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イラク・レジスタンス・レポート(日本語版) 2004/11/30 [イラク情勢ニュース] 統制を乱して米軍退却
http://www.asyura2.com/0411/war63/msg/1355.html
投稿者 white 日時 2004 年 12 月 02 日 23:12:20:QYBiAyr6jr5Ac
 

□イラク・レジスタンス・レポート(日本語版) 2004/11/30 [イラク情勢ニュース] 統制を乱して米軍退却 

 http://www.freeml.com/message/organizer-news@freeml.com/0000713;jsessionid=w94sgxt181

URUKNEWS イラク情勢ニュース        (転送・紹介歓迎)
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2004年 12月 2日 木曜日   

[飛耳長目録]
 ☆イラク・レジスタンス・レポート  11月30日付
       (27日〜29日付は抜粋して後ほどに・・予定・・・)
   ・30日の激戦、統制を乱して米軍退却
   ・イラク赤新月社は一部がファルージャにとどまる
   ・ファルージャの東部で新たな病院開設
 ☆米軍の死者数は最多記録に並ぶ
          AP通信 12月1日 英字報道から部分訳
 ☆ファルージャ攻撃での米軍死者数には71人に
        ロイター通信 12月1日 英字報道から部分訳

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☆★イラク・レジスタンス・レポート 11月30日
IraqiResistanceReportfor
eventsofTuesday,30November2004
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http://www.albasrah.net/moqawama/english/1204/iraqiresistancereport_301104.htm


★2004年11月30日 Tuesday,30November2004

●アミリヤ地区(ファルージャ)での30日の戦闘
Tuesday’sfightingin‘Amiriyatal-Fallujah

 水曜(12月1日)0時50分に届いた速報によると、米軍はファルー
ジャのアミリヤ地区に対する「懲罰」作戦部隊をそこから撤退させよ
うとしたが、レジスタンス勢力は米軍の後方ラインを攪乱(かくらん)
する作戦を展開していた−−イスラム・メモがファルージャから伝え
てきた。

 米軍の作戦は市内からの米軍部隊の撤退を援護する狙いだった
が、それはレジスタンス勢の待ち伏せ攻撃にあった。その多くはアミ
リヤ地区からのもので、ファルージャからハバニヤの米軍基地に向
かう路上で米軍を標的にした。

 アミリヤ地区では30日、戦闘の様相が変わった。

 戦闘は29日夕刻から30日の夜明け前まで何時間も途切れること
なく続いた。その後には、30日午前7時頃、再び戦闘が始まり、午
前10時15分まで継続した。その後、小さな衝突が勃発する午後3
時までは、平穏に包まれた。

 米軍はそのときアミリヤ地区の一部から撤退を始めたが、30日午
後5時に転進してきて、ひじょうに激しい戦闘が勃発した。レジスタン
ス勢は60ミリ、82ミリ、120ミリの迫撃砲と68ミリのC5Kロケット弾
とあわせ、タリクおよびグラッド・ロケットを発射した。

 アミリヤにいるイスラム・メモ通信員は、その地域で6台の軍用車
両が燃え上がるのを目撃したが、それがアメリカ軍のものかイギリス
軍のものかは確認するできなかった。

 30日午後10時15分、米軍は再びアミリヤ地区からハバニヤ基
地の方角へ退却を開始した。しかし通信員は、米軍は幾つかの舗装
道路および未舗装の道路から退却するさい、それぞれの車両が互
いに進路を横切るなど、米軍の撤退は統制がとれていなかったと記
した。

 米軍はまたアミリヤにあるラーマン・モスクを襲撃し、クルアーン(イ
スラム教の教典、コーラン)を破っては、礼拝者を攻撃した。操り人
形の「国家警備隊」は、居住地区にある民間のアパートを襲撃し、ド
アを破って銃口を突きつけ、金銭と女性の金・宝石を盗んでから立ち
去った。


●11月30日、ファルージャ 
Tuesdayinal-Fallujah

 市の南部では、29日夜に断続的な衝突が勃発したが、30日夜明
け頃に、市の北端で戦闘が始まり激しくなった。

 市南部にいたイスラム・メモ通信員は、断続する戦闘が市南部の
シュハダ地区と南西部ジュバイル地区で29日夜に発生したと伝えて
きた。これは夜明けとともに終息した。

 市北部では、それほど激しくない衝突が発生したが、その後、30
日午前7時からの30分ほどは激化した。レジスタンス戦士はC5K、
SPG9、RPG7などのロケット弾と機関銃を発射し、米侵略軍に口径
82ミリおよび120ミリの迫撃砲33発を連射した。

 30日午後3時20分(現地時間)に届いた速報によると、通信員は
戦闘がまだ続いていると伝え、レジスタンス勢力とアメリカ軍との距
離が近すぎて、米軍機は戦闘に参加するすることができなかったと
報告した。

 その一方で、ファルージャの西方にあるアズラキヤ村のイスラム・
メモ通信員は、サカニ地区とジョラン地区のあいだの500メートルの
一帯には米軍部隊がいないと伝えてきた。ファルージャ市内のイスラ
ム・メモ通信員は、ワフダ地区、ジュムフリヤ地区、旧市街、ムナン
ディシン地区、ドゥバト地区では米軍とレジスタンスとの直接の衝突
が発生していないことに気づき、この事実はレジスタンスがこの地域
で米軍を消耗させ分断させるヒット・アンド・ラン攻撃を採用すること
を決めたことによるもので、それがこの地域に米軍兵士を駐留でき
なくさせたと述べた。

