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現代の旅団 1991-2003 SBCT関係論文翻訳 (:SBCT太郎)
http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/113.html
投稿者 愚民党 日時 2004 年 12 月 10 日 00:01:14:ogcGl0q1DMbpk
 

SBCT関係論文翻訳 (:SBCT太郎)

現代の旅団 1991-2003

http://blog2.fc2.com/vortex/?no=5#comment7


増強旅団

1970年代初期、陸軍は”Total Army”構想を掲げていた。同構想では予備役部隊である陸軍州兵と陸軍予備役は動員された場合、計画された任務と役割を防衛態勢の中で完全な一員となるとしていた。 “Total Army”構想には予備役部隊の即応度が募集、交代、装備、訓練時間といった要素により様々であることから浮き沈みがあった。様々な計画、例えば、roundout brigade(師団戦列参入旅団)やその派生計画では予備役部隊が同等の現役部隊のパートナーとされていたが、これは予備役の即応度の向上を目指したものだった。湾岸戦争では師団戦列参入旅団が用いられぬままであったが、その後も陸軍の削減により計画は継続された。1996年に陸軍は10個師団態勢となり、戦列参入旅団計画は置き換えられた。新たな計画は陸軍州兵増強旅団であり、eSB(増強独立旅団)やeHSb(増強重独立旅団)と略される。陸軍は15の独立陸軍州兵旅団を選んで特別(増強)状態とした。その大半は師団戦列参入計画に加わっていた部隊である。計画では包括的な計画、訓練、装備を組み合わせて90日から120日で動員と戦闘即応ができるよう旅団の能力を増強させる。選定された旅団は現役兵士(その大半は地域基盤即応群に属する)から特別な支援をうける。

1999年に増強旅団の即応度を高めるため陸軍は二つの組織改革を開始した。第一の改革は固有の隷属旅団を持たぬ師団本部を2個開隊したことである。第24歩兵師団(機械化)(カンザス州フォートライリー)、第7歩兵師団(フォートカーソン)の二つが開隊し、現役/予備役統合師団に指定された。師団本部の人員は現役兵士だが、隷下部隊には陸軍州兵独立旅団が配属される。現役と動員されていない状態の予備役部隊を同一の本部下に統合したのは米国陸軍史上初である。また通常は師団に配属される支援部隊全てが、独立旅団編制では直接各旅団に配属される。この唯一の先例は1967年のベトナムにおけるアメリカル師団の集成である。師団は動員前および動員後訓練、戦争準備と迅速展開を向上させるために編成された。師団本部は配属された増強旅団の計画、準備、訓練の調整を監督する。

第二の改革は現役即応群を陸軍予備役演習師団と併合し新たな組織である訓練支援師団としたことである。即応群は地域基盤陸軍機関であり、予備役訓練に助言と支援を与えるよう設計されていた。1996年に増強旅団が創設されたことで、即応群は陸軍がこれらの旅団を支える前衛となった。陸軍予備役演習師団は1990年代半ばに予備役部隊の訓練演習を準備し実行するために創設された。1999年以後は、新たな訓練支援師団が、増強師団の支援に特に編成された。この師団ではその分担地域にある増強旅団毎に特別な増強独立旅団訓練支援旅団を含まれている。


統合師団を指定されていない増強師団は現役/予備役訓練支援師団下の増強独立旅団訓練旅団により支援を受ける他、特定の現役部隊と“訓練提携”する地位を与えられた。

(#増強旅団一覧表 図13 がここに入ります) 

1994年-1995年、陸軍予備役部隊は戦力縮小で3個機動旅団を削減した。が、米国陸軍予備役の訓練師団は師団毎3個から9個の訓練旅団を保っていた。1994年と1999年の間に訓練師団は新たな2つの型、機関訓練師団と上記の演習師団へと再編された。機関訓練師団は以前の訓練師団が行っていた伝統的な入隊訓練と予備役部隊軍事特技訓練、それに以前は米国陸軍予備役部隊学校部隊が行っていた下士官および士官訓練任務を引き継いだ。演習師団はコンピューターシミュレーションおよび特に用意された訓練場で行う実働訓練を計画、実行する。機関訓練師団も演習師団も隷下に訓練旅団を持つ。訓練旅団は戦術部隊であったかつての師団旅団の旗と伝統を受け継いでいる。上で触れたとおり、1999年に演習師団は現役即応群と併合し新たに現役/予備役訓練支援師団となった。


