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飛鳥・奈良は渡来人が造った都 (荒 岱介)
http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/774.html
投稿者 愚民党 日時 2005 年 2 月 05 日 23:14:06: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 日本人は縄文人と渡来系弥生人のハイブリッド (荒 岱介) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 2 月 05 日 23:05:13)

飛鳥・奈良は渡来人が造った都

荒 岱介

http://www.bund.org/opinion/20040925-1.htm

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あら・たいすけ

1945年、千葉県生まれ。1965年早稲田大学入学後学生運動に。ブント活動家になり、三里塚闘争や東大安田講堂占拠闘争で3年有余下獄。近年は環境派に転向した。作家・思想家として『行動するエチカ』『左翼思想のパラダイム・チェンジ』『環境革命の世紀へ』『破天荒伝』『大逆のゲリラ』『反体制的考察』などがある。
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東北アジア文化が日本文化

 石原都知事の肝入りで都教育委員会が6年制教育校・白鴎高校の教科書に採用した扶桑社版『新しい歴史教科書』などは、飛鳥時代からの日本文化の独自性と優越性を強調している。しかしそれは史実に照らして間違っている。飛鳥文化は百済文化の影響下に成立した。

渡来系弥生人がやってきた

 弥生時代のはじめに大量の渡来人がやってきました。というか、大量の渡来人がやってきたことで弥生時代がはじまったと言った方がいいでしょう。日本列島と東アジアとの間には恒常的な人の往来があったわけだけれど、人の渡来には何回か波があったと考えられています。

 一番最初の波は2400年前の中国の春秋・戦国時代の500年間。秦の始皇帝が中国を統一する前後の中国は戦乱の時代でした。この時代に中国から稲作文化を持った人々が朝鮮半島をつたわって南下し、日本列島にやってきた。彼等は稲作が可能な温暖な地域を探していたわけです。海の向こうに暖かで雨の多い土地があると人々は聞きつけ、中国や朝鮮半島からの移住が始まった。日本列島は今でも土地の3分の2は緑の森で覆われている豊かな島だからね。

 渡来人たちはまず北九州に、のちに瀬戸内海沿岸から畿内へと移住していった。弥生時代から大和時代まで、ざっと50万から100万人もの渡来人がやってきたと言われているのです。今の人口1億2000万人から考えると「何だ、100万人か」と思うかもしれません。だけど縄文人はそんなにいたわけではない。渡来人と在来人の割合は、7対3とか5対5とか1対9とかいろんな説があって、考古学者や人類学者の間で論争が続いています。それが相当な割合だったことはまちがいないでしょう。

 いずれにしても私たち日本人の祖先は、在来系縄文人と渡来系弥生人の完全な混血なわけです。だから「皇祖皇宗」なんて全然違う。それで最近になって天皇アキヒトも「桓武天皇の生母は百済王の子孫」だとかと言い出している。

 山口県・土井ヶ浜に有名な弥生時代の遺跡があります。この土井ヶ浜遺跡から大量の弥生人の人骨が出てきた。彼らの顔形は面長で、鼻根部が扁平、高身長という、縄文人とは全く異なる容貌をしていた。一方、中国の黄河下流と長江下流に挟まれた地域の漢代の遺跡からは、渡来系弥生人によく似た人骨があいついで見つかっています。

 先にも述べたとおり吉野ヶ里遺跡など、弥生の集落は何重もの濠(環濠)で囲まれていた。戦乱の大陸からやってきた渡来系弥生人は、人殺し用の武器も発達させていた。上陸した弥生人と、そこに住んでいた縄文人との間に戦いがあったに違いないのです。渡来人はどんどん東に進んで弥生化を進めていくのだけれど、弥生化は濃尾平野に達した地点で200年間停滞してしまいます。弥生人はそこから東には行けなかったらしいのです。

