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善意の人による高みからみおろす自己満足の反戦運動または障害者福祉運動
http://www.asyura2.com/0411/senkyo6/msg/517.html
投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 11 月 02 日 20:23:19:HcDLIonJaW4jM
 

どのページに出したらいいのか、よくわからず、ここに載せてしまいます。多分、場違いなのでしょう。すみません。以下本文。

このメールは、私(両手ポリオの身障者)が、私も、まだ一応、入っている、ある反戦団体・いくつもある憲法9条の会のどれか、の代表者の○○○○さまへ出したメールのコピーです。

いわゆる世間一般にいきなり、「ぬえのような白い全体主義」とか「閾下のファシズム」とか
「安心のファシズム─支配されたがる人々」の話を、したいわけではなく、
そういう本や講演会で勉強している人たちの、そういう感覚を身につけているはずの人たちと話しても、
いわゆる世間の空気の基準を優先する感覚しかないのは、いったいどういうことなのか?
つまり、たとえば、「怒り」ということ、ひとつをとっても、辺見庸は次のように書いている。
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『抵抗論 国家からの自由へ』毎日新聞社
http://www.ihope.jp/resist.htm より一部抜粋。全文は左記URL。

「・・・絶対安全圏からにこにこ笑って『反戦』などといえた義理か。  
怒り憎しむことは、いつから、だれによって禁じられたのか。
怒り憎しむことは、いつから、だれによって、『悪』と断ぜられたのだろう」
(「抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわないのか 閾下のファシズムを撃て」より)
「非善・非悪と自己を認識する者たちの『健常さ』ほどいかがわしいものはないと思う。
大いなる悪を構成する者たちとは、表面は健常な非善・非悪人間たちではないかと私は目星をつけている」

辺見氏は、自己保身にかられ、「中立」を装いながら戦争をあたかも自然現象、災害と同じように扱っている人々に
苛立っているのです。
辺見氏が強調する「怒り」とはどのようなものでしょうか? 
辺見氏は、イラク戦争を強行したブッシュやそれに従った小泉だけを「怒り」の対象にしているのではありません。
辺見氏は、侵略や虐殺に対して怒りや憎しみを持つことが、爆撃で殺されていく当事者たちの「百万分の一くらいの傷」
を負うことなのだと覚悟しているのです。
辺見氏にとって、「怒り」のない抗議とは、自分達の住む国や社会が生み出している戦争を、「安全」な場所から
自然災害のように嘆くだけの無責任な態度なのです。・・・
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つまり、これは、反戦運動内部へも向けられた言葉であるし、そのキーワードは「怒り」だと思う。
それをはなから、自分たちの反戦行動の基準を再考しようともせず、
ましてや「怒り」というものに触れようともしないで、ただ押さえようとするだけ、
ニーチェの「ルサンチマン」の説明を出してみるでもなく、ひたすら、
「ラブ&ピースのハッピー・カム・カム・エブリボディー」から何も進めようとしない。
障害者問題でも同様だが、いわゆる、「世間」の「うわべのきれいごと」の「善意」が、
どれほど障害者自身の真の自立と、人間としての尊厳の、壁になっているかを、思い及ぼうともしない。
つまり、自分たちは、いいことをしている「いい人たち」という高みからみおろす自己満足。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※私は別に辺見庸の信奉者ではありません。辺見は、グチばっかりこぼして、行動につなげないし、
言論にしても肝心なところで身が引いてしまう人だと思っています。
この会が、辺見の信奉者なのですし、ちょうどその本をテキストに使い、学習会などを続けている時だったからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「死にぞこないは書き続ける」
脳出血で倒れた辺見庸は、最近、こんな本を二つ出していますが、今まで書いたものをまとめた分厚い本という
だけです。 
それよりも、今頃、「健常幻想のもつ暴力は恐ろしいとつくづく思った」などと気が付いてるようでは、あきれた。
こんなことは、障害者じゃなくても、反戦運動と優生思想を調べていれば、すぐにわかること。
私でも、ずっと前に知っている。
下に資料を付けました。毎度、長くてすみません。

