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自衛隊派遣から半年 サマワの現実と幻想 前編【APN】綿井健陽のイラク現地報告
http://www.asyura2.com/0411/war65/msg/289.html
投稿者 天地 日時 2004 年 12 月 25 日 06:06:41:IVYNMLFehyE6c
 

サマワ自衛隊宿営地で給水された水をバケツで受け取る子供たち。この地区では一日置きに給水車がやってくる(7月6日 サマワ郊外のワルカ村)
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http://www.asiapressnetwork.com/depths/library/20041216_1.html
綿井健陽のイラク現地報告
自衛隊派遣から半年 サマワの現実と幻想 前編
自衛隊はサマワで何をしているのか。「人道復興援助」活動の実態をルポ。


 12月14日、自衛隊の派遣期間の1年延長が決まった。大野防衛庁長官などのサマワ視察を受けた小泉首相の決断だった。しかし、イスラム教シーア派の反米指導者ムクタダ・サドル師系の宗教指導者は、「多国籍軍である以上、占領軍であり、町から撤退すべきだ」と語り、「撤退しなければ別の種類の抵抗に変わるだろう」と警告。香田証生さんを殺害した武装組織「イラク・アルカイダ機構」も日本を非難し、敵対姿勢を強めている。
イラク情勢が泥沼化する中、「人道復興支援」という名目で派遣された自衛隊はいったい何をしているのか。7月にサマワを訪れた綿井健陽の報告をお届けしたい。(APN編集部)

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【月刊「論座」(朝日新聞社)04年9月号掲載記事から転載】

文中のデータ・登場人物の肩書きは今年7月取材当時のまま。
内容の加筆・修正はしておりません。
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 陸上自衛隊が派遣されてから半年を迎えるイラク南部の街サマワ。7月4日午後2時、真昼の気温はゆうに50度を超えている。今年4月以来、3カ月ぶりに訪れた午後の市内は閑散としている。車も人の姿も極端に少ない。中心部の商店街は長い「昼休み」に入っていた。店のシャッターが再び開き始めるのは午後5時ごろだ。そして、午後8時を過ぎても残る陽の光の中、街は朝に続いて2度目のにぎわいを見せる。
 目抜き通りの一角には、熱射と砂埃にさらされながら、季節はずれのこいのぼりが、いまなおいくつか空を泳いでいる。陸上自衛隊が地元に寄贈したそれを、商店街の人たちは英語で「ベイビーデイ・フィッシュ」と呼んでいた。
 そのこいのぼりとは対照的に、街で自衛隊員の姿を見つけるのは困難だった。通りを歩く住民に聞いても、「最近は人も車両も見かけない」という。久しぶりに日本人の姿を見かけたからなのか、通りを歩いていると「ヤバン、ヤバニ(日本、日本人)?」と何度も声をかけられた。だが、自衛隊がサマワでいま何をしているのかは、彼らもよくわかっていない。多くの人は「実際に見たことはないが、給水や道路補修をやっていると聞いた」というレベルにとどまっている。

