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アフガニスタン 大統領選挙の結果と今後の情勢 [かけはし2004.12.6号]
http://www.asyura2.com/0411/war63/msg/1412.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 12 月 03 日 18:17:02:Mo7ApAlflbQ6s
 


民主主義をめざす民衆の意思米・カルザイ政権の軍閥依存

ファルーク・スレフリア

 十月九日に実際されたアフガニスタンの大統領選挙で、傀儡政権のカルザイ大統領が当選した。この選挙に示されたアフガンの現状と今後の展望について、「Zネット」のウェブに掲載されたファルーク・スレフリア氏の分析を紹介する。筆者はパキスタンのジャーナリストで、二〇〇一年からはスウェーデンに在住している。『社会主義との対話』等の著作(ウルドゥー語)がある。


予想を超えた高投票率

 ハミド・カルザイは選挙に勝利した。これは何も驚くことではない。しかし、高い投票率(六九%)は、確かに驚きだった。それは喜ばしいことである。開票率九七%の段階でカルザイは五五%の得票を獲得しており、当選を確実にしている。フランスと同様に、過半数の得票を獲得する候補がいない場合は、上位二人で決選投票が行なわれることになっていた。しかし、予想されていた通り、一四人の対立候補の誰一人としてカルザイの当選を脅かすことはなかった。主要な対立候補で、次点となった北部同盟のリーダーでタジク人のユヌス・カヌニは一六%を確保するのがやっとで、ハザラ人の軍閥指導者のハジ・ムハマド・マハキクは一一%、ウズベク人の軍閥指導者で悪名高いアブドゥル・ラシド・ドスタムは一〇%だった。大統領選挙の唯一の女性候補で、メディアの注目を集めたマスーダ・バノは一%を少し超える票を獲得した。彼女のほかに、もう一人の女性候補、シャフィカ・ハビビが副大統領に立候補していた。彼女はニュースキャスターで、ドスタムが二人の副大統領候補の一人に指名していた。
 予想を超える高い投票率は何よりもタリバンにとって打撃だった。特に、女性の投票率が高かったことは、女性がタリバン支配を拒絶する意思を明確に表明したことを示唆している。投票者の四〇%が女性だったことは、男性の六〇%と比較すれば少ないように見えるが、アフガニスタンの状況を考えれば驚くほどの高率である。特に、ファリャブ、ダイクンディ、ノリスタンの各州では女性の投票数が男性を上回った。ヘラートやパクティアでも、女性の投票者が五〇%近かった。ヘラートは特に重要である。なぜなら、もう一人の軍閥指導者、イスマイル・カーンの「警察」が、女性に対して悪名高い「純潔検査」を強制しているからである。

カルザイ支持ではない


 しかし、高い投票率とカルザイの地滑り的勝利は、皮肉なことに、米国におもねるカルザイの政策をいかなる意味でも支持するものではない。カルザイはもともと、一九八二年にパキスタンの情報部(ISI)に誘われてアフガン民族解放戦線(ANLF)に参加した。ANLFはCIAとISIが「聖戦」を進めるために組織したプロジェクトである。その後、カンダハルを中心とするカルザイ部族の出身である彼はCIAのために活動してきた。
 カルザイはタリバンにすら支援を差し伸べた。タリバンがカブールを支配したとき、彼らに武器を提供したのである。米国はロヤジルガ(国民大会議)の決定に反して彼を暫定大統領に任命した。米国によって選ばれたことと、CIAのエージェントであることから彼は非常に不人気だった。なぜなら、アフガンでは、他のイスラム世界と同様に、CIAは憎悪されているからである。
 アフガンの人々は米軍ができる限り速やかに撤退することを望んでいる。しかし、カルザイに投票することによってアフガンの人々はあらゆる軍閥を拒否したのである。カルザイは「より小さな悪」とみなされた。彼は少なくとも私兵集団を率いていないし、他の候補のように残虐行為や略奪に関わっていない。
 また、多くの人々は平和を望んでカルザイに投票した。ISAF(国際治安支援部隊)と米国の存在によって、また、アフガン国民軍(ANA)とアフガン警察の確立によって、少なくともカブールといくつかの大都市においては法と秩序が改善された。カブール・カンダハル間の高速道路も、カルザイ政権の継続が、久しく待ち望んできた復興につながるかもしれないという幻想をもたらした。

