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Re: イラク邦人殺害:小泉首相の声明と発言 (毎日新聞)
http://www.asyura2.com/0411/war61/msg/1647.html
投稿者 NJ 日時 2004 年 11 月 01 日 04:19:11:QZEFwNzGXHdaQ
 

(回答先: イラク邦人殺害:小泉首相の声明と発言 (毎日新聞) 投稿者 彗星 日時 2004 年 10 月 31 日 20:08:52)

この人殺し、人殺し。人殺しのくせに何を言う。
この無残を前に、こんなことが言えるのか?
はっきりしたことは、我々の頂く政府に、人の命を尊重する意思など、これっぱかしも無いということだ。
小泉の顔と、首の無い遺体が重なる。
ここでこのようなことを言うのは場違いなのかもしれないけれど、でもこの気持ちの悪さをどうすればいい?自分が手を下したのではないけれど、手を貸したように、無残が頭から離れない。
声の無い死者は、何を思ってる?

http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/8710602.html
反戦翻訳団−Antiwar Translation Brigade−
主として反戦運動にかかわる海外記事の翻訳紹介。
2004年10月31日
【離脱】David Goodman , MotherJones.com(2004/10/11)
原文:Breaking Ranks
翻訳:203号系統

訳者より:真実を知ろうとして現場に向かった日本人が一人、自国の指導者たち・指導政党に切り捨てられて死んだ。彼らは、「テロリスト」を非難する声明を出して全ての責任を「死者本人」と「テロリスト」に負わせることで、事を済ませようと図っている。確かに、死人に口なし。日本の指導者たち・指導政党が隠し続けたがっている真実を、彼の口が語ることはもはや無い。それでは、日本の指導者・指導政党が隠し続けたい真実を、生きて帰って来た者たちに語らせよう。

*******

イラク戦争に異議の声を挙げる米兵が続々と増えている――そしてその内の何名かは、戦うことも拒絶している。

写真:pennsylvania州に在る家に帰ってからMike Hoffman君は、Iraq Veterans Against the War ( IVAW )を創設した。「この戦争で非難されなければならないのは、御前が戦っている相手じゃないってことが判って貰えた。」)


MIKE HOFFMAN君は、彼が抵抗運動を牽引している様など彼の仲間たちには到底思いもつかないような若者だろう。鉄鋼労働者の息子でありPennsylvania州Allentownに在る高校の守衛をしていた彼は、1999年に「何でもぶっ飛ばす」砲兵として海兵隊に入隊した。活動家への転身は、Baghdadの路上から辛い道のりを経て辿り着いたものだ。

彼が2003年2月にクウェートに到着した時、部隊の最高位に居る者が任務のことをあっさりとこう言った。「お前たちはイラクに民主主義の安寧をもたらす為に居るのでは無い。」軍曹は言った「お前たちの存在理由はただ一つ:石油だ。しかし、だからといってお前たちは止めることは出来ない、誓約書に署名したんだからな。そしてもう一つ、仲間を無事に家に連れて帰ることが目的だ。」自分のなかで戦争について疑念を抱いていたHoffman君は気が楽になった――上官からこんなあからさまな講評を聞くとは思ってもいなかった。しかしながら、何ヶ月にも渡ってイラクに居る間中に、軍曹のこの言葉の意味全てが自分の内に浸透し始めていたのである。

「戦争の理由付けは誤っている。」と彼は言う。「奴等は嘘をついている。大量破壊兵器など何も無かった。Al Qaedaなんてあそこには居なかった。そしてはっきりしていることは、武力を以て人々に民主主義を強要することなんて出来なかった、と云うことだ。」

2003年8月、家に帰り着いて満期除隊を迎えた時に自分が次に何をなすべきか、判っていたとHoffman君は言う。「イラクに従軍して戦争とはいったい何なのかを目の当たりにしてから、俺は気が付いたんだ。俺たちの仲間を手助けする唯一の方法は、全てのイラク占領軍を撤退させるよう要求することだって。彼は、Iraq Veterans Against the Warと云う集団を共同で立ち上げた。イラクでの戦争に堂々と反対する兵士たちの小さいながらも成長し続ける運動の中で、最も注目される人物の一人として直ぐに頭角を現してきたのである

