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「アルジェの戦い」を見れば、イラクの将来がわかる。米国もフランスのように軍事で勝っても政治で負ける
http://www.asyura2.com/0411/war63/msg/821.html
投稿者 TORA 日時 2004 年 11 月 24 日 15:23:59:CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望

http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu83.htm
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「アルジェの戦い」を見れば、イラクの将来がわかる。
米国もフランスのように軍事で勝っても政治で負ける

2004年11月24日 水曜日

◆<アルジェリア紛争の教訓(その1)> 太田述正コラム
http://www.ohtan.net/column/200411/20041121.html#0

(2)詳細
 もう少し、細かく見て行きましょう。

 最初のうちはフランス軍が非正規勢力相手の戦闘に慣れていなかったことと、FLNの方の力量不足もあって、小競り合いの状況が続きました。 そこでFLNは、フランスのアルジェリア統治機構への攻撃を開始します。

地方の行政官・司法官・警察・そして彼らの家族、がターゲットになりました。このため原住民中心であった地方の警察は麻痺してしまい、フランス軍はこれら警察の防護に兵力を割かざるを得なくなり、FLNに攻勢がかけられなくなってしまいます。

 次にFLNは、フランス・シンパの村やフランス系植民者の集落へと攻撃の範囲を広げます。そしてこれら「不信者(infidels)」への侮蔑を示す方法として、のどをかき切ってこれらの村民や集落のメンバー・・女性や子供を含む・・を殺害するようになります。

 こうして原住民のうちのフランス・シンパや中間派は、彼らを守ることができないフランスを見限り、次第にFLN支持へと傾斜して行くのです。

 フランスは、徴兵によって現地フランス軍を50万人に増強しますが、それでもFLNに決定的打撃を与えることができません。この徴兵されたフランス軍兵士によるFLNのメンバーやFLNシンパと目される原住民に対する拷問がフランス本国で報道されるようになり、サルトルらのフランスの知識人がこぞって激しいフランス政府批判を展開します。

 それでも1958年になると、精鋭の空挺部隊を中心にフランス軍は、拷問を日常的に用いる方法で、いわゆるアルジェの戦いに勝利し、FLNは追いつめられます。しかしその一方で、本国や世界の世論のフランス政府批判の声は一層高まります。

 1961年には、現地フランス軍が空挺部隊を中心に叛乱を起こします。(この頃からOASによる対原住民テロが荒れ狂います(前述)。)これに対し、ドゴールはラジオで全現地部隊に対し、フランス政府に従うように、と感動的な訴えを行います。

 結局この叛乱は腰砕けになるのですが、1962年、ドゴールはFLNに全面的に膝を屈し、アルジェリアの独立を認め、フランスはサハラ砂漠における石油資産をすべて放棄し、(三代にわたってアルジェリアに定住してきた者が少なくない)フランス系植民者達100万人は本国に引き揚げます。

 ところが皮肉なことに、フランスは植民地支配の重荷から解放され、繁栄を謳歌するに至るのですが、独立を達成したアルジェリアの方は、豊富な石油資源があったにもかかわらず、一党独裁下で腐敗と非効率がはびこり、経済は停滞を続けることになってしまうのです。

◆<アルジェリア紛争の教訓(その2)> 太田述正コラム
http://www.ohtan.net/column/200411/20041122.html#0

3 もう一つのアルジェリア紛争

 以前、もう一つのアルジェリア紛争について、「早過すぎた民主主義導入の典型的な失敗例がアルジェリアです。アルジェリアでは1991年に初めて自由な総選挙を実施したのですが、これは、軍部が後ろ盾となった長年の社会主義的一党支配の下で経済が停滞していたところへ、1986年、石油価格下落によって石油収入の減少が生じ、しかも1988年にはデモ隊に軍が発砲して数百名の死者が出る、という背景の下で、国民の不満をそらすために実施されたものです。

ところが、投票の結果、イスラム原理主義政党が議会で多数を占めることが確実になった時点で軍部が介入し、選挙を中止させました。これに怒ったイスラム原理主義勢力はゲリラ・テロ戦で軍に挑み、鎮圧されるまでに一般市民を含め、実に15万人の犠牲者が出ます。」と記した(コラム#322)ところです

 このイスラム原理主義勢力(FIS=Islamic Salvation Front)が行った非正規戦闘では、かつてアルジェリア独立紛争の時にFLNが行ったことと同様、地方の行政官や警察が主たるターゲットになりました。かつてのフランス軍同様、12万人の兵士と8万人の警察官を擁するアルジェリア政府は、長期にわたって適切な対応ができませんでした。

 そうこうしているうちに、FISはより過激な勢力であるGIA (Armed Islamic Group)にとって代わられます。

 GIAのメンバーの中にはアフガニスタンでタリバンと行動を共にした連中もいました。

 彼らはアルジェリアの経済の破壊を目指し、外国のビジネスマンやジャーナリスト、更にはキリスト教の尼僧までをも虐殺の対象とし、外国資本を駆逐しようとしました(注4)。また、社会秩序を破壊すべく、女性や子供を含む村全体の住民が虐殺の対象となりました。首都アルジェでは、爆弾を積んだ車の爆発テロを頻繁に引き起こし、民間人多数を死傷させました。