フォース21と細かな調整

戦力削減と1991年の湾岸戦争の分析とがあいまって陸軍に戦力組成を再検討させた。技術の進歩により将来の陸軍組織をデジタル化することが可能となった。デジタル化とは、戦闘部隊をコンピューターで繋ぐことでより高度な状況認識と迅速な報告と命令の伝達ができ、よって指揮統制と補給が容易となるということである。陸軍は1994年3月に正式にフォース21と名づけて編制研究を開始。1995年にInterim Division Designと呼ばれた師団編制を計画者は策定した。 フォートフードの第4歩兵師団(機械化)が試験部隊となり、1996年-1997年に試行した。

フォース21では旅団に関する編制の変更が三点あった。第一に旅団階梯に装甲ハマー装備の小さい旅団偵察中隊が加えられた。第二に旅団の編制を固定とした。第三に旅団の戦闘大隊固有の戦務支援部隊から師団支援集団の前方支援大隊へ召し上げた。

偵察中隊はフォース21とは別に陸軍全体に施行された。これは後でとりあげる。旅団の編制の固定化により師団は1個機甲旅団と2個機械化旅団を持った。機甲旅団は2個戦車大隊と1個機械化歩兵大隊で編制。機械化旅団は1個戦車大隊と2個機械化歩兵大隊で編制。各大隊はAOEの4個列線中隊編制と異なり列線中隊は3個のみとなった。2003年には第4歩兵師団でさえ1個機甲旅団と2個機械化旅団の固定編制ではなくなり、2個機甲旅団と1個機械化旅団を配備していた。つまり、名称にもかかわらず機甲師団であった。戦務支援部隊の改良はデジタル化した補給の集中体系が持つ、支援を担任する部隊に直接迅速かつ正確に補給支援要請を部隊が送れるという利点に基づくものだった。2003年春には第4機械化師団と第1騎兵師団の一部のみがフォース21編制であっていた。第4歩兵師団(機械化)は2000年会稽年度に完全にデジタル化され、第1騎兵師団が続いた。陸軍の他の師団は限定転換師団21(LCD XXI)に反映された改良AOE編制を保った。LCD XXI編制では列線中隊は各大隊あたり3個へと削減され、旅団に1個偵察中隊が加わる。

フォース21研究と試験が進められている間も、別なところで陸軍の旅団および師団編制に調整と変更が続いていた。師団工兵旅団の創設と旅団への固有の1個偵察中隊追加そして旅団戦闘団構想などである。

湾岸戦争では実質的に全ての旅団に1個戦闘工兵大隊が配属されていた。

(# h ttp://orbat.com/site/history/historical/usa/desertstorm1991.htmlが詳しいのですが配属までは不明。工兵中隊が配属されている場合もあり)
従って、陸軍は戦争のほぼ直後から工兵再編イニシアティブという名称の計画を開始した。その結果重師団には2個工兵大隊と工兵旅団本部が加えられた。航空旅団と異なり、工兵旅団が機動部隊であるという仮装はなかった。旅団本部は師団砲兵本部と同様であり、通常師団の機動旅団の直接支援に配されている部隊の統制をする専門本部である。工兵旅団本部を保つか、単に大隊を直接に師団もしくは旅団に配属するかについて陸軍の考えは二転三転したが、2003年の早い時点では工兵旅団は重師団の基本部隊として依然有るが、旅団戦闘団構想により大抵の師団では工兵大隊は旅団に直接配属されている。2004年では、次章でみるように工兵旅団は師団の4番目の機動旅団本部へと転換されることになっている。

