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昭和研究会関係について 尾崎秀実獄中手記 
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 1 月 25 日 11:50:55:ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 近衛文麿 日本の自殺情報総合サイト 投稿者 愚民党 日時 2005 年 1 月 25 日 11:33:59)

(1)昭和研究会関係について

尾崎秀実獄中手記

http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/syowalv.htm

 昭和研究会は昭和十一年頃後藤隆之助が個人的に創設したものでありますが同会には創立当時より蝋山政道が関係し同氏と友人関係にある朝日新聞論説委員、佐々弘雄も関係を持って居りました。当時支那問題の重要性は愈々加わり昭和研究会内にも支那問題の研究部会を創設し之に支那問題の権威者を参加せしむることとなり、佐々と友人関係にあった私は同氏の紹介に依り昭和十二年四月頃同会に参加しました。私が参加した当時の支那問題研究部会の責任者は風見章氏でありました。同氏とは既に一度会ったこともあり此の部会に参加することになって極めて親しくなりました。間もなく同年六月近衛内閣の成立と同時に風見氏は内閣書記官長に就任し同研究部会の責任者の地位を去ったので其の後は私が代わって責任者となり約一年間は其の儘継続して月一回会合を開いて居りましたが、其の後同部会は東亜政治部会と改称され次で民族部会となり昭和十五年九月の解散迄及んで来ました。

 最初の支那部会の顔触れは、風見章、田中香苗、中村常三、尾崎秀実、其の他四、五名。東亜政治部会になってからは、責任者尾崎秀実、岡崎三郎、平貞蔵、小林策次郎、和田耕作、大西齊、土井章、樋口弘、事務局員堀江邑一、大山岩雄、溝口岩夫。民族部会になってからは、責任者尾崎秀実、岡崎三郎、橘樸、和田耕作、平貞蔵、原口某、平館利夫、山本二三丸。事務局員川合徹等でありました。

 又昭和研究会には外交部会があり其の責任者は初めは矢部貞治、最後は外務省の湯川盛夫となりましたが会の顔触れは、矢部貞治、湯川盛夫、永井元駐独大使、伊藤述史、内田壽雄、佐々弘雄、益田豊彦、牛場信彦、牛場友彦等で私も昭和十五年から委員となって居りました。

 尚昭和研究会には全部で十二の部会があり私は二部会に関係して居たのですが各部の連絡を円滑にする為昭和十五年八月頃各部会の連絡部会が設けられ私も民族部会の責任者として毎月一回開かれる此の会合に出席して居りました。

 

(2)内閣関係について

 此の関係に付いては内閣嘱託関係の外、牛場、岸両秘書官を中心とする朝飯会、竝に近衛文麿公、風見章、犬養健、西園寺公一等との個人的関係を併せて申し上げます。

一、先ず内閣嘱託関係に付き申し上げます。私は昭和十三年七月より昭和十四年一月第一次近衛内閣の総辞職迄の間内閣嘱託をして居りました。

 昭和十三年六月頃官邸に牛場、岸両秘書官を訪ねて行った時北京に計画中の外務省の経済調査機関入りを勧められている話をしたところ両名を通じて此の事が風見書記官長の耳に入ったらしく、間もなく官邸に呼ばれて同書記官長より、今は支那問題が万事中心であるから内閣に入って手伝って呉れと云われ私は之を承諾して内閣の嘱託になったのであります。辞令は「調査事務ヲ嘱託ス」とあったと思いますが仕事の内容は風見書記官長の補助者とでも云うべきもので最初から之と云って決まった仕事はなく其の時々求められる儘支那事変処理に関する自分の意見を具申して来ました。其の主なるものは

