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愛知県立図書館の書棚操作
http://www.asyura2.com/0411/senkyo7/msg/142.html
投稿者 外野 日時 2004 年 12 月 10 日 19:39:49:XZP4hFjFHTtWY
 

(回答先: アメリカで出版「池田大作ヨイショ本」の見え透いた作られ方 【週刊新潮】 投稿者 ロシアチョコレート 日時 2004 年 12 月 09 日 22:13:02)

 もうかれこれ4,5年前のことになるが、宗教団体──主に創価学会、統一教会、オウム教のことをちょっと調べるために愛知県立図書館に行ったおり、驚くべき体験をした。
「宗教」の棚に、創価学会を批判した書物が一冊も、ほんとに一冊も置かれていない。統一教会、オウム教の批判本は書架にずらっと並んでいる。
 図書館に設置されている図書館所蔵図書のデータベースを検索する端末機で調べてみると、書架とは反対に、出てくるわ出てくるわの創価学会に対する批判本の列。その図書の数は、統一教会、オウム教の批判本の数の比ではない。
 つまり創価学会を批判する本は全て、書架には置かれず、書庫の方に普段はしまわれ、それを見るには図書閲覧用紙に本の正確な題名、またそれを閲覧する者の住所や氏名などを記入してカウンターに提出し、十数分ほど待たねばならない。
ところが、驚かされたのはこれだけではない。
「ジャーナリズム」の書架に行った時、僕はもっと驚かされた。そこには創価学会員が書いたマスコミ批判の本がずらりと並んで占拠していたからである。おそらく、その図書館が所蔵するその類の本はすべてその書架に並べられていたのではないかと思われるほどである。
 これは後から思えば、来年施行される『個人情報保護法』の姿を如実に物語っていた風景だった。

・マス・メディアの「個人情報保護法案」報道
http://www.h7.dion.ne.jp/~fttb/eg/eg20021215.html

 愛知県立図書館は図書館員自体は親切であり、書棚の本の”粛清”などしそうにない人々であるが、上司、或いは管轄する役所にタチの悪い創価学会員がいるのだろう。
 愛知県さん、反論をどうぞ。(笑)

 ちなみに愛知県は昔から”汚職王国”と言われており、裏社会に詳しい者からも「愛知県では逮捕されないからな」などと言われている。

 次のような実態もある。…

 ■監察医制度 2003.01.03

 以前、愛知県名古屋市の或区の現職の警察署員に次ぎのようなことを聞かされました。
「死亡現場に行くと、病気や事故ではないと思えるものに出くわすが、調べようにも、お上の一言で捜査が打ち切りになることがよくある。だけど、私等下っ端ではどうしようもない」
 その区は、繁華街などがある雑駁とした商業地区のような所ではなく、高級住宅地などもある閑静なベッドタウンでした。
 さすがに僕もこれには驚かざるをえませんでしたが、一週間前のニュースにはこれが伏線となって、あらためて驚きました。

        ※       ※
 行政解剖わずか年間2件 予算42万円の名古屋市 [共同通信] 2002.12.25

 死因の分からない「異状死体」を調べ、行政解剖して死因を究明する監察医制度のある東京、大阪など全国5地域のうち、名古屋市で行われた遺体の検案や行政解剖の件数が1980年代後半から激減、2001年度の解剖件数はわずか2件にとどまり、制度が事実上機能していないことが25日分かった。
 他地域の年間解剖数は東京で2000件を超え、最も人口の少ない神戸でも約850件。人口218万人を抱える名古屋市では行政解剖の実績は極めて少なく、事件性がある場合の司法解剖以外に異状死体の解剖が行われていない実態も浮かび上がった。
 愛知県の予算が年間42万円しかないことが要因とみられるが、保険金殺人など潜在的な事件を見逃す可能性があり、多数の死因不明者が予想される東海地震の危機管理策を考える上でも今後問題になりそうだ。
        ※       ※(引用終わり)

