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来年中に、小泉純一郎&池田大作(=自・公)政権を倒す‥最大カードとしての「サマワ政局」 [古川利明]
http://www.asyura2.com/0411/senkyo7/msg/242.html
投稿者 レイ 日時 2004 年 12 月 15 日 21:26:22:mRt2rX4ca0PnA
 

http://toshiaki.exblog.jp/

古川利明の同時代ウォッチング 2004年 12月 11日


 しかし、月日の過ぎるの早いもので、ボヤボヤしてると師走も半ばにさしかかり、今年も終わってしまいます。
 腐れ小泉内閣は昨日(=12月10日)に、自衛隊のイラク派兵をこの14日からさらに1年延長する基本方針を閣議決定しました。
 もともと、イラク特措法というのは4年間の時限立法なのですが、そもそも、こうした自衛隊の滞在延長という重要な案件を、国怪の承認も得ないまま内閣が勝手にできる(それも国怪閉会中に!)ということがフシギでしょうがないのです。

 そもそも私は自衛隊のイラク派兵自体に大反対でしたが、現実問題として、こうした国民世論の強い反対もあって、最初は「1年」という期限で区切って自衛隊を出したというわけです。その意味では、この12月14日というのはまさに“名誉ある撤退”を決断するラストチャンスだったでしょう。
 確かにアメリカに対する付き合いの意味もあって、アメリカの傀儡だった岸信介の末裔に位置する小泉純一郎が、「ブッシュのチワワ」でしかないことはよくわかります。

 が、実質的にサマワの治安維持を担っているオランダ軍が来年3月に撤収を決めているという事情があるのですから、「1年もあんたらのワガママに付き合ったんだから、これで義理は果たしたということで、自衛隊を引かせてもらいますワ」でも全然、よかったのです。
 で、そうしておけば、今回の本サイトのタイトルにあるように、「小泉退陣」の引き金となってしまうであろう、「サマワ政局」の勃発を未然に封じ込めることができたわけです。

 んで、今や、「ソーリ大臣の座」にしがみつくことが至上命題となってしまった小泉クンにとっては、ここで自衛隊を撤収させておけば、あとは、来年の通常国怪に提出する「郵政民営化」という、自分の“趣味”(=オモチャ)を弄んで、「自民党内の“抵抗勢力”との対決」という見え透いたサル芝居を演じていればいいだけの話です。 で、あとは、のんびりとソーサイ任期が切れる再来年の9月まで、適当にヒマ潰しの外遊でもやり、その際には、官房機密費から毎回、500万円くらいの小遣いを“着服”して、まさに「のうのう」としていればよかったのです(笑)。

 ところが、です。
 小泉クンは何をトチ狂ったのか、自らの政権の致命傷になりうる「サマワ政局」の芽をここで残してしまいました。
 「お国のために、自らの命を捨てるのもカクゴしてる」という思いで、はるか遠い地球の裏側のイラクくんだりまで行かされてしまった自衛隊諸君のこと思うと不憫でなりません。しかし、「小泉純一郎&池田大作」という、戦後の「史上最低最悪政権」を倒すためには、本当に申し訳ないですが、尊い彼らの「血」が必要なのではないか。そんなことをぼんやりと思うのす。
 今度の自衛隊のイラク駐留の延長問題でも、そもそも国怪の閉会中にやるというのが論外ですが、例えば、自民党がこうした延長を実質的に認めた8日の国防・内閣・外交合同部会の開催時間は、わずか1時間半です。ギロンというより、「初めに延長ありき」で、いわゆ「シャンシャン総会」で、小泉の方針を追認したにすぎません。

 しかし、それでもオモロイことに、今度、変更された基本計画をよくよく見てみると、「場合によっては、期限前にイラクからの自衛隊撤収もありえないではない」という文言を盛り込んでいます。
 それが、「活動実施に関する重要事項」として、・現地の復興状況の進展・イラクでの政治プロセスの進展状況・現地の治安状況・多国籍軍の活動・構成の変化――など諸事情を見極め、「必要に応じ適切な措置を講じる」という一文が追加されています。
 まあ、この文章を読んでも、毎年、SGIの日の1月26日に池田大センセイが聖教新聞に掲載する、キラ星のごとく抽象語句と散りばめた例の“平和提言”と同様、何を言いたいのかがさっぱりわかりませんが(笑)、要するに、玉虫色の表現ながら、「場合によっては、自衛隊を引くことも選択肢の中にある」ということではあります。