 愛知県には朝日遺跡という弥生の遺跡があります。名神高速道路を作った時に発見されたのですが、集落の中心部は東清洲インターになってしまったのですが、朝日遺跡は巨大な環濠集落で、集落の中心部はさらに逆茂木(さかもぎ)と呼ばれるバリケードで守られていた。朝日遺跡の弥生人たちは一体誰と戦っていたのか。攻めてくる縄文人と戦っていたのではないかと言われているのです。

 なぜ縄文人は弥生人を攻めたのか。いろんな説があります。縄文人は山に住み、弥生人は平野に住んだ。縄文人は森を生活基盤としていたが、弥生人は森を切り開いて水田にしようとした。感染症の問題も言われています。渡来人は麻疹(はしか)や結核などの感染症を日本列島に持ちこんだのだと。感染症に対する抵抗力が全くなかった縄文人は、それで次々と死んでいった。それで縄文人は渡来人を恐れるようになったという説もあります。

 そうやって、大勢としては渡来人が縄文人を駆逐していく。しかし相互絶滅戦のような決定的な争いは回避されたようなんです。縄文人が避けたと言われていますが、かくして私たち現代日本人の祖先が生まれたわけです。

 2100年前には関東も弥生化しますが、それらから東日本・東北には縄文系が色濃く残った。一方、北九州から瀬戸内海沿岸、畿内は渡来系弥生人の血が濃いわけです。西日本弥生系、東日本縄文系という構図のまま、絶滅しあわず互いに融合し混血していったようなのです。

飛鳥・天平文化の独自性?

 現在の中国人や韓国人・朝鮮人をはじめとする、東アジアの人々の祖先が日本列島にやって来た。そして何回も混血した結果生まれたのが私たち日本人です。だから「日本民族は単一民族」「皇祖皇宗」なんていうのは、100%の嘘ッパチ、全くのお笑いぐさなわけです。

 ところが石原都知事の肝入りで、都教育委員会が都立初の6年制教育校白鴎高校の教科書への採用を2004年8月採択した扶桑社版の『新しい歴史教科書』などは、いまだに日本民族の独自性と優越性なるものを強調しようとしています。例えば飛鳥時代については次のように記述している。

 「聖徳太子や蘇我氏は仏教を深く信仰し、世に広めた。……17条の憲法にも、仏教の考え方が取り入れられている。太子の影響を受けて、飛鳥時代に仏教を基礎とする新しい文化がおこった。これを飛鳥文化とよぶ。中国や朝鮮から伝わった新しい文化を積極的に取り入れながら、日本人の美意識に合った建築や美術品がつくられた」

 ここでは渡来文化を取り入れ、日本独自の新しい文化を創造した≠ニ、ことさらに日本(文化)の主体性・独自性が強調されています。

 さらに、「太子が建てた法隆寺は、今に残る世界最古の木造建築であり、調和のとれた優美な姿の五重塔や金堂が、中国では見られない独特の配置で立ち並んでいる」とか、「法隆寺には、当時のすぐれた仏教彫刻も残されている。金堂にある釈迦三尊像(止利仏師作)や四天王像(山口大口費作)、夢殿の救世観音像などである。また同じ法隆寺にある百済観音像は神秘的な微笑みをたたえた美しい像である」とか書いてあります。

 『新しい歴史教科書』は、飛鳥時代の時点で、なにか「日本人」なるものがいて、その日本人なるものが、自分たちの価値基準にあわせて取捨選択して渡来文化を「取り入れ」、独自の文化を作っていったかのように記述しているわけです。しかし結論から言うと、こんなのは全部ウソです。後で実証的に反論していきますが、天平文化のところも同様のことが書かれています。

 「東大寺の大仏は銅でつくられた世界最大の仏像である。……仏師の国中連公麻呂が指揮をとって大仏は完成し、聖武上皇、光明皇太后が列席する中、インド人僧侶によって、盛大な開眼供養がいとなまれた。天平文化を代表する建築として、東大寺の法華堂、法隆寺の夢殿、唐招提寺などがある」「天平文化は、日本の『古典』とよぶにふさわしい」。とかなんとか言っているわけです。しかし歴史を検証すれば果たしてそんなふうに言えるのか。そんなのは全部ウソだといってる研究者がいっぱいいるわけです。