 監察医制度とは監察医が異状死体を検死し、必要があれば行政解剖ができる制度です。
 愛知県は数年前、相撲界の腐敗を週刊ポストの記事などで訴え、その告発の連載記事をまとめた暴露本の準備を始めていた相撲部屋の元親方と元力士のかたの二人が、外国特派員協会で会見する予定だった直前に、ウィルスによるとみられる肺炎で同時に急死した事件が起きています。二人は同じ日に同じように自宅で胸部の苦しみを訴え、同じ病院に入院し、同じ日に死亡したのです。二人は週刊ポストのインタビューで「まさか二人一緒にやられることはないでしょう」と半ば冗談で話していたのでしたが…。
 大手の週刊誌や外国特派員協会の知るところであり、これにはさしもの愛知県警も動かざるをえなかったようで一応の捜査はしているようですが、こんな犯罪が解決をみることなどまずないと思えます。こういう犯罪は起きてからでは遅すぎるので、まず起きないようにする社会の毅然としたコンセンサスが必要です。
 その意味では、名古屋市の上記の実態は、この種の犯罪の温床になっているものと言えます。
 一年ほど前、どこかの警察署が記者クラブを「広報さん」と呼んで話題になりましたが、これでは上のような実態の、必要と思われる調査報道も行われないのは当然だなと思ってしまいます。
 ちなみに議員の白川勝彦氏は、最後まで創価学会=公明と対峙し、それ故、軽微な交通違反のもみ消し工作という秘書のスキャンダルで政界から抹殺されていますが、愛知県では、飲酒運転で検挙されても、自民党の事務所に数万円持参すれば「免許取り消し」をなかったことにしてくれるという事実があるようです。これも僕は10年程前に、実際にその”恩恵”に与かっている人物からじかに聞いています。彼によると、時には数万円持参してもやってくれない時もあるそうで、それはどんな時かというと「選挙の時」だそうです。
 無論こんな”恩恵”に与かれるのは、それなりのコネがある者に限られ、そのコネにはヤクザの親分も含まれます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以下、参考までに。

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 「毒殺」上野正彦著(1999年4月刊)より

 変死と監察医制度

 …(略)…
 とりあえず患者を診療する前に、人間にとって死とはなんであるのかを考えてみよう。そうすれば命の尊さ、いかに生きるべきかがわかってくる。そういう哲学をもったうえで、患者に接すれば自分は少しでも名医に近づけるのではないだろうか。そう考えて、死の学問である法医学を専攻することにした。
 二、三年やったら臨床に戻るつもりであった。しかし法医学はおもしろかった。
 東京都の監察医になったら、ついやみつきになり、臨床に戻る気はなくなって、この道一筋に歩んできてしまった。それは、ものいわぬ死者と自由に話ができるようになったからである。
 検死しても死因がわからなければ、行政解剖をして自殺か他殺か、あるいは事故死か単なる病死なのかを、警察官と協力しあって、総合的に解決していく。
 一見非情に思われるかもしれないが、実は死者の立場に立ってその人の人権を擁護し、ひいては社会の秩序を維持しているのである。
 平成元年八月に退職するまでの三十年間に、病死や事故死に見せかけた殺人事件などを、警察官ではない私が数多く発見できたのは、監察医という特殊な学問と技能を修得したからにほかならない。

