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昨年の今ごろ,イラク人の死者が10万人で,米兵の死者が1200人以上なんて想像しがたかった。【Falluja, Apr】
http://www.asyura2.com/0411/war63/msg/1218.html
投稿者 木田貴常 日時 2004 年 11 月 30 日 23:25:24:RlhpPT16qKgB2
 

Falluja, April 2004 - the book
昨年の今ごろは……(ジャマイル)
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-2929e7e07f43c653e9ad9a0e2985782f.html

バグダードにいるダール・ジャマイルのウェブログから,28日の記事。初めてイラクを訪れた1年前を思い出しながら,アブ・タラットの運転する車でバグダードを周り,保健省や医療機関,難民キャンプでの取材をしています。

本編に入る前に事務的なお知らせ。ダール・ジャマイルのサイトhttp://dahrjamailiraq.com/がしばらく閲覧できなくなっていました。11月30日夕方も閲覧できなかったのですが,同日午後7時半頃には閲覧できるようになりました。今後もエラーなどで閲覧不可になることもあるかもしれませんが,その場合はZnetのIraq Watchhttp://www.zmag.org/CrisesCurEvts/Iraq/IraqCrisis.cfmで新記事が読めるんじゃないかと思います。

では,本編です。

昨年の今ごろは……
This time last year ...
November 28, 2004
http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/dispatches/000139.php
またはhttp://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=15&ItemID=6747


散髪しなければならない。床屋に行くためには一定時間は街路に出なければならない。私はアブ・タラットに,床屋に行くのは安全だと思うかと訊いてみた。

彼はにっこりと笑って言う。「そうだね,ダール。可能ではあるだろうね。けど,絶対にここは床屋なんだと言い切れることが必要条件だね。斬首(head cut)じゃなくて散髪(hair cut)をしてもらうわけだからね!」

アブ・タラットにとって自分のジョークは娯楽になっている……一方,私も彼のジョークをおもしろがるようになってきている。ブラック・ジョークとして。

アブ・タラットは車を2台所有していて,仕事のためには古い方のを使う。この車はひどいポンコツで汚れているけれども,目立たないのだ。この車は,しばらく前に,3000ドルで売らないかと言ってきた人がいた例の車だ。爆弾にするにはちょうど都合がいいから,と。

というわけで,今やこの車は「爆弾カー」と呼ばれている。アブ・タラットは私に「さてさて,爆弾カーでお出かけしますかね。私がセッティングしたインタビューが待ってますよ」と言う。

昨年の今ごろ,私は初めてイラクにやってきた。この頃のことを,1年経った後に,比較的平穏な時だったと回想することになろうとは,当時は思ってもいなかった。今や1日に1件の自動車爆弾が通常,1日に5つの都市で激戦が発生するのが通常,拉致の脅威は極めて現実的なものであり,インフラは1年前よりも劣悪な状態だ。

昨年は,ジャーナリストは取材に出るのに車に相乗りしていくことができた。タクシーも使えたし,警備のないホテルに滞在することもできた。拉致されることなど心配していなかったし,自動車爆弾はまれだった。ラマディやファルージャまで,あるいは南部まで行くことは,危険ではあったが,できないことではなかった。現在では,バグダードの郊外部を通ることすら,私にはまずできないことだ。

今日,戦闘が頻発している悪名高きハイファ・ストリートを車で通っていたら,大きな「ドスン」(という衝撃)が車を揺らした。遠くで,また自動車爆弾だ。バグダード一帯でサイレンが鳴り響き,交通は大混乱。イラク国家警備隊を満載したピックアップ・トラックが2台,警備隊員の半分は黒いフェイスマスクを着用している。渋滞をすいすいと通っていくことで復讐されるのではないかと恐れているのだ。

警備隊は空中に向けて発砲する。まるで,車間距離ゼロで詰まっている車が道を空けられるとでもいうように。警備隊は歩道に乗り上げ,苛立ちながらさらに発砲し,前進してゆく。

救急車が甲高い音を鳴らし,イラク警察が反対側の車線を猛スピードで逆走し,みなが特に誰に対してというわけでもなくクラクションを鳴らす。これが今日のバグダードだ。

11階の保健省で,メフディ博士は司令室を任されている。博士の後ろには,イラクの州や県と大病院の表が書いてあるホワイトボードがある。インタビューの間中,博士の電話はひっきりなしに鳴り,博士はすみませんがと言っては話を中断し,立ち上がっては各地の病院から入ってくる死傷者数を書き改める。アル=アンバール州(ファルージャはこの州にある)の数値は,死者3が4に修正される。負傷者は6だ。また電話が入ってきて,ディヤラ県の数値が,死者3から4に,負傷者4から6に修正される。

インタビューを終えたところでまた電話が入った。これが典型的な一日なんですよと博士は言い,立ち上がって,自分の国の人たちの死傷者数を書いたホワイトボードを修正する。