 (注4)結局、120人の外国人が犠牲になった。

 犠牲者の首を切り取るのも当たり前になり、道路標識上にその首が「展示」されるようにもなりました。

 この紛争の結果、アルジェリアの経済は破綻状況に陥ってしまいます。 幸いなことに、「アルジェリアでは・・憲法を改正し、宗教的信条に立脚した政党の設立を禁止し<た上で、>・・今年になってようやく自由な大統領選挙を実施する運びとなり、民主主義が確立しつつあります」(コラム#322)というのが現状なのですが、これは2001年の9.11同時多発テロ以来隠密裏に実施されてきた、米国によるアルジェリア政府へのテロ対策支援のたまものであると言われています。(以上、http://www.theaustralian.news.com.au/printpage/0,5942,11314459,00.html前掲、による。)

◆<アルジェリア紛争の教訓(その3)>太田述正コラム
http://www.ohtan.net/column/200411/20041123.html#0

5 イラク情勢と二つのアルジェリア紛争

 一繋がりの二つのアルジェリア紛争は、現在のイラク情勢(コラム#481〜484、492、493、499、500)を理解する鍵も提供していることは、改めて説明を要しないでしょう。

 アルカーイダ(コラム#191、193)とアルジェリアのGIA(前出)との密接な関係はさておくとしても、例えば、現在アルカーイダ系「戦士」とイラク国内系スンニ派不穏分子がゆるやかに提携しつつ、イラクの警察官や兵士への攻撃を執拗に行っていますが、これはアルジェリア独立紛争の時の戦法の踏襲です。

 しかし、よりマクロ的視点から言えば、アルジェリア紛争にせよ、現在のイラクにおける不穏分子の跳梁にせよ、豊かで成功した欧米に対するフラストレーションを克服するまっとうな方途を、イスラム世界、就中アラブ世界がいまだに見いだしていないことを示しているのではないでしょうか。 (以上、http://www.theaustralian.news.com.au/printpage/0,5942,11314459,00.html前掲(注7)、による。)


(私のコメント)
アルジェリアの独立戦争については映画の「アルジェの戦い」とか「名誉と栄光のためでなく」といった映画で知る程度です。またアルジェリアの内戦についてはアフリカということもあり、日本にはほとんどニュースにならず、全くわからない。むしろエジプトでアフガン帰りのテロリストが観光地でテロを行ったことを少し覚えている。

「アルジェの戦い」はフランス軍と現地のゲリラ勢力との戦争ですが、フランス軍は50万の兵力を投入しましたが、結局は全てを放棄して撤退せざるを得なかった。戦闘方法は現在のイラクと全く同じであり、警察や役所を襲って治安を乱す作戦に出た。そのためにフランス軍が警察権を持って取り締まったため、ゲリラに攻勢をかけられなくなってしまった。

ゲリラを取り締まるためには、容疑者などを拷問にかけて組織の殲滅が必要ですが、アメリカ軍も刑務所などで拷問を行っているようだ。そのためにしばらくは現地軍による拷問作戦とアメリカ本国の世論との衝突が起こり、ドゴールのような人物が出てきてアメリカ軍は撤退を余儀なくされるだろう。何しろアルジェの内戦のゲリラがイラクに流れ込んで来ているからだ。

イスラム過激派はアフガンで勝利した後、一部はエジプトやアルジェリアに渡ってテロを繰り返し、ロシアやチェチェンなどでもテロを行っている。その散らばった勢力がイラクに集結してテロを繰り返しているから厄介だ。アルジェリアでは独立を勝ち取ったものの軍とイスラム過激派の勢力争いが続き、凄惨な内戦が長い間続いた。イラクでもアメリカ軍が撤退した後は軍と過激派の内戦状態は続くだろう。

イラクにとってはサダム・フセインのような独裁者でないと統治は難しく、とても民主主義的な選挙や議会運営がうまく行くとは考えられない。イスラム過激派もフセイン独裁時代はイラクに近寄れなかった。しかしフセイン独裁亡き後は、イラクが過激派の巣窟になり、アメリカ軍が長期にわたり駐留しても10万足らずの軍ではゲリラを取り締まりようが無い。

イスラム過激派にとってはアフガニスタンからアルジェリアに到るまで国境は無きに等しく自由に往来して出没している。ところがアメリカ軍はイラクから一歩も外に出る事が出来ず、過激派のヒット・アンド・アウェイ作戦には手が出せない。フランスのように50万の兵力を投入して拷問作戦でゲリラ組織を潰してゆけば勝利できるでしょうが一時的な勝利だ。

結果的にアメリカがサダム・フセインを取り除いたのは、イスラム過激派の天敵を駆除してしまったようなもので、アメリカ政府のネオコンたちは何を考えているのかわからない。リビアのガダフィー大佐のように独裁者をうまく手なずけて統治させるしか、イスラム過激派に対する有効な手段が見つからない。

もし90年代のアルジェリアのような内戦状態にイラクがなれば、石油の産出もうまく行かなくなり、石油は高止まりするだろう。問題はアメリカ軍がイラクにどれくらい留まれるかですがアメリカ経済がどれだけ持つかにかかっている。フランスがアルジェリアを放棄して経済的に繁栄したのと同じく、アメリカもイラクから撤退出来れば危機はひとまず回避されるだろう。

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