 監察医制度がわが国に施行された経緯は、杜撰な検視のあり方にあったといってよい。
 昭和二十年(一九四五)八月十五日、日本は戦争に敗れ、第二次世界大戦は終った。
 連合軍の占領下にあった日本は、極度の物資不足。とくに食糧の不足は深刻であった。
 国民は飢餓のため栄養失調状態にあり、東京の上野駅地下道などには、焼け出されて住む家はなく、食べるものとてない、着のみ着のままの老若男女が、浮浪者となって大勢生活をしていた。
 秋も終り十一月、寒い季節になったからたまらない。ムシロ一枚で地下道に大勢の人々がゴロ寝をしている。勿論、電気もついていないから、昼なお暗しである。
 強度の栄養失調に加え、湿気と寒さから肺炎になったり、糞尿のたれ流しで臭気が強烈で、不衛生であったから伝染病の発生もあったろうし、衰弱した体内では以前からもっていた結核病巣が猛威をふるって、死亡者は増加していった。
 十一月十八日の朝日新聞には「始まった死の行進」という見出しで、上野駅地下道の様子が報道された。
 東京だけではなく、全国の主要都市においても、毎日多数の餓死者が出ていると書かれていた。記事は連合軍総司令部(GHQ)の目にとまった。
 敗戦国の人民が餓死するようでは、占領政策としてベターではない。実態を詳しく調べようと、GHQの厚生課長(米軍)は、変死体をどのように処理しているのか、日本の検視の現状を調査したのである。
 警察官と警察嘱託医(警察署の近くで開業している臨床医で、そこの警察官と留置人の健康管理をするのが警察医で、法医学の専門医ではない)によって簡単な検視が行われ、解剖することもなく、ほとんどは餓死と診断され、片付けられていた。
 法医学的知識に乏しい町の開業医が、死体を見ただけで、解剖もせずに餓死と診断しているのに、米軍の担当者は驚いた。
 本当に餓死なのか、伝染病やその他の病気によるものか、解剖をしてはっきりした診断をつけなければならないと、GHQは東京都に対し、きびしい行政指導をしたのである。
 そこで昭和二十一年四月一日から、民生局長主管の下、東京大学と慶応義塾大学医学部法医学教室と病理学教室の医師に委嘱して、アメリカの Medical Examiner System に類似した監察医業務をスタートさせた。これがわが国の検死制度の基礎になったのである。
 その結果、監察医という専門家による検死、解剖が行われるようになった。
 死因は栄養失調状態にあったが、餓死ではなく、肺結核や肺炎などであることがはっきりした。
 以来東京都内の死因統計には、それまで多かった餓死は姿をひそめ、肺結核などの病名がつき、GHQもこの制度の導入で、それなりの成果を納めた。
 必要にせまられての制度導入であった。
 日本にとっても意義のある制度であり、今ではこの制度がなければ文化国家とはいえないと、評価されるほどである。
 以後、政令指定都市である横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡にも施行された。
 東京都は昭和二十三年三月二十一日、衛生局のもとに東京都監察医務院の名称で、独立庁舎が大塚に開設され、業務を開始し現在に至っている。
 二十三区内で年間検死九三〇〇体、解剖二五〇〇体である。
 ところが昭和六十年、監察医制度の見直しによって、京都と福岡はこの制度を廃止してしまった。本来ならば全国的制度にしなければならないものが、逆に後退していった日本の行政のあり方の不可思議に、驚くばかりである。
 予算がないからなのだろうか、あるいはこの制度の必要性を感じないためなのだろうか。はっきりした理由はわからないが、ともかく愚劣な判断であった。
 監察医制度は、地方自治体を主体にした法律であるから、存廃は知事の権限にゆだねられている。確かに監察医制度を実施するには、相当な予算が必要であろう。しかし予算がなくても、類似の方法はいくらでもとれるのである。
 現に茨城県、神奈川県、埼玉県、沖縄県などでは監察医制度に類似の方法をつくり、変死体に対応している。
 殺人事件などは検事の指揮下で、国の予算で司法解剖が行われているが、殺人事件とまではいかないが、状況的に不審、不安のある変死体は多いのである。このようなケースの死因を解明し、地域住民の不安を払拭させるための検死、解剖が容易にできる行政システムが必要なのである。
 具体的には県と警察と医師会あるいは大学の法医学教室の医師が話し合って、変死体の死因解明に一件たとえば三十万円を支出すれば、一県で年間変死は五十例程度と思われるので、一千五百万円でその県の治安は保たれるのである。
 昭和六十一年五月に起きた沖縄のトリカブト事件は、この制度によって検死、解剖が行われ、事件が発覚したのであり、成果を上げている。また平成十年の和歌山のカレー事件も、その捜査によって、十年前からの保険金詐欺事件が発覚した。もしも監察医制度があったならば、十年前のその時点で、警察と監察医による死因究明が行われ、事件は発覚して、次なる犯行は防げたのである。
 人権と治安、秩序がこの程度の予算で保たれるならば、一日も早く全国的制度にしなければならないと思うのである。
 口では人の命は尊いといい、法律でも十分に擁護されているが、そのための行政的なシステムが不十分であるから、疑わしき事件は見逃されている。
 一県一医大で専門家は揃っている。設備もできている。予算を出せるシステムを作るだけでよいのであるから、是非早急に対応して欲しい。

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 「死体は知っている」上野正彦著(1994年9月刊)より