独立旅団には長年1個機甲騎兵中隊の偵察部隊が与えられてきている。師団旅団も通常同様の支援を師団騎兵大隊から受ける。湾岸戦争後は、フォース21として知られる研究で計画者らは師団に配属されている各機甲旅団および機械化歩兵旅団毎に固有の偵察中隊が必要であることに重点を置いた。偵察中隊は旅団長に既に大隊および師団階梯にはあるが旅団階梯には欠如していた直接偵察資産を与える。1998年に限定師団21で陸軍は一般には旅団偵察中隊、公式には騎兵の呼称を与えられている部隊を編制に組み入れた。それから2年のうちに旅団に中隊が加えられた。1963年にROADで旅団が創設されて以来、固有の戦闘部隊を旅団が持ったのはこれが初めてである。

旅団偵察中隊の編制は中隊本部と2個偵察小隊からなる。偵察小隊はM1025 HMMWV6両からなり、3個分隊に分かれる。各分隊はHMMWV2両からなり、一両はMK19 GMGかM240B中機関銃を装備し、もう一両はM2 50口径機関銃を装備する。HMMWVの乗員は偵察員3名。中隊はしばしば他の偵察資産、特に戦闘観測レーザーチーム(COLT)が編合されて専門の砲撃観測員を得る。2003年の時点で配備されている旅団偵察中隊は表14の通り。

表14 2003年における旅団偵察中隊

第1機甲師団第1旅団   第1騎兵F中隊
第1機甲師団第2旅団   第1騎兵G中隊
第1機甲師団第3旅団   第1騎兵H中隊
第1騎兵師団第1旅団   第10騎兵C中隊
第1騎兵師団第2旅団   第9騎兵D中隊
第1騎兵師団第3旅団   第9騎兵F中隊(2004年)
第1歩兵師団第1旅団   第4騎兵D中隊(#訳注 原文ママ)
第1歩兵師団第2旅団   第4騎兵E中隊
第1歩兵師団第3旅団   第4騎兵D中隊(#訳注 原文ママ)
第3歩兵師団第1旅団   第1騎兵C中隊
第3歩兵師団第2旅団   第9騎兵E中隊
第3歩兵師団第3旅団   第10騎兵D中隊
第4歩兵師団第1旅団   第10騎兵G中隊
第4歩兵師団第2旅団   第10騎兵H中隊
第4歩兵師団第3旅団   第9騎兵B中隊

(第1歩兵師団の旅団偵察中隊で確認できたのはhttp://www.globalsecurity.org/military/agency/army/4cav-e.htm
のみ。公式HPは未見)


ブラッドレー/騎兵中隊 2003

陸軍編制、部隊戦力、全く新たな世代の兵器の受容とベトナムやイラクといった様々な紛争への参加にも関わらず、旅団の基本編制は任務要求に基づいて戦闘部隊が配属される柔軟な任務部隊であり続けた。編制が保たれ続けたのは組織の無気力や変化への抵抗ゆえではない。編制が保たれたのはそれがうまく働いていたからである。旅団は現代戦闘の多くの面を遂行するにあたって大変有効な編制方式であることが実証された。師団支援集団の再編により各旅団に多機能支援大隊を与える、固有の旅団偵察中隊を加えるといった細かな変更は繰り返し価値を実証してきた編制概念の微調整であった。そして、戦力削減、基地に関する懸念、師団よりも小さい規模で特定の型の部隊を創設したいという望みが旅団概念に世紀末になって影響を及ぼしたのである。


ストライカー旅団:帰ってきた陸軍革新

近年、陸軍にとって、地球上の遠隔地へ迅速に適切な火力を持った部隊をその土地に根付いた脅威に対処するため投射するという問題が始終悩みとなっている。
機甲部隊や機械化部隊は事前集積装備を用いない場合、大量の船腹と現地に到着するまでに30日もの長期間を必要とする。軽部隊は空挺降下か航空機により比較的迅速に到着できるが、既に現地にいる脅威の重戦力に対して戦闘を成功裡に行うには軽すぎる。展開性と生残性の論議は目新しいものではない。1980年代に作られた自動車化試験師団と軽師団はこの問題への解決を探るものだった。

