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東国復興伝統主義者の主張:「天皇一神教神話」打倒と「民間伝承」に根ざした汎神論を説く。
http://www.asyura2.com/0411/idletalk12/msg/364.html
投稿者 明神下 日時 2005 年 1 月 14 日 07:43:52:VhqO23OklR.aE
 

(回答先: 東国復興伝統主義者の主張:「郷土愛の実践者たる東国武士が祭られていない」靖国神社解体! 投稿者 明神下 日時 2005 年 1 月 14 日 07:39:50)

「天皇制と靖国神社と歴史教科書」論議に一石を投じるための転載 ( 釣りを含む懐古趣味と儒教風味に注意しながら ) 『皇国史観プロパガンダで東日本人を侮辱するな』1-4


100 名前:ぁゃιぃアズマ人

>以前、神風特別攻撃隊の出撃前の写真を見たことがあります。
>特攻隊員達は、思い思いの方向を向いて敬礼をしていました。
>何故、全員で東京の方を向いて宮城に向かって敬礼をしないのだろう、と不思議に思いました。
>その時、あれは、各隊員が故郷の方角を向いて別れを告げているのだ、と教えられました。
>その時は納得しました。
>しかし今になってみると、何故、日本政府が国家意志の発動として始めた戦争で、最後に死ぬ時だけ急に故郷が顔を出し、故郷のために死ねという理屈になるのか、疑問です。
>政府は、郷土と国家とをわざと混同させて、隊員を騙したのでしょうか。
>それとも、郷土を守るためには国家を守るのは当然、なのでしょうか。

 神風さんはじめまして。特攻隊のお話ですね。
 彼らが最後に故郷の方角を向いて敬礼をしていた、というのは示唆に富んだご意見だと思います。
 俗に、「これから死のうとする人間は嘘はつかない」という言葉があります。
 いくら、時の権力が、「天皇陛下のため」とか「国家のため」とか「ウソの死ぬ理由」を吹き込んでも、実存的限界状況下に置かれた人間は、事の本質を見抜き、あるべき姿に立ち戻るといいましょうか。
 人間の本来あるべき自然の感情は、決して人工物たる「機械装置の国家」や「会ったこともない見知らぬ天皇」に向けられることはありません。
 本来、人間が死ぬ前に思い浮かべる場所、いままで生かされてきたことを感謝する相手は、生まれ育った故郷であり、故郷の父母・知り合いなのです。
 この意味で言えば、神風さんのおっしゃるとおり「政府は、郷土と国家とをわざと混同させて隊員を騙した」と言えると思います。

 天皇制明治簒奪政権は、南蛮渡来の人工物に過ぎない国民国家を家族と偽り、天皇を父と偽り、家族・郷土に向けられた人々の自然な感情を歪めたのです。
 つまり、政府は、人々が自然にもつ、家族・郷土に向けられた愛着を簒奪し、替わりに無機的な国家という機械装置を崇め奉らせようとしたのです。
 その理由は、人々が、家族のためなら郷土のためなら、わが身を捧げてもそれを守ろうとする高潔な志を、自分達の作り出した南蛮カラクリたる国家を守ることに利用しようと思ったからでしょう。
 ある意味で言えば、この天皇制明治簒奪政権の企みは成功したと言えるでしょう。
 なぜなら、靖国神社に見るように、国家のための自己犠牲に価値があり、それに沿わない態度は社会的に尊敬されない、という目に見えない掟を「村社会」に蔓延させ、社会的圧力という形で、対面上とは言え人々に、「天皇のため、国家のために死んで来い」という社会的風潮を作り出したわけですから。


101 名前:ぁゃιぃアズマ人

 しかし、いくら天皇制薩長簒奪政府が人間の内面を「偽りの愛国心」で支配しえたと思っても、それはやはり幻想だったのです。
 特攻隊隊員は、死ぬ直前、天皇にでも、国家にでもなく、自らの愛する「家族」そして「郷土」に最後の感謝の別れを告げた。これは「真の郷土愛とは何か」を示唆していると思います。

