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「新しい国家像」を描けない日本の政治家たち
http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/497.html
投稿者 鷹眼乃見物 日時 2005 年 1 月 12 日 00:42:17:YqqS.BdzuYk56
 

[1]「新しい国家像」が描けない背景

 1月8日付・日本経済新聞(シリーズ記事、少子化に挑む/ニッポン大転換(7))は、小泉首相の強い指示を受けた内閣府が「日本21世紀ビジョン」(経済財政諮問会議/グローバル化、生活・地域、競争力、経済財政展望の四つのワーキング・グループで構成)の結論を12月半ば迄に出すつもりで取り組んできたが、その取りまとめが難航していると報じています。関係者の一部(自民党議員)は、“そもそも日本の将来像を示すようなビッグな仕事を僅か3ヶ月間でやれ”という指示そのものに無理があるとぼやいています。(この辺の経緯には、しばしば“何も考えていない人”だと揶揄される小泉首相の人となりというか?実像と思しき個性的な心性が炙り出されておりとても面白い/やはり小泉首相は何かの手違いで首相になった人物なのかもしれない?・・・今の日本の現状を考えると、とてもそんな悠長な感想を述べている場合ではないが・・・)特に難渋しているのは「少子化による国力の衰えをどうやって止めるのか、あるいはどの辺りに日本の将来における社会・経済及び社会保障政策の均衡点を設定するのか、また、そのためにどのような手法(ロードマップ/roadmap)を選ぶのか”という最も肝心かなめの中核的な理念の部分がまとまっていないようです。今の小泉内閣の手法を喩えるなら、大向こうからの名声(支持率)を渇望するあまり碌な地図もコンパス(羅針盤)も持たず、また経験豊かで思慮深い人々の制止も聞かぬまま、見せ場があったら再び大見得を切ろうと未踏のジャングルの中へごく少数の取り巻きが担ぐ輿に乗って踏み込み、バラ蒔いたカネで雇った荷物担ぎの大勢の人夫たちをバタバタと死なせながら平然としている無謀で不遜な山師(trickster)とでも言うところでしょうか。

 それどころか、政府与党の某議員などからは、いっそのこと「独身税」を創設して“子どもを持たない日本国民に将来世代の分まで多く公的負担をしてもらえばよい”というようなバカげた短絡的暴論が飛び出す始末です。一方、民主党の岡田代表がまとめた「日本復活ビジョン」でも“18歳までの子どもの扶養者には一人当たり4万円程度の手当を支給する”というようなチマチマしたことが提案されています。もし本当に、これが「日本復活ビジョン」の根本理念だとするなら、民主党が掲げる「日本の将来像」も、所詮は碌なものではないということになります。ここで共通して見られるのは、日本の「少子化」がもたらす近未来の日本社会に対する「政治家たちの危機意識が非常に希薄」だということです。(このような意味での危機意識の欠如は大方のマスコミにも言えることであり、その詳細は関連内容を纏めた下記Blog記事(●)で取り上げている)

●「暴政の時代の予兆」か・・・低すぎる日本のジャーナリズムの自由度
http://takaya.blogtribe.org/entry-5c5335819208e540352e18fe1417cdeb.html

●なぜマスコミは『日本の2010年問題』を議論し大きく報道しないのか?」
http://takaya.blogtribe.org/entry-e1493cc519cafb4f57bbd646ffc4d76a.html

●政治権力に迎合するマスコミ(内部からの批判)
http://takaya.blogtribe.org/entry-44fa5e972c923b7d46936107ba873bbf.html

 2005年に入るとともに、各種雑誌等の見出しで目立ち始めたことがあります。それは、日本の「コウゾウ・カイカク」を掲げて4年目に入った小泉政権下で急に大きくクローズアップされるようになった、あまりにも酷すぎる「政官界のモラル・ハザード」の問題です。様々な観点から見識ある学者・評論家などが厳しく指摘し始めていますが、敢えて、それらの問題点を濃縮して整理すると凡そ次のようなことになります。

(1)「『新しい国家像』不在のままの『カイカク』の推進」という「根本的なモラル・ハザード」/あるいは延々と続けられる「軽佻浮薄な政治ショー」の上演

・・・これは主権者たる日本国民の立場を徹底的に無視し続けるという重篤なモラル・ハザードである。将来の日本は何処へ向かうべきなのか? “ブッシュのポチ”と呼ばれつつ「ホワイトハウス・日本総代理店」として、このままアメリカ型の市場原理主義政策の道を突っ走るのか。それとも、「EU型のヴィジョン」のように市場原理主義を分配均衡の視点(市民(基礎)所得政策などの導入)で補完する方向(第三の道)へ向かうべきなのか? 特に、他に類例を見ないほど急速に進む日本の「少子化」を前提とすれば、これら肝心要の点を放置したまま財政、社会福祉(年金・高齢化対策等)、医療保険、教育基本法改定など各重要分野の「カイカク」に取り組む(振りをする!)のは、国民を誑かし欺く「オレオレ詐欺」的な悪徳の所業とさえ言える。この最も肝心な部分をホッタラカシにしたまま、小泉首相の指示を受けた政府の「税制調査会」(御用学者集団?)はソローリ、ソローリと一般国民の顔色を伺いながら“消費税率の引き上げを宣(のたま)う答申”を出したのである。“消費税率の引き上げを議論すること”自体が悪いのではない。日本の将来の方向付けとバランスして(例えば、基礎所得政策の導入等と十分バランスさせて)税率を引き上げるのであれば、大方の国民は不安を打ち消しつつ納得できるはずである。それが、これからの「日本の将来像」(どの道へ向かうべきなのか?)については他人事のように“われ関せずを決め込みながら”、その上、国民の立場と民主主義の根本理念に全く無関心のままで既得権益を守ろうとする財務省等・大物官僚の言い成りになって、一方的に増税等の国民負担増と行政サービスを切り下げ、挙句の果てに弱者切捨ての方向へ暴走する様(ざま)は真に嘆かわしく見苦しい限りである。

・・・こんなことでは、小泉首相とその取り巻きの政治家たちは“大嘘つきだ、オレオレ詐欺師だ、ペテン師だ!”と、心ある国民から悪口を叩かれても仕方がないことになるだろう。更に言えば、現在の政権で怪しからぬのは、「選挙」という国民からの洗礼(民主主義の根本的な手続き)を全く受ける立場にない「側用人寵愛型」(側近政治)の手法が堂々とまかり通っていることである。今は江戸・元禄の世ではない。21世紀に入った「民主主義の国」日本であったはずだが・・・? 特に最近は、この種の批判記事がジャーナリズムにも溢れ始めている。対外的にも恥ずかしい限りである。