軍隊内でのイラク戦に対する異議申し立ては、特に目新しいことでは無い。侵攻前ですら、国防総省の選んだ文民行政官の楽観的な予測に対して、軍高官たちが疑問をぶつけていたし、複数の退役将軍たちは戦争を強く批判していた。しかし、砂漠を第一陣が席捲してからほぼ2年たった今、軍隊組織内部に居る兵士たちやその家族たちの挙げる声が日増しに増大しているのだ。7月に8人で立ち上げたHoffman君たちの集団は、9月迄に40人に成長していた。また、二年前に二世帯で始めた別の組織、Military Families Speak Out ( MFSO ) では、今では1,700世帯以上が意思表示するまでになっている。さらに兵士たちを弁護している団体が報告するところでは、戦争に動揺し戦斗拒否を考えている軍人個人からの電話が増加しており、複数の兵士たちはイラクに行かずにカナダに逃亡してしまった。

2003年にギャラップ社(訳注1)が調査したところでは、調査対象となった兵士たちの五分の一は、そこで戦争をしようとする価値が無いとイラク現況に対する感覚を持っている。昨年8月にPennsylvania州で行われた別の調査では、軍人を抱える家族の54%が戦争は「間違っている」と述べていた。が、全対象でそう感じているのは48%であった。今に至るまで、戦争に対する疑念によって軍隊内の士気が低下している。――そして、それがイラクに於ける軍隊での昨年の自殺率が40%も増加していることの要素であるかもしれない、と複数の専門家たちは指摘する。「戦場に於いて、兵士が必要としている最も基本的な道具( tool )とは――そこに居なければならない理由です。」とPaul Rieckhoff氏は言う。彼はイラクに従軍したNew York州兵の小隊長でありまたJPモルガンの元行員である。彼は、Operation Truthと云う団体を立ち上げた。ここでは、兵士たちが戦争に関しての考えを釈迦力にならず交わすことができる場が、提供されている。「若しその理由を簡潔に表現できないようなら、士気への影響が出始めます。動き回る標的のように状況が変るものである戦争にしても、最初には理論的な根拠があります。(しかし)これは初めからインチキであって、人々に長くとばっちりを喰らわせるだけでしかありません。」

だぶだぶのズボン( baggy pants )を穿き赤いヤギ髭を生やして髪を泡で撫で付けたMike Hoffman君の風貌は、25歳の戦場体験者と云うよりは大学が引けて休息中の若者といったところだ。しかし、くつろいだ風体とは違って彼の語り口調は弾丸のようだ。自分の考えをどんどん吐き出したいと云う欲求にとり付かれたように、早口に話し続ける。数多くある講演約束の一つが終わってからVermontの珈琲店で話をした時、彼は活動の動機をこう認めた。「生き残った者として、すまない気持ちがあるから、今こうして多くのことをやっているんだ。辛いことだよ。俺は家に居て、ピンピンしてるよ。五体満足で帰ってきたんだからな。でも、そうでない連中が大勢居るんだ。」

彼がイラクから帰国して1年以上経ったと云うのに、Hoffman君は今でも鬱状態に陥ったり・取り乱して攻撃的になったり・悪夢にうなされたりし続けている。「自分が何をやったのか、判っていない。」と彼は言う。砲撃では、失敗や標的誤認が無いのが普通だ。「家に帰って来て、6人の子供たちが砲撃を受けて死んだ話を読んだんだ。それは俺が居た辺りの話だった。俺の部隊がやったのかイギリス軍の部隊がやったのか、俺には判らない。でも、俺がその場に居た時に起こったこと全部に、責任を負っているように感じる。」

Hoffman君は家に帰って先ず、友人たちや家族に向けて自分の体験を聞かせようとした。と彼は言う。それは、多くの人が聞きたがるような話では、無かった。「帰国して一番辛かったことの一つが、みんなが俺の体をポンポンと叩きながら『良くやった』と言ってくれることだった。」と振り返る。「みんな、この戦争が善いものであってそれ故に枕を高くして眠れるのだ、と思い込みたがっているんだ。でも、俺のような若い奴等は、これが善い戦争なんかじゃないことを、知っている。そんな善い戦争なんてもの、どこにも無いよ。」