2004年9月24日 新刊! 辺見庸 角川書店・各2625円×2=5250円。←高い!ヒエー。
老いぼれ爺いへのお見舞金のつもりで払うか。図書館でただで読みゃいいわ。

■『闇に学ぶ 辺見庸掌編小説集 黒版』
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_search.php?pcd=200403000368
■『銀糸の記憶 辺見庸掌編小説集 白版』
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_search.php?pcd=200405000264

関連記事『東京新聞』10月10日付[この人の本]
http://www.linelabo.com/books.htm?10192216 の中の10月15日の欄。

「死にぞこないは書き続ける」
【講演中に脳出血で倒れ半年あまり。奇跡的に回復し、ひとりリハビリに励んでいる。/「世界というものを制覇しつつある側が〈健常〉を僭称し、言いつのり、我々の多くもその幻想のなかで生きているが、健常じゃないことの公正さってあるんだね。誰しもが次の瞬間倒れるかもしれないんだから。健常幻想のもつ暴力は恐ろしいとつくづく思った。〈健常〉はほとんど暴力と同義なことがある」〔……〕/「残された人生はかなり短いと思う。人を殺すこと。個人が人を殺す、あるいは世界が人を殺す。そんなテーマにますます興味がある。書いては消すというのを繰り返してきて、悔しくてしょうがない。未完になるかもしれない。しかし、僕は死にぞこないだから、書きつづけるしかない」】

私が言うまでもなく、すでに、「健常」「健康」が「暴力」なことは、とうの昔から、優生思想との関連で、
戦前1940年の「国民体力法」、そして今、現在施行中の2003年5月からの「健康増進法」(禁煙ファシズムの元凶)などで
行なわれている。これだから五体満足な奴らは始末におえんがや。くやしかったらどこか体を不自由にしてみれや、え?
http://www.asyura2.com/0406/war60/msg/404.html
↑この中にいっぱい書きました。厚生省の誕生の意味とか、優生思想とファシズムとか、健康日本21とか、
「健康」が富国強兵の兵隊さん作りの元にされる概念だとかね。ラジオ体操なんかもそうらしい。

誰でも、その身にならんと、気がつかないのでは遅すぎる。その身にならなくても、わかる方法はある。
それは、怒り・ひがみ・ひねくれなどを、自分の何かの身の回りのことで起きたときに、
素直に出せればいいのだ。暗く、不愉快で、ねちっこく、いやな印象を与えることについて、
それを出せなきゃ、本音は言えない。反戦運動が明るく楽しいわけがない。
なんで、みんなラブ&ピースの痴呆症で満足しているか?
タンポポが、青い空に、いろんな花も、どれもきれいだね、国境なんかないし、と、やりたいのなら、
幼稚園か老人ホームに入って、お遊戯をしておればよい。そんなレベルの反戦があるか?
くたばれ、ジョン・レノン、坂本龍一も。
すべては、怒りを表せるかにかかっている。
見苦しいこと、嫌われること、そういうことこそ出せなきゃいけない。
うわべの奇麗事では、太刀打ちできないだけでなく、向こうの勢力に利用され、有利にさせてしまうのだ。
私は、愛と正義を否定する。この世の健常者文明を恨む。それを言えなきゃウソだ。
偽善で取り繕えば、とりつくろうほどに、コイズミ、ブッシュらは、喜んでいる。
五体満足の、そのうえ、紳士淑女のみなさまには、いや、五体不満足な者でさえにも、
いくら言っても、わかるめえがな。あ〜あ。
ろくに不満も怒りもねたみも、さほどは、ないもんな、あんたらにはな。フフフ。