<注>以上の(1)に関連する問題点の分析については、下記のBlog記事(●)でも取り上げている。

●近づきつつある本物の「暴政の時代」
http://takaya.blogtribe.org/entry-9ab41eb9bb10f5ce0f26089547abbee5.html
(2)与党政治家たちの「懲りない、底無しの倫理的・金銭的モラル・ハザード」

・・・与党政治家たちは、日歯連による「迂回献金疑惑」の放置、有価証券報告書の虚偽記載・脱税等を常習してきた「某大企業グループと首相自身が所属する某与党派閥との癒着疑惑」の放置、政治資金・機密費等の不正取得・流用・着服、族議員・財界バックの大型事業へ傾斜した満額予算配分等々、一連の「政界の陰部」をめぐる疑惑を放置するままで一向に自らの襟を正そうとはしない。その一方で彼ら政治権力者たちは、一般国民に対して、やれ「愛国心」だ、やれ「新しい教育理念」(教育基本法改正)だ、やれ「倫理観」(自己責任論)だと喧しく説教しようとしているが、これも(1)と同様に国民を誑(たぶら)かし欺く「オレオレ詐欺」的な悪徳の所業だと言える。更に言えば、これに類する「政治権力者たちの懲りない悪徳の所業」こそが、特に近年になって巷に蔓延る青少年たちのアブノーマルで悲劇的で“暗く陰惨な犯罪”が多発することの大きな原因となっているのではないか。なお、このところ身内の不祥事が重なったこともあり、NHKの「週間こどもニュース」の担当者は、”これら日本の政治権力者たちと身内(NHK内部)の「不都合なニュース」を子どもたちへ“分かり易く伝えるのに苦労している様子で、大変気の毒なことである。
(3)官僚(及び準公務員)たちの「懲りない、底無しに守銭奴化したモラル・ハザード」

・・・今、高齢者・障害者など弱者への負担増を言い訳として、小泉「コウゾウ・カイカク」による「冷酷な増税の嵐」が吹き荒れようとしている。しかし、これも国民を誑(たぶら)かし欺く「オレオレ詐欺」と同じような政官が結託した悪徳の所業ではないのか? この「政官の結託」は“弱者を人身御供”にして国民へ増税を押しつけようとしているが、それは違うのではないか? 何故に日本の財政は、ここまで異常になってしまったのか? 一言で言えば、それはコスト意識に欠ける「政官の結託」が膨大な無駄づかいをしたからである。無意味な公共事業(当然、有益な公共事業もある!)へ巨額の税金をつぎ込み、野放図な経営の外郭団体へ補助金による赤字補填(しかも、その殆どは人件費の補填)を繰り返し、高給を食む高級官僚の天下り先を育てることに巨額の税をつぎ込み、財投資金(簡保・郵貯資金の流用)で巨額の不良債権の山を積み上げ、国公立特殊法人等の「独立行政法人化」というまやかし(更なる天下りポスト増、更なる給与水準のレベルアップ)等々・・・・・これらの官僚たちによる「懲りない、底無しのモラル・ハザード」を拾い上げ始めたら限がなくなる。農水省等の各省庁、各都道府県警察(警察庁)、地方自治体、独立行政法人等の腐敗事例も数え上げたら限がない。なお、この問題についての民主党から政府・与党側に対する追及がなぜか弱々しく及び腰に見えるが、それは何故か? 恐らく、それは民主党のバックボーンが地方公務員及び関連外郭団体等(準公務員)から成る労働組合組織であることと無関係ではないだろう。つまり、政府・連立与党と民主党の間には微妙な利害の一致(談合できる部分)が発生しているのだ。どこかのテレビ局が行った電話緊急アンケート(1/9付)『小泉内閣の次に、どの政党が政権を取るべきか?』で「自民党+民主党」が約4割でトップを占めたと得意げ(?)に放送している場面があった。このような意識が本当に国民一般を代表するものであるなら、それは真に恐るべきことだ。今でさえ、与野党の関係は、このようにマアマアのもたれ合いなのだから、もし、これが連立となれば完全に「自民・民主」の二大政党の利害が一致した「国民不在の談合政権」が誕生することになる。一般国民からの「厳しい批判」を意識しなくて済むような「体勢翼賛型談合政権」の誕生となれば、現在の「オレオレ詐欺」どころではなく、尾篭な表現になるが、それこそ日本の一般国民(大マスコミ等一部の特権企業のサラリーマン、政治家、官僚・公務員及び準公務員は除く)は、強大でファッショ化した政治権力によって“最後のケツの毛一本まで引っこ抜かれる”ような隷属的立場に追い込まれるであろう。
(4)道路公団・年金保険・郵政等の「カイカク」という「幻想をバラ撒きながら、軽佻な言葉遊びに耽るモラル・ハザード」

・・・これらの“羊頭狗肉問題”は、今更述べるまでもないことだが、要するにまるで「紙芝居」で子供に幻想をばら撒くような「軽佻な言葉遊びに嵌ったモラル・ハザード」である。泰山鳴動しただけで結局は実質的に何も変わらなかった「道路公団改革」、これからが正念場だとの絶叫が続く「郵政改革」にしても約300兆円の財投資金・流用投資の中からどれだけ巨額の不良債権が出てくるのか? この肝心の点については“見ざる、言わざる、聞かざる”の「三猿」を決め込むという訳である。一部で“これらのカイカクは政権維持の方便だ!”と揶揄されているが、それも当然のことであろう。それにしても、あの“年金改革の大騒ぎ”は何だったのか? 一連の“カイカクの大騒ぎ”で確実に決まったのは国民の保険料負担増と支給額の段階的な引き下げだけではないのか。更に、社会保険庁の保険金に関する莫大な金額の“不正流用疑惑、着服疑惑”等の責任と補填はどうなったのか? これを全て不問に付したまま国民への負担増を求めるのは虫が良すぎるのではないか? 
・・・最近、小泉首相の軽佻浮薄なことば遊び(or軽佻浮薄なパフォーマンス?) については、正統保守派の立場からも厳しい批判の声が出始めている。例えば、雑誌「論座」(朝日新聞社/2月号)で、西岡朗氏(元・防衛庁防衛研究所、研究部長)は「小泉首相の靖国神社参拝」を次のように批判している。

『西岡氏は“A級戦犯は国家元首であった昭和天皇の平和への希求を無視して国を存亡の危機へ至らしめた者たちだ”と考えている。昭和天皇は1978年にA級戦犯が合祀された以降は靖国神社へ参拝していない。一方、小泉首相は昨年の国会答弁で「私はA級戦犯に抵抗感を覚えていない」と答え、A級戦犯への同情的な思いを滲ませた。このため、西岡氏は「小泉首相の慰霊の仕方は日本人の倫理感に沿ったものとは思えない」と批判した。また、昭和天皇の潔癖な行動は英霊に対する「最低限度の敬意の心」(このような合祀を悲しむ潔癖な心)の現れであるが、小泉首相の不謹慎な行動(二股をかけたような行動/水面下で分祀を模索する様子も伺える)は、この点でも全く筋が通らないと批判している。』