昨秋Hoffman君は、創設19年になる反戦団体Veterans For Peace に出会い、幾つもの暖かい魂たちを遂に見出したのである。年長の退役軍人たちは、彼に集会で発言するよう激励した。地道ながらも彼は、打ちひしがれたイラク帰還兵たちに連絡を取り始めた。7月には、Bostonで開催されたVeterans For Peace年次総会に於いて、Hoffman君はIraq Veterans Against the Warの立ち上げを宣言したのである。ベトナム戦争・朝鮮戦争そして第二次世界大戦から帰還した白髪頭の兵士たちは、会場が爆発しそうなくらいの喝采を贈った。Hoffman君は崩れた笑顔。「俺たちのことを、反戦運動のロック・スターだって、言ってくれたよ。」

今では、Hoffman君の海兵隊時代の戦友たちが何人もIraq Veterans Against the Warに加わり、他の兵士たちからの電話や電子郵便( e-mail )もひっきりなしにやって来る。余り遠い昔の話ではないけど、と彼は教えてくれた。イラクから帰国する或る兵士が彼に言ったそうだ。「自分の信じた道を突き進め、自分に想像できるよりももっと多くの助けが得られるから。」

IVAWの仲間たちは、New Yorkでの共和党全国大会を出迎える抗議デモの先頭に立った。そして、この週に仲間の数がまた大きく膨れ上がったのである。しかし、抗議行動の最も感動的な瞬間は、デモの後にやって来た。過去と現在の戦争帰還兵たちがCentral ParkのなかのSummit Rockに退いた時である。Vietnam Veterans of Americaの創設者の一人であるJoe Bandert氏が、団体(訳注:IVAWのこと)への挨拶として「私たちがベトナムから帰国して最も辛かったことは何か、それは過去の戦争帰還兵たちが私たちの側には居なかったことです。」と語った。「彼らは、戦争に対して私たちがぶつける疑問や私たちの反対に対して、助力をしてくれなかった。そして、私は是非とも言わせて貰いたい。」彼はじっと若い帰還兵たちを見つめながら、続けて「私たちは、貴方たちのために、ここに居ます。貴方たちの後方は、私たちに任せなさい。」

2003年12月、Brandon Hughey君には頼るべきイラク帰還兵の団体は存在しなかった。Texas州に在るフォート・フッドの兵舎に、一人で怯えて座っている18歳の二等兵は、彼の選択肢を考えていた。彼が所属する陸軍の部隊に留まることもできたが、Hughey君が無意味で不道徳であると確信している戦争に参加するために、部隊は間も無くイラクへ向けて出発する予定であった。それとも、彼には自分自身の葛藤を終わらせることも出来た――自分の人生を掛けることで。


(写真:Brandon Hughey陸軍二等兵は、カナダに難民申請をしている6人の米兵の内の一人である。)

Hughey君は、必死になってインターネットで調べた。彼は、Indianapolis在住の平和活動家でベトナム帰還兵でもあるCarl Rising-Moore氏に電子郵便を送った。Rising-Moore氏は、(訳注:Hughey君に)若しこの戦争に対して反対する意思が強固なものであればカナダへの逃亡を手助けしようと、申し出をした。

次の日、Hughey君の部屋の扉を叩く者がいた。彼の動員日は繰り上げられており、所属部隊は24時間以内に出動することになっていた。彼は身の回りの物を軍用ズック袋に詰め込んで彼の車に飛び乗り、北へと向かった。彼とRising-Moore氏がナイアガラ滝の国境に掛かるレインボーブリッジに到着した時、Hughey君はオドオドとして憂鬱であった。「一旦国境を越えたら二度と戻っては来られないことが、判っていましたから。」彼は振り返る。「それが辛かった。」

フォート・フッドを飛び出して1ヶ月後、童顔19歳の彼は、未だ軍人らしい寸頭( buzz cut )のままであった。彼を匿っているOntario州St.Catharines在住クェーカー教徒一家の台所机に座りながら、Hughey君はTexas州San Angeloで父親に育てられた生い立ちを聞かせて呉れた。高校ではトランペットを吹き、車の改造が大好きな少年であった。だが、父親がコンピューター・プログラマーとしての職を失った時、父親は息子の大学進学資金に手を付けねばならないはめに陥った。そして17歳でHugheyは陸軍に入隊、5,000ドルの特別手当に署名して契約は成立した。