通りに戻り,私たちが渋滞を進んでいく中,サイレンがひっきりなしに鳴っている。ファルージャの人たちのための難民キャンプのひとつで,そこが閉鎖されたと聞かされる――カイス・アル=ナザールという名の人が,バグダードに集合住宅を所有していて,アミリヤー(Amiriyah)キャンプに避難してきた100家族の面倒は私が見るからということで100家族を自分の所有物件に住まわせ,衣食の手配もしたのが理由だった。占領されたイラクの悲劇の只中にある,美しい行為。

避難民たちに届けられている援助物資のほとんどは,NGOからというより,イラク人から寄せられたものだ。保健省からのものなどではまったくない。保健省では,避難民危機の担当者であるシェハブ・アハメド・ジャシム氏が,避難民が必要とするものはすべて供給したと言っていた。ファルージャの総合病院に20台の救急車を送ってあるのだ,と。

ジャシム氏が口にしなかったのは,ほとんどのファルージャ住民は総合病院へ行くことはできないでいる,ということだ。戦闘は続いているし,ほとんどの住民は兵士や国家警備隊に拘束されることを恐れていて医療を受けに行くことができずにいるのだ。例の救急車はバグダードに戻ってきた。

「(03年8月の)ナジャフでの戦闘のときには,こんなんじゃなかったですよ」と,後に私が話を聞いたある医師は言った。「交渉する代表団もいましたし,可動式の手術室もありました。十分な支援が許可されていましたしね。けれどもファルージャについては,彼ら(=政府)は何もやっていないに等しい。どうしてなのでしょうか?」

ファルージャの状況について私がこれまで話を聞いた医師たちはみな,同様の感情を抱いている。なぜなのかについては諸説入り乱れている。

さらに渋滞の中を進み,別の難民キャンプに到着した。このキャンプの責任者であるシャイフのアブ・アハメドは,今日の正午に,兵士を満載した数台のハンヴィーとイラク国家警備隊のトラック6台が,このキャンプを強制捜査した(raided)と語る。

彼らはアブ・アハメドに,負傷した戦士はいないかと尋ね,アブ・アハメドは1人もいないと答えた。彼らはすぐに,銃を持ちブーツを履いたままで近くのモスクに入り,それから1つ1つテントを回り……何も発見しなかった。

「70歳の女性がオサマ・ビンラディンでしょうか」とシャイフ(アブ・アハメド)は問いかける。「子供たちがビンラディン一派のテロリストだと? 彼らは私たちのキャンプを脅かし(terrorized),私たちの伝統を破り,家族たちをみな恐がらせた。何のために? 私たちは家のない難民ですよ。」

そして彼はこう言葉を続けた。「今の6歳の子どもは,アメリカ人を憎悪しながら成長するでしょう。70歳の女性は『アメリカ人に神罰を(God-damn the Americans!)』と言っていますよ。」

また,避難民たちからファルージャで目撃したことを聞いた。27歳のアジズ・アブドゥラは「実に多くの一般市民が殺されるのを見ました。通りで負傷者たちを戦車が轢くのも見ました」と語った。

40歳のアブ・モハメドは,軍がクラスター爆弾を使うのを見たと語った。12歳の男の子は,「アメリカ人が僕たちの町を粉砕し,数千という人々を殺し,僕たちのモスクや病院を破壊した。そして今度は僕たちのキャンプに来る。どうしてです?」と言う。

「通りでは戦車が負傷者を轢いていましたよ」と,45歳のアブ・アジズは自分のテントの側で語る。「彼らは本当にたくさんの負傷者たちを撃ちました。モスクに避難していた人たちをね。墓地でさえも爆撃されました。」

昨年の今ごろは,難民キャンプなどひとつもなかった。昨年の今ごろは,私は何度かファルージャの有名なレストランでケバブを食べていた。あのレストランは,今回の包囲が始まる前の段階で爆撃された。

この晩,難民に話を聞いた後で,私はまた1人別の医師に話を聞いた。近くの米軍基地で迫撃弾が爆発していた。「アメリカ人が来たときには,大きな希望を抱いていましたが」と彼はお茶を飲みながら言った。「今では現実にショックを受けています。アメリカ人は自分たちの利益/関心のためにここに来たのだということがわかりました。石油だの,彼らの言う国家の安全(national security)だののためだと。」

彼は一呼吸ついて,離れた場所でまた迫撃弾が爆発するのに耳を傾け,そして言った。「彼らがイラクに来た理由は,私たちの多くが受け入れています。しかし,彼らの占領で私たちにとっては何も進展がない。私たちが彼らと協力しようとしたときにも何もなかった。事実,すべてがますます悪くなってしまった。だからこそ,こんなにも多くの人々が,今彼らに対して戦っているんですよ。」

昨年の今ごろ,イラク人の死者が10万人で,米兵の死者が1200人以上なんてことは,想像しがたかった。


投稿者:いけだ

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