<注>以上の(2)〜(4)に関連する問題点の分析については下記のBlog記事(●)で取り上げている。

●「混合診療」(生命(いのち)の沙汰もカネ次第)の怖さをご存知ですか?
http://takaya.blogtribe.org/entry-03426b99ef4a16ccf82798bbea3d04b5.html

●高すぎる日本の「民主主義のコスト」
http://takaya.blogtribe.org/entry-e3b3dad62cace8d8dd30f7493180a96d.html

●捩れた「日米経済同盟」のツケを一身に背負わされた、お人好しの日本
http://takaya.blogtribe.org/entry-81540261923380e497b1cb3a881b4ffa.html

●近づく「日米、抱合心中型・経済同盟」の破綻(ドル暴落)
http://takaya.blogtribe.org/entry-fcaaa41b352ed67aec83dc076ed775c9.html

●目的地が見えない「無責任な増税策」を進める日本の悲劇
http://takaya.blogtribe.org/entry-a32764cb786fb70516ca03da8ad8a5d2.html

(5)巨額の長期債務残高を看過し続ける「国家的債務不感症というモラル・ハザード」

・・・今や、地方を含む日本全体の長期債務残高(国債・公債等の元利債務残高)の総額は凡そ970兆円(国としては約710兆円/そのうち国債は538兆円)の巨額に達している。(詳細データは下記URL●を参照)

●日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタ
http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html

●日本の借金合計
http://www.takarabe-hrj.co.jp/takarabe/clock/index.htm

・・・まさか、いくら善良な日本国民であっても、公的な長期債務がこのように異常な巨額となった原因が高齢者や障害者など弱者への公的負担や過剰な福祉関連の支出だけだと思い込む人はいないであろう。近年の一般会計の公債比率(歳出で長期債務の償還に充てる比率/一般に15%が警戒ライン、20%が危険ラインとされる)は20%を超えて推移しており、借金依存度(歳入で国債発行額が占める比率)も凡そ40〜45%という高い割合で推移している。いわば、日本の一般会計予算は借金漬け状態(ローン地獄状態)なのである。最近、朝日新聞は平成17年度予算案に基づいて、これを年収629万円(2003年、一般サラリーマンの平均年収)の家計に換算して分かり易く説明している。これによると、この家計は月収52万円だが、自宅新築時の返済ローンで20万円(国債費18.4兆円相当)、田舎への仕送り17万円(地方交付税相当)があるので手元に残る金額は15万円だけになる。しかし、家計支出は52万円(一般歳出47.3兆円相当)が必要なので、結局は月ごとに銀行(またはサラ金から)37.7万円(国債発行額34.4兆円相当)の借金をする必要がある。素朴で善良なこの家計の主は、あまり深くモノゴトを考えぬままこのような日常生活を繰り返すうちに、気がついてみたら“我が家計のローン残高”は約7,000万円(国債残高538兆円相当/これ以外にも借金はある)という巨額に膨れ上がっていたという訳である。これでは、日本(日本政府)自身が多重債務者ではないのか?  ところで、何故こんなことになったのか? 実は、その多くの部分は“経営感覚とコスト意識”が欠落した政治家と官僚が結託・癒着して流用・搾取し、国民が納めた血税を惜しげもなく湯水の如く使いまくった『無責任な浪費』に責任があるのではないか? だから、もし、全く自己反省の欠片もなく、その主な原因が高齢者や障害者など弱者への公的負担(社会保障政策へ傾斜し過ぎた結果)だと説明して、一方的に増税等の国民負担増を押し付けつつ社会保障サービスの水準も引き下げるつもりなら、そんな不埒なことを宣(のたま)う政治権力者(政治家+官僚のコアリション)たちは、「オレオレ」の(或いは悪質なネズミ講グループを主宰する)詐欺師集団(ボスは首相)だと言う他はないことになるだろう。

・・・ニューヨーク経済クラブにおける講演(2004年3月2日)で、アメリカのグリーンスパンFRB議長は“年率9%のスピードで国の債務が増加中の国の「10年モノ国債」を、わずか1%程度の金利で喜んで買う(アホな)投資家は世界のどこを探してもいないだろう。だから、日本人以外の投資家で日本国債の所有者を探しても殆ど見当たらないのは当然のことだ。”とスピーチしています。(http://www.economate.com/grenspn_0404.htm)このグリーンスパンの言葉は、自国民を“誑(たぶら)かし”たり、あるいは”必死ですかし”たりしながら、一方ではアメリカに隷属するばかりの日本政府の矛盾した姿(独立した「民主主義国家」としては恥ずべき、誤った経済・金融・財政政策にとり憑かれていること、及び日本国民がこの問題についての政府と官僚の責任を十分に自覚していないという愚かしさ)を的確に捉えています。別に言えば、グリーンスパンFRB議長は、いつまで経っても「新しい国家像」を描くことができず、立ち往生するばかりの日本政府を揶揄している訳です。
<注>1/10〜1/11、マスコミ各社は、財務省が本格的な海外向け国債販売のキャンペーンを開始すると報じた。そこで開示されたデータは、凡そ現時点(2003年)での海外投資家の国債保有者の割合がドイツ40.3%、アメリカ39.9%、フランス26.2%、イギリス12.2%、日本4.0%となっており、グリーンスパンFRB議長の発言のとおり日本の異常さを裏付けている。日本の国債発行のペースは、1990年代後半に発行した分の大量償還に伴う借り換え債だけで、2005年度が103兆円、それが2008年度には134兆円まで膨れ上がる見通しで、更にその後も130兆円以上の大量発行が続く見通しである。しかし、財務省がこのような“恐るべき推計”(不信のシグナル)を内外に開示して海外向けの国債セールス・キャンペーンに取り組むことよりも、まず日本政府が大方の日本国民に将来へ向かっての安心感を与える「新しい国家像」を示すことの方が先ではないか? これでは、まるで多重債務で苦しむ人が海外に向かってまでローンや債務の借り換え先を求める様(ざま)と同じではないのか? グリーンスパンが言うとおり、より賢明な海外の投資家たちは、日本の国家的な「オレオレ詐欺」には騙されないはずである。一説によると、今、日本で流行っている「オレオレ詐欺」(改称、振り込め詐欺)は、アジアも含めた海外では殆ど成り立たない(騙される人が殆どいない)そうである。

[2]長期債務残高についての考え方イロイロ

(1)教科書的な理解(国債問題についての基本的理解)

☆加速度がついた日本の「財政赤字」が「国債等の長期債務残高」となって積み上がってきた。その加速度をつけた主な犯人は政官界の野放図な無駄使い。また、年度ごとの「財政赤字額の対GDP(国内総生産)比」の推移を観測すると、その赤字幅は着実に拡大している。(http://www.rieti.go.jp/jp/papers/journal/0412/bs01.html)しかも、その悪化傾向のスピードは先進諸国の中で最も速いものとなっている。

