★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > 政治・選挙6 > 254.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
「判決は誇り」原告団長晴れ晴れ、22年闘争に終止符 [読売新聞]
http://www.asyura2.com/0411/senkyo6/msg/254.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 10 月 17 日 00:23:03:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先:  水俣病関西訴訟 国・県の責任認定 最高裁が初判断(10/15 20:26)(くまにちcom) 投稿者 Kotetu 日時 2004 年 10 月 16 日 01:07:49)


 水俣病の公式確認から約半世紀、未曽有の公害を巡る裁判闘争に15日、ついに、終止符が打たれた。

 「これ以上の喜びはない」。提訴から22年で最高裁が言い渡した判決は、被害拡大に対する国と熊本県の責任を明確に認め、年老いた被害者たちの表情が、ようやく晴れた。しかし、国は、最高裁でも受け入れられなかった患者認定基準を変えないことを表明し、原告との会談は紛糾。水俣病問題に、まだ終わりは見えないことを印象づけた。

 原告団長の川上敏行さん(79)は午後4時半から東京・霞が関の司法記者クラブで会見。テレビのライトに目をしばたたきながら、「真っ黒だった頭のなかが、判決を聞いて白くなっていくようだった。これ以上の喜びはありません」と、淡々とした口調で感想を語り、「国と県の責任を認める判決を得られた誇りで、笑顔が出る気持ちです」と表情をわずかに緩めた。

 提訴から22年かかったことについては、「私にとってはこれが命。裁判に集中していたからかもしれませんが、ほんの短い期間でした」と語った。

 初代の原告団長だった岩本夏義さんが亡くなった10年前に団長を引き継ぎ、訴訟の先頭に立ってきた。2人は水俣市内の同じ集落に生まれ育った。ともに漁師だったが、仕事を求めて移り住んだ大阪で再会した。頭痛などに苦しみ、82年、同じ大阪府内の病院に通院していた水俣出身者とともに提訴した。

 大阪地裁の第1回口頭弁論で、岩本さんは「国や県は水俣病はもうないという。このままでは死んでも死に切れません」と訴えた。行政責任を否定した1審判決の4か月後に他界。〈川上すまぬ あとを頼む 頼む〉。死の数時間前、走り書きを残していた。

 その翌年、政治決着が図られるが、川上さんは認定患者と区別されて一時金を受け取ることに、納得できなかった。高齢化により、和解せざるをえなかった他の原告団を思うと、「あの人たちのためにも、裁判を続けよう」と決心した。

 川上さんは長い法廷闘争に疲れ、何度も団長を辞めようと思った。そんな時、支えになったのが、「日本人が水俣のことを忘れないようにしたい」と、岩本さんと一緒に始めた語り部活動だった。小学生から届く励ましの手紙を見て、たとえ敗訴しても、水俣病への関心をつなぎとめられるなら、裁判の意義はあると思えるようになった。

 生存している未認定の原告の平均年齢は72歳。今年7月の最高裁での弁論で「もうこんな事件が起きないよう、未来まで伝わるような判決をお願いします」と訴えた川上さんは、この日、岩本さんの遺影とともに判決を聞いた。

 ◆認定基準に残る対立…環境省、見直し否定◆

 国の加害責任を認めた最高裁判決を受け、環境省は同日、「多年にわたり筆舌に尽くしがたい苦悩を強いられてこられた多くの方々に対し、誠に申し訳ないという気持ちで一杯であります」とする小池環境相の談話を発表した。

 記者会見では、滝沢秀次郎・環境保健部長が「厳しい判決と厳粛に受け止めている」と述べたが、水俣病の認定基準については「最高裁の判断は個別の患者に対して行ったもので、公害健康被害補償法による制度としての認定基準とは別のもの」とし、基準の見直しを否定した。

 水俣病の認定で、司法と行政の間にズレが生じたことについても「水俣病の判断基準について2つの概念があると理解している」と苦しい立場を示した。

          ◇

 原告団と支援者ら約60人は判決後、環境省を訪れ、小池環境相と面会。小池環境相は原告団を前に、用意した談話を読み上げながら2度にわたって頭を下げた。

 川上敏行団長は「今までは面会を求めても、係争中だからと断られ続けたが、国の責任が認められてようやく会えた」と話し、国が認定基準の誤りを認めることなどを求めた要請文を手渡した。

 これに対し、小池環境相は「真摯(しんし)に対応させていただく」と述べ、改めて頭を下げて退室。その後、環境省側が国の認定基準を見直す考えがないことなどを説明すると、原告たちは「謝罪するといいながら、全く反省していない」「国が認定基準を見直さない限り、水俣病問題は解決しない」などと声を荒らげ、3時間以上にわたって激しいやりとりが続いた。

 ◆苦渋の決断から9年…「政治決着」生きた◆

 「今回の原告たちと思いは同じ」「あの政治決着があったからこその判決」――。1995年の政治決着の際、国の和解案を苦渋の思いで受け入れた関西訴訟以外の原告や関係者たちは、最高裁判決をそれぞれの感慨を持って受け止めた。

 「生きているうちの救済が必要だ」として国の和解案受け入れを決断した水俣病患者連合の佐々木清登会長(74)(熊本県芦北町)もこの日、最高裁まで出向いた。「関西訴訟の原告と立場は違うが、(国に責任を認めさせたいという)思いは同じ。未認定患者全員の勝利だ」と語り、最高裁から出てきた原告団長の川上敏行さんと握手を交わした。一方で、患者認定基準については、「今後も見直しを求めていきたい」と話した。

 政治決着の当時、水俣病被害者・弁護団全国連絡会議事務局長だった豊田誠弁護士(69)は「あの政治決着があったからこそ、きょうの判決があった」と、95年の決断を改めて振り返った。「われわれも苦渋の思いだったが、政府を追い込んで一定額の救済金を拠出させた点で、実質的に国に責任を取らせたのに等しかった。きょうは、あの闘いの延長線上の成果といえる」と胸を張った。

 政治決着までの被害者運動を引っ張り、99年に亡くなった川本輝夫さん(元チッソ水俣病患者連盟委員長)の妻ミヤ子さん(74)(水俣市)は、胸にしのばせたペンダントの遺影を取り出し、「勝ったよ」と語りかけた。水俣病訴訟関係の法廷に、162回も足を運んだ夫に、ミヤ子さんは、「直接勝訴を聞かせたかった」とつぶやいた。

(2004/10/16/00:25 読売新聞 無断転載禁止)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041015ic35.htm

 次へ  前へ

政治・選挙6掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。