 私は、他人のために死ぬとか、自分の信じる思想のために死ぬことが、悪いとか価値がないとは全く思わない。自己犠牲は尊い行為だと思います。ただ、それを人に強制したり、人を操って人工的に醸成することは、外道のすることです。なぜなら、本来自己犠牲の精神とは、自分が愛着を持つものに対して自然に持つ感情だし、人からとやかく言われずに実行するから自己犠牲なのです。

 その意味で言えば、特攻隊員の人たちが真に何かのためを思って死を志願する、というならそれはそれで尊い行為でしょう。そして、自己犠牲の理由は、人それぞれ異なるわけですから、それを天皇とか靖国神社に結晶させるのはおかしい。

 ここに、靖国神社とか愛国心の問題の核心部分が存在する。
 権力者とか歴史を作ろうとするものは、大衆を動員するために、特定の価値観・神話を作り上げ、本来多様な人々の想いというものを、一つの方向に向けようとする。
 これは、人間の本来あるべき自然というものを無視した、人工的な下劣な行為にほかならない。
 特攻隊員の問題でも、戦争犠牲者の問題でもそうですが、死んでいった人たちが自己犠牲の気高い精神で死ぬということは、私も尊い行為だと思いますし、感動します。しかし、それを良いこととか悪いこととか評価し、他人にまでそれを強いてはならない。なぜなら、自己犠牲というものは、愛着するもの、信じるものに対して自然と沸き起こるものだからです。

 靖国神社の問題性の一端はまさにそこにある。
 靖国神社の果たしてきた機能というものは、人工的な国家への自己犠牲というものを、国民に徳目として強いてきた。
 私は、ここが最大の問題だと思うんですよ。
 そして、人が郷土や家族・知人に対して持つ自然な自己犠牲の感情というものを利用した。ここが靖国神社を解体すべきもっとも大きな理由だ、と私は思いますね。
 慰霊は大いにすればいい。国家的慰霊をすべきというならそれもかまわない。しかし、国家のための自己犠牲が尊い、という自己犠牲の煽りというものをしてはいけない。
 なぜなら、自己犠牲とは、自分の心の中から沸いてくる自然な感情であり、人からあれこれ言われてするものではないからです。


105 名前:アズマ至上主義者の我らの主張

 日本では古くから、戦場での戦死者を、敵味方を問わず祭る習慣があった。
 歴史を眺めてみても、大戦争のあとの戦後処理の問題で頭を悩ませたのは、戦死者の慰霊であり、ことに敗戦側の亡霊をどう始末したら精神的な安定を期することが出来るのか、この点が戦勝者の心を悩ます重要な戦後政策の一つになっていた。
 歴史時代の日本の戦争は、多くが同胞相討つ内乱であった。
 我が国のように、同胞の打ち合いに終始する内乱では、戦勝者の側にも後味の悪さが残る。その罪悪感を慰撫する為に、多くの武将や当事者は、敵味方の区別なく戦死者の慰霊の為の忠魂碑を建てたり、盛大な回向を催すことに力を注いできたのであった。
 こうした我が国の歴史的な戦没者慰霊のあり方に照らし合わせた時、戊辰戦争の勝者(官軍)の戦死者だけを祭るために建てられた靖国神社は、日本人の伝統とは相容れないものだと言わざるを得ない。


140 名前:靖国神社の欺瞞性

 江戸の靖国神社には、西国人達の欺瞞が凝縮されていると言っても過言ではありません。
 そもそも靖国神社は、戊辰戦争の西軍の戦死者と倒幕派西国志士だけを祭るために建てられたもので、我々の郷土東国を西国人と天皇の魔の手から守る為に戦った、新選組・彰義隊・会津藩・長岡藩などの東軍の戦死者は祭られていません。

 高慢な薩長土肥などの西国人達がつくった明治政府は、江戸の九段に靖国神社を建て、それをアジア侵略への国民精神の発揚に利用し、国民を海外侵略へと駆り立てました。
 そして第二次世界大戦の広島長崎の原爆が、アジア侵略の当然の帰結であるにもかかわらず、彼ら西国人は、自分達を被害者と位置付けているのです。