物静かで気取りが無いhughey君が、会話がイラクのことになると緊張感を増した表情に変る。「若し私の家や家族が危険な状態になるようなことがあれば、私は防御の行為として戦う積りです。」と彼は言う。「ですが、イラクは大量破壊兵器を持っておりませんでした。彼らは軍隊すら殆ど持っていなかったし、Kofi Annanも(イラク攻撃は)国連憲章に違反していると、ちゃんと言っていました。」彼は同僚の兵士たちに熱く訴える「他の者がするからといって、一緒になって犯罪行為に手を染めることは許されない。」

現在まで、イラクで戦うことよりカナダに逃亡することを選んだとして知られている米兵は、6人だけである。

しかし2003年に於いて、陸軍は2,774名以上の兵士たちを逃亡者(軍人は、行方をくらまして1ヶ月以上届出をして来ない場合、逃亡したとして分類される。)としている。そして、実際の人数はもっと多いと、多くの識者たちは確信しているのだ。行方不明の兵隊を積極的に捜索していないことを、陸軍でも認めている。反戦団体の全国的な連携によって相談助言を行っているThe GI Rights Hotlineの報告では、軍隊から抜け出す方法を求める兵士たちからの電話が今では月に3,000から4,000件にもなっている、とのことである。中には、自分が戦争に直面する事態など全く考えてもいなかった、と云う電話の主も居る。と、Center on Conscience & Warの指導者( director )であるJ.E.McNeil氏が言っている。しかし、他は、イラクに従軍していた間に目の当たりにしたものの故に戦争反対に転向した者たちであり、彼らは二度とあそこには送られたくないと思っている。「戦争が本当などのようなものなのかを学んで来た人たちなんです。」と彼女は言う。「多くの人たちは単純なんです――暫らくの間は、軍は戦争自身を治安維持活動( peace mission )として描いていましたから。」

徴兵に直面した若者たちが「あらゆる戦争に反対」という判りやすい主張を為しえたベトナム戦争時と違って、志願制の軍隊に入隊している者たちは、良心的兵役拒否者としての資格を取りにくい。陸軍では、昨年61名が良心的兵役拒否者としての地位を申請し、そしてその内31名が承認されている。「軍は、人々は気持ちを変え得る、と云うことをしっかり理解しております。」とMartha Rudd広報担当官は強調する。「しかし、特定の戦争に対して道徳あるいは宗教的な理由で反対であることによって、良心的兵役拒否の除隊を申請することは出来ません。」

Jimmy Massey二等軍曹は、戦争反対の意思表示をしてきた兵士たちのなかで、最も似つかわしくない人物と言えよう。1992年以来の海兵隊員であり、採用担当官・歩兵訓練教官そして戦斗小隊長を務めてきた。彼は第一陣としてイラクに向かった。「9/11に怒り狂っていたんでね。」彼は言った。「頭にボロ布を巻いた奴( raghead、アラブ人に対する蔑称。Towelheadとも。)を殺す気満々だった。」


(写真:Jimmy Massey氏はイラクに従軍した筋金入りの海兵隊員( gung-ho Marine )であった。しかし、民間人たちを殺したことの衝撃で帰国した。)

Massey氏がイラクに到着して間も無く、彼の部隊は道路封鎖の石塊を配置するよう命令を受けた。車を止めるために、海兵隊員たちは手をかざした。若し運転手がそのまま走り続けようものなら、Massey氏は言う、「我々は奴等を正にライトアップしてやっただろう。後にイラク人と話すまで判っていなかったんだが、手を空中にかざすと『こんにちは』って意味だそうだ。」彼の小隊員たちは、48時間の一区切りのうちに30人の民間人を殺した、と勘定している。

振り返って彼は言った、ある日「赤い起亜スペクトラが見えた。我々は、止まれ、と命令したが停まらなかった。車には4人が乗っていた。我々はその内3名に致命傷を負わせた。体を引っ張り出し始めたんだが、こいつらは直ぐに死んでしまった。運転していた男は、高速道路にへたり込んだまま興奮して絶叫していた。彼は俺を見据えて言った『何故、兄弟を殺したのか?彼はテロリストじゃないぞ。御前に何もしてなかったじゃないか』」