 死者に言葉あり

 人に会い自己紹介をしなければならなくなったとき、私は仕方なく、
「医者です」
 という。
 そのうちに、ところで先生は何科ですかと質問される。内科や耳鼻科など臨床医であったら、なんのためらいもないのだが、
「法医学です」
 というのには少し抵抗がある。しかし、いわざるをえない。すると、
「え?法医学?」
 すぐには理解できないようである。だからいいたくないのである。
 わかりやすくいえば裁判医学、犯罪医学という分野で、法律上問題になる医学的事項を解明する学問ということになる。
 また、
「監察医です」
 というと、わかってくれる人は殆んどいない。説明が大変たのだが、
「それ、なんですか?」
 といわれると、話さないわけにはいかない。
 もそもそと説明をはじめると、珍しい職業もあるものだと、興味深げに聞いてくれる。初対面の人とは思えないほどになり、とぎれがちの会話は一変して活気を帯びてくる。
 監察医は生きている人に縁はなく、変死した人を検死したり、解剖して死因を究明し、警察の捜査に医学的協力をする。簡単に説明すると、今度は、
「警察のドクターですか?」
「いや、そうじゃありません。監察医は東京都の地方公務員です」
 と答えると、またわからなくなってしまう。
 そこで人の死に方と医師との関係について、わかりやすく説明することにする。
 病気になり医師の治療をうけながら、死んでいくのが病死である。それは主治医である一般の臨床医が、死亡診断書を交付することができる。
 それとは全く異質の殺人事件などがある。このような死に方は、警察が介入し、検事の指揮下で、法医学の専門家が司法解剖を行い、鑑定書を作成する。
 病死と殺人。この極端な二つの死に方の中間に、自殺、災害事故死あるいは元気な人の突然死などという死に方がある。
 自殺か災害事故死かの区別は、警察がくわしく調査しなければ真相はわからないし、元気な人の突然死も同じである。たとえば、独り暮らしの老人を訪ねたら死んでいたというようなケースは、はっきり病死ともいいきれないし、といって殺人事件でもないようだ。いわば死に方に不審、不安が感じられる。
 このような死のパターンを変死といって、とりあえず警察が介入し、死亡前後の状況を調査した上、都の職員である監察医が検死を担当する。
 行政の中にこの検視(検死)のシステムを取り込んだのが、監察医制度(死体解剖保存法第八条)である。
 保健所が地域の生活環境を整え、予防医学に貢献しているのと同じように、監察医制度も監察医が警察官と一緒になって、変死者の死因を究明することにより住民の不審、不安を一掃し、死者の生前の人権を擁護するとともに、社会秩序を維持しているのである。
 この監察医制度は、行政上きわめて重要なシステムであり、不可欠の制度であることは、ご理解の通りであるが、残念ながら東京、横浜、名古屋、大阪、神戸の五大都市にしか施行されていない。そこには法医学的にトレーニソグされた専門の監察医がいて行政検死、行政解剖を行っている。
 五大都市以外での検死は、従来通り警察医が行っている。警察医とは警察署の近くで内科や外科などを開業しているドクターが嘱託されている場合が多い。本来は警察官と留置人の健康管理が仕事である。しかし変死が発生すれば、検死も依頼されることになる。だから専門は内科などの臨床医であって、決して法医学の専門家ではない。
 変死者の検死は生きてはいないし、治療の必要もないから、医者の免許をもっていれば何科の医者でもよいことになっている。一見矛盾はないようだが、それは大きな間違いである。
 なぜならば、多くの偽装殺人がそうであるように、事件の幕開きは犯人は殺しておきながら病死や事故死に見せかけて、完全犯罪をたくらんでいる。したがって、布団の中で寝姿で死んでいたら病死、工事現場で墜落したら災害事故死などと、状況から安易に結論を導き出したのでは、犯人の思う壷である。状況は参考程度にとどめ、死因はあくまでも死体所見の中から、見つけ出さなければならない。それ故に、死体所見に精通した監察医や法医学者が検死をしなければ、意味がないのである。
 …(略)…
/////////////////////////////////////////////////////

 「floating on the frozen sea」というメールマガジンから

 【監察医制度から見る日本の閉鎖性】 2002.03.06

 …(略)…

 監察医制度は、死体解剖保存法第8条で、「都道府県知事は監察医を任命し、監察医に検案と解剖をさせることが出来る」と規定されている。ところが、実際に監察医制度が導入され、監察医が設置されているのは、東京23区、横浜市、名古屋市、大阪市、神戸市の5都市に過ぎない。京都市と福岡市にも設置されていたが、行政改革によって廃止されてしまった。つまり、日本の大部分には監察医制度が存在しない。