●日の丸給水車と「おいしい水」

 バグダッドやイラクのほかの地域と同じく、主権移譲後もサマワの街の様子はほとんど変わっていない。大通りは、クウェートからバグダッドに向かう米軍の物資や装甲車を積んだ長い車列が、頻繁に行き来する。その対向車線には、日の丸の入った給水車の姿があった。
 サマワの北約40キロにあるアブ・フセイン地区では、約150世帯が、1日おきに届けられる自衛隊宿営地からの給水を待っている。給水車が到着すると、バケツを手に子供たちがたちまち集まってきた。しかし、宿営地内の給水現場では立ち会う自衛隊員も、末端の供給場所であるこの村には姿を見せない。
 カーデム・アベドさん(22)ら10人家族が暮らす家には、水をくんだバケツが何度も運びこまれる。自衛隊員が誇らしげに語る「サマワで評判のおいしい水」。だが、アベドさんは言う。
「清潔な水が自分たちの生活する場所にちゃんと届けば、それでいい。運ぶのが自衛隊でも、イラク人でも関係ないです。1日おきにしか来ない給水車での配給だけでは十分ではない。いまは仕方ないが、ゆくゆく自衛隊は、この地区に上下水道設備を造ってくれると市の評議会は言っていた。自衛隊の後には、日本の企業がサマワに来るとも聞いているよ」
 だが実際にはそのような計画はなく、住民の間での噂として広まっているだけだ。
 サマワの人たちが口にする「日本の企業」の話は、昨年以来何度も聞いている。初めてサマワを訪れた昨年11月下旬、ちょうど日本政府からの調査団がサマワに入っていた時期だったが、そのころすでに街の話題は「日本の企業」で持ちきりだった
(その詳細は月刊「論座」04年2月号に掲載)。
「トヨタが来るのか、ソニーが来るのか?」
「私たちが働くことはできますか?」
 と、多くの住民から質問を受けた。それから半年が経過し、自衛隊が活動を始めたいまもなお、地元の人々の「日本企業」信仰は根強い。自衛隊が現時点で生み出している現地の雇用はごくわずかなものでしかないが、日本企業がサマワの失業者を大量に雇用してくれると人々は依然として夢想している。
 だが、そうした根深い幻想や誤解を解くだけの成果を、サマワに駐留する自衛隊が上げることはとてもできない。
 サマワ市内の道路わきにある自衛隊の活動を紹介する掲示板には、イラクの国旗と日の丸の旗のイラストの間に、「イラクの未来のために」というキャッチフレーズの文字だけが、かろうじて残っていた。しかし、掲示板には、シーア派指導者の政治声明のチラシが何枚も貼られている。
 地元テレビや新聞を通じても、自衛隊はサマワでの活動を説明しているが、効果はほとんど見られない。「こんな活動をしている」という宣伝はできても、具体的な将来の計画を示せないために、むしろ過大な要求や期待を一層抱かせている。実際に自衛隊の活動を目にする機会が少ないなか、住民の自衛隊への思いは早くもその先の「自衛隊後」に飛んでしまっていた。
 これまでサマワ宿営地近くへの迫撃砲攻撃(4月)、オランダ軍兵士殺害(5月)、警察署を狙った爆弾攻撃(6月)など、自衛隊の活動が本格化して以降、治安の悪化を物語る事件が相次いだ。しかし、自衛隊が駐留して以降、確実に悪化しているサマワの治安について、多くの人は認めようとしない。それもまた「自衛隊後」をにらんでなのか、自衛隊の駐留との関係をことさらに否定する。
 サマワ警察署のマハディ広報官は、私の取材に対して「サマワが危険などという間違った情報を日本に伝えるのはやめてほしい。自衛隊を恐がらせないでほしい。外部からサマワに入ってくる一部の勢力の問題だ。われわれ警察だけで十分に対応できる。そして自衛隊を守るのも我々警察の役目だ」とサマワの「安全性」をしきりに強調していた。
 朝日新聞とサマワの地元紙「アルサマワ」が、6月中旬に共同で行った世論調査結果によると、サマワ市民の85%が「自衛隊の駐留に賛成」という(6月29日付掲載)。
 実際、私がサマワの街で市民に話を聞いてみても、自衛隊の活動に対する要求や失望感までは口にしても、自衛隊の撤退を求める人や非難をする人はいなかった。日本人一般に対しても、これまで同様多くの人が「友人」と見てくれている。だが、地元の人たちが自衛隊の駐留に「賛成」「歓迎」する背景には、その先の「日本企業」進出の期待を織り込んだ先行評価があり、そこには地元の利益計算がしたたかに渦巻いている点を差し引かなければならないだろう。