 では、なぜ、小泉クンがこんな一文をわざわざ入れたのでしょうか?
 岡田克也をはじめとする野党の党首が「イラクからの撤退」を強く要求したから?――答え「ブー」です。
 じゃあ、自民党内の「3K」、とりわけ、加藤紘一が粘り強く、「延長期限を1年ではなく、もっと短く区切って、とりあえずはクウェートに後退させろ」と小泉クンに談判したからでは?――これも、残念ながら、「ブー」です(笑)。 まあ、小泉的には、こうした動きなど、所詮、「あー、外野でうるさいハエがブンブン飛んどるワ」といった程度でしょう。
 じゃあ、私がだけが知ってる「答え」を言いましょう。
 それは、後藤田正晴が、12月7日付け毎日新聞朝刊のインタビュー「イラク考評 自衛隊派遣延長」で、はっきりと「来春撤収が賢明」というコメントを載せたからです。

 これはたまたまの偶然なのか、それとも毎日新聞が前回の私の本サイトの硬派記事を見たからなのか、例の「元祖・悪の検事総長 原田明夫」の小泉との直談判、“土下座”の会談に向けて、仲介の労を取ったのが、この後藤田だというのは、本サイトにアクセスしている超ヒマな読者の方々は既に承知だと思います。
 んで、まさに、この後藤田のインタビュー記事が掲載されたのが、何ともグッド・タイミングなことに、私が前回の記事をアップした翌々日なのです。
 たまたま、毎日新聞が自衛隊のイラク駐留期限切れを前に、そうした連載記事を準備していたのはわかりますし、そこで、今や「ハト派のご意見番」と化した後藤田を引っ張りだして、いろいろと聞くというのも、わかるのですが、私がチョッチ、びっくりしたのが、インタビューの聞き手が「倉重篤郎」というオッサンだったことです。

 この倉重のオッサンは、私が毎日新聞の東京本社政治部で出張応援の形で首相官邸を担当していた94年1月から3月の間、外務省担当の霞クラブのキャップでおって、その後も順調に出世しているハズだなあと思っていたら、小泉が派兵延長を正式決定した翌日の10日付け朝刊の1面で、政治部長名で「自衛隊を早く撤収させろ」と書いていたので、「おーっ」とビックリしたのです。気がついたら、このオッサンも今や、政治部長に出世していたのです。
 んで、この後藤田にインタビューをしたのが、倉重のオッサンなのですから、もちろん、政治部長というポスト自体が、そもそも基本的にヒマであるという理由もありますが(笑)、いちおう、それでも毎日としては社内ではパワーラインの中枢の人間を出してきたわけですから、後藤田としても受けないわけにはいかないというか、無下に断ることはなかなかできなかったのでしょう(#まあ、倉重のオッサンは毎日の中ではかなりリベラルというか、今どきの幹部にしては珍しく、マトモな考えができとるな)。

 んで、たまたまでしょうが、私が「01年10月28日」のヒミツを前回の本サイトで勝手にバラしてしまったので(笑)、小泉クンとしても、きっとこれが気が気でならないのでしょう。
 まあ、後藤田のジイさんもまだ全然、ボケていないというか、90歳にして、これだけマトモなスジ論が言えるというのは、チョッチ、びっくりですね。
 確かに、少なくとも私の知ってる後藤田とは、東大法学部卒の旧内務省出身、元警察庁長官、さらには中曾根内閣の官房長官として、「カミソリ後藤田」の異名を取り、徳島の選挙区では三木武夫に勝つため、凄まじいばかりの金権選挙をやった、ほんと生臭いオッサンでした。
 でも、いつごろでしょうか、たぶん、冷戦構造が崩壊して、90年代に入ってからでしょうか。ワタシ的には後藤田のジイサンは、その経歴からしても、どう見ても、「バリバリのタカ」にしか見えなかったのですが、いつの間にか“大転向”して、極めてリベラルな発言をするようになってしまったことに、私は今でもオドロキがあるのです。

