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物事の正確な認識をするべき時でしょう。
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投稿者 考察者K 日時 2005 年 3 月 27 日 10:23:35: JjkI8nWTpj0po
 

 この社会では誤った認識が蔓延っている気がします。
まず、人には職業や年齢、性別、人種によっていかなる上下関係はなく、平等です。
ただし、これは認識問題であり、規律保持の為には命令系統とか情報伝達方向、チェック監査機構という物は必要です。
 会社において上役が部下と平等では仕事は回らないと思われるでしょうか?確かにそれは一面においては正しい見方でしょうが、あくまで役割上での事でもあります。
 本来集団における方向は全員の(間接・直接は別にして)話し合いにより、総意の結集を行って決めるべきです(現実的には難しいですが)。
 その中で、全員の総意による目標に向かって「みんなで役割分担を行って」適材適所による効率的な実践をする事が理想です。
 社長ー専務ー課長ー係長ー職員・(別枠で)監査担当等も全ては効率的な作業を行う上での役割分担であり、給与の格差も必要な事柄を適切に判断して(社長には対外接待とかは必要ならば必要でしょうし、係長が職員の士気高揚に必要な経費があるならば、それは必要な経費です)、経費措置をし、また、翌年への繰り越し資金、非常時などへの対応経費なども考慮した上で「利益の公平な分配」をしなければならないのが本来のありかたです。その状況では社長(経営者)の報酬も給与という名の分配分です。
 その上で組織(会社など)の共有財産と経営者の個人財産の明確な区別が必要であり、共有財産部分の支出においては「その組織の民主主義的方法によって定められた手続きによって行われる必要があります(その組織が社長独裁制を採用するならば社長の独断決済も可能です。ただし、その決算方法は会社の意志決定機関が明確に定める必要があります。)。

 少し例を上げましょう。作家がいて、その作家の担当者がいます。どちらが偉いのでしょう?一般的なイメージとすると作家の方が威張っていそうです。しかし、担当は作家に対して(気分を害さない程度に)締め切りを超えない作品の完成の履行を迫る事になります。作家が作品を仕上げなければ組織全体に影響が現れます。それは共助共援による生産活動であり「要求と抵抗があったとしても」偉いとかの上下の区別などはないと考えるべきです。
 教師と生徒、医師と患者などの関係においても基本的には同じです。患者や生徒が共通の目的に向かって努力はしますし、注意や指導を生徒や患者が守るのは目的の達成の手段であり「本来は命令とか強制が一方的に行われる上下関係などではありません」
尚、医師の仕事は「人体の修理」教師の仕事は「人間の教育訓練」という生産活動もしくは生産性向上の活動とも捉えられます。

 物事を全てデジタル形式で認識するのはある程度の問題があります。人間は「アナログな面も多く、理屈で割り切れるほど単純な物ではありません」

 しかし、福祉とサービスは明確な区別と認識が必要だとKは思っています。
Kが主張するのは「人間には誰にでも最低限の生活を行う権利を主張する権利があり、それに対して国(集団・組織)はそれに応える努力義務がある」と言う事です。それは「サービス」と「福祉」の2つの選択手段があるのです。
 福祉を選んだ場合「それは(文化的で洗練されている努力義務はあるでしょうが)、最低限の必要なものであるべきです(高度な要求は税金の負担を増やします)。」
 サービスを選ぶ場合は十分に洗練された満足度を要求できますが、それに見合った対価を支払う義務が生じます。それに応えられないサービスは衰退し、見合った対価を支払えない場合はランクの低いサービスに甘んじなければならないのです。

 その辺を理解できない要求は「ワガママ」です。
基本的に福祉として国や組織が提供しているサービスは「最低限度の必要な物」です。
それに満足できない場合は「対価を支払ってより高度なサービス」に切り替えるべきなのです。

 公立義務教育は安価ですが、高度な学力を身に付けたいのならば私立による教育を選ぶべきですし、学習塾を併用すべきでしょう。

 そこを理解しない人が多くなると「福祉活動に高度なサービスの提供」を求める事になります。福祉活動とは組織の共有財産の切り崩しであり、できれば(組織的な支出面から考察すれば)少ない方が良いのは当然です。そこを理解できないと増税とか組織内の徴収金の負担増(給与の低下として表れる)事になっても仕方がないのです。

 いずれにしても、訴訟社会と成果主義(日本の成果主義はグループという共同作業分野の考察が不十分であり、破綻しています)によって、世の中全体がおかしくなってきています。全ての事柄が生活者が自分で自分の頸を絞める方向に進んでいます。

 権利の主張とワガママの正確な区別が「裁判所でも正確な判断ができない」のが現状ではないでしょうか?
 財産の相続時の血縁関係による不合理制とか、公共の利益(公益)と個人利益の明確な区別、福祉とサービスの区別を正確に判断すると言う意味合いにおいて「もう一度、規則文書(法律など)を見直し、明文化しておく必要があるでしょう。(最近は書いてある事しか理解できない馬鹿な合理主義者が繁殖しているので)」

困ったものです。
 

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