☆この長期債務に対する貸し手(国債の購入者)は殆どが日本国内の機関投資家(一部公的機関及び日銀、企業、金融機関、大口の個人投資家など)であり、その一部公的機関の代表が簡保・郵貯・厚生年金基金等である。そして、これらの機関へ貯金したり、保険料を支払っているのは国民である。従って、これらの場合は、表向きの国債所有者は公的機関だが実質的な所有者(債権者)は日本の国民自身ということになる。

☆国債の発行権者(国として借金をする権限の保有者)は国であるから、国には債務返済(元利金の返済)を誠実に実行する責任と義務がある。しかし、国は自ら生産活動を行い、新しい付加価値を生み出す能力を持たないので、結局、その元利金返済の原資は国民から徴収する税金ということになる。従って、国債の債権者と債務者はともに国民自身ということになるはずである。しかし、国民には国債の発行権(債権者としての権利)がないので、国民には債務者としての立場だけが残ることになる。

☆このようなメカニズムで積み上げられた結果が巨額の「国債等の長期債務残高」であり、ここから予想される問題点には次のようなものがある。

(a)流動性に関する不安心理の問題(国の信用1)

・・・現在の長期債務残高(約710兆円)はGDP(約500兆円)の約1.4倍の大きさであり、もし、これだけ巨額の債務返済が一度に発生したとすれば(まず、そのようなことは起こり得ないが)国債金利が急上昇し、必ずや金融・経済のパニックが起こり、その波紋は国内のみならず世界中へ波及することになる。具体的には、国債の金利急上昇は企業や家計の借り入れ金利へ連動するので、一気に金融破綻に関する「不安心理」が広がって取り付け騒ぎが発生するであろう。一般国民が、このようなパニックの方向へ進む可能性を押し止めているのが「国の信用」ということに他ならない。

(b)国債保有を支える信頼性の問題(国の信用2)

・・・機関投資家にせよ個人投資家であるにせよ、彼らが国債を保有し続けるのは“いずれ日本政府は現在の無駄な歳出を削り、適正な税水準を回復して財政健全化を実現するはずだ”という「国への信頼」(国の信用U)を持っているからである。
(c)適正な所得再分配の問題(国の信用3)

・・・一般に、国債を保有する個人投資家は階級的に言えば富裕層に属するはずだ。そこで、もしも日本政府が巨額に積み上がった長期債務の返済を目的として増税に踏み切るようなことがあれば、貧困層から徴収した税金(返済資金)で富裕層への元利返済(逆行的な所得再配分)が行われることになるだろうから、もし、このようなことが起これば、大多数の国民層からの国に対する信用(国の信用V)は崩壊することになる。従って、適正な所得再分配の理念を破棄しない限り、長期債務返済のために増税することは困難である。一般の国民は、このような意味でも「国への信頼」(国の信用V)を維持している。これも巨額になった長期債務残高によるパニックの可能性を押し止める役割を担っている。
☆以上のことから、次のような問題点(●)が明瞭に理解できるはずである。

●表面的に見ると、政府・官僚・国民の三者が共に責任を負うべきかのように見えるが、国民は国債の発行権を持たないので、国債等の巨額の長期債務を「積み上げた責任」は明らかに政府(与野党政治家を含む)と官僚側にある。
・・・しかも、その殆どが政府(与野党政治家を含む)と官僚たちの無駄使いの結果であることが、今や明らかになっている。

●しかし、残念ながら、未だに大部分の日本国民は「この明白な事実」(巨額の長期債務を「積み上げた責任」は明らかに政府・官僚側にあるということ)をあまり厳密に自覚していない。
・・・従って、長期債務問題を理解するための比喩として使うならよいが、「国の長期債務残高を一世帯当りで計算すると○○○百万円になる」というような説明、つまり安易に、あるいは意図的に国民自身の責任論へ転嫁するような危うい議論には組するべきでない。マスコミも、このような比喩を使う場合は、この点に関して十分な解説を書くべきである。

●それどころか、これほどまでの政府と官僚が犯した失政(大失敗、大ヘマ)を辛うじて支えているのが「国への信頼」(国の信用T〜V)であることを、一般国民は大いに誇るべきであろう。不埒な「政府と官僚」から、こっ酷く叩かれ打ちのめされながら、それでも国を信用するという日本国民の一途な姿(愛国心の発露?)には涙ぐましい雰囲気さえ漂っているではないか。

・・・ともかくも、日本政府(与野党政治家を含む)と官僚たちは、このような日本国民の絶大なる「国への信頼」(愛国心)に真剣に応える責務がある。

(2)本質論的な理解(国家主権と民主主義の観点から)

☆世界史的な観点から俯瞰すると、およそフランス革命以前の王制時代にヨーロッパ各国の社会・経済を実体的に仕切っていた「政治権力」の主たる構成要因は「暴力(軍事力、武力、警察力)による強制」という名の国家権力であった。極論すれば、この時代の国家的な長期債務問題の解決方法は、まず対外的な軍事侵略(植民地主義、帝国主義へ繋がる)による略奪であり、国内的には軍事力・警察力をちらつかせる「強権的・搾取的な徴税」の手法であった。

☆フランス革命以降の時代に入り、各国で議会政治が定着するようになると、次第に「国の借金は、国民の代表たる議員が構成する議会の討議で決定したことの結果であるから、決して一般国民と無縁のものではない」という近代国民国家的(ナショナリスティック)な観念が広がるようになった。しかし、更に時代が進み欧米各国が19世紀末以降の成熟した市民型民主主義の時代に入ると、厳密な意味での「三権分立」と「普通選挙権」が定着・普及するとともに国家の主権者たる「国民」に対する「政府と国会議員の責任」の問題が一般国民によって明確に意識(自覚)されるようになる。つまり、政治権力の恣意・不正・逸脱を批判・監視する国民の重要な役割を自覚する、現代「市民社会」の誕生である。

☆江戸幕府の財政崩壊を引き継いだ明治維新・新政府(明治元年/1868〜)は、まず急場を凌ぐために多額の公債(国債)発行政策(秩禄公債、金禄公債など)を開始し、同時に太政官札(金札)を発行して藩札の流通は即刻禁止された。そして、翌・明治2年(1869)には大阪に造幣局が設置され鋳貨が開始されている。この一連の通貨・金融・財政改革の強権的断行によって幕末以来続いていた貨幣制度の大混乱が漸く鎮まることになった。やがて、大量に発行された公債(国債)は、富国強兵(殖産興業)政策に基づく近代的な工業の発展と地租改正(土地所有権の公認、物納から金納への転換、私有・転売等の公認)による税収増、戦勝による賠償景気(日清戦争、日露戦争)などによって償還されていった。しかし、明治期の新政府による金融・財政改革の根本となった推進力は、合法的暴力(軍事力、武力、警察力)に支えられた国家権力(政治権力)を前提とする「強制的な徴税政策」であったことを忘れるべきではない。そして、この時代の国家「主権」は国民の側になかったことも銘記しなければならない。