 とりわけ、私が後藤田に感心したのが、『現代』の03年12月号で、「あえて言う、一国平和主義がなぜ、悪い」と題するインタビューに彼が応じていますが、そこで、イラク戦争という愚行に踏み切った「ブッシュ・ドクトリン」なるもののどうしようもなさをバッサリと切り捨てるとともに、京都議定書を批准しないアメリカに対して、「環境保護、公害防止の議定書だから、国家は我慢しなければならない」と、きっちりと批判しているのです。
 さらには、「戦後の日本の繁栄があったのは、第9条の平和憲法のおかげ」とはっきりと言い、「一国平和主義のどこが悪い」とまでホザきまくっているのです(笑)。

 んで、圧巻だったのは、去年の秋、野中広務が引退を表明した翌日、後藤田のところにあいさつに来ますが、そこで後藤田は野中にこう、言っています。 「あなたの引退声明は政治家としての生きざまを示したものだと思う。それに対して今さらどうこう言う立場にないし、僕が言うことでもない。それはあなた自身の判断だ。しかし、あなたには責任がある」
 そこで、野中がきょとんとして、「どういうことですか」と言い返します。
 すると、後藤田はこう切り返しています。
 「最近の政治情勢を見ていると、どっちに行くかわからない。日本の国は境目に来ている。分岐点だと思う。方向を間違えると大変なことになる。あなたにはわかるはずだ。僕は戦争経験者として昭和4年からの日本の姿は記憶に残っている。これは危ないとわかる。この内閣は3年は続くと思う。そのときにあなたがブレーキ役をやらなければならない。あなたにはその責任がある」

 老いてもなお、これだけ冴えている後藤田というジイサンはなかなかのタマだと思います。ここで後藤田が目の前にいる野中のことを名指しして言った「あなたの責任」に
ついては、超ヒマであり、かつ賢明な読者の方々は既にご承知でしょう(#要するに、「宗教の仮面を被った全体主義の独裁者」を、家の中に入れてしまったことや)。
 しかし、あの魑魅魍魎が蠢く永田町では、こうした後藤田のようなマトモな発言をさえしていれば、それで政治(=政局)が動くというワケがありません。こうしたまっとうな後藤田の言い分に、あの小泉も耳を傾けなければならないのは、後藤田が小泉のキンタマを握っているからです。

 「いいか、小泉クン。ワシも90を過ぎてしまったけど、まだ、そんなにボケてはおらんよ。3年前の10月の終わりの週末の出来事を、今でもありありと覚えとる。私ももう、そう先は長くないだろう。しかし、いつでも、あの日の出来事をカミングアウトしてもいいんだよ」

 私には、このような後藤田のジイサンのつぶやきが耳に聞こえてくるのです(笑)。こういったところに、私は「肉を食うハト」としての後藤田正晴の真骨頂を感じずにはいられません。

 まあ、ワタシ的には、後藤田のジイサンがカミングアウトしてしまったら、小泉に対する神通力もなくなってしまうので、なにげにチラチラと小泉を脅すくらいでちょうどいいのですが、いつまでも90歳のジイサンに負担をかけさせるわけには行きません。
 そこで、「サマワ政局」という本題にようやく入っていきますが、私が今度の自衛隊のイラク派兵で、誰も「最悪」のことを想定しないのか、フシギでしょうかないのです。
 つまり、自衛隊をイラクに送り込んで、まもなく1年になりますが、これまでに「死者」が出なかったのは、ただ、単に「運がよかった」というだけでしょう(笑)。
 もし、現地の武装兵との「戦闘行為」ということになったら、私はサマワでの「死者」が1人や2人で済むとは、到底思えないのです。