渡来人無視する戦後歴史学

 わたし独自の研究によるとなんて言えませんから、『日朝交流史』(有斐閣選書)から引用して反論します。これは在日朝鮮人である李進熙(リジンヒ)氏と姜在彦(カンジェオン)氏によって書かれたものです。李進熙氏は明治大学で学んで、和光大学の名誉教授になっている人です。姜在彦氏は大阪商科大学を卒業して、花園大学で客員教授として教えています。彼らは、日本人による「日本人が取り入れた」「文化として全部取り入れ、取捨選択した」みたいな言説を厳しく批判しています。

 「4世紀末から始まる渡来のうねりが、5世紀に入るとさらに大きくなったことを古墳出土の遺物が示しているが、それを『輸入』したものとして片づける学界の姿勢はまだ改まっていない。それは、明治以来の『日本単一民族説』が尾をひいているばかりでなく、1950年代の前半に左翼陣営が『民族の主体性』を強調するなかで、学界では『拉致した技術奴隷』『帰化人』といった表現が定着してしまった」「歴史家の間では、人類学の鈴木尚(当時、東京大学教授)の主張が説得力あるものとして広く受け入れられた。……日本人の骨には、狩猟から農耕生活へ移行した弥生時代と、封建社会から近代社会へ移行した明治時代とに激しい変化があるが、明治時代の例が示すように、混血がなくても食生活の変化で骨の形は変わりうる。したがって弥生時代や古墳時代の渡来を考える必要はない、というものである」「通説といえる鈴木の主張を見直そうとする動きが大きくなるのは、1980年代に入ってからである。たとえば山口敏は、頭骨の計測不可能な解剖学的特徴(非計測的形質)の頻度を比較して、古墳時代人は全体として縄文人よりも現代日本人や朝鮮人に近いと結論づけた。また、東日本の古墳人の頭骨計測値は、縄文人よりも土井が浜の初期弥生人に近いと指摘した。一方、金海の礼安里古墳出土の人骨(27体の成人)に対する研究も発表され、男性の身長は平均161・1センチ、女性150センチで、土井が浜のそれときわめてよく似ていることが判明する」

 要するに明治以来の「日本人単一民族論」や戦後左翼の「民族の主体性論」――これには「アジア的・古典古代的・封建的云々」という唯物史観の発展段階論が悪影響をおよぼしています――によって、「渡来人」の存在が不当にも無視され続けてきたのです。古代日本は渡来文化を「輸入」したのではなくて、渡来人の技術と文化が、この日本の地で花開いたのが飛鳥文化であり天平文化なのだと理解すべきなのです。

坂上田村麻呂も聖徳太子も渡来系

 埴原和郎さん(東大教授)は、二重起源説(二重構造モデル論)を言った人です。縄文人が弥生人に変化していったという、鈴木尚などの「日本人の同一変化論」を批判して、日本人は在来系縄文人と渡来系弥生人の混血民族であると主張した人です。縄文人がそのまま現代人になったのではなくて、弥生の時点で大量の渡来という断絶があるということです。

 「近畿地方の古墳人は縄文直系の子孫1に対し渡来人系9の割合で混血した集団であり、中国地方のそれは縄文2に対し渡来8の混血と考えるのが最も適当だ」。これが埴原さんの言っていることです。埴原さんの説によれば渡来系が8割から9割にもなるのです。

 例えば、エミシのアテルイを征伐した坂上田村麻呂のお父さんの苅田麻呂も渡来系です。その苅田麻呂が「『凡そ高市郡内は檜前忌寸及び一七の県の人夫地に満ちて居す。他姓の者は十にして一、二なりき』という上表文を書いている。飛鳥文化発祥の地だった高市郡の人口の8、9割が、百済系渡来人の後裔だった」というのです。さらに蘇我蝦夷・蘇我入鹿などの蘇我氏も渡来人とする説もあります。そうすると蘇我氏の濃い血が流れる聖徳太子――廐戸皇子(うまやどのみこ)は父方も母方も祖母は蘇我稲目の娘ですから――も渡来人の子孫ということになります。