☆第二次世界大戦が終わったばかり、いわゆる終戦直後(昭和20年/1945〜)の日本経済は、戦時体制(国民精神総動員運動、国家総動員法、大政翼賛会、大日本産業報告会)下で大量に発行された戦時国債(国民が強制的に買わされた)は政府のデフォルト宣言で只の紙切れと化し、強制的な預貯金の凍結(封鎖)で国民の金融資産が消滅し、ハイパー・インフレによる実質的な借金の踏み倒しが行われるという恐るべき経済大混乱の時代(戦後恐慌の時代)であった。やがて、昭和21年(1946/施行1947〜)に「日本国憲法」が制定され、この時になって日本の国家「主権」は漸く国民のものとなった。現代に生きる我われ日本国民は、上で見たとおりの「明治維新・新政府による強制的な徴税政策」と「第二次世界大戦直後の公債(国債)デフォルト、預貯金封鎖、ハイパー・インフレなどによる国民資産の消滅」という、「主権」が国民になかった時代の恐るべき「政治権力の暴走」(一般国民の懐中に強権的に手を突っ込む搾取政策)の歴史を忘れるべきではない。また、昭和21年の「日本国憲法」の制定によって、史上で初めて日本国民が「主権」を手に入れたことも忘れるべきではない。国民の側に「主権」があってこそ、政治権力の暴走に対して「異議申し立て」(dissent)ができるのである。しかも、その「国民主権」は一般国民が意識的に守らぬ限り維持できないものなのである。今の時代の日本国民は、あまりにも、これらの身近に起こった歴史的事実に無関心となりすぎているのではないか。つまり、民主主義は「国家」が「国民」へ与えるものではなく、「国民」が憲法を支えとして意識的に守り続けるべきものなのである。

☆現代の世界で民主主義政治を採用する先進諸国においては、国民に代わって政治・行政の仕事を預かる「政治権力」(政府や官僚たち)が本当に国民の身になって国家予算を執行(財政運営を実行)しているか否かを「主権者」たる国民の側から厳しく監視・評価するのは、ごくあたり前のことになっている。「政治権力」(政府や官僚たち)が本当に国民の利益を考えて予算を使っているなら問題はないが、近年の事例を見る限り無駄使いや同義的に不埒なケースが目に余るほどに多発している。その結果が巨額の「国債等の長期債務残高」となった訳である。これに対して国民側から何の「異議申し立て」(dissent)もなければ、「政治権力」側はそれで善しとするだけである。「国家の借金」はいずれ「国民」が尻拭いすべきものだと納得するのは大間違いである。つまり、政治権力の恣意・不正・逸脱を国家「主権者」の立場から批判・監視する役割を自覚するのが現代社会に生きる健全な「市民意識」なのである。

☆重要なことは、「政治権力」(政府や官僚たち)側が勝手に納得している“「国債等の長期債務残高」を返済するのは国民の義務だ”という考え方に対し国民が「ノー!」とシビアに拒否することである。この観点で国民が厳しく国家の財政運営(公債発行、歳入・歳出の執行、徴税など)の各項目をチェック・監視・評価することが肝心である。そして、不明朗な点があれば堂々と「異議申し立て」(dissent)の権利(国家主権)を行使すべきである。しかし、どうもマスコミなどにおいても、このような議論があまり目に付かないことからすると、有識者なども含めて日本国民の意識は未だに太平洋戦争時代以前のまま(あるいは江戸時代の町人・農民意識や、お上・ご公儀意識のまま)変わっていないのではないか?と思われる。長期債務問題についての「(1)教科書的な理解」で分析したとおり、巨額の「国債等の長期債務残高」にもかかわらず、「日本国民の日本政府に対する持続的信用」が金融・財政上のパニック発生の抑止力となっていることは間違いがない。そして、このこと自体は健全なことで真に結構なことでもある。しかし、日本国民の意識が、“お上に年貢を納める”という江戸時代の町民や農民と同じレベル(国家主権者としての自覚の不在)に止まったままだとするなら、一方的(片思い的に)“長いモノに巻かれる安心”だけを求めているのだとするなら、近い将来において「強制的な徴税の執行、公債デフォルト、預貯金封鎖、ハイパー・インフレ」などの国家権力の強引な行使によって国民の資産が一方的に国家権力によって収奪される時がやって来ても仕方がないのではないか?その上、このような事態に至った暁には、日本国民が「民主主義」と「国民主権」を根こそぎ捨て去ることになるであろう。そして、このような将来の日本の悲劇的な事態を招かぬようにするためにも、今、必要なのが「政治権力」のトップに立つ小泉首相に対して「日本の新しい国家像」を責任を持って示すよう強く求めることである。敢えて逆説的な言い方をすれば、だからこそ“国民主権の制限”を志向する小泉政権は、ホンネの部分で自らに対する抵抗があるため「日本の新しい民主的国家像」が作れないのかもしれない。我われ国民(一般市民)が一瞬たりとも監視を怠れば、「政治権力」は必ず腐敗し暴走することを忘れるべきではない。

 以上のような「政官界のモラル・ハザード」に関する分析を踏まえながら、今、その国家像の模索のためにどのような選択肢があり得るのか、という点について考察を進めることにします。

[3]「新しい国家像」を描くために

(1)拡大EUの再評価(市場原理主義を補完する、新たな政治・経済・社会の実現)
・・・2004年6月12日、夜、EU首脳会議は25カ国から成る「拡大EUの基本法」となる「EU憲法」を全会一致で可決しました。EU憲法が目指すのは経済・防衛・外交・司法に及ぶ広範囲の連繋と協調です。同憲法は、今後、各国議会や国民投票による批准にかけられ、すべての加盟国の承認を経て発効することになり、2009年までの発効を予定しています。また、その中では国旗と国家(ベートーベンの歓喜の歌)も制定されています。この憲法は前文、本文(4部)、付属文書の構成です。その前文では、分断と対立の歴史を乗り越えて再統合を果たした東西欧州が、“多様性のなかの統一”の名の下に平和と繁栄への道を進むことを宣言しています。また、第1部では、民主主義、人権、法の支配の原則などの原則規定とともに、地球環境の保護、持続的経済発展、社会的市場経済主義、文化・言語等の多様性の尊重などEUらしい価値観を強調しています。また、第2部には、死刑の廃止を定めた基本憲章が盛り込まれています。なお、基本的な問題点としては英国が代表する「連合的国家」(ゆるい国家協力組織)と独仏などが代表する「連邦的国家」の基本的な立場の違いなどがあります。従って、まだまだ前途多難が予測されますが、それにもかかわらず、我われアジア諸国も、EUが本格的に取り組み始めた新しい国家関係や、新しい政治・経済・社会政策のあり方などには大いに注目しなければなりません。