 結論から言って、アメリカがイラクの地で「勝つ」ということは、太陽が西から登るごとく、ありえない。これは「ベトナムの二の舞」どころか、下手をすると「ベトナム以下」になる。
 そこで、今後、イラクでの内戦がさらに激化して、サマワにおける死者が「20人」
とか「30人」単位、いや、「100人」という状況になった場合、派兵に反対している朝日、毎日はまあ置いといて、「派兵賛成」である読売、産経が「さらに自衛隊を増強し、サマワに送り込め! これはアメリカと心中する正義の戦いだあ!」と吠えることができるかです。それを読売と産経が言ってくれたら、私は“敬意”を表します(笑)。
 確かに、現在では、サマワで死者はもちろん、負傷者も出ていない(ことになっている)ので、日本国民の大多数も、小泉と同様、「のうのう」としていますが、ここで一挙、「サマワでついに死者」というニュースが入って来れば、「泰平の眠りを覚ます上喜撰(=蒸気船)、たった四杯で夜も眠れず」という状況になるでしょう。

 どうせ、そうなっても小泉は自衛隊を撤収できる判断は下せないので、そのときはまさに「倒閣」です。
 確かに、現時点では、大勢の日本人は「小国平和主義」のありがたみをビビッドに感じることはできていません。しかし、そういった貴重なものは、まさに、新潟中越の大震災ではありませんが、そうした被害によって、水や電気、ガス、さらには平穏な日常生活がいかにありがたいか、それは「失ってみて」、初めてわかるのです。
 これだけアメリカの世界からの孤立がはっきりしてきている中で、日本人も小泉純一郎(&池田大作)が考えているほど、バカではないというのが、私の見方です。

 「革命」というのは、「主権者の命に反した統治機構を引きずり下ろす」ということです。サマワで死者が続出しても、それでも自衛隊を撤収させない政権は、まさに「主権者の命」に反しています。それこそ、まさに野党が「内閣不信任案」を国怪に上程する最大のタイミングで、そこで現政権を引きずり下ろして、新しい政権で自衛隊を日本に戻すということをやらなければならないでしょう。
 「郵政民営化」には、有権者の琴線は触れませんが、「サマワでの死者」は、間違いなく主権者の心を突き動かします。
 そうなったとき、自民党内の「3K」というより、「1K」である「加藤紘一」がどう動くかでしょう。

 それは、まさに「加藤政局の第2幕」に他ならないのですが、そのときはアレコレ考えるのではなく、「自分は1人でも不信任案に賛成する」でいいのです。
 そうしたら、自民党執行部は「党議党則に従わない人間は除名する」と脅しをかけてきますが、そう言ってきたら、こう反論すればいい。
 「真の党議党則、すなわち、主権者の命に反しているのは、あなたがた執行部である。その意味からすれば、本来、除名処分にすべきは、小泉総裁以下、現在の自民党執行部である。それゆえ、私があなた方に対して除名処分の手続きを取る」
 そこで、今回、加藤紘一が自衛隊のイラク派兵延長に「待った」をかけた「既成事実」が後々、大きな力を持ってくるのです。

 もし、そういう「サマワでの死者出現」ということになっていれば、間違いなく、小泉内閣の支持率は落ちますから、どうせ、自民党内の日和見の有象無象の足元はフラついてきて、いくらでも雪崩を打って寝返る。日和見とは、所詮、その程度の連中です。
 で、その場合、最終的に「加藤紘一除名」をするのであれば、その時は、除名の手続きを取る前に、「自民党離党→加藤新党結成」でいい。そのときの大義名分が、「自民党内で死滅してしまった、ハト派一国平和主義、リベラリズムを私の手で再興する」でしょう。
 その際の加藤新党の理念、綱領は、白川勝彦氏が01年の参院選に打って出た「白川新党」の「“戦中八策”――21世紀の日本のかたち」をそのままパクればいいです(笑)。

 この「戦中八策」は、氏の『自民党を倒せば日本は良くなる』(アスキー刊)の182頁から189頁にありますが、これはもともと、01年3月末、作家の石川好氏(確か、前にさきがけから出馬したことがあったというように記憶していますが)の書いた元原稿に、白川氏と私、そして、日刊ゲンダイ記者の二木啓孝氏がゲラに手を入れて完成させたものです。
 その「戦中八策」の第1章が、「国家のかたち――あらゆる形による植民地主義を目指さない」ということで、その最後の方をこう結んでいます。