(イ)支那事変処理に関する意見。

(ロ)支那事変処理の一方式としての対英工作の可能性に付いての意見。

(ハ)支那事変遂行の経過に付いての観測意見。

(ニ)汪兆銘工作に付いての意見。

(ホ)国民再組織の一私案。

等であります

内閣嘱託時代は毎日首相官邸に出勤し秘書官室下の地階の一室で仕事をする外秘書官室や、書記官長室には常に自由に出入し書記官長、秘書官等から内閣に来ている文書中仕事の上で必要とするものを見せられ或は私の方から申し出て必要なものを見せて貰うこともあり又此等の人達と話をする機会も多かった訳でありまして私はこれ等に依って現実の政治が如何に動きつつあるかを確実に知ることが出来ました。左様な訳で内閣嘱託たる地位にあった関係から此の重大な転換期に於ける国の政治の重要な動向を知り得たと同時に其の時々の政治情報等も容易に察知し得たのであります。

 此等の情報は勿論ゾルゲに報告すると共に政治動向に関する私の意見も述べて居るのであります。

(3)所謂「朝飯会」について

 第一次近衛内閣の首相秘書官となった牛場友彦は昭和九年頃近衛公が渡米した時蝋山政道等と共に随行した関係で近衛公と親しくなり第一次近衛内閣の成立に際して首相秘書官に起用されたものであり岸道三と牛場秘書官と高等学校時代の親友であったところから当時広東に居ったのを呼戻され首相秘書官に据えられたのであります。私は牛場とは高等学校、大学を通じての同級生で昭和十一年加州ヨセミテに於て開催された太平洋問題調査会第六回大会には同会の書記であった牛場の橋渡しに依り私も選ばれて日本代表の一人として出席しました。近衛内閣成立後間もない頃牛場、岸両君は新聞記者、評論家、学者等で政治経済に明るい者を物色し此等の人達より意見や情報を得る為に時々蝋山政道、平貞蔵、佐々弘雄、笠信太郎、渡邊佐平、西園寺公一、私等を夕食に招待し懇談を交わして居りました。其の席には風見書記官長も出席したこともありました。

 蝋山政道は以前より近衛公のブレーンの一人として知られて居り、平貞蔵は満鉄大連本社で岸と同僚の間柄に在って親しい仲であり、佐々及び笠は朝日新聞社に於ける私の同僚であった上に佐々は、蝋山、平とは旧友の間柄にあり、又渡邊は岸と高等学校以来の友人関係にあり尚西園寺は牛場とオックスフォード大学以来の友人で私とは特に親しい関係にありました。此の顔触れは牛場、岸及び私が其の周囲から選び出した人達で何れも実際政治に深い関心を持っている者であります。

 私が内閣嘱託になった頃私、岸、牛場で相談した結果比較的時間の融通のつく朝八時頃に右の人達に集って貰い政治についての希望や意見を開陳し両秘書官を通じて近衛内閣を扶けて行くことになり、毎月二回位宛招集して朝食を共にしながら政治外交、経済を初め色々な時事問題に付き相互に意見の交換を行って来ました。昭和十四年初頃からは毎月水曜日の朝集会合することになり爾来検挙の一ヶ月半前に及びましたが其の頃からは時局が重大化した関係もあり以後暫く中止の状態となって居たのであります。

 此の朝飯会は、第一次近衛内閣時代は牛場秘書邸で数回。第一次近衛内閣総辞職後の三ヶ月は万平ホテルで二、三回、昭和十四年四月頃以降昭和十五年十一月頃迄は駿河台西園寺公爵邸で数十回、其の後は、首相官邸日本間で十数回開いて居ります。

 尚昭和十五年初頃からは牛場、蝋山、西園寺、私と親交のあった同盟編集局長松本重治も参加し又犬養健も前後を通じ十回位、松方三郎は二回位出席して居ります。

 

 朝飯会は相当長期間に亘る会合ではあり、其のメンバーには近衛公の側近者である岸、牛場、西園寺、松本等が居り又牛場、西園寺、松本、犬養等の如く外交に関連を持ったものがあったので此等の人達から日本の政治外交等に関する価値の多い情報を入手し得たのでありまして此の会合は私の諜報活動の上に相当の成果を挙げさせて来たものと謂うことが出来ます。

