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横田めぐみさんは「日本語教えた相手と結婚」=帰国被害者が証言(時事)他、めぐみさん関連
http://www.asyura2.com/0411/war64/msg/772.html
投稿者 ネオファイト 日時 2004 年 12 月 15 日 18:03:12:ihQQ4EJsQUa/w
 

(回答先: キム氏、めぐみさんの夫と特定できず DNA鑑定で困難(朝日)【キム氏の似顔絵は「夫」に似ているとの証言はある】 投稿者 ネオファイト 日時 2004 年 12 月 15 日 15:21:46)

横田めぐみさんは「日本語教えた相手と結婚」=帰国被害者が証言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041214-00000543-jij-soci
 北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさん=失跡当時(13)=の夫について、帰国した拉致被害者が「めぐみさんが日本語を教えた工作員だった」と話していることが14日、分かった。 
(時事通信) - 12月15日0時0分更新


「待ち伏せ」とめぐみさん 自分の拉致、曽我さんに
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041214-00000251-kyodo-soci
 拉致被害者横田めぐみさん=失跡当時(13)=が北朝鮮で、自分が拉致された状況について「待ち伏せされた」と曽我ひとみさん(45)に話していたことが14日、関係者の話で分かった。
 北朝鮮はこれまで、横田さんの拉致は「計画的ではなく突発的な行為だった」と説明しているが、計画的な犯行だった可能性が出てきた。
 関係者によると、曽我さんは拉致された後、北朝鮮の招待所でめぐみさんと一緒に生活した際に聞いたとみられ、めぐみさんの両親にも内容を伝えたという。
 めぐみさんは新潟市立中学1年だった1977年11月15日夕、バドミントン部の部活動を終え、帰宅途中に拉致されたとされる。
(共同通信) - 12月14日21時47分更新


「日本に帰りたい」横田めぐみさん、盛んに訴える
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041213-00000204-yom-soci
 北朝鮮による拉致被害者で、安否不明の横田めぐみさんと田口八重子さんの拉致後の様子について、帰国した蓮池薫さん(47)や地村富貴恵さん(49)らが、「横田さんと田口さんは1984年から86年まで同居していた」「90年代に入り、横田さんは『日本に帰りたい』と盛んに周囲に訴えていた」などと証言していることが、13日わかった。

 関係者によると、こうした証言は直接、横田さんの父、滋さん(72)と母、早紀江さん(68)、田口さんの兄の飯塚繁雄さん(66)に伝えられたという。

 富貴恵さんの証言によると、独身だった横田さんと田口さんは、84年から86年まで平壌市郊外の同じ招待所で同居。田口さんは同年7月、他の招待所に移されたとみられる。この時期、富貴恵さんは夫の保志さん(49)とともに、横田さんらと同じ地区の招待所で生活していた。

 また、蓮池さんの証言などでは、横田さんは同年8月、元夫とされるキム・チョルジュン氏と結婚し、翌年、ヘギョンさん(17)を出産した。

 蓮池さんと祐木子さん(48)夫妻は、横田さんが結婚したころから94年ごろまで、同じ地区の招待所で暮らしており、夫妻は、「めぐみさんは、90年代に入ると、『日本に帰りたい』と漏らすようになった。招待所を無断で離れ、歩き出したところで連れ戻されたことがあった」などと証言しているという。
(読売新聞) - 12月13日14時39分更新


<横田めぐみさん>工作員の養成担う? 「田口さんと同居」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041212-00000005-mai-soci
 北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん(行方不明時13歳)について、帰国した拉致被害者の地村富貴恵さん(49)が「84年から2年間、田口八重子さんと同じ招待所にいた」と証言していることが分かった。富貴恵さんは、横田さんが大韓航空機爆破事件の実行役の金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚と一緒に教育を受けた工作員に日本語を教えたことを示唆する話もしている。田口さんは日本側の捜査で金元死刑囚の教育係「李恩恵(リウネ)」と分かっており、横田さんが工作員の養成を担わされていた可能性が出てきた。【西脇真一、照山哲史】
 関係者によると、富貴恵さんは「84年秋から86年7月まで田口さんと平壌市郊外の同じ地域に住んだ。田口さんの招待所にめぐみさんも同居していた」と話したという。横田さんについて、富貴恵さんは「(金元死刑囚と一緒に教育を受けた工作員の偽名の金淑姫(キムスクヒ)の一部である)『スクヒ』という女性に日本語を教えていた」と証言していることも分かっている。
 先月の日朝実務者協議で、北朝鮮側が説明した横田さんと田口さんの同居期間(81〜84年)は、金元死刑囚が李恩恵と同居した期間(81年7月〜83年3月)と重なる。家族会などは「李恩恵は田口さんではないとするためのねつ造」と批判しているが、富貴恵さんの証言は李恩恵と田口さんが同一で矛盾しない。
 証言では、84年から86年に地村保志さん(49)一家と蓮池薫さん(47)一家、田口さん、横田さんが平壌市郊外の同じ地区に住んだ。86年7月に地村さんと蓮池さん一家が平壌市の別の地区に転居。間もなく結婚した横田さん一家も近くに移ったという。
 90年代に入ると、横田さんはしきりに「日本へ帰りたい」と訴えた。蓮池さんは「あともう少し。我慢して」と励ましたという。「脱走」を図り、2度目の時に保護され「精神が不安定で入院が必要だ」と判断された。蓮池さんは94年3月、義州の精神病院に入院する準備を手伝ったという。
 蓮池さんは5月の子供帰国後の会見で「(自分たちは)90年代後半から隔離されるようになった」と話した。横田さんの入院後の動静に関して、蓮池さんらの証言は出ていない。支援団体・救う会によると、脱北した金正日(キムジョンイル)総書記の元側近は「横田さんが95年ごろの2年間、総書記の息子の家庭教師をしていた」と話している。救う会の西岡力副会長は「めぐみさんの娘のキム・ヘギョンさんが母親のことを知らないのは、総書記の周辺から外に出られなくなったためではないか」と分析する。
 「遺骨」が別人のものと分かり生存への期待が高まったことについて、静岡県立大の伊豆見元教授(国際関係論)は「(生存していれば)北朝鮮の工作活動に関することなど何らかの秘密を知るので日本へ帰せないとしか考えられない。子供のころ拉致されたため北朝鮮に早く適応し、そういう立場に置かれた可能性がある」と話している。
(毎日新聞) - 12月12日3時3分更新

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