い〜 

「パソコンは命かけてもつかうべし、祖母・母・おみな・障害者、メールに満つるとも」。
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「第二次世界大戦のとき、ドイツで、ナチスに抵抗し、ダッハウ収容所から
   奇跡的に生還したマルティン・ニーメラー牧師の言葉」

ナチ党が共産主義者を攻撃したとき私は多少不安だったが、
共産主義者でなかったから何もしなかった。

ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は以前より不安だったが、
社会主義者でなかったから何もしなかった。

ついで、学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。
私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。

ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した。
・・・しかし、それは遅すぎた。
−−−−−
近藤は障害者だったから、三年前、戦争賛美の教科書が
障害児の養護学校へ押し付けられたときから行動している。
子どものころ、愛知県立岡崎養護学校に通っていたからだ。
まだ遅すぎない。
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ではでは。

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