軍閥は拒絶された

 この投票は、何よりも軍閥を拒絶する投票だった。有力な対立候補(すべて悪名高い軍閥指導者だった)も多くの票を集めたが、彼らの票は自分たちの領地に限られていた。銃と金と民族意識がすべて、軍閥指導者たちの得票確保に貢献した。たとえば、ハザラ人のハジ・ムハマド・マハキクは、ハザラ民族主義だけでなく、シーア派宗派主義も利用した。ハザラ人の間ではシーア派の影響が圧倒的に強い。彼ら・彼女らはパシュトゥーン人を主力とするタリバンの支配下で、そのワッハーブ派の教義に苦しめられた。だからマハキクのような軍閥指導者が一一%近い票を獲得できたのである。
 実際、アフガンの政治においては民族意識が常に決定的な役割を果たしてきた。共産主義者であるPDPA(人民民主党)ですら、この分裂を克服できなかった。アフガンの民族構成は次のようになっている。パシュトゥーンが四四%、タジクが二五%、ハザラが一〇%、ウズベクが八%、少数民族(アイマク、トルクメン、バロクなど)が一三%。
 アフガン選挙管理委員会が発表した多色刷りの地図は、選挙結果が民族ごとの投票パターンを反映していることをグラフィカルに示している。マザリシャリフの西の三つの州は青、すなわちドスタムが制し、マザリシャリフの東は緑、すなわちユヌス・カヌニが制した。同様に、アフガニスタン中部の三つの州(ハザラ人が住んでいる)では、圧倒的多数がハジ・ムハマド・マハキクに投票した。他の地域は茶色、すなわちカルザイが制した。このパターンはパキスタンやイランの避難民の間でも明らかであり、カルザイへの支持はそれぞれ八〇%と四四%だった。パキスタンに移住した人々の大部分はパシュトゥーン人である。

左翼の選挙への立場

 積極的な投票行動とカルザイの地滑り的勝利は、アフガンの人々の軍閥に対するフラストレーションを表しているだけでなく、オルタナティブの不在をも示している。
 二十五年間にわたる内戦はアフガンの人々と市民社会を困窮させ、無力化した。部族社会の構造、政党、労働組合、学生自治会、要するに市民社会のすべての要素がこの四半世紀の間に完全に引き裂かれてしまった。たとえば、百以上の民族主義的、非宗教的政治グループから成るマジマエミリ・アフガニスタン(アフガニスタン民族評議会)は、北部同盟の勝利を阻止するために、カルザイへの批判にもかかわらずカルザイを支持した。
 一方、アフガンの左翼も、独自の候補を立てる力量はなかった。左翼の諸グループは共同の候補を立てるための統一戦線を形成することもできなかった。旧来のPDPAや毛沢東主義者のALO(アフガン解放機構)、SAMA(アフガニスタン人民解放機構)はすべて再建途中にある。武器と資金がないことも、今日の軍事化されたアフガンの政治の中での左翼の活動を困難にしている。それぞれの左翼グループが特定の候補を支持したが、大部分の左翼はカルザイに批判的支持を与えた。
 ALOの代表のタヒル・カーン氏は次のように述べている。
 「どの候補もわれわれにとっては望ましくなかったが、現在の状況では民衆の闘争は原理主義に対する闘争を中心にしており、大部分の人々は原理主義勢力が再び権力を握ることを恐れており、したがって他の候補よりもカルザイを選んだ。独立した民主主義的な候補がいないという状況で、最悪の候補よりも、ましな候補を選択するという観点から、ALOもカルザイを支持した」
 「しかし、この支持は、われわれがカルザイの米国への従属を見過ごすことを意味しておらず、カルザイに対する闘争と彼の役割の暴露は依然として重要な問題である。また、この支持は、独自の思想と目的を持つ組織としてのわれわれの独立性を犠牲にするものではない。これはアフガニスタンの現在の情勢の中での戦術にすぎない」。
 アフガニスタン民族評議会に参加しているアフガン社会党のリーダーであるアリフ・アフガニー氏は、「左翼がカルザイを支持しなければならなかったのは歴史的悲劇である」と述べている。