彼は車を捜索した。「完全に空っぽだった。何にも無い。そうしている内に、運転手は叫びながら走り出した。『何故?何故?』俺が疑問を感じ始めたのはこの時だった。」

疑念は悪夢・憂鬱を呼び、彼は司令官と話をすることにした。「ここで我々が行っていることは、誤りであると思います。我々は民族浄化に加担しています。」Massey氏は上官に話した。後に彼は外傷後ストレス障害(posttraumatic stress disorder;PTSD)と診断されて、健康上の理由により除隊処分となった。

North Carolina州Waynesvilleに在る自宅に戻って、Massey氏は家具販売の営業の職に就いた、ところが反戦集会で発言を行ったところ職を失ってしまった。週に2・3度、彼は海兵隊の軍服に身を包みAshevilleの街の辺りを長く歩く。こう書かれた板を持って:「私たちの政府のために、私は無実の民間人たちを殺しました。」今では地元の警察が彼を見張っている、と彼は言う。何故なら人々が車で彼を轢こうとするからである。

戦争前の貴方と同じようなことを考えている人に対して、貴方は何と言いますか。と尋ねられた時、Massey氏は彼らしくなく黙り込んだ。「彼らをどうやって目覚めさせますか?」沈黙の末に彼は答えた。「ゆっくりとした進み具合になるだろう。出来ることは、見て来た恐ろしい事々を人々に伝え、そして彼らが自分自身の心に気が付くように働きかけて行くだけだ。これは水に放り込まれた小石のようなものだ。小石を放り投げると、わっかが出来て、池全体に拡がるだろ。」

Jeffry House氏は彼の過去を思い起こしている。1970年にカナダに逃亡したアメリカ人徴兵忌避者(彼はその年の徴兵くじ引きで16番だった。)である彼は今では、カナダ政府に対してアメリカ人脱走兵に難民としての地位を認めさせるため、斗っているのだ。

「幾つかの道を辿って、また私の所に戻ってきました。」痩せて薄汚れた格好をした57歳の弁護士は、こう語る。「私が21歳の時に考えていた課題が今再びよみがえって来た。即ち国家が不正に関与している時・国家が貴方に嘘をついている時、国家に対して自分自身の義務をどう果たすのか、と云う課題が。」活動を休止していた連携が復活してきた。ベトナム時代の徴兵忌避者たちと脱走者たちが、新たなアメリカ人逃亡者の法的防衛を支援するために、何も言わずにカンパを寄せて来ているのだ。

House弁護士の戦略は大胆なものである。即ち彼は、ニュルンベルク原則に照らしてイラク戦争そのものの合法性を問うているのだ。これらの原則は、ナチスの犯罪に対応して第二次世界大戦後に国際連合の委員会によって採択された。それは、不法な命令に対しては軍人といえども命令を拒絶する義務を負わせている。さらに、侵略戦争は国際法違反であると言明している。イラクでの戦争を支援していないカナダの法廷なら、脱走者たちの主張を受け入れ難民地位認定を認めるかもしれない、とHouse氏は期待している、今秋にカナダ移民・難民委員会が彼の訴訟を審問するのは今秋からである。

8月のある日の午後、新しい依頼人に会いにTorontoの往来を通って急ぐ彼に、同行させて貰った。その人物は、路上生活者の避難所( homeless shelter )に住んでいる若いアメリカ人で、合州国海軍から逃げ出した身であることを明かすまで10ヶ月もそこに居たのである。彼は古ぼけた茶色い煉瓦作りの建物に入って行く、やがて半ズボンにTシャツ姿の痩せて神経質そうな若者が通路に現れ、Dave Sandersと名乗った。すぐ近くのPizza Hutで夕食を食べながら、彼の物語を聞かせて貰った。

Arizona州Bullhead Cityに住んでいたSanders君は、11年生の時に学校を中退した、2001年のことである。彼は大学入学資格検定試験 ( General Educational Development ; GED )に合格し、電脳の勉強をすることを望んでいた。ところが、彼は学資を出して貰えなかったのである。「私が軍隊に入った理由はただ一つ。大学に行くためです。」と、彼は言っている。それは2002年の後半のことであった。戦斗に突っ込まないといけなくなるかも知れないと云うことを、考えていたのかどうか聞いてみた。「新兵教育訓練を終える頃までには、戦争は片付いているだろう。と、言われました。」と彼は言う。