 ファルージャから部隊を退却させる米軍の作戦は、29日夜に中断
されたが、それはおそらく戦闘がアミリヤ地区で続いていたために、
米軍は市内に部隊を残す必要があると考えたのだろうと報告した。
米軍はそのために部隊をハバニヤに退却させるより市内にとどめる
ことにし、再びアミリヤ地区の戦闘地域に部隊を戻さなくてはならなく
なったようだ。
 ・・・

●赤新月社の一部は市内にとどまる
SomeunitsoftheRedCrescent
 米軍の包囲攻撃の結果ひどく苦しんできた住民を助けるための救
援食料を供給しようと、赤新月社の数グループが市の北部と南部に
とどまっている。


●ファルージャの東部で新しく病院開設
Newhospitalopensineasternal-Fallujah

 ファルージャ東部で、新しい病院=タリブ・アル・マナビ病院が30
日に業務を開始した。4人の医者がこの施設で働くようになったが、
5人目の医者はこの地域に入ることを阻まれている。

 タリブ・アル・ジャナビ病院は、ファルージャ攻撃において米軍がフ
ァルージャ総合病院を破壊して以降では、最初に開設された病院で
ある。

 一方、イラク赤新月社はシュルタ地区のタラット・アル・イサウィ部
族長の家に緊急援助を提供し続けており、ハドラ地区ではアル・ジャ
ミイン・モスク・センターに援助を物資を届けている。


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☆★米軍の死者数は最多記録に並ぶ
  U.S.DeathTollinIraqTiesRecord
  AP通信 12月1日 ROBERTBURNS (AP記者)
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http://www.fortwayne.com/mld/newssentinel/10306663.htm

 11月30日時点までの死傷者に関する発表によると、ファルージャ
における激戦と他のイラク各地での反乱者(レジスタンスと読む:訳
者註)の反撃によって、11月の米軍死亡者数はイラク戦争開始後で
最多の月と同じになった。

 少なくとも135人の米軍兵士が11月に死亡した。それは去る4月
の数字と同じである。4月には、いわゆるスンニ・トライアングルにあ
るファルージャほかの地域で反乱が燃え広がり、米軍とイラクの同
盟国は広大な地の支配を失った。

 11月8日、米軍はファルージャを奪い返す大攻勢を開始し、その
後、他の都市でも激しい戦闘に突入した。それ以後、50人以上の米
軍兵士がファルージャで死亡し、ペンタゴン=米国防総省は一週間
以上にわたってファルージャ戦での死傷者数を発表しなかった。

 安定をとり戻そうとしているアメリカとイラク政府の見地からは、6
月28日にイラク暫定政府が主権委譲されて以後の死傷者の傾向
は、悩ましいかぎりである。各月ごとの死亡者数は、63人だった10
月を唯一の例外として、それぞれ前月を上回った。

 月ごとの合計は、6月に42人だったものが、7月には54人、8月
には65人、そして9月には80人となった。

 戦争が始まってから記録されているペンタゴンの公式発表による
死亡者数は、11月30日に1254人となった。その合計には、29日
にアンバル州で死亡した海兵隊員、同じく29日夜の路上爆弾で負っ
たケガがもとで死亡した第1歩兵師団の兵士は含まれていない。

 公式発表されている死亡者数は、11月1日に1121人だった。
 ・・・ (以下、略)


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☆★ファルージャ攻撃での米軍死者数には71人に
  U.S.DeathTollinFallujaOffensiveReaches71 
  ロイター 12月1日 ByWillDunham
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http://www.reuters.com/newsArticle.jhtml;jsessionid=Z0L2UUOEHMKPOCRBAELCFFA?type=domesticNews&storyID=6971702

 ワシントン発:
 ファルージャの支配を反乱者(レジスタンスと読む:訳者註)から取
り返すために米海兵隊によって指揮された攻撃で、71人の米軍兵
士が殺された。米軍は12月1日、前回の報告より20人増えたと報
告した。

 バグダッドの西方30マイルにある人口30万人のスンニ・モスレム
の都市ファルージャは、2003年3月におけるアメリカのイラク侵攻
以降で、もっとも激しい戦闘地域となった。

 11月のイラクにおける米軍死亡者の半分以上がファルージャ攻撃
によってもたらされた。1日に発表されたペンタゴンの数字によると、
11月のイラクでは134人の米軍兵士が死亡した。これまで最悪で
あった今年4月をしのぐものである。

 バグダッド駐在の米軍広報官ボイラン中佐は、11月8日に始まっ
た攻勢で、ファルージャでは71人の米軍兵士が死亡したと述べた。
前回、11月18日に海兵隊のジョン・サットラー中将が示した公式の
数字は51人だった。
 ・・・ (略)
 サットラーは11月18日、記者団に対して、今回の攻撃は「反乱者
の背骨を折る」ものであり、反逆者を蹴散らし、彼らの全国的な作戦
を崩壊させていると発表した。米中央軍のナンバー2であるランス・
スミス空軍中将は、翌日になって、そのような予測をするのは「性急
すぎる」と述べていた。


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※ URUKNEWS イラク情勢ニュース(ホームページ) 
    http://www.geocities.jp/urknews/  
※ イラク・レジスタンス・レポート
    http://www.geocities.jp/urknews/Iraqi_resistance.html
※ イラク戦争の真実
    http://www.geocities.jp/uruknews/
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