アメリカ大使の暗躍

 舞台裏では、米国の駐アフガニスタン大使のザルメイ・ハリザドが、選挙期間中、最も忙しく立ち回った人物かも知れない。
 かつては米国の石油会社ユノカルの顧問だったハリザドは、当初、カルザイの対立候補に立候補を取り消すよう説得しようとした。「ロサンゼルス・タイムズ」によると、彼はカルザイの当選への一切の障害を取り除くため、多くの候補者や立候補予定者に会って、立候補しないように説得した。そのため、九月には北部同盟の軍閥指導者たちが集まって、ハリザドの圧力にどのように対処するかを相談した。
 ハリザドは始めに道路の建設や政府の役職を提示することによって友好的な説得をはかり、それが奏功しない場合はより強硬な手段に訴えた。ムハマド・マハキクは「彼は私に選挙から降りるよう言ったが、圧力をかけるような言い方ではなかった。それは要請のようなものだった」と述べている。しかし、マハキクが州知事と閣僚ポストを要求し、その要求が受け入れなかったために立候補に固執したとき、ハリザドはその場を去り、「私のもっとも忠実な部下たち、私の党と運動の中でもっとも教養のある人たちを呼んで、私に立候補を取りやめるよう説得あるいは要求するよう指示した。私だけではなく、彼らはすべての候補に対して同じことをした。だからみんなは、ハリザドだけでなく米国政府全体がそのような姿勢なのだと考えた。彼らはみな、カルザイが勝つことを望んでおり、この選挙は単なるショーでしかない」と彼は述べている。しかし、ハリザドの策動にもかかわらず、立候補を取りやめたのは二人だけだった。
 ハリザドとカルザイにとっての次の問題は、カルザイの対立候補十四人全員が選挙ボイコットを宣言したことだった。これはアフガニスタンにおける初めての大統領選挙に陰を投げかけかねない動きだった。しかし、ハリザドはなんとか十四人全員を選挙に引き戻すことができた。

「不正選挙」の意味

 彼らがボイコットを宣言した理由は不正行為だった。不正行為に対する非難は根拠がないわけではなかったが、それを非難している彼ら自身も同じことをしていた。有力な軍閥指導者はみな、自分たちの領地では票を買ったり、人々に自分に投票するよう強制したりしていた。アフガンのフェミニスト・グループ、RAWA(革命的アフガン女性協会)のリーダーの一人であるサハル・サバさんは「カヌニの支持者たちは投票所の外に立って、パキスタンからの移住者たちに金を渡して投票させていた」と言っている。また、大量の投票用紙が売られていた。
 国連の選挙管理要員は、選挙の前に、なぜ九百九十万枚以上の投票用紙が配られたかを説明するのに苦慮した。有権者数は九百八十万人と推定されていたにもかかわらずである。この数の不一致の著しい例として、パンジュシール州では推定有権者数四万九千五百七十三人に対して、配られた投票用紙の数は十二万四千枚余だった。その説明は単純である。有権者リストが捏造されていた。
 国連のスポークスパーソンのマノエル・デ・アルメイダ・エ・シルバは「われわれは重複登録が行なわれていたことを知っている」と告白している。
 カルザイは、千人ないし十万人の人々が二枚以上の投票用紙を受け取ったことを認めている。しかし、カルザイは傑出して政治的なインテリである。彼はこの重大な不正について釈明するのではなく、それを正当化して「実際問題として、アフガンの人々が二枚の投票用紙を持っていて、二度投票したいと思っても、それは大した問題ではなく、大いに歓迎されることだ」と述べた。カルザイはカブールで行なわれた米国防長官ドナルド・ラムズフェルドの同席の下での記者会見で、「これは民主主義の練習だから、彼らが二度練習するのを許しておこう」と述べた。実際、多くの有権者が民主主義の練習をした。一日に五、六回も練習したものもいる。
 アフガンの多くの人々、特に男たちは、何度も登録した。投票用紙が百ドルで売れるという噂が、貧しい人々を「あぶく銭」に殺到させた。その結果、五百六十三万人の男性が選挙登録をした。男性有権者の数は五百十二万人しかいないにもかかわらずである。つまり、少なくとも五十万人分の登録は捏造である。
 しかし、こうしたあらゆる不正にもかかわらず、それが結果に大きな影響を及ぼしていないという点では、この選挙を「公正で自由な選挙」と呼ぶことは、かなりの程度正当化できる。カルザイを含めてすべての候補が、買収によってか強制によってかは別にして、票を水増ししているので、不正がなかったとしても票の配分はそれほど変わらないだろう。不正は予想されていたことだった。しかし、予想外だったのは、選挙が平和的に行なわれたことだった。タリバンの選挙を妨害するという脅しは現実とはならなかった。 