・・・特に注目すべき点は、EUの根本理念の中にアメリカ型のグローバル市場原理主義を「分配均衡の視点」の導入(市民(基礎)所得政策などの導入/市民所得政策とは、例えば、財産や収入の多寡とは無関係に全国民に対し10〜15万円位の基礎所得を国が一律に給付し、税率の工夫や社会保険給付の抑制などとの間で総体的にバランスさせるという考え方/北欧諸国では既に実現している)で補完するという考え方が根を下ろしていることです。また、オランダにおいて先進的な取り組みが行われているエイジフリー(年齢不問の雇用制度)、ジェンダーフリー(性別不問の雇用制度)、ワークシェアリングなども方向づけられています。オランダではこれら革新的な理念を実行に移すため、1996年に「労働時間差・差別を禁止する法律」が制定されています。端的に言えば、これは正社員・パートタイマー・アルバイトなどの労働時間単価(単位時間当たりの賃金)に差別をつけてはならないということです。なお、オランダでは移民受け入れのために「市民化講習」という制度が設置されています。現段階ではEU加盟諸国のそれぞれの事情によって、これら共有理念の実現の度合いは様々です。しかし、いずれにしても「拡大EU」の加盟諸国は、これらの共通理念に沿って、それぞれの国の「新しい国家像」を描いた上で社会・経済の持続的な発展をめざしているのです。その他の「EU憲法」で注目すべき点を列挙すると次のとおりです。

▲新たな多数決ルール(閣僚理事会の意志決定方式)
・・・加盟国の少なくとも55%が賛成し、賛成国の人口がEU人口の65%以上となることを可決の基本条件とする。全会一致方式では迅速な意思決定ができないという認識を持つ。

▲市民参加と民意の十分な反映の促進(準立法機関としての欧州議会の権限の強化)
・・・民意を十分反映させるために、直接選挙で選ばれる「欧州議会」に欧州委員長の選出権を与える。100万人の市民の要求があれば、「欧州委員会」に法案作成を求める権利を定めた。 これは、アメリカの政治学者ロバート・A・ダールが提示した「ポリアーキー」という民主主義社会(市民社会)の理想を取り入れたものです。

<注>「ポリアーキー」の詳細については、下記Blog・記事(●)を参照のこと。

●理想の民主主義社会における本当に強い人間とは?
http://takaya.blogtribe.org/entry-974be074b52c8d02c70a61f3c794e86e.html

▲EU大統領、EU外相の創設

(2)「EUの理念」と社会思想家・賀川豊彦の意外なかかわり(日本の役割の再発見)
・・・ところで、通信社の現役デスクである主筆を中心に内外に65人の通信員を抱えて、分野を超えたコラムを発信するネット・ジャーナリズム「萬晩報」(http://www.yorozubp.com/0211/021126.htm)によると、明治〜昭和期にかけて活躍した日本を代表する社会運動家の一人である賀川豊彦(1888-1960/社会運動家・社会思想家・キリスト教伝道者)と「EUの理念」には接点があるそうです。

・・・EUの出発点は1952年まで遡りますが、この年にフランス、旧西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの六カ国によって「欧州石炭・鉄鋼共同体」(ECSC)が設立されました。これは、ドイツとフランスの覇権争いが第二次世界大戦に至るまでのヨーロッパの戦争をもたらしたという反省が動機となって設立されたとされています。具体的には1958年までの間にECSC内の鉄鋼などの関税が撤廃されましたが、根本には戦略的な物資である鉄鋼と石炭をECSC内の共同管理を通じてドイツ・フランス両国の対立を極力やわらげるという意図もありました。このECSC発足の下敷きとなったのは「シューマン・プラン」です。これは、当時のフランス外相のシューマンが書いたプランで、フランスが占領していたルール地方の鉄鋼・石炭産業をドイツへ返還して国際機関の下での統治・管理を提案したものです。

・・・1958年にヨーロッパの共通市場の設立を目指す「欧州経済共同体」(EEC)と「欧州原子力共同体」が設立されます。やがて、1967年に、これら三つの共同体が統一されて「欧州共同体」(EC)が発足して。ヨーロッパ市場の統合が加速さることになります。1993年には「マーストリヒト条約」が締結され、いよいよEU(欧州連合)を創設するための動きが具体化してきます。この時、EUのプランでは、従来からの経済面に加えて外交・安全保障・司法・内務などが構想されました。そして、1999年にはヨーロッパの単一通貨ユーロの導入が実現しました。

・・・ところで、「萬晩報」の記事によると1978年に「欧州共同体」(EC)のコロンボ議長(イタリア外相)が日本にやってきた時、賀川豊彦が提唱した「Brotherhood Economics」という概念がECの設立理念の一つとなったということです。そして、これは当時のEC日本代表部が発行した広報資料にも掲載されているそうです。

<注>以下に「萬晩報」の記事を部分・転記する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転記始まり)
このBrotherhood Economicsは1935年アメリカのロチェスター大学からラウシェンブッシュ記念講座に講演するよう要請され、アメリカに渡る船中で構想を練った「キリスト教兄弟愛と経済構造」という講演で初めて明らかにしたもので、翌1936年、スイスのジュネーブで行われたカルバン生誕400年祭でのサン・ピエール教会とジュネーブ大学でも同じ内容の講演をした。

 「キリスト教兄弟愛と経済構造」はまず資本主義社会の悲哀について述べ、唯物経済学つまり社会主義についてもその暴力性をもって「無能」と否定し、イギリスのロッチデールで始まった協同組合を中心とした経済システムの普及の必要性を説いたのだった。

 その400年前、ジュネーブのカルバンこそが、当時、台頭していた商工業者たちにそれまでのキリスト教社会が否定していた「利益追求」を容認し、キリスト教世界にRefomationをもたらした存在だったが、カルバンの容認した「利益追求」が資本主義を培い、極度の貧富の差を生み出し、その反動としての社会主義が生まれた。賀川豊彦が唱えたBrotherhood Economicsこそは資本主義と社会主義を止揚する新たな概念として西洋社会に映ったのだと思う。

 この講演内容はただちにフランス語訳されて話題となり、わずか3年の間にヨーロッパ、アメリカを中心に中国を含む27カ国で出版された。スペイン語訳には当時のローマ教皇ピウス]T世の序文が付記された。

