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アラファト議長死去 主治医が確認 [産経新聞]
http://www.asyura2.com/0411/war62/msg/983.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 11 月 11 日 13:47:37:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: アラファト議長死去 独立国家の悲願かなわず(共同通信) 投稿者 エンセン 日時 2004 年 11 月 11 日 13:37:45)


 悲願の独立国家樹立を目指し、イスラエルによる占領からの解放とパレスチナ独立の闘争を長年にわたり指導したパレスチナ自治政府議長のヤセル・アラファト氏(パレスチナ解放機構=PLO=議長)が11日、パリ郊外の病院で死去した。75歳だった。

 アラファト氏の主治医が確認した。死亡時刻は11日午前3時半(日本時間同11時半)。

 「民族の象徴」だったアラファト議長の死でパレスチナ情勢や中東和平の行方が混迷するのは確実。議長はイスラエルとの歴史的な和平に踏み切ったが、東エルサレムを首都にヨルダン川西岸とガザ地区を領土とするパレスチナ国家を樹立する夢はかなわなかった。

 2001年12月以降は、イスラエルのシャロン首相によって西岸ラマラの議長府に軟禁状態に置かれた。今年10月29日、健康状態が悪化しパリ郊外に移送され入院。11月4日、容体が急変し昏睡(こんすい)状態が続いていた。

 後継者は未定だが、PLOナンバー2のアッバス前首相が議長代行として政治一般を担当、クレイ首相が治安を受け持ち、集団指導の後継体制確立に努めている。

 カイロ大在学中からパレスチナ解放運動に参加し、1950年代後半、後にPLO主流派となるファタハを創設。イスラエル建国で故郷を追われ、67年の第三次中東戦争で西岸やガザをイスラエルに占領されたパレスチナ人の苦難を世界に訴えた。

 93年9月、敵対関係にあったイスラエルのラビン首相と暫定自治宣言(オスロ合意)に署名。94年、先行自治区となったガザに二十数年ぶりに帰還、ラビン首相らと同年のノーベル平和賞を受賞。96年の自治政府議長選挙で圧勝した。

 しかし2000年夏、パレスチナ紛争解決を目指したクリントン米大統領を仲介者とするバラク・イスラエル首相との交渉が決裂。当時野党党首だったシャロン首相のイスラム教聖地訪問強行をきっかけに本格的な武力衝突が再燃した。

 01年に発足した右派シャロン政権はオスロ合意崩壊を目指し「自爆テロ根絶」を掲げ自治区への軍事侵攻を繰り返し、米国のブッシュ政権とともに同氏の政治力をそぐ「アラファト外し」を進めていた。(共同)

(11/11 13:35)


http://www.sankei.co.jp/news/041111/kok060.htm

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