攻撃抑制したタリバン

 (選挙を妨害しなかった理由について)タリバンのスポークスパーソンはBBCのインタビューに対して「攻撃をしかければ罪のない人々の生命が失われるから、われわれは攻撃を控えた」と述べた。RAWAのサハル・サバさんは電話でのインタビューに答えて次のように述べた。「彼らは孤立していた。銃をもてあそぶ彼らは、大衆に全く支持されていない。ヘラート州のイスマイル・カーンがその例だ。彼が知事を解任されたとき、抗議のデモに参加したのはせいぜい百人ぐらいだった。タリバンも全く支持されていない。選挙に攻撃をしかければ、彼らは一層孤立しただろう」。米軍を中心とする多国籍軍の司令官のディック・ペンダーソン大佐は、BBCの通信員にほとんど同じ内容のことを述べた。
 タリバンが攻撃を控えた理由は別のところにある。一つにはタリバンの主要な庇護者であるパキスタンが米国政府から、選挙期間中タリバンを統制するように明確な指示を受けていた。また、米国政府とタリバンの間に取引があったと考えられる。
 ブッシュの選挙キャンペーンの企画担当者たちは、ブッシュの外交政策の宣伝のためにハミド・カルザイがアフガニスタンの大統領に選出されることを必要としていた。今年初めの段階で、アフガニスタンの選挙は、法と秩序の問題、そして有権者登録の絶望的な遅れのため二度にわたって延期されており、実施不可能と思われていた。特に、タリバンが主要な障害であることが明らかになっていた。この選挙をやり抜くために、米国は誰とでも取引をする用意があった。この覚悟は、六月にワシントンを訪問したカルザイの発言に反映されていた。彼は「私は安定と平和について、また、民主主義への移行について、誰とでも話し合うつもりだ」と述べている。