1999年10月、陸軍参謀長シンセキは暫定旅団戦闘団計画の創設により高度な展開と戦闘能力ある陸軍部隊を作ろうとする最も新たな試みを公表した。およそ20年前の第9歩兵師団自動車化計画と同様に、IBCT計画の目標は新たな技術を用いて適切な火力をもった軽自動車化車両を配備することであった。計画では兵員輸送車両、突撃砲を共に含む装輪装甲車両の派生型を開発することを前提としていた。

師団をIBCTの実験部隊とするかわりに、2000年4月に陸軍はフォートルイスに駐屯する2個師団旅団を選定した。両旅団は親師団がそれぞれ韓国とハワイに離れている部隊である。一方は機械化旅団でもう一つは軽旅団であった。2001年6月には計画にさらに4個旅団が追加された。これらは1個独立軽旅団、1個師団軽旅団、1個軽装甲騎兵連隊、陸軍州兵1個機械化師団旅団である。旅団の編制は、展開後に師団下あるいは独立して用いられ、96時間内に世界中へ空軍輸送により展開可能なよう設計されている。旅団は初期入域部隊(軽歩兵と空挺)と後から展開する重戦力との展開上の間隙を埋めるものである。

新旅団の中核は新型の軽装甲装輪車両である。IBCT計画が公表された時点ではこの車両は存在していなかった。最初の旅団はカナダ軍から借用した地上突撃車両(LAV-V)とHMMWVを使用した。ジェネラルダイナミックスとジェネラルモーターズは2000年11月に契約を与えられ新型車両を開発した。当初は暫定装甲車両と呼ばれていたが、2002年2月に陸軍名誉賞を授かった2名(互いに無関係)から名をとりストライカーと陸軍は公式に命名。開発により、ストライカーは19トンの8輪装甲車両で派生型は8つ、時速は最大60マイルとなった。1機のC-17でストライカー3両を輸送可能。最初に作られた車両は歩兵輸送車であり、9名歩兵分隊を輸送し、Mk19 GMGか50口径機関銃で武装。派生型には機動砲が含まれ、2002年6月に最初の一台が試作車両として完成。MGSは安定化された105mm砲を装備。2005年に完全に配備されるまでの間、旅団内のMGS部隊はストライカー対戦車ミサイル型で代替される。その他の車両には偵察、迫撃砲、指揮、火力支援、工兵、野戦救急、核生物化学偵察車両がある。 ストライカーに加え、旅団はデジタル技術を活用し無線通信とセンサーにより部隊の戦場における状況認識を維持する能力を向上させる。


最初のストライカー旅団は2001年12月に、2番目がその1年後、残りは以降数年で作戦可能となる予定だった。しかしストライカーの開発で問題があり生産の遅れにより計画も遅れた。最初のIBCTである第2歩兵師団第3旅団がカリフォルニア州フォートアーウィンとルイジアナ州フォートポークの陸軍訓練センターで2ヶ月の野外訓練を開始したのは2003年3月後半だった。試験を成功裡に完了し、旅団は作戦可能とされた。2003年後半に紛争作戦での運用のためイラクに展開を開始。ストライカー部隊は表15に示す。

表15
第2歩兵師団第3旅団 ワシントン州フォートルイス
第25歩兵師団第1旅団 ワシントン州フォートルイス
第172歩兵旅団 アラスカ州フォートリチャードソン
第2装甲騎兵連隊(軽) ルイジアナ州フォートポーク
第25歩兵師団第2旅団 ハワイ州スコーフィールドバラック
第28歩兵師団(機械化)第56旅団 ペンシルヴァニア州陸軍州兵