 次に、第二次近衛内閣の成立直後の昭和十五年八月から書記官長官邸で朝飯会を開く様になりました。顔触れは、富田書記官長を中心に幹事役帆足計、和田耕作、犬養健、笠信太郎、松本重治、尾崎秀実、内閣嘱託岸本某、中村某、興亜院嘱託神田孝一で不定期に帆足計の通知に依り会合して居りました。会合の目的とするところは、富田書記官長が大陸問題、政治経済問題等に明るい人達と懇談して色々な情況を聴取しようと云うに在ったと思います。此の会合は同年十月位で自然解消になりました。

(4)西園寺公一との関係について 

 西園寺公一はオックス・フォード大学の卒業で昭和九年頃外務省の嘱託をした事があり昭和十一年太平洋問題調査会の事務局員となるに及んで外務省を辞め同調査会の第六回大会に出席、帰朝後「グラフィック」「世界会報」等を発行して居りました。近衛公との間は先代との関係で親しく昭和十三年夏始った汪兆銘工作には最初から犬養、松本等と共に関係し熱心に此の工作に尽力し其の結果近衛公とは政治的に一層緊密となりました。又西園寺は前外務大臣松岡洋右とは父の旧藩の関係もあり松岡氏が昭和十五年七月外務大臣に就任後は選ばれて外務省の嘱託となりました。私は昭和十一年七月、太平洋問題調査会第六回大会に出席の途次乗船大洋丸で船室を同じくした関係で知り合い加州ヨセミテ滞在二週間及帰途を同人と起居を共にした為め親しくなり、私の朝日新聞社時代には殆ど毎日の様に訪問を受け私も公爵邸に出入りし、同人も縷々私の家を訪問すると云う次第で、又、昭和十一年西園寺が雑誌「グラフィック」を発行する様になってからは私も之を協力し屡々寄稿して居りました。左様な次第で西園寺は私に対して非常な信頼を掛け親友として取り扱い、秘密に属することでも私に対しては何等警戒をせず打明ける様でしたから同人の政治的地位が高まるにつれ私は同人から重要な情報を入手し得た次第であります。

(5)犬養健との関係について

 犬養は故犬養毅の長男で現在衆議院議員の地位に在り南京新国民政府の顧問を致して居ります。同人と私の関係は昭和四年六月南京に於て挙行された孫文祭典に父毅と共に参列した際当時私も上海に居たので知合い其の後は会う機会もありませんでしたが、西園寺と犬養が親友の間柄にあった関係で支那事変勃発の少し前頃から私と西園寺の関係が深くなるに連れ私と犬養との交渉も頻繁となり始め殊に、犬養は父親同様支那問題に異常な関心を持って居り支那事変以後は支那問題の専門家である私に対して種々意見を求め相談すると云う風で私と同人との関係は極めて親しくなって行きました。汪兆銘工作が始ってからは犬養は頭初より之に関係し爾来支那問題に終始して来たのであります。私は昭和十三年十二月犬養と共に風見書記官長の後援に依り山王下「山王ビル」内に支那研究室を設けましたが昭和十五年初からは風見氏に代って犬養が後援者となり同人より毎月二百円宛維持費の支給を受けて来ました。犬養は昭和十五年初頃からは殆ど南京、上海に居り時々上京して来ますが其の時は私は屡々同人と会い私の方から国内情勢を犬養からは大陸の情勢殊に南京政府の問題、南京、上海の情勢等を主にして話し、意見の交換を行って居ります。犬養は私を信頼するに足る友人として取り扱い殊に支那問題に関しては私を良い相談相手として種々意見を求めて居たのであります。

昭和研究会常任委員

大蔵公望 唐沢俊樹 賀屋興宣 後藤文夫 後藤隆之助 佐々弘雄 田島道治

高橋亀吉 東畑精一 那須皓 野崎龍七 松井晴生 三木清 山崎靖純 蝋山政道

昭和研究会委員

青木一男 有田八郎 石黒忠篤 今井田清徳 大河内正敏 風見章 河上弘一

小日山直登 膳桂之助 瀧正雄 谷口吉彦 津島寿一 津田信吾 暉峻義策

古野伊之助 三浦鉄太郎 村田省蔵 湯沢三千男 吉田茂 吉野信治

世界政策研究会委員

有田八郎 青木一男 大蔵公望 唐沢俊樹 賀屋興宣 後藤文夫 後藤隆之助

佐々弘雄 膳桂之助 田島道治 高橋亀吉 東畑精一 那須晧 野崎龍七 松井春生

三木清 三浦鉄太郎 山崎靖純 吉田 茂 蝋山政道

(事務局関係)