 <このような伝統を守るためにも、外に対して領土的・経済的・文化的覇権を求めることは二度としません。なぜなら、過去において、日本はその歴史の禁を犯し、外に向けて植民地主義に走り、同胞を含めアジア近隣諸国に多大な犠牲を強いてきたからです。私たちはそれを深く反省し、改めて日本固有の領土は、南は沖縄諸島から北は北方四島に定めました。
 それゆえ戦争に敗れた日本が、再び植民地主義に向かわないことを理念とし、大日本帝国から日本国に国家名称の変更を誓った「日本国憲法」の理念と精神を尊重します。>

 今のイラク戦争とは、まさに「大アメリカ帝国」の野蛮な植民地侵略以外の何物でもなく、その“下請け”をやっている(やらされている)日本というのは、まさにそういった犯罪行為の「従犯」、もしくは「共同共謀正犯」に他ならないのです。
 しかし、そうした本質を糊塗するため、「人道復興支援」という大ウソを掲げ、「非戦闘地域」などという虚構の概念を作りだした小泉純一郎(+池田大作)の犯罪行為の誤りとその破綻は、私くんだりが言うまでもなく、後藤田正晴のジイサンが、例の12月7日付け毎日新聞朝刊のインタビューで既に指摘していることです。
 2000年の加藤政局の失敗は、私に言わせれば、「最後は自民党を飛び出しても構わない」というハラを加藤紘一が括れなかったことに尽きます。
 そういう姿勢を取っていれば、いやがおうでも、民主党がラブコールを送ってくるので、そこで大事なのは、(小泉純一郎と岡田克也の両方に)いかに自分を高く売りつけるかでしょう。

 話を戻しますと、後藤田のこのインタビューでは、「オランダ軍が撤収する来春をメドに自衛隊を引き返せ」とのサインを送っています。ですから、小泉が今回決定した基本計画では、「必要に応じて講じる措置」(=自衛隊の撤退)の条件の4番目に、いちおう、「多国籍軍の活動・構成の変化」(=オランダ軍の引き揚げ)を入れているのは、まさに、この後藤田発言を受けたものに他なりません。
 しかし、小泉が後藤田の言うことにを聞いている(聞くフリをしている)のは、別に後藤田のジイサンの至極、まっとうな意見に感銘し、彼自身が心を入れ換えたのでは決してなくて、ただ、単に彼にキンタマを握られているだけの話です。ですから、「ブッシュのチワワ」である小泉クンの頭の中には、来春で自衛隊の兵を引くという選択肢は、まず、ないでしょう。

 であるなら、このままではいずれ出るであろうサマワでの「死者」を受け、そのタイミングで「政局」に持っていくしか、自・公政権を引きずり下ろす選択肢はないと思っています。
 いちばん、理想なのは、来年夏の東京都議選との「ダブル」で、これをやれば、間違いなく信濃町に潰滅的な敗北をもたらすことができます。
 大センセイ的には、F取りの体力を二重に消耗する「ダブル」はゼッタイに避けなければなりませんが、それ以上に、「サマワ政局」に伴う「解散、総選挙」では、「自衛隊のイラク派兵」が争点になるので、「それを推進したのは、口先で“反戦平和”を唱えている大カルト結社の親分様でしょ」と、いくらでも叩きまくることができるからです(笑)。

 さあさあ、小泉クンと池田大センセイが「のうのう」としていられるのも、そう長くはないようです。
 じつは、私は小泉クンと約束したのに、先に冬ソナのチェ・ジウの出演したラブコメ映画『誰にでも秘密がある』を見てきてしまいました。永田町の官邸の近くだと、日比谷のみゆき座と有楽町のスカラ座でやっているので、散歩がてら、気分転換に見にいってきたらいいでしょう(笑)。
 で、見終わったら、例によって、テレビのマイクが向けられますので、小泉クンはこう答えたらいいわけです。
 「いやー、感動しました。チェ・ジウさん、ほんと、プロポーションもよくて、ステキですねー。官邸で実際、会って見たときと同じくらい、映画の方もすごくよかった。