●自衛隊員が直接かかわったのは……

 サマワ郊外にある自衛隊の宿営地は、以前よりも警戒態勢が厳しくなっていた。宿営地入り口ゲート付近のコンクリートブロックの数は格段に増え、以前はできたゲートの写真撮影も「警備上の理由」で禁止されていた。3月ごろにはここを頻繁に訪れていた地元部族長や地主たちの姿もない。砂漠のはずれで、まるで蜃気楼のように、宿営地だけがゆらゆらとたたずんでいるようにみえる。
 その宿営地の一角で給水活動は行われていた。午前7時半ごろ、日本政府が提供した日の丸入りの給水車が宿営地の中に入ってくる。
 給水現場には四基の給水塔が設置され、そこに横付けされた10トンタンクの給水車に水が補給されていく。取材した7月6日の時点で、1日平均の給水車は12〜14台。量にして平均150トンほどだった。その後、給水量は徐々に増やされたが、それでも200トン前後がやっとだ(3月26日から始まったこの給水活動は、7月中旬までに総計1万3000トン以上になったという)。
 給水現場で自衛隊員がかかわる作業は、給水車の誘導、運転手の身分証明書の確認、給水記録の作成、そして、給水栓を開閉するという作業だけだ。その自衛隊員の数は「およそ」5、6人。なぜわざわざ「およそ」という中途半端な表現をするのかというと、「安全上の理由から、それぞれの現場にかかわる具体的な人数は公表できないから」というのが広報担当者からの説明だった。だが、実際のところ浄水・給水作業を合わせても、それに直接かかわる人数は1日数十人にも満たない。給水現場では周辺に装甲車を配備して、警戒態勢を取っているが、その警備にあたる人数は「およそ」でも公表できないという。給水現場の取材はもちろん、自衛隊員へのインタビューも、すべて広報担当者ががっちりと私の脇で「監視」していた。
 この給水活動に関して、第一次イラク復興支援群長の番匠幸一郎・一等陸佐(46)は、産経新聞の取材に対して、以下のようにこたえている。
【質問】情勢が緊迫すると、宿営地にこもり、復興支援業務を中断した、という一部報道もあったが。
【番匠】「まったく事実と反する。“籠城”も中断もただの一度もない。給水も1日も休んでおらず、すべて予定通りに終わった。いくら説明しても誤報が流れ心外で悔しかった。(後略)」(産経新聞6月8日付)
 実際の現場ではどうだったか。
 給水活動に関して言えば、1日も休むことなく行われたことは確かだ。だが、それは自衛隊員が宿営地の外に出なくてもできる活動だったからに過ぎない。その水がどこで、どう配られているのかは、「ムサンナ県の水道局に任せてある」(サマワ自衛隊広報担当者)というだけで、その詳細は自衛隊側では関知しない。
 道路・学校補修は7月22日現在、道路1カ所、学校2ヶ所が終了した。スタジアムや病院・水道管補修も含めて14カ所でいまも作業を継続しているが、それらの実際の作業はイラク人業者が行っており、自衛隊員の仕事は「指導・監督」だ。医療支援も「技術指導・助言」であって、直接医療行為をするわけではない。
 サマワ郊外にあるワルカ地区では、3月30日から道路補修作業が行われている。
4月上旬に私が訪れたときには、自衛隊員数人が直接計測作業をしていた。川沿いにある6.5キロの道を補修する工事の準備だったが、4月8日に日本人人質・拘束事件が発生したため、作業はその後一時中断。自衛隊広報が毎日発表する「活動内容報告」によると、4月10日以降、5月1日までの間は、作業そのものがワルカでは1日も行われていない。5月2日にようやく工事を再開したが、イラク人業者による作業がほとんどで、再開してから7月29日までの間、自衛隊員がこの現場に直接足を運んで「指導・監督」にあたった日は合計で10日だけだった。また、4月10日と12日に関しては、給水以外の宿営地外での活動は一切されていない。
 このワルカではいまも道路補修作業が続いているが、私が現場を訪れた7月5日に作業にあたっていたイラク人業者はわずか5人。1日5000ディナール(約3ドル)の日当だという。その日は、小さな木製の橋を対岸にかける作業をしていた。道路補修作業は「砂利舗装までで、もう終了した」と作業にあたるイラク人業者の1人はいう。しかし、サマワ自衛隊広報担当者に確認すると、「道路補修作業はまだ終わっていないはず」という。一方、防衛庁陸上幕僚幹部広報室は、今後「アスファルト加工まで行う」としているが、サマワの自衛隊広報担当者は「アスファルト加工をするという計画は特に聞いていません」とこたえる。
 これらを見ても、実際の現場と自衛隊・防衛庁の間で、工事の計画や方針が共有されているわけではない。雇用創出のために、イラク人業者にできるだけ任せるという方式を取り始めた自衛隊だが、「指導・監督」がどこまで行き届いているのかは疑わしい。

(前編終わり。後編に続く)
 

サマワ自衛隊宿営地での給水作業。毎日朝7時半ごろから給水車が集まり、一日平均150トン程度の水を供給している(7月6日 サマワ自衛隊宿営地にて)
http://www.asiapressnetwork.com/depths/images/20041216_01.jpg

浄水場で水を補給する何台もの給水車。自衛隊の給水活動以外にも、サマワ周辺では毎日給水活動が行われている(7月7日 サマワ郊外ルメイサ浄水場で)
http://www.asiapressnetwork.com/depths/images/20041216_03.jpg

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