 さらに純基氏(賀川豊彦の長男)がいうには「アメリカのワシントンDCにワシントン・カテドラルという英国教会の教会があるんですが、そこに日本人としてはただ一人聖人として塑像が刻まれているのです」。1941年4月、賀川豊彦は日米開戦を阻止するため、単身渡米してワシントンで米側と話し合いをしているのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転記終わり)
・・・驚くべきことは、今から約70年も前に、「EU統合の理念」の礎になったとも言える卓越した思想を賀川豊彦が欧米の人々に向けて堂々と提唱していたことです。また、賀川は、日米開戦を阻止するため、単身渡米してワシントンでアメリカ側と話し合いまでしていたのです。そして、このような賀川豊彦の実践的な活動を知っていた、当時(1978年頃)のヨーロッパの知識人たちは幾度となく賀川をノーベル平和賞の候補に推薦しようとしたそうです。その理由は単なる平和主義者ということではなく、「平和を実現するためには具体的にどのような政治体制が必要なのか、またどのような経済改革を行わねばならないか、ということを終世考え続け実践したこと」が評価されたためであったとのことです。

<注>賀川豊彦(1888/明治21-1960/昭和35)
・・・神学生時代に神戸市葺合の貧民街に住み込んでキリスト教の伝道を始めた。プリンストン大学へ留学したが帰国後は再び貧民街に戻った。労働運動、農民運動、消費組合・共同組合などを創始したキリスト教的社会主義者・大衆伝道者でもあった。その多くの著書が外国語に翻訳されたため、欧米やアジア諸国に度々招かれて講演活動を行った。太平洋戦争中には、その反戦平和思想の故に憲兵や警察に留置された。
<注>「拡大EU」を支える哲学・思想及び、その歴史的背景などについては下記Blog・記事(●)で取り上げている。

●拡大EUの意義(世界で浮遊する日本)(1/3〜3/3)
http://takaya.blogtribe.org/entry-301096b96c969dc8029f461ce0207be3.html(1/3)
http://takaya.blogtribe.org/entry-b8ec546a397011f4a690c1d975e3d65e.html(2/3)
http://takaya.blogtribe.org/entry-bbcf0d9a1080daeba2de8db69b204371.html(3/3)

(3)全地球的な「貧困問題」解決への強い意志の必要性(21世紀のノーブリス・オブリージェ)

・・・2005.1.5付・朝日新聞の記事「視点、ウイークエンド/貧困問題、解決へ強い意志示す時」で、ビル・ゲイツ(米マイクロソフト会長)とボノ(世界トップクラスのロックバンド「U2」のボーカリスト、アイルランド出身)の共同投稿が掲載されています。その要点をまとめると次のようになります。

(共通認識)

▲もし、貧困や疾病によって理不尽に生命が失われ続けるなら、2005年の世界は悲劇的な時代の幕開けとなる可能性がある。しかし、逆に、貧困に喘ぐ人々のために未来を変えようと、世界が本気で取り組む年になる可能性もある。特に世界の主要8ヵ国(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、ロシア、日本)の指導者は、その「見識と決断力」が注目されている。

▲現代は科学技術の発達によって、新しい道具やアイデアが、つい最近までは考えられなかった新しいチャンスを創りだしている。貧しい人々の命を何世代にもわたって奪ってきた疾病の中には、消滅寸前のものもある。

▲もう一つ、古い不公正な考え方も消えかけている。それは、富裕な国に対する冷戦時代の債務によって縛られた貧困国は、国民がどんなに苦しんでいても返済を続けなければならないという考え方だ。豊かな国々が、そうした債務の一部を帳消しにすることで、貧しい国々は保健や教育など緊急の問題に資金を注げるようになる。

▲5年前の「国連ミレニアム・サミット」で、各国の指導者たちは、より多くの国々、より多くの人々にとってうまく機能する世界になるように努力することを約束して「ミレニアム開発目標」を設定した。食料や清潔な水、保健サービス、教育などは、全ての子どもの生まれながらの権利なのである。しかし、これらの計画の進展は必ずしも万全ではない。予算の制約から援助を削ろうという誘惑が働く。

▲しかし、このような点に関する決断は、援助をしないことによって生じるコストと比較してみることが必要だ。我われは、人間に対する投資は何倍にもなって返ってくると信ずる大きな考え方が必要だ。今日、より少ない投資でより多くの人々の生活を変え、彼らが我われ見る目を変えることができる。

<注>この観点は特に重要である。そして、この点で最も先進的な行動に取り組むのは、オランダ(主要8ヵ国には入らないが)である。例えば、オランダ国民一人当たりの発展途上国援助額が208ドルであるのに対し米国民一人当たりのそれは僅か47ドルに過ぎないというデータがある。(2003/日本語版Newsweek2004.9.8号およびRanking the Rich、http://www.cgdev.org/rankingtherich/home.html)なお、現代のオランダ(王国)は人口1,600万人の小国ながら、歴史的にも(現実的にも)ヨーロッパ統合の象徴(中心地)となるEUの臍的な存在であり、「オランダ・モデル」と呼ばれる様々な先行的施策が推進されている。関連する内容については、下記Blog・記事(●)に詳しい。

●「オランダの光」の伝説(revised、6/6)
http://takaya.blogtribe.org/entry-e3d65ed347b31738c63409cf678542d6.html

(提言)

▲そこで、我われ(ビル・ゲイツ&ボノ)は、先進国すべての指導者たちが2005年中に次の四つの重要なステップを踏み出す決意を示すように望む。これらの行動によって、我われの「政府」は歴史をつくることができる。

▲だが、そのためには我われが政府に、その実現を訴えなければならない。だからこそ、社長も、ポッスターも僧侶も、母親連盟も学生連盟も、正義のために地球規模のキャンペーンに乗り出したのだ。

▲我われの世代がどのように記憶されるかは我われ次第だ。インターネットで? 対テロ戦争で? それとも、子どもがたまたま世界のどこに生まれたかで生存が決まるようなことをなくそうと決意したことで?

(a)迅速に提供できる「効果的」な(無駄なではない!)対外援助の額を倍増する。

同じ趣旨での英仏主導の計画が動き出そうとしており、それは子どもの予防接種を増やすことで500万人の命を救えるかもしれない。

(b)貧困国の債務を終わらせる。彼らに必要なのは軽減以上のもの。つまり完全な債務の帳消しである。

(c)不正な貿易ルールを変え、貧困な国が自立できる道をつくること

(d)HIV(エイズウイルス)ワクチンの開発を協力して推進する組織への資金提供

<注>ビル・ゲイツとボノは下記の組織を通して、それぞれ途上国の支援に取り組んでいる。

「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団」・・・ビル・ゲイツ夫妻
http://www.gatesfoundation.org/default.htm

NGO組織「DATA/債務・エイズ・貿易・アフリカ」・・・ビル・ゲイツとボノが共同設立者/http://www.volunteersolutions.org/ut/org/2617857.html