うーん、じつは私にも言えないヒミツはあります。ですから、後藤田センセイの言われることを、まったく無視もできないのです」


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以下関連記事

http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2004/12/07/20041207ddm005010133000c.html

イラク考評:
自衛隊派遣延長 来春撤収が賢明−−後藤田正晴氏に聞く

 イラクへの自衛隊派遣期限が14日で切れるのに伴い、政府は10日に派遣の1年延長を閣議決定しようとしている。イラクの国家再生はこれから胸突き八丁の段階を迎えるが、治安は1年前より確実に悪化している。延長問題をどうとらえるべきか。内外の識者に語ってもらう。

 ◇なぜ国会で議論尽くさぬ−−後藤田正晴氏(元副総理)

 イラク戦争についていえば、正当性のない間違った戦争だった。米国が主張していたアルカイダとフセイン政権との関連は立証されなかったし、大量破壊兵器も見つからなかった。占領統治もうまくないね。従って、対米追随した小泉政権の選択も誤った。

 そもそも、自衛隊を派遣した根拠法であるイラク特別措置法は、日本国憲法の制約から、「非戦闘地域」という虚構の概念を作り出し、一方で、危険な地域に派遣しているのに「安全確保」を義務付ける、という矛盾した法体系になっている。人道復興支援という法の目的も牽強付会(けんきょうふかい)、こじつけだ。日本がイラクまで行って支援する真の理由は、北朝鮮問題もあり、日米同盟堅持ですよ。なぜ、それを言わない。

 人道復興支援の成果はどうですか。給水、建物補修、医療支援となっているが、関係者に聞くと、実態は、危なくて外で仕事ができない。人道復興支援の実績は上がらない。無理な派遣をしたからなんです。そもそも、武装部隊が他の軍隊(オランダ軍)に守ってもらうこと自体が世界の常識からはずれている。

 誤りを正すこと、はばかるなかれ、という言葉がある。特措法は4年が期限だが、1年ごとに基本計画を見直すことになっている。この際、誤りの連続という悪循環を断って、即撤収するというのが筋だろう。僕の頭にはシベリア出兵がよぎるね。軍隊を一回出すとなかなか戻せない。歴史が証明している。見直しの好機をなぜ生かさない。

 さはさりながら、だ。この局面での撤収を国際情勢が許すかどうか。日米同盟にとってどういう意味を持つか、を考えなければならない。国家として現実的な判断をしなくてはならない。

 いくつかの選択肢がある。1年延長といわれているようだが、来年1月総選挙でイラク人による移行政権ができるのを見守り、3月のオランダ軍の撤退と同時に撤収するのが賢明だ。

 イラクに新しい政府が成立すれば、多分国連の出番を求める。イラク政府が望み、国連によってPKO(国連平和維持活動)部隊が組織されれば、その時に改めて自衛隊を派遣するかどうか、決めればいい。僕はそっちの考えだ。それによって、日米関係がおかしくなる理由にはならない。米国だって半数は民主党だよ。中露独仏も出してないじゃないですか。

 それにしても、何のための臨時国会だったのか。補正予算も重要法案もない。この問題と政治改革を議論する国会ではなかったのか。小泉さんはいいかげんな答弁をするのではなく、この見直しの機会をとらえて、率直に政府の考えを説明し、改めてその是非について国会の同意を得る努力をしなかったのか。国民の代表である国会の裏打ちをもらうことが大事だと思う。

 危地に投じられる自衛隊員の身になってみなさい。国民の同意を受けているのと、それがはっきりしないのと、どう違うのか。犠牲者が出た時に、小泉さんは何と釈明するのかね。辞めてすむ話ではないよ。この国会の会期を延長してでも国会の議論を煮詰めるべきだった、と思うね。【聞き手・倉重篤郎】

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 ■人物略歴

 元副総理1914年生まれ。警察庁長官、官房副長官(事務)を経て、自治相(大平内閣)、官房長官(中曽根内閣)、副総理兼法相(宮沢内閣)などを歴任した。96年に政界を引退。

毎日新聞 2004年12月7日 東京朝刊

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