(写真:イラク戦が「ひどい不正な戦争」だと感じて、Dave Sanders君(20歳)は海軍の所属部隊を去った。)

彼は、2003年3月に新兵教育訓練を終えた。正に合州国がイラク空襲を開始する2日前の時である。彼は暗号要員としての訓練を開始した。空いた時間にはインターネットを渡り歩き、BBCやAl Jazeeraの報道を読んでいた。彼の中に、イラク戦に対する政府の動機に関する疑念が増していった。「話のつじつまが、どうも合わないんだ。」振り返って言う。「Bushはテロリストとイラクを結びつけたがっていたけれど、何の証拠も無かった。イラク=悪というような構図を僕等に植え付けておいて僕等を派遣してそして企業のために金を作ろうとしている、と考え始めるようになった。」彼は、若し派遣されることになったら、暗号要員としての自分の任務はどのようなものになるのかを考えた。急襲や逮捕を指示する情報を扱うことになるだろう。「そんな、無実の人々を監獄にぶち込む片棒担ぎは嫌だった。」と、言う。「僕等がやっていることは間違っている、と感じていた。」

2003年10月、彼の部隊もイラクに向かうことをSanders君は知った。どうすべきか、幾週間も彼は悩んだ。そして彼はグレイハウンド(訳注:長距離バス)の片道切符を買いTorontoに向かったのである。権力が合州国に彼を送還することを恐れながら、臨時職( odd jobs )を選んで自分の窮地の話はしなかった。そして遂に、彼はJeremmy Hinzman氏の記事を目にしたのである。彼もまたカナダに逃亡しJeffry House氏に弁護を依頼していたのだ。私がSanders君と話ができた時には、House氏は難民地位認定に向けての訴訟を助けているところであった。

私たちが話をしている間中、Sanders君は足を叩きそして長い指をくねらせ続けていた。「イライラしている様に見えていたら、ごめんなさい。」遂にポロっと彼が言った。「今まで、メディアの人と話をしたことが本当に無くて。僕は内気な人間なんです。」自分への命令に対して反抗したこと自体に、自分で驚いているのでは?との問いに、彼は頷いた。「全ての体制に対して立ち上がることが出来るなんて、まったく思ってもみなかった。」

Sanders君は脚光から身を遠ざけているが、他の逃亡者たちは世界中の新聞見出しに登場してきた、そして戦争支持者たちからの批判も起こっている。Fox NewsのBill O’Reillyは、彼らの行為を「アメリカを、取り分けテロリストとの戦いで命を落としたアメリカ人兵士たちを侮辱するものだ。」と言う。

しかしながらSanders君は、実際のところ自分を逃亡者とは思っていない、と言っている。「不法な命令を拒絶することで僕が間違ったことをした、とは思っていないです。」と言う。「何て言ったか判らないんだけど――ニュルンベルクだっけ?――それに従って軍隊を出たんだから。」自分を平和主義者だと思うか?との問いを投げかけた時、言葉の意味が判らないから説明して呉れ、と私に頼んできた。そして彼は、かぶりを振って答えた。「若し攻撃を受けた時には、自分を護る権利があると思う。でも今の状況は、僕等は何の攻撃も受けていないよね。そこの所が、僕がこの戦争はとても不法だと考えている理由だ。」

John Bruhns軍曹は、無許可離隊( absent without leave ; AWOL )を実行した兵士たちを、厳しく批判する。「若し戦争に反対なら、自分の信じることのために踏みとどまって斗うような人間でなければならない。と、思う。」と彼は言う。しかし、戦争に対する自分の考えを隠しておこうとは、彼はしない。「私は、軍人であることに誇りを持っています。」Kansas州のフォート・ライリーに駐屯する陸軍第一機甲師団所属としての立場から、彼は私にそう話す。「しかし、2人の戦友が脚を失ったり・19歳の女性兵士( girl )が死んだり・3人の若者が失明したりするのを見てきてから、私はすっかり落胆してしまい、また自分も負傷しました。そして、私がイラクに行った理由など何処にもなかったことを悟りました。そして、1年もあそこに居ることによって、或る意見を持つだけの権利を得た、と信じています。」