ストライカー旅団編制はストライカー309両と700両を超える装輪車両を含む。旅団は3個諸兵科連合歩兵大隊と1個の新型騎兵大隊である、偵察捜索目標捕捉大隊(RSTA大隊)からなる。また、対戦車中隊および工兵中隊、砲兵大隊、軍事情報中隊や通信中隊に旅団支援大隊を含む。編制は中隊階梯において諸兵科連合部隊として容易に戦闘できるよう組まれている。諸兵科連合歩兵大隊は3個中隊からなる。歩兵中隊は3個歩兵小隊(ストライカー歩兵車両3両、81mm迫撃砲班(ストライカー迫撃砲型車3両)1個(、機動砲小隊(ストライカーMGS4両)、そして狙撃チーム1個からなる。

(#訳注 ここの編制についての記述は以下の資料と相違があります。
歩兵小隊は4両編制 迫撃砲班は2両 MGS小隊は3両とされています。
http://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/fm/3-21-11/c01.htm

大隊階梯では偵察小隊、迫撃砲小隊、1個狙撃分隊がある。

RSTA大隊は3個偵察中隊と1個捜索中隊からなる。偵察中隊は3個偵察小隊と1個迫撃砲班からなる。捜索中隊は1個UAV小隊、NBC偵察小隊、1個マルチセンサー小隊からなる。


旅団の他はM198牽引式155mm榴弾砲を装備した砲兵大隊、TOW搭載ストライカーを装備した1個対戦車中隊(最終的には新型の「掩体壕破壊」TOWに更新される予定)、障害啓開装備を持った1個工兵中隊、人間情報資産の使用を考慮して特に設計されている1個軍事情報中隊、指揮統制支援をおこなう固有の1個通信中隊、1個衛生中隊、1個支援中隊、1個本部/補給中隊からなる1個支援大隊からなる。支援大隊は戦闘作戦の開始から72時間、旅団に自律して戦務支援を供するよう設計されている。

図37 ストライカー 左は歩兵輸送車 右は機動砲

図38 ストライカー旅団編制図
装輪装甲歩兵旅団
本部及び本部中隊
軍事情報中隊
通信中隊
装輪装甲歩兵大隊×3
・本部及び本部中隊
・・装輪装甲歩兵小隊
・・機動砲小隊(120mm×4)
・装輪装甲歩兵中隊×3
・・装輪装甲歩兵小隊
・・機動砲小隊
・・装輪装甲迫撃砲班(120mm×2)
装輪装甲偵察大隊
・ 装輪装甲偵察中隊×3
・・装輪装甲偵察小隊×3
・・装輪装甲迫撃砲班(120mm×2)
・装甲センサー部隊
装輪装甲対戦車中隊
・装輪装甲対戦車小隊×3
装輪装甲砲兵大隊
装輪装甲工兵中隊
・装輪装甲工兵小隊×3
・装輪装甲工兵小隊×1
旅団支援大隊


図39 2004年における旅団戦闘団
第4歩兵師団第3旅団
本部及び本部中隊
第44対空連隊第1大隊C中隊(ラインバッカー)
第9騎兵B中隊
第68機甲連隊第1大隊
第8歩兵連隊第1大隊
第12歩兵連隊第1大隊
第534通信中隊
第104 C軍事情報中隊
第29砲兵連隊第3大隊(155mm自走砲装備)
第4工兵大隊
第64前方支援大隊
・第64 A輸送中隊
・第64 B整備中隊
・第64 C衛生中隊


旅団戦闘団

1990年代後半の縮小と駐屯地に関する問題があいまって師団に対する旅団の役割に影響を及ぼした。2003年には1963年に旅団が復活して以来最も多くの数の陸軍旅団が親師団とは別に駐屯していた。皮肉なことにはその時点で陸軍の独立旅団の数はわずか2だった。それどころか1990年代の後半のある時点では独立旅団の数は0だった。2つの独立旅団のうち一つはアラスカ州の第172歩兵旅団で戦域防衛旅団である。もう一つは特殊目的旅団である第173空挺旅団でイタリアにいる。実情としては21世紀の陸軍は自己完結した独立旅団の役割を、旅団戦闘団構想を用いることで自己完結した師団旅団で行っている。