 その5都市以外の地域で、死体検案を行っているのは、警察医であったり、警察から委託を受けた一般の医師となっている。監察医は、死体検案と行政解剖のプロだと述べたが、人材自体の不足と、行政の制度が存在しないことより、行政解剖に関しては、各都道府県の医科大学や医学部の法医学教室が行っている。

 なぜそのような死体検案と行政解剖のプロである監察医が存在するのかと言えば、死者の人権を守るためだと言える。人間の死は、病死とそれ以外の死に分けられるが、病死の場合では、その人の主治医が病気の経過を見守っているため、死亡診断書が主治医から発行される。

 それ以外の死は、すべて変死として扱われる。医師は、病死で無い人の死を見取った場合、医師法第21条に基づいて、24時間以内に所轄の警察署へと変死届を提出しなければならない。警察は届出を受けると、変死体を検視し、同時に医師が死体を検死して初めて、病死の場合の死亡診断書に相当する死体検案書が発行される。

 ※用語説明をすると、検視とは、刑事訴訟法第229条で定められている検察官(警察官)によって行われる現場の状況捜査であり、検死とは、医師によって行われる死因の判断のことを指す。

 刑法第192条では、検死を経ないで、変死体(異状死体)を葬ることを禁止している。なぜならば、明らかな病死以外の死をすべて変死として扱うことで、犯罪に関係した死体を抽出することができるシステムとなっている。このため、変死体を検視した際に、その変死体が明らかに犯罪に関係していると判断された場合には、司法解剖が行われる。

 司法解剖は、各都道府県に設置している医科大学や医学部の法医学教室で、法医学の専門家によって行われ、司法解剖を行った医師の書いた鑑定書は、裁判の証拠として採用される。

 行政解剖は、変死体のうち、犯罪に関わりの無い死体に対して行われる。変死体は、突然死や自殺、交通事故や焼死、溺死などによるのか、さらには病死なのか犯罪に関係しているのか不明な死体まで存在する。そこで、そのような変死体を医師が検死するのだが、それでも原因が不明な場合に、監察医による行政解剖が行われ、死因を特定する。

 そのように、人間の死因を特定することで、その人がなぜ死んだのか、犯罪によるものなのか、別の要因によるものなのかを明らかにし、死者の人権を守るのである。

 ●行政解剖の目的

 司法解剖が犯罪と関連がある場合に対し、行政解剖は、犯罪に関連していない死体で、死因が外部からの検査だけでは判断できない場合に行われる(ただし、死体解剖保存法第11条で、行政解剖により異状・犯罪との関連性が発覚すれば、司法解剖に切り替わる)。行政解剖と呼ぶのは、死体解剖保存法第8条で定められている監察医制度を法的根拠にし、それに基づいて監察医が解剖する場合を指す。

 行政解剖は、ほとんどが内部の所見について取り扱われる。死因を特定するための原因を探すことが目的となっている。そのような行政解剖を行う必要性だが、先に挙げた死者の人権を守ることと、予防医学への貢献が挙げられる。

 死者の人権に関しては、例えば、殺人者が殺人が発覚しないように遺体を自然死や自殺のように偽装し、逃げのびようとしている場合も考えられる。そこで、検案と解剖のプロである監察医が、厳密に遺体内部の様子をみることによって、隠されていた犯罪が発覚する場合もある。

 これによって、犯罪者が罪に問われずに社会生活を営むことも防止できる。また、死者の本当の死因が特定され、真実を明らかにすることにより、殺人によって不当に侵害された死者の人権を回復することも出来る。

 また、変死体の死因を特定することにより、予防医学にも貢献できる。

 曖昧であったり不明であった死因が、解剖によって特定されることにより、生きている人々は、それに対しての対策を採ることも可能となってくる。行政解剖は、死体解剖保存法だけではなく、食品衛生法や検疫法にも規定されている。

 例えば、食品衛生法に規定された行政解剖は、食中毒による死の原因を究明するために行われ、検疫法に基づく行政解剖は、感染症による死の原因を究明するために行われる。だから、これらの行政解剖は、公衆衛生の向上や伝染病の予防にも貢献すると言える。

 ●SIDSと監察医制度

 SIDS(乳幼児突然死症候群)と呼ばれる、乳幼児の突然死がある。欧米諸国では、新生児期後期乳児期の死因の第1位を占め、日本においても、ゼロ歳児の死亡原因の第3位となり、乳幼児の主要な死因となっている。