今、「人道・安定・福祉・平和」などの言葉で、軍事を推進されている時代なのだ!
私はさらに、「明るさ・楽しさ・愉快な」とか、「道徳・礼儀・お行儀・ルール・道理・理性・冷静」などについても
再考・疑念の目を向けるべしと思っている。ところが、どうやら、それはタブー。
これが、いわゆる世間一般との対話なら、まだ、しょうがないと思う。
だが、仮にも、反戦団体、それも、辺見庸や斉藤貴男さんなどの本の内容を身に付けようとしていて、それに、
「心のノート」を批判する本を勉強しているところが、そこに書いてある方向は、まったく実践に
結び付けようとせず、世間の空気至上主義だけで思考しているのが、
あまりにも、不気味というか、不思議でならないのです。
もっと、世間の空気の価値観や、日常性の基準への疑問などを、真剣に考えて、「怒り」を
どのように効果的に、政治的に、使う方法を工夫するという方向を考えないのですか?
あくまで、きれいに、愛と正義の平和な道徳的な世界ですか?抵抗や、あらがうことなどの、反骨精神はどこにもない。
戦争に反対するということは、ただ、ドンパチを止めて、何も起きていない状態にするだけではありません。
イラクやアフガンでの実際の戦闘の、うらおもてとして、日本国内での教育問題や福祉切り捨てやリストラなどが
直結しているのであり、それを直していくには、根底の新自由主義や、優生思想、さらに、世間の空気、
うわべのおとなしい従順な羊の群れの「隷属性」ということへ目を向けていかねば、本当の反戦にはならない。
こういうことが、一見、平和な日本で、今回の香田さんを救う活動が盛り上がらず、見殺しにしてしまったことに
つながるのです。もっと、自衛隊撤兵の怒りの声を増やさねばならず、それはコイズミ政権打倒であり、
その代わりを民主党ではダメで、根本の弱肉強食を改めていくような政府や国民性をつくること、
本音の言える世の中を、本音・弱音を言ってもたたかれず、その背景・原因を、社会的・政治的に
考えられ、共感でき、行動できる人間を増やしていくこと。それが反戦団体の役目。
私には、反戦と福祉は直結している。しかし、障害者の会でも、反戦の会でも、そういうことをはっきりつなげないし、
その奥の、世間の空気に自分たちも汚染されているということの自問自答をしようとしない。
世間の空気を否定や疑問視したり、怒りのことを話すことを極端に避ける。それを話すことしか、
私には意味がないのに、それを禁じられ、きらわれ、避けられれば、どこにも出られないのは、当然でしょう。
そこが不満だし、私がそこへ行けなくなった理由です。

なお、私の考えの基本の成り立ちは、ここに書きました。
▼「青い芝の会」1970年代・障害者解放運動のビデオと、反戦運動と、「ゆきゆきて、神軍」
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/501.html
投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 10 月 16 日 10:32:45:HcDLIonJaW4jM

