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Gesellschaftでの試行
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投稿者 如往 日時 2005 年 3 月 29 日 16:04:58: yYpAQC0AqSUqI
 

(回答先: Re: 生産諸手段の、類(共同体)的個人的領有[=共有に基づく個人的所有] 投稿者 NJ 日時 2005 年 3 月 27 日 02:31:59)


 NJさん、こんにちは、レスをありがとうございます。
 ご質問の総てに、またご満足のゆく回答になるか心配ですが、思いつくままコメントしてみたいと考えます。


 >共生さえ不可能、というのは、生産手段を持たぬグループが、持つグループから提供される財を買う、購買力を失うからですか。これから起こり得る未曾有の災厄って、具体的に何を想定されてますか?

 「共生」等の理念(理想)を支配層が採用するのも、二極分化が進行していくときの軋みや歪みの顕在化に起因にする被支配層の反発の矛先が自分達に及ばせないための防御の一環に過ぎぬという意味です。さらには、「共生」という名の篩いにかけられ、それに適わぬ地域や民族や産業が抹殺されていくこともあるでしょう。
 2002年11月当時に未曾有の災厄として想定していたものは、イラク戦争への荷担を契機にして、言わばルビコン川を渡るように日本がエネルギー資源の確保についても米国依存を強めていき、生産財はおろか消費財までも他人資本化して生殺与奪の権限が他者に握られていくかのように国民の大部分が最早回復性のないその日暮らしの賃金奴隷化していく状況です。今日、表面上ではそれほどドラスティックではないものの、何も根本的な手を打たいままでは事態は確実に破滅に向かって進行していくと感じています。

 >仕事は、私一人では成り立たないため、ここで言う『他者依存関係性』の中でしか、この「私」は実現できないことも、解ります。彼女らと、Gemainschaftで成立する、人格を目的とした関係性を持ちたいとも、思っています。問題にされてるのは、逆は成立し難いということですか?しかし、この他者依存関係性は、何も私に限った話ではなく、殆ど全ての職種に当てはまると思います。生産手段の共有、を具体的に私の施設で実施するとします。方法は、給与の2%を、新規設備投資のため、従業員より回収し、それを使う人に負担してもらう代わりに、領有するという意識を持ってもらう、、、てことでしょうか?・・ウーン、この案は誰も受け入れたがらないな、、また、同様の出資で経営参加できれば、共同体的共有が実現する、というお話でしょうか。例えば、次に購入する機械を選定することに、参画してもらうとなると、彼等に情報収集と、それなりの知識を要求する必要が生じ、それはそれで難しいし、そういうことは任せてくれてもいいと思ったり。

 GemainschaftとGesellschaftを混同すべきではないと考えています。 GemainschaftとGesellschaftが両立するような生産様式を追求するのは重要なことだと思いますし、一部の職人的技術が必要とされる分野でのギルドや家内工業的な小規模な事業体制では成立しているでしょう。けれども、限りなく分業化が進んだ近代経済社会においては両立には困難なものがあり、Gesellschaftこそが優先的で多くはGemainschaftとGesellschaftは分断されているのが実情です。
 近代社会ではGemainschaftが人間の生存を保障するものたり得ず、Gesellschaftに参画することによって自ら生存を担保していかなければなりません。そして、それに際しては一先ず個人の「他者依存性」は捨象せざるを得ないものです。何故ならGesellschaftへの参加は単に労働力の提供に留まらず経営への参画を意味し、より高いコミットメントが必要とされるからです。互いの自存がなければ、『他者依存関係性』さえも成立し得ないのではないでしょうか。

 >『生産諸手段の個人的配分は、物理的なものではなく論理的(法的)なもので済む』とは、具体的にどういうことを意味するのでしょうか。『生産手段を使用して産出される利益』は、現行の給与算定方式では、給与に含まれていないということですか?生産手段を使用しないで生み出される利益と言うものの方が、分らないのですが。給与の成果主義も、一度、部分的に取り入れてみたことがあるのですが、そんなに、良い感触が得られなかったため、やめて、元通り勤務年数ごとに昇給する方式を採っています。こういうことも、『Gesellschaftにおける実験を繰り返し推進していく』事に、少しは当て嵌まりますか?

 『生産諸手段の個人的配分』の具現化の論理的なものの象徴は何と言っても株式でしょう。しかし、保有株数の限定や利益処分については別に取り決めが必要になります。成果主義は広義ではGesellschaftにおける実験に含まれますが、狭義には生産諸手段の個人的領有化を前提にし成果配分基準について合意形成がなされている場合の実験を指します。

 >残念ながら、大工場のプラント等の運営で可能な実験は、具体的知識が無い私には、扱えない問題です。一つの企業で数万人の人々が関る第二次産業や、株式を発行するような有力なGesellschaftを変革する必要と方法を、如往さんは取り上げたいに違いないのですが、申し訳ないですが、そういう話に、私は、何処から、取り付いていいか判らず、また、そのような組織を運営する人たちがどんなことを思って経営しているか実際のところが分らないので、自分に分る、小事業の試行錯誤の話になってしまいました。「生産手段の個人的領有」について、私にも言える事っていったら、このような個人的な体験、、で終わってはいけませんね。広い視野については、また、お教えください。

 小規模な経営の場合は家内工業的、つまりGemainschaft 的な要素で十分やっていけると思いますが、ある程度の規模(プロパーが200名以上)になると相当に分業化が進みますし、組織運営のためには一定の方針(論理構成)が必要になってきます。私は社員(構成員)が自身の生産力のアウトプットにたいし論理的根拠を持つことは、大規模になってからよりも中規模化する過程にこそ機会があると考えています。小規模な事業では一見労働の疎外状況にはないと想われますが、分業化が進み規模が拡大していくとGemainschaft的な空気の希薄化と供に社員の様々な精神的症状となって表れてきます。社員個々の問題に対処することは物理的に困難ですが、少なくとも労働に論理的根拠を持つこと(生産手段の個人的領有)によって賃金奴隷という疎外状況の半分程度は解消が可能であると考えています。

 >ああ!そうですね、昔から、貧富の差を埋め、社会的平等を実現する富の再配分機構としての、税制は、重要でした!コクドは税金を払ってなかったそうですが、そういうことではダメですね。利潤を生んでいる企業から、ちゃんと、法人税を取って、再配分すること。金融に流れ込む企業の余剰資本を、投機に無課税で使用させないこと。お金がお金を産む構造、金利や、為替取引にも課税すること。など、出来るはずなのに、実施されていない税制は、沢山ありますね。

 税は何のためにあるかというとGemainschaftを維持するための管理コストを確保することにあります。したがって、個人も法人もその成員は応分の負担を負う義務が生じることになります。コクドの実質上のオーナーであった堤義明氏はGemainschaft の一員と自身を位置づけて来なかったのでしょう。概して、世界的なオーナー企業の人達にとっては自身が身を置いているGemainschaftでさえも、一族の存続を担保してくための単なる装置としての認識しかないようです。

 また、会いましょう。

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