聖職者が仲介に入った


 十一月の米国大統領選挙までに決着をつけるため、焦点は再びパキスタンの聖職者でJUI(イスラム聖職者協会)のリーダーであるマウラナ・ファズル・レーマンに向けられた。
 レーマンはしばしば「マウラナ・ディーゼル」と呼ばれる。これはユーモアのセンスがあるパキスタン人たちが彼に付けたあだ名である。彼はベナジール・ブットー前首相を支持した見返りに、ディーゼル・エンジンの営業権を得たのである。レーマンは多くの点で、タリバンとの仲介者として適任だった。
 タリバンの指導者の大部分は、JUIが運営するマドゥラ(宗教学校)で教育を受けている。そこでパキスタンのISI(情報部)は九六年にタリバンが権力を握った後、レーマンをカブールに派遣している。タリバンは彼を快く歓迎し、彼はカブールとパキスタンの間の強力な関係を確立する上で大きな役割を果たした。
 JUIは、パキスタンの六つの宗教政党の連合で、国会に六十議席を保有する統一行動評議会(MMA)の中心勢力である。今年五月には、国会議長がレーマンを野党の正式の党首として選任し、物議を醸した。これは形式上のポストで、ほとんど権限を伴わないのだが、彼の選任が争いの種になった。彼の選任は英国への突然の訪問(ほとんど報道されなかった)の直後に行なわれた。それに先立って、レーマンは三月にパキスタンを訪れた英国のジャック・ストロー外相と会談している。 これらの出来事の重要性は、レーマンが現地のジャーナリストに語った内容によって明らかにされた。彼は、「英国政府関係者は、米国の代理として行動している。この間接的な行動は、アメリカの大統領選挙に悪影響を及ぼすのを回避するために選択された。……英国は米国のアフガニスタンからの名誉ある撤退を追求するために、タリバンの民兵との間接的な話し合いを持っている」と述べ、彼がこのプロセスの仲介となることを示唆した。
 彼の発言は、パキスタンで波紋を呼んだ。しかし、このインタビューは他の国ではほとんど注目されなかった。あわてた英国政府関係者は、この内容を否定する談話を発表した。レーマンもそれに従った。彼はこのジャーナリストのインタビューに答えて、「私はそのような発言をしていない。それに、私は姿を隠しているタリバンと接触できる立場にない」と述べた。
 しかし、「アジア・タイムズ」のサイード・サリーム・シェフザド記者は彼の発言に固執した。
 「この問題についてのレーマンのインタビューは、最初は『デイリー・ドーン・パキスタン』で報道された。このインタビューの内容は非常に明瞭で、私の『アジア・タイムズ』の記事よりも明確だった。私の記事にも『ドーン』の記事にも、英国や米国からの明確な反論はなかったが、英国の外務省関係者がタリバンとの接触に関する質問を受けたとき、彼らはそれを否定した。明らかに彼らはこのような秘密交渉を受け入れられない。たとえ米国がオマル師のいない『よいタリバン』を求めてタリバンと接触してきたとしてもである。彼らは、このような策略を公然と認めることはできないのである」。
 レーマンはサリーム記者に次のように語った。
 「私は英国の貿易・投資相のマイク・オブライエンに会うことができた。また、米国外務省の下で活動している種々の機関に招待された。私は彼らに、タリバンに関する精神的なこだわりを取り除くよう、はっきりと述べた」。
 それに対して肯定的な反応があったかという質問に対して、彼は次のように答えた。
 「あった。状況は去年までとは違う。去年までは西側諸国は『タリバン』という名前を聞くことさえ嫌がったが、今では多くの妥協を払う用意ができている」。
 タリバンが投票日だけでなく選挙キャンペーンの期間中、完全な「停戦」を保ったこととの関係で、レーマンの矛盾した発言は示唆的である。

ムチとニンジンの戦術

 タリバンはこの取引(もしあったとすれば)から、アフガニスタンにおいては何も得ていない。しかし、タリバンをアフガニスタン固有の現象であると見るべきではない。タリバンの運動はパキスタンの原理主義、正確に言えばJUIの延長である。実際、パキスタンの北西部辺境州のMMA政権は、実質的にはJUIの政権である。レーマンが協力しなければ、ムシャラフはこの州の政府を交替させていたかも知れない。これがレーマンに対する「鞭」であり、「ニンジン」は野党の党首という地位だった。
 また、タリバンがパキスタンに持っているもう一つの庇護者はパキスタン軍である。アフガンの選挙の直前にカルザイとムシャラフが一緒に、ホワイトハウスでブッシュと会見している。この三者会談では、アフガンの選挙が中心的な議題だった。
 非常に重要なことは、パシュトゥーン人の人脈的つながりがこの「取引」の中で一定の役割を果たしたことである。カルザイもタリバンもパシュトゥーン人であり、北部同盟を共通の敵としている。