旅団戦闘団は1957年以前の連隊戦闘団構想に基づくものである。旅団に典型的に配属される2から5の機動大隊に加えて、師団支援部隊の切片を旅団への支援に指定して配属するものである。用語としては多少誤りの感があるのは旅団はかつての連隊と異なり編制上は任務部隊本部であるからである。ともあれ、旅団戦闘団という用語により陸軍は師団旅団を基本的に自己完結した部隊として容易に指定できるようになった。


2003年にはほぼ全ての師団旅団が親師団とともに位置しているのも含めて旅団戦闘団として組織されていた。駐屯に関する問題で旅団戦闘団を実行する必要が大きくなった。とりわけ、陸軍のいくつかの大型駐屯地では、親師団の師団本部を伴わない別々の師団の旅団が二つ同居しているところがあった。

ストライカー旅団が旅団戦闘団として師団本部を持たぬ形で呼称されていること、そしてストライカー旅団戦闘団は3つの別々の師団、1個独立旅団、1個装甲騎兵連隊が選定されたことはSBCTが部隊名に関わらず師団部隊でなく独立した部隊として編成されていることを示す。2004年時点での現役旅団とその駐屯地は表16の通り。(太字は親師団と別居か編制上独立していることを示す。)典型的な旅団戦闘団編成は図39の通り。

表16 2004年時点の旅団駐屯地

部隊名 駐屯地 親師団との同居・別居 型
第1機甲師団第1旅団 ドイツ 同居 機甲
第1機甲師団第2旅団 ドイツ 同居 機械化
第1機甲師団第3旅団 カンザス州フォートライリー 別居 機甲
第1騎兵師団第1旅団 テキサス州フォートフッド 同居 機甲
第1騎兵師団第2旅団 テキサス州フォートフッド 同居 機甲
第1騎兵師団第3旅団 テキサス州フォートフッド 同居 機械化
第1歩兵師団第1旅団 カンザス州フォートライリー 別居 機甲
第1歩兵師団第2旅団 ドイツ 同居 機械化
第1歩兵師団第3旅団 ドイツ 同居 機甲
第2歩兵師団第1旅団 韓国 同居 機甲
第2歩兵師団第2旅団 韓国 同居 機械化/空中強襲
第2歩兵師団第3旅団 ワシントン州フォートルイス SBCT
第3歩兵師団第1旅団 ジョージア州フォートスチュアート 同居 機械化
第3歩兵師団第2旅団 ジョージア州フォートスチュアート 同居 機甲
第3歩兵師団第3旅団 ジョージア州フォートベニング 別居 機械化
第4歩兵師団第1旅団 テキサス州フォートフッド  同居 フォース21/機甲 
第4歩兵師団第2旅団 テキサス州フォートフッド  同居 フォース21/機甲
第4歩兵師団第3旅団 コロラド州フォートカーソン 別居 フォース21/機械化
第10山岳師団第1旅団 ニューヨーク州フォートドラム 同居 軽 
第10山岳師団第2旅団 ニューヨーク州フォートドラム 同居 軽
第25歩兵師団第1旅団 ワシントン州フォートルイス 別居 SBCT
第25歩兵師団第2旅団 ハワイ州 同居 軽/SBCT
第25歩兵師団第3旅団 ハワイ州 同居 軽
第82空挺師団第1旅団 ノースカロライナ州フォートブラッグ 同居 空挺
第82空挺師団第2旅団 ノースカロライナ州フォートブラッグ 同居 空挺 
第82空挺師団第3旅団 ノースカロライナ州フォートブラッグ 同居 空挺
第101空中強襲師団第1旅団  ケンタッキー州フォートキャンベル 同居 空中強襲
第101空中強襲師団第2旅団 ケンタッキー州フォートキャンベル 同居 空中強襲 
第101空中強襲師団第3旅団 ケンタッキー州フォートキャンベル 同居 空中強襲 
第172歩兵旅団   アラスカ州 同居 軽/SBCT
第173空挺旅団   イタリア 同居 空挺


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