Bruhns氏は、1年のイラク従軍を経て2月に帰還した。彼は翌3月で軍務が満期を迎えるところだが、所属部隊は恐らく「期限付け足しされる( “stop-lossed”)」だろう――国防総省のやけっぱちな兵力要求を満たすために、自分たちの除隊期限が先延ばしになるのだ。批評家たちは、このやり方を裏門徴兵( backdoor draft )と呼んでいる。詰まり、みんな嫌がっている戦争で、志願制軍隊に無理やり強制的な軍役服務の割り当てを行う方法なのである。或るCalifornia州兵は、この政策に対する異議申し立ての訴訟を起こしており、Bruhns軍曹も訴訟に加わることを考えてきた。

「私は、全く愛国的な兵士です。」と、27歳の歩兵は私に言った。彼は私に話す時には敬称( sir )をつけ、そして彼の携帯電話で応答するのに、きっちり区切りを入れて大声で話して呉れた。彼は、海兵隊予備役を5年間務めた後、2002年初頭に現役兵として軍務に就く契約に署名をした。「私は9/11で起こったことに、本当に大きく心を揺さぶられました。」振り返って、彼は言う。「そして、心から軍務に尽くしたい、と望んだものです。世界貿易中心では、仲間を一人失いました。アフガニスタンで我々が行ったことは正しかった、と信じています。」

しかし彼がイラクで見たものが彼に残したのは失望だった。Bruhns軍曹は語り続けた「我々は常に戦い続けていました。銃を持っている時しかが安心できませんでした。報道で聞く多くのネタ――詰まり我々がサダム一派の残党やバース党の遺物と戦っていると云うもの――は、真実ではありませんでした。家を急襲して人々を逮捕した時、彼らの多くは貧乏な人たちでした。彼らはバース党の人間ではなかった。イラクの人々が我々を攻撃するのは、彼らの圧倒的多数が感じていること――詰まり、自分たちが占領され続けていることへの抵抗としてなのです。」

Bruhns軍曹は、彼の戦友たちの間では殆どの者が戦争を今も支持している、と付け加えた。しかし、彼は強調する「今は時代が違う。私たちにはインターネット・ネットでの公開討論会やケーブルニュースがある。兵士たちは、これ以上目隠しをしたまま戦斗に向かってはならない。彼らは、もっと多くの情報を持っているのだから。」

イラクに関する兵士たちの会話の中では、ベトナムが目立って良く話題に上る。私が話を聞いてきたイラク帰還兵の殆どは、家族に軍歴を持つ者が居てまたみんな私に同じ話をする。即ち、彼らがイラク戦争を冷ややかに見だした時、ベトナム従軍経験をもつ家族はすぐさま何が起こっているのかを理解していた、――下々の不平不満には全く気を配らない連中が決定した政策を実行するため彼らが送り込まれている、と云う認識を世代の違う兵士たちはしっかり判っていた、と言うのだ。

軍隊内部での抵抗( resistance )は「今は、まだ小さいものだ」とHoffman君(彼の従兄弟・叔父そして祖父もみんな若い頃には軍隊に居た。)は、言う。「だんだん大きくなりつつある。でも、まだ少し時間は掛かるだろう。」

「ベトナムに居た兵士たちの間で起こった思想には、発展があった。それは、共産主義を受け容れよう、と云う活動で始まった。でも、その活動はバラバラになった――丁度いま何処にも大量破壊兵器が無いのと同じように。そして生存本能だけが残された。残念なことに、それは人種差別に転換してしまった。今もまた、同じことが起きているんだ。若い奴らが俺宛の手紙に書いてくる。「どうして此処に居るのか判らないが、イラク人たちが憎たらしい。」って。

「今では、非難すべき対象の人たちは戦っている相手では無い、と云うことが判って貰えると思う。」と、Hoffman君は続ける。「非難されるべきは、先ず第一に自分をこんな状況に導いた連中だ。騙されていなければ、こんな状況に自分を置かないだろうことは判っているんだから。兵隊たちは、ゆっくりと結論に近づいているよ。一旦拡がり始めたら、戦争の恨みは今までに無いほど巨大なものになるだろうね。」

*******

訳注1:ご参考。【ギャラップ社の共和党寄り調査手法に批判続出】暗いニュースリンク(2004/10/04)

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