民主主義の発展の
可能性はあるのか

 選挙の実施の第一段階が完了した(次は国会選挙である)とはいえ、アフガニスタンにおける民主主義の将来には依然として大きなクエスチョンマークが付いている。ALOのタヒル・カーン氏は、米国によって押し付けられたプロセスを通じて民主主義が発展できるかという質問に対して、次のように答えた。
 「ありえない。アメリカ帝国主義は自分の目的を達成するために、いろいろなスローガンをその期間だけ掲げる。米国が、昨日までその傀儡だったタリバンやアルカイダやグルブディン・ヘクマティアルの徒党に対する北部同盟による戦争の中で何千人もの罪のないアフガンの人々を殺戮したことで、また、イラクにおける行動によって、米国民主主義のページはズタズタに引き裂かれた。しかし、人々の間でかなり強力な民主主義擁護の運動が日々生起しつつあり、その反帝国主義的、反原理主義的、反封建的側面は支持されなければならない。同時に、そのリーダーシップが米国や非宗教的反動勢力の手に握られないことを期待したい。カルザイのリーダーシップの下での米国式『民主主義』に反対する民衆の民主主義運動を強化することは革命的勢力の役割である」。

「宥和と和解」は続くか


 戦争によって引き裂かれたこの国において、すべてのことがそうであるように、民主主義の将来も、何よりも、安全の確保にかかっている。カルザイは人員不足の軍と警察を補充しなければならないし、軍閥の権力を弱めるために四万人の私兵集団に武器を放棄するよう説得しなければならない。しかし、彼と彼の主人である米国は、政府を維持する上で軍閥に依存している。二人の副大統領のうちの一人、カリム・ハリリはハザラ人の軍閥指導者である。もう一人のアフマド・ジア・マスードは反タリバンの司令官として称賛されていたアフマド・シャー・マスードの弟である。アフガンの人々はカルザイの軍閥への依存を、彼が強力な力を確立するまでの移行期であると見ている。しかし、これこそがアフガンの人々が投票において経験しなければならなかったパラドックスであった。彼ら・彼女らは、軍閥を拒絶するために、カルザイの軍閥への依存にもかかわらずカルザイに投票した。
 アフガン連帯党のリーダーであるアリフ・アフガニー氏は、このパラドックスを解決するために、「選挙で勝利しつづけているうちに、カルザイは北部同盟を取り除くだろう」と期待している。しかし、カルザイは選挙の勝利によって獲得した正統性を活用して強力な軍閥指導者たちを統制できるだろうか。それは不可能に近い。軍閥指導者たちは四〜六万人の兵士からなる私兵集団を擁している。アフガンのANAと警察を合わせても、兵員数も装備も私兵集団のそれに及ばない。カルザイは米軍指揮下の一万八千人の多国籍軍と、NATO指揮下の八千人の平和維持部隊の支援を受けている。これに対してカルザイの指揮下にある創設されたばかりのANAの兵員数は一万四千人である。ANAと警察が私兵集団を兵員数で圧倒し、彼らを武装解除できるようになるまで、いかなる復興も不可能である。
 しかし、これまでのところ米国に支持されたカルザイ政権の政策は、宥和と和解の政策である。軍閥指導者との和解だけでなく、タリバンの一部を取り込むための試みも行われている。カルザイは一方の軍閥を抱え込みながら他方の軍閥を武装解除することはできないだろう。彼は軍閥とはっきりと決別しなければならない。
 カルザイが選挙の数週間前に、ヘラート州のイスマイル・カーン知事の解任を決定したとき、彼は広い支持を受けた。それはまた、アフガンの人々の間に、カルザイが権力を強化すれば、彼によって軍閥が武装解除されるかも知れないという幻想をもたらした。しかし、イスマイル・カーンの解任が単なる選挙向けの人気取りなのか、彼が本気で軍閥を武装解除しようとしているのかは依然として不明である。より正確に言えば、不明なのは、カルザイの主人である米国政府が本気でアフガニスタンを民主化しようとしているのか、それとも米国大統領選挙を前にブッシュの「外交政策」の成功を宣伝するための一回限りのショーだったのかである。


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