 「吉田晶によると、河内国の渡来系氏族は、古市郡では12氏のうちの8氏、高安郡で18氏のうち12氏、安宿郡で8氏のうち6氏、交野郡で10氏のうち8氏、讃良郡で8氏のうち6氏…(中略)……河内国においては計68氏の70%が渡来系だった」。こうなってくると、飛鳥や奈良時代の日本人、とりわけ氏族階級というのは渡来系の方が主流派だったと言う以外ないでしょう。

 「好太王陵の碑文に見るように、高句麗が臨津江を超えて漢江下流域まで南下し、4世紀末から百済との間で征服戦争が激しくなる。一方、朝鮮半島の東南部で興った新羅が、5世紀に入ると伽耶地方へ武力進出をはかり、南下して今の全羅南・北道をおさえた百済が、西から伽耶地方をねらう。このように百済と新羅の圧力が高まった結果、伽耶地方の人びとは戦乱を逃れるためにムラ単位で海を渡った」。この後、新羅が百済を滅ぼし、百済人も渡来人となって日本にやってきます。唐と新羅の連合軍に破れた高句麗の人々も日本に逃れてくる。

 つまり飛鳥・奈良時代の日本列島には、何波にもわたって朝鮮半島――伽耶や百済・高句麗から大量の渡来人がやってきて、各地に集落をつくって住み着いたのです。日本各地に高麗神社というのがあります。高麗神社は、高句麗や百済など朝鮮半島から渡来してきた人々がつくった神社です。

飛鳥は渡来人の里

 とりわけ百済から渡来してきた人たちが、飛鳥文化の開花に果たした役割は極めて大きいものでした。4、5世紀の日本には国家とか民族という概念はまだなかったから、朝鮮人が来ているなんて誰も思わなかったのです。百済の人々は、大した違和感もないまま日本に住み着き、朝鮮の文化をそのまんま日本に持ちこんだ。鉄をつくり銅をとかす技術を持った渡来人は、テクノクラートとして歓迎されたのです。それこそまさに文明開化です。かくして花開いたのが飛鳥文化だった。

 扶桑社の『新しい歴史教科書』は法隆寺について、「調和のとれた優美な姿の五重塔や金堂が、中国では見られない独特の配置で立ち並んでいる」と書いています。しかし法隆寺に先だって建立された日本最古の寺院・法興寺(飛鳥寺)の金堂は、百済の定林寺の金堂と同じ大きさで、西門は定林寺の中門と同じなのです。まさに百済にあった寺院を模倣して法興寺は造られた。そもそも設計そのものが、高麗尺ないしは百済尺(後に日本人は鯨尺と言い換えた)という朝鮮の単位で設計されていました。

 このことは高松塚古墳やキトラ古墳を見てもわかるでしょう。どうしてキトラ古墳の天井に「平壌の空」の天文図が描かれているのか。キトラ古墳を造ったのはおそらく朝鮮系の渡来人で、自分たちの故郷の空を描いたのです。高松塚にもキトラにも、壁面に四神――青龍・白虎・朱雀・玄武(亀)――が描かれています。そして平壌周辺などで発掘されている高句麗古墳群にも同様の壁画が残されているのです。高句麗古墳群は先頃、世界遺産に登録されたばかりです。

 さらに奈良の大仏の建立について。「752年4月9日、日本では天平文化の開花を告げる行事が華やかにくりひろげられた。2万人余が参列した東大寺大仏開眼会の儀式がそれであって、開眼の導師をつとめたのはインド出身のバラモン僧菩提だった──(中略)──行基や良弁、秦朝元らが渡来氏族の出であるのに対し、公麻呂は天智朝の代に亡命してきた百済官人の後裔であったことである」。要するに大仏建立を指揮しているのも、中国や朝鮮・百済系渡来人の子孫だったということです。