以下、ご参考。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■映画監督・伊丹万作の名文『戦争責任者の問題』1946年4月28日
(一部抜粋。全文は、下記URL)
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/itami_mansaku.html
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろ
わなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差
はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にある
のではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念
を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化
的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破す
ることができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実と
まつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の
奴隷根性とも密接につながるものである。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『だまされることの責任』魚住昭・佐高信=著 高文研 2004年8月発行 ¥1,575
http://www.koubunken.co.jp/0350/0329.html より一部抜粋。全文は左記URL。
1945年、日本敗戦。日本人の多くは「だまされた」と言った。そして60年後の今、再
び「だまされた」と人々は言うのか…。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■「元共産党員のタカ派について」(佐高 信)『週刊金曜日』2004/08/20風速計
http://www.kinyobi.co.jp/pages/vol520/fusokukei より一部抜粋。全文は左記URL。
日本人捕虜を教化する『日本新聞』の編集長と
なったイワン・コワレンコはこう言っている。
「集団主義で勤勉な半面、権力に弱い。
 それが日本人の民族的特性だ。
 何か命令されても言い争うことがまずない。
 私は日本人から『はい、そうですか』の返事以外
 聞いたことがない」
これは「民族的特性」なのだろうか。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■「安心のファシズム−支配されたがる人びと−」斎藤貴男著 岩波新書(新赤版
897)
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0407/sin_k181.html
著者からのメッセージ
 ファシズムはそよ風とともにやってくる、という警句があります。独裁者の
強権政治だけでファシズムは成立しません。自由の放擲と隷従を積極的に求める民衆
の心性あってこそ、それは命脈を保つのです。
 私たちは今、まさにそのような空気のただ中にあるのではないでしょうか。
多くの人々が、何者かに対する不安や怯えや恐怖や、その他諸々がないまぜになった
精神状態が、より強大な権力と巨大テクノロジーと利便性に支配された安心を欲して
いるかのようです。
 権力に無条件で服従しない人が現れると徹底的に叩かれるのはこのためで
す。たとえばイラクの人質事件で当事者や家族たちに浴びせられた集中砲火が、もし
かしたら近い将来、この国の歴史の重大なターニング・ポイントだったと評価されて
しまうような事態にならないとも限りません。
 私たちはいま一度、現状を冷静に見つめ直してみる必要があると思います。
不安に満ちた人間にとって、ファシズムはとりあえず居心地がよいのでしょう。しか
し、その先に待ち受けているものは何なのか、ということを。
 今のうちなら、まだ引き返せるかもしれません。そのための手がかりを、私
はやむにやまれぬ危機感を以って、本書に書き込んでみたつもりです。一人でも多く
の読者に手にとっていただけることを願ってやみません。

目次
  第一章 イラク人質事件と銃後の思想  
    人質たちへの誹謗中傷/自作自演説の発信地は首相官邸/最悪の局面で
噴き出した自己責任論/自己責任とは何か/「癒し」としての差別/人質バッシング
に見られる尋常でない視点の高さ/超国家主義の復権
  第二章 自動改札機と携帯電話  
    自動改札機の存在感/自動改札機の普及史/アメとムチによる徹底/人
間工学とサイバネティクス/生理的器官化した「ケータイ」/ケータイ市場の爆発と
トラブルの急増/「つながってるね」の本当の意味/脳のアウトソーシング/「動く
商圏」と「息をする財布」
  第三章 自由からの逃走  
    自民党憲法調査会の議論から/先行する「心の教育」/日本中の子ども
に『心のノート』を浸透させるということ/心のアンケート調査/コンフリクト・フ
リー/「お国のために命を投げ出す」国民を/サラリーマン税制と会社人間の習い性
/ナチスの亡霊
  第四章 監視カメラの心理学  
    艶歌の成立しない世界/監視カメラに関する意識調査/杉並区監視カメ
ラ専門家会議/監視カメラ“先進国”英国の実態/何がなんでも“防犯カメラ”/監
視カメラの向こうとこちら/哲学としての監視カメラ論
  第五章 社会ダーウィニズムと服従の論理  
    ネオ封建時代への構想/“衛星プチ帝国”を志向する日本/誰がための
ゼロ・トレランス/排除によってしか確保できないと考えられた「安全」/9・11
以降のアメリカ監視社会/ハイテク・社会ダーウィニズムの恐怖/再び「コンフリク
ト・フリー」/『バトル・ロワイヤル』式
  第六章 安心のファシズム  
    自由でないことの「幸福」?/サウンド・バイト/ブッシュ大統領と小
泉首相/新語法(ニュースピーク)/ウンベルト・エーコの『永遠のファシズム』/
思想統制事件の横行と「これから」
  あとがき
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ローザ・ルクセンブルグも言っているではありませんか。
ご立派な全く誤りを犯さない中央委員会の方針よりも、誤りつつ進む人々の行動こそが望まれている。
http://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/futatu.htm

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