 SIDSとは、剖検所見上、死因とするに十分な異常所見が見出されない2歳未満の乳幼児の突然死のことを指す。それまでの健康状態や病歴から、その突然死が予想できない場合の突然死のことを指す。だから、例えば染色体異常症や重症の脳性小児麻痺などの基礎疾患が存在し、その疾患が突然の死を引き起こす可能性が非常に高い場合にはSIDSとは診断しない。

 SIDSの診断の際、欧米においては剖検(解剖と検査)が必要とされる。死因となるような異常所見が見出されていない突然死であるから当然なのだが、日本においては剖検自体があまり行われていない。

 SIDSは事前にその死が予測できず、その死はすべて変死扱いとなる。そこで、その死を看取った医師は、医師法第21条に基づいて、変死届を警察へ提出しなければならない。検視によって、犯罪との関連が無いと判断されれば、監察医制度の設置されている地域では、監察医による検死と行政解剖が行われる。

 1994年以降は、剖検を経なければSIDSとの診断を下せなくなったため、監察医制度の無い地域でも、死体解剖保存法第7条の病理解剖(遺族の承認が必要で、疾病の進行などを確認するために行われる解剖)に準拠して解剖が行われ、SIDSであるのか、他の原因で死に至ったのかを診断する。

 ところが、実際には監察医制度のある地域と無い地域とでは、そもそも行政解剖が行われること自体の差が著しく激しい。さらには、SIDSの診断自体が正しく出されているのかと言うことに疑問が生じている。

 ●世界市場から立ち遅れる日本

 例えば東京23区内では、東京都監察医務院が設置されている。東京都監察医務院の取り扱う1年間の1歳未満の乳児検案数は約50−80件、解剖は約40−60件に上る。東京都監察医務院の取り扱う23区内での乳児の突然死(SIDS以外も含める)の解剖率は80−90%に上る。ところが、23区外の監察医制度のない東京都の地域では、乳児の突然死の解剖率は、わずか6%に過ぎない。日本全体となると、乳児の解剖率は2%となっている。

 乳児から大人までを含めた変死解剖率も、監察医制度の存在しない東北地域では7%、九州地域では5%に過ぎない。ちなみに東京23区では、解剖率は約25%に上る。

 東京都監察医務院の取り扱った乳児の突然死のうちで、SIDSと診断されたのは、乳児の解剖例のうち、約50%であった。つまり、SIDSと見られた死亡乳児のうち、半数は、解剖して初めて何らかの異常所見が発見されたことになる。またさらに、欧米においてはSIDSの診断をくだす場合、解剖して初めてSIDSとの診断を下さなければならない。

 日本では解剖率が著しく低いため、実際に死体検案書を書く場合には、突然死の際にはSIDSの疑い、と言うように最終死因に書くことも出来る。日本の統計上の乳児のSIDSの80%以上は、解剖を経ていないSIDSと言うことになる。

 それらのことから考えると、やはり解剖を経て真の死因を究明することが、死者の人権を守ることや、予防医学の向上に役立つと言える。

 また、それだけでなく、このような監察医制度の立ち遅れている日本は、世界標準からも立ち遅れている。つまり、日本の統計と欧米の統計では、同じSIDSを取り扱っていても、内容がまったく異なっている。

 日本の場合は、SIDSとされながらも、実際にはその8割以上が診断に必要な剖検を経ていない。これに対して欧米の場合は、SIDSと診断するためには、必ず剖検を経なければならないため、同じSIDSと言う言葉であっても、その意味するところが、日本の中と外では著しく異なっている。

 と言うような理由から、日本の統計は世界市場ではまったく信用されていない。SIDSに限らず、欧米諸国では死因を特定するために解剖が行われている。このような死をめぐることからも、日本と世界の格差が存在することがわかる。

 死者の人権を守ると言うことは、生きている人間の人権をも守ると言うことだと言える。それだけ個人が尊厳を持って自立できる社会であると言うことも出来る。そして、それを端的に表しているのが、監察医制度なのではないだろうか。

 未発達の監察医制度を存続させている日本は、それだけ閉鎖性を有する市場だとも言える。さらには、行革の一環として、監察医制度そのものが危機にさらされているのが現状である。
 …(略)…
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