 それは、九州出身の小林よしのりの漫画を見れば分かります。
 このように傲慢な西国人の建てた神社が、我らの江戸にあってもいいのでしょうか。
 今すぐ、我らの江戸の九段にある靖国神社を解体すべきではないでしょうか。
 そう、我々東国人は、西国人の欺瞞に早く気づくべきなのです。
 さあ、東国人の敵・靖国神社と天皇を、京都へ追放する為に立ち上がりましょう。


142 名前:南蛮流ナショナリズムの欺瞞性

 ある意味で南蛮流のナショナリズムが辺境地域に興隆している事実についての私の分析によれば、薩長簒奪政権は、人々が地域に対して向けていた「郷土愛」に替えて、人工的国民国家に対するナショナリズムを導入してきた経緯がある。

 そこで考えるに、このナショナリズムというものが、集団主義的郷土愛をベースにしている以上、都市化が進んで、個人主義が浸透した地域では、人工的な集団主義のナショナリズムすら解体されてしまい、サヨの反天皇へとつながっていくのだと。

 まあ、人工的ナショナリズムとサヨの個人主義は、我らの至高する地域ナショリズム崩壊過程の深度の浅いか深いかに過ぎず、偽者の郷土愛を信じる天皇制ナショナリズム信者は、まだ南蛮化の病の程度が低い者たちなのだ!
 間違った郷土愛を信じる南蛮思想の奴隷・靖国神社を信じる愛国者を、我らアズマの闘志は奪還しなければない!


143 名前:ぁゃιぃアズマ人

 靖国公式参拝を支持するアホどもは、祖先の英霊のためとか、日本の礎として死んだ人たちを政府が公式参拝してなぜ悪いか、という。
 しかし、だからこそ私は言いたい。
 先祖の英霊のためというなら、靖国神社は、我ら東国人にとって、祖霊を侮辱する自虐の社でしかない。
 ここに祭られた東国の祖霊は、靖国神社から朝敵として排除され小馬鹿にされた、戊辰戦争の英霊に、どういう顔で顔向けできるのだろうか?
 また、政府の公式参拝についても、それは、政府の犬としてサイゴク政府に媚びへつらい犬死した者、を顕彰することを続けることだから、我ら東国アズマ人としては、断固としてこれを阻止しなければならない。

 我ら東国のアズマにとって、靖国神社とは、明治以降にでっちあげられた、サイゴクの犬どもために犬死することを推奨するために立てられた、呪い・呪縛のための悪魔の巣に過ぎないのだ!

 東国のアズマ人の伝統・郷土愛を歪め破壊する、靖国神社解体!


145 名前:ぁゃιぃアズマ人

 東国においては、我々アズマ民族至上主義者こそが真の愛国者である。
 西国土人の酋長・天皇崇拝、靖国神社賛成の自称右翼・民族派・保守派は、ここ東国では決して愛国者にあらず。

 伝統・民族文化の側から現代日本社会を批判する、バカ右翼・保守派の諸君!
 君たちは、大きな錯誤を犯している。
 日本=アズマの伝統社会を崩壊させた元凶は、貴様らが支持する明治簒奪政権・天皇家である!

 明治簒奪政権と天皇家は、「富国強兵」「殖産興業」の美名のもとに南蛮諸制度を導入し、日本=アズマの美しい伝統社会を、我らの貴重な民族文化を、虐殺してきた。
 我らは、断じてこの歴史的事実を忘れない。
 貴様ら、えせ伝統主義者は、我ら真の民族伝統の守り手アズマ至上主義者にとっては、迷惑以外の何者でもない。
 貴様らえせ伝統主義者は、南蛮文化と混血の明治以降のえせ民族伝統をもって、真の民族的伝統たる「アズマ=江戸伝統社会」を傷つける「にせブランド」だ!
 にせブランド廃棄! えせ伝統主義者打倒!

 直ちに、「伝統」「民族文化」という言葉の使用をやめよ!インチキ伝統主義者たちよ!
 アズマの諸君、我らアズマ至上主義者こそが、南蛮文化に屈しない真の伝統の守り手である!
 えせ伝統主義者である、えせ右翼・えせ民族派・えせ保守派に騙されてはならぬ!

 そして、我らとともに、南蛮文化に汚された南蛮流ナショナリズム思想の象徴・靖国神社を解体するのだ!

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