 扶桑社の『新しい歴史教科書』にあるように、渡来文化を「取り入れた」とか「影響を受けた」とかというレベルじゃないのです。日本人の側が取捨選択したわけではなくて、「朝鮮文化がそのまま持ち込まれた」というのが実相なのです。オタンコナスが作ってる扶桑社の教科書は、何か古来より「日本文化なるもの」、「日本人なるもの」があったと言いたいわけですが、その日本文化が渡来文化を取り込みながら、独自の文化を発展させていったとしたいわけだけれども、実際には全くそうじゃないということです。むしろ中国や朝鮮半島からの渡来人が主体になって、その2世、3世が「日本文化」をつくった。それが正しい歴史認識でしょう。

東北アジア共同の家に向けて

 そもそも扶桑社の歴史教科書では、『古事記』『日本書紀』のイザナギ・イザナミの神話が日本史の重要な導入部になってます。「神武東征」だとか「ヤマトタケル」だとかの神話に続いて、飛鳥・天平時代となっているのです。しかしこんな教科書で日本史を習ったら絶対ダメです。縄文・弥生時代についてきちんと教えないで、『古事記』の神話を歴史の授業で教えるなんて戦前の皇民化教育と同じ。そんなのは歴史の捏造です。

 日本の歴史をきちんと学べば、大和朝廷の頃の日本文化の優位なんていう考え方は出てくるはずがない。むしろ日本古代史の特徴は、何とも思わずに朝鮮・中国の先進文化を徹底的に模倣し、何でもかんでも取りこんだことにあるのです。水田耕作も鉄器も仏教も律令制度も、みんな渡来人が日本に持ちこんだ。

 そのあと日本独自と言えるようなものが出てくるのは、平安時代以降の話です。僕らが世界に誇るべき日本文化だと思っているものは、中国・朝鮮の影響化にあるものばかりです。日本で一番美しいといわれる広隆寺の弥勒菩薩にしても、朝鮮の金銅半跏思惟像の模倣でしょう。

 『情況』に、平壌の朝鮮中央歴史博物館に行ったときのことを書きましが、そこで見聞して驚かされたのは、飛鳥文化と古代朝鮮文化があまりにも似ていることでした。日本の独自文化なんて言うのは、全然違うじゃないかと思った。博物館内に再現された高句麗古墳群の石室や壁画は、高松塚・キトラ古墳の壁画とほとんど同じで、古代朝鮮の仏像は飛鳥・斑鳩の仏像にそっくりだったからです。

 古代の日本文化は、みな渡来人の手で朝鮮・中国から持ち込まれた。僕はそれを認めて何でいけないのかと思う。当時東アジアには、国境や民族の垣根はなかったのです。後進地域だった日本列島では先進文化を取り入れるのは当然だった。むしろ東アジアの人々や渡来文化を、偏見なく受け入れて混血し、渡来文化を日本文化へと昇華させていったのです。その当時の日本人(=在来人+渡来人)の見識と度量にこそ学ぶべきです。

 「明治」以降、日本人が大和民族の優秀性とか単一民族とかと言いだしたのは、欧米コンプレックスの裏返しとしてのアジア蔑視の表れです。『新しい歴史教科書』もそうだけど、日本の伝統文化を評価するにあたって何の歴史的実証もないまま、古代ギリシャ文明など西欧古典文明を引き合いに出し、「エンタシス」だとか「アルカイック・スマイル」が同じだとか騒ぐのは、「西欧文明こそ普遍的」と錯認する、それこそ「奴隷の思想」そのものです。

 そのまったく逆に、日本文化は東アジア文化の一部であり、日本人は東アジア人のハイブリッドであることを率直に認めてこそ、日本文化そして「日本人」の本当の独自性や独創性を再発見することができるのではないか。とりわけアメリカ型物質文明の行き詰まりが指摘され、東アジア共同体、「東北アジア共同の家」が現実の政治過程にのぼっている今こそ、「日本人単一民族説」だとか「日本文化優位論」を排し、「東アジア文化の一部としての日本」という歴史的事実をきちんと確認しておくことは、私はとても重要なことだと思います。


http://www.bund.org/opinion/20040925-1.htm

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