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第一章 一連の物語 3 出口王仁三郎(1871〜1948)- その1 悪戯と女が好きな男
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 15:10:01:Bat5keDwZxjsQ
 

(回答先: 第一章 一連の物語 2 出口直(1836〜1918)- その2 この神をさばける御方/艮の金神から知らされた弥勒大神(大 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:55:16)

*出口王仁三郎(1871〜1948)- その1*

*悪戯と女が好きな男*

 王仁三郎氏は豪放らい楽、又女が好きで、悪戯好き、弁論好きな青年であったらしい。今で言うと、女好きのにーちゃんという所。「村中の女とねんごろになってやる」と豪語したという話しや、女性問題のこじれで、地元のヤクザと諍いがあった、というエピソードからも伺える。

 およそ宗教家とか、倫理家とは程遠い所があるし、後の王仁三郎氏を調べても、どうも捕らえ所の無い所が多い。果たして王仁三郎氏とは、どの様な人物であったのだろうか。

 出口王仁三郎氏は、その本名を上田喜三郎という。その上田家には「七代目毎に、歴史に名を残す人物が産まれる」という言い伝えがあり。例えば円山応挙(おうきょ)(上田主水/日本画家)氏などが上田家の出身で、「御苗」と呼ばれる資産もかなりある、裕福な農家であったらしい。

 しかし直子氏と同じように、祖父のバクチによって、飛ぶように散財したらしく、祖父(上田吉松)の言い分では

「上田家は業が深い、その罪障を取るため、一旦家も屋敷も無くなってしまわねば、良い芽は吹かぬぞよ。と産土の神が枕元に立って仰せられるのじゃ」

と言い、毎日財産を放逐し、ついに破産という所で、他界した。

 そうして、全くの貧乏農家と、落ちる所まで落ちた後の明治4年(1871)丹波の穴太の村で、上田主水から数え、丁度七代目に当たる、上田喜三郎(王仁三郎氏)は産声を上げた。
 
 
 
*幼少より基礎は出来あがった!?*
 
 
 
 祖母のウノは、旧姓を「中村ウノ」といい、江戸時代の言霊学者、中村孝道の妹であった。その為、喜三郎少年は子供の頃から言霊学を、他の子供の「あいうえお」の勉強の代わりに、教わっていたらしい。病気の為に、進学が三年遅れたため、この教育は比較的徹底していたと思う。

 又どうも産まれた時から、もはや将来の事が運命付けられて居たような節もあり、幼少の頃から不思議な老人(喜三郎しか見えなかった)が、始終見張っている様な気配があり、病気の際に近隣の人から教えられて、親がカエルの肉を食わせて、元気付けようとした所、その老人が睨み付けるので、恐ろしいからと喜三郎少年は、食べるフリだけして、全部カエルの肉を捨ててしまっていた。

 通常神主や坊主といった人達は、四つ足の肉を食らうのは御法度であるけれども、喜三郎氏はこの時から、既に体が汚れないようにと監視されていたらしい。
 
 
 
*不思議な子*
 
 
 
 そして不思議なのは彼は元々、ずば抜けて頭が良く、少年頃から新聞が読めて、村の役人や巡査に新聞を読んで聞かせて居たらしい。もっともこれは、彼の頭脳云々ではなく、何故か読めたと言う事で、晩年になり自ら曰く

「自分でも不思議だが、とに角文面に向かえばズンズン読めた」
と語っている。

 小学生の頃には、授業中に先生の間違いを指摘して、反感を買ってしまう事もあった。又才能を買われて13歳にして、小学校の代用教員になるなど、神童ぶりを発揮していた。ただ、そのために、反感を持った前述の先生から苛められる事があったらしい。それ以外にも、水脈を言い当てるなど、周囲の村人には「不思議な子ぢゃ」と言われていたという。

 しかし、この頃の経験は、人間の嫉妬や妬みといった感情の動きや、強いもの勝ちの畜生の世の中であるとする、大本神諭の内容に理解を示す為に、必要な事であったのかも知れない。

 村全体としては、非常に仏教が普及していて、その中で何故か喜三郎少年だけは、何処と無く神道的な信仰心を持っていたらしく、その為に親や村人達に、非難される事もあったらしい。

 わざわざ、逆境的且つ下地を積むに十分な、家柄で産まれてきた所がある。逆に言うとこれら複雑な要素がトラウマとなって、将来に渡って影響があったとも、考えられる。
 
 
 
*深山での修行*
 
 
 
 時は流れ、明治31年(1898)一つのターニング・ポイントとなる事件が起こる。喜三郎氏は、多田亀という侠客の娘と、仲が良くなる。しかし、多田亀は河内一家と対立していた。その為に、河内一家は喜三郎を多田亀の「跡目」と勘違いしてしまい、喜三郎氏が村の浄瑠璃の会に出席していた時に、数人で殴り込みをかけてきた。

 多勢に無勢で、喜三郎氏は忽ち袋叩きにあってしまい、半死半生の目にあってしまう。この時、村人達は、近くの小屋に運び入れ、応急手当をしたものの、動く事もままならずに、そのまま小屋の中で朝を迎えた。

 その朝もやの中で、喜三郎氏は神秘的な体験をする。無意識に机に向かい「天地大本大御神」と書き、その時に目前に一人の男が立っているのを認めた。その男が

「上田喜三郎だな」

と問いかけ

「そうですが」

と答えると、男は

「これからお前を富士山に連れていってやる」

と言い、風呂敷きのようなものを喜三郎氏に被せ、気が付くと高熊山の岩窟の中に、襦袢姿で喜三郎氏は座っていた。ここで喜三郎氏は都合一週間の修行を行う事になる。この期間、村では喜三郎が居なくなった。という事で、神隠し騒ぎが起こっていた。

 修行というのは、現実界での座禅と霊界の探訪を交互に行うという形で、この内容に関しては「霊界物語第一巻」に詳しく述べられている。とに角、この時を堺に、不可思議な能力が飛躍的に伸びたらしい。それ以前にも、紛失物を言い当てたり、水脈の在処を言い当てたりと「不思議な子供だ」と噂に上る事も少なくなかった程であるが、近年日本最大の霊能者と呼ばれる、その能力は、この頃に一気に開花したと言っても良いと思う。

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