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(回答先: Re: だから? 南京大虐殺なかったっていうの? まさか? 投稿者 木田貴常 日時 2004 年 10 月 13 日 19:46:28)
<以下、引用>
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog079.html
■5.南京虐殺に言及していない蒋介石、毛沢東、国連決議■
面白いのは、南京事件の翌年、中華民国総統・蒋介石が発表した
声明の中の「日本人の残虐行為」という一章だ。ここで特筆されて
いるのは、広東での空襲で何千人もの市民が殺されたという事件で
ある。もし、当時の首都南京で数万人を超す大虐殺があったなら、
それに言及しないはずはない。[1,P345]
さらに傑作なのは、毛沢東が事件翌年に行った「持久戦につい
て」という講演である。ここで毛沢東は、南京の日本軍は支那兵を
殲滅しなかったため、後に反撃の機会を与えたのは、戦略上のまず
さであったと指摘している。[1,P339]
国際連盟の諮問委員会は、南京陥落の半年後に、支那代表の声明
に基づき、「日本軍の侵攻によって脅かされている支那の独立と領
土保全」に奮闘する支那に対して同情の意を表する、という決議を
行った。ここにも、南京虐殺はまったく触れられていない。もし南
京で国際法違反の大虐殺が行われていたら、支那代表はすかさず、
それを利用したはずである。[1,341]
東中野教授は、当時の代表的な公的記録(三等史料)を15種類
も調べて、そのいずれも、南京虐殺に触れていない事を確認する。
ベイツの虐殺説が復活するのは、事件の3年後に刊行されたエド
ガー・スノーの「アジアの戦争」である。ここでスノーはベイツ説
を「その大部分は女子供」と改竄した。さらに5年後、43年に刊
行されたアグネス・スメドレーの「支那の歌声」では、ベイツ説を
5倍にして20万人殺戮と拡大宣伝した。このあたりから、虐殺説
の一人歩きが始まる。これらはすべて、四、五等史料でしかないの
である。[1,p368]