堀江邑一 岩崎英恭 大山岩雄 大浦威 酒井三郎 菅沼秀助 溝口勇夫 水野成

山崎和勝

東亜政治研究会委員

岡崎三郎 大西斉 尾崎秀実 後藤隆之助 小林幾次郎 佐々弘雄 田中香苗

平貞蔵 土井章 中村常三 波多野幹一 樋口弘 谷川興平 蝋山政道 笠信太郎

和田耕作*

(事務局関係)

堀江邑一 大山岩雄 酒井三郎 溝口勇夫 水野成

東亜経済ブロック研究会委員

猪谷善一 妹川武嗣 加田哲二 景山誠一 金原賢之助 高橋亀吉 千葉秦一

友岡久雄 松井春生 三浦鉄太郎 山崎靖純 湯川盛夫 吉田寛 笠信太郎

和田耕作

(事務局関係)

堀江邑一 岩崎英恭 山崎和勝

文化問題研究会委員

後藤隆之助 三枝博音 佐々弘雄 清水幾太郎 菅井準一 杉本栄一 中島賢蔵

中山伊知郎 林達夫 船山信一 三木清 矢部貞治 笠信太郎

(事務局)

堀江邑一 大山岩雄 酒井三郎 菅沼秀助

政治動向研究会委員

伊藤述史 市川清敏 稲葉秀三* 勝間田清一* 桐原葆見 後藤文夫 後藤隆之助

佐々弘雄 平貞蔵 暉峻義策 橋本清之助 林広吉 平井羊三 古野伊之助 山崎靖純

三輪寿壮 三木清 吉田茂 蝋山政道 笠信太郎

(事務局関係)

堀江邑一 大山岩雄 酒井三郎 菅沼秀助 溝口勇夫

経済情勢研究会委員

青山二郎 稲葉秀三 内山徳治 奥山貞二郎* 勝間田清一 木村禧八郎 鹿喰清一 田村勘次 田部井俊夫 平井羊三 帆足計 正木千冬* 笠信太郎 和田耕作

(事務局関係)

堀江邑一 岩崎英恭 大浦威 山崎和勝

労働問題研究会委員

稲葉秀三 大河内一男 大沢三郎 風早八十二 桐原葆見 田村勘次 鶴島瑞夫

中島仁之助 平井羊三 穂積七郎 美濃口時次郎

(事務局関係)

堀江邑一 岩崎英恭 大浦威

農業問題研究会委員

石橋幸雄 碓氷茂 遠藤三郎 勝間田清一 川島一之助 近藤康男 島田日出夫

鈴木徳一 田村勘次 千葉蓉山 辻誠 角田藤三郎 東畑精一 野尻重雄 三輪寿壮

橋本清之助

(事務局関係)

堀江邑一 山崎和勝

教育問題研究会委員

岩松五良 石井通則 井上秀子 大塚惟精 大島正徳 香坂昌康 木村正義

城戸幡太郎 後藤隆之助 児玉九十 後藤文夫 鈴木徳一 佐藤寛次 鈴木達治

西村房太郎 周郷博 田沢義鋪 三井透 細谷俊夫 宮崎清 宗像誠也

(事務局関係)

堀江邑一 酒井三郎 菅沼秀助

外交問題研究会委員

有田八郎 青木一男 芦田均 伊藤述史 伊藤正徳 石田礼助 大蔵公望 後藤文夫

後藤隆之助 佐々弘雄 佐多忠隆* 佐藤安之助 西園寺公一 高橋亀吉 高木八尺

平貞蔵 永井松三 那須皓 林久治郎 波多尚 古垣鉄郎 松井春生 益田豊彦

山川端夫

* の人物は企画院事件で検挙された革新(共産主義)官僚である。


http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/syowalv.htm

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東亜連盟戦史研究所
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/newsyberbook2.htm

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