(3)アパルトヘイト放棄の歴史に学ぶ(差別と貧富差の拡大を直視し、決断する勇気)
・・2005.1.8付・日本経済新聞の記事「世界システム再構築(6)/多様性維持、21世紀の命題」で、F.W.デクラーク元・南アフリカ大統領のインタビュー記事が掲載されています。その要点をまとめると次のようになります。

Q:現在の世界秩序をどう見るか?
A:2001年に同時テロが起きるまで、最も貧しい人たちが世界最強の国の安全を脅かす「現実」に気づかなかった。途上国のガバナンス(統治)を改善することが先進国の安全保障に寄与するという認識を強めるべきだ。アメリカは歴史や文化の違いに応じた民主化を理解してほしい。今のアメリカは傲慢だ。

Q:紛争防止への取り組みはどうすべきか?
A:紛争の原因の一つは、多数の貧困層が少数派の富裕層に抱く不公平感だ。差別意識や疎外感が怒りと悲しみを生み、テロにつながる。
A:もう一つは宗教的・民族的な多様性が認められないこと。様々な人を内包する「寛容」さが不十分な国がある。特にアフリカの紛争の背景にはこれがある。
A:多様性は紛争地だけの問題ではない。ヨーロッパでは国の主権を制限するような統合が進む一方で、個人レベルでは、例えばフランス人、ドイツ人としてのアイデンティティーを守ろうとする。この微妙なバランスをどう保つか、答えを探すのが21世紀の命題だ。

Q:近年のノーベル平和賞がNGO(非政府組織)に授与されるケースが目立つことをどう思うか?
A:貧困な国や民主化が遅れている国には、NGOを始めとする「市民社会の力」が弱いという共通項がある。言論と行動の自由や法秩序の確立など、基本的なルールを定着させる上で「市民社会の協力」を求めざるを得ないのだ。

Q:南アフリカは、どのように人種差別を乗り越えて民主化を実現したのか?
A:どんな対立も解決の過程では「譲歩」が必要になる。時機を逃すべきではない。これが南アフリカの経験から得られる教訓だ。アパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃の当時は、大統領として私が率いた白人政権と、マンデラ氏のANC(アフリカ民族会議)は、政治犯の釈放や武装闘争をめぐり互いに譲歩した。

Q:中東和平の停滞が現在のイラク混乱の背景と言われているが?
A:キリスト教世界とイスラム世界の衝突につながる事態は、あらゆる手段で防ぐ必要がある。イスラム穏健派をもっと支援しないと、穏健派の若者が過激派へ合流してしまう。

<注>F.W.デクラーク氏
・・・元・南アフリカ大統領。ネルソン・マンデラ氏釈放やアパルトヘイト政策の放棄などを相次いで実施し、南アフリカ民主化の立役者として、1993年にマンデラ氏とともにノーベル平和賞を受賞した。
・・・2004年、マンデラ前南アフリカ大統領、ブッシュ元・米大統領らに呼びかけて「グローバル・リーダーシップ財団」を設立した。この財団の目的は、紛争や内政課題などの解決に向けて経験者たちが現役世代へ助言すること。つまり、「過去の過ちに基づき、生きた教訓を未来に生かすこと」である。デクラーク氏の言葉には、途上国で多発する地域紛争や宗教対立は「先進国が冷戦の次の世界秩序を構築しきれなかった負の遺産」だという思いが滲んでいる。
・・・従ってデクラーク氏によれば「先進国の最大の過ち」は“貧困層の問題を自分たちの問題として認識できなかったこと”ある。

[結び]

★「新しい国家像」を描いて見せるのが、この論の目的ではありません。しかし、日常生活に追われる一介の「市民」の目線から眺めただけでも、わが国の政治・経済について、これだけの深刻な問題点が見つかるのです。
★また、試みに多少の先進事例を海外諸国の動向の中から拾うだけで、「新しい国家像」を描くために役立ちそうなヒントがこれだけ集まるのです。一体、日本のエリートたる政治家と官僚(政治権力者)たちは何を血迷い我欲の無限地獄に嵌り、堂々巡りをしているのでしょうか?
★「[3]「新しい国家像」を描くために」で見た先進事例に共通するのは、いずれの場合も明確な哲学と倫理観がシッカリと根づいていることです。それは建物に喩えれば耐震構造です。
★例えば、EUの理念の根本では、13世紀スコットランドの神学者ヨハネス・ドウンス・スコトウスの「神と人間の自由意志についての精緻な考察」がもたらした「キリスト教敬虔主義」、「カトリック福音主義」などの伝統、いわゆる“寛容の神学”(原理主義の対極にある神学的・哲学的・思想的立場)についての深い理解が伏線となっています。だからこそ、必然的に、日本が誇るキリスト伝道者でもある社会思想家・賀川豊彦と「EUの理念」が結びつくのです。
<注>ヨハネス・ドウンス・スコトウスの「神と人間の自由意志についての精緻な考察」については、下記Blog・記事(●)に詳細がある。
●自由と実践理性の葛藤、その現代的意味(1/2)
http://takaya.blogtribe.org/entry-8323d42eabcfa64b6f1db7ec80c3bce2.html
●自由と実践理性の葛藤、その現代的意味(2/2)
http://takaya.blogtribe.org/entry-f93e4b3775d25af691bc06ee4e1397a6.html
★これに比べると、日本の政官界の「底なしのモラルハザード」には戦慄すら覚えます。国民に対して「倫理」(教育基本法の改定)と「愛国心」(憲法改正など)を説教する前に、まず日本の政治権力者たち自身が「李下の冠」を正すべきです。
★また、我われ一般市民も正しい意味での「民主主義」(主権在民)を学び直す必要があるようです。“民主主義の先進国アメリカ”でさえも、一般市民に正しい民主主義を理解してもらうための啓蒙活動が、今でも日常的に活発に行われています。以下に、その事例となるHPの内容の一部を紹介しておきます。
[American Patriot Friends Network [APFN] http://www.apfn.net/messageboard/149495.html
APFN MESSAGE-BOARD?ARCHIVES ]
A democracy is two wolves and a small lamb voting on what to have for dinner. Freedom under a constitutional republic is a well armed lamb contesting the vote.
『(例えてみれば)民主主義とは、二匹の狼と一匹の子羊が(今日の)夕食に何を食べるかを(毎日)投票で決めるようなものだ。民主主義国家における自由とは、(その投票の場で一匹の狼を説得するために)一匹の子羊が十分に理論武装して、その投票の結果を勝ち取るために(言葉で)闘うことだ。』

"Dissent is the highest form of patriotism" - Thomas Jefferson
『異議申し立てということが、最高の愛国心の現れである』-トマス・ジェファソン

(関連URL)
http://blog.nettribe.org/btblog.php?bid=9816b255425415106544e90ea752fa1d
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/
http://blog.goo.ne.jp/remb/
http://blog.melma.com/00117791/

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