★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > 戦争65 > 871.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
護衛鑑救難から帰国ー東京新聞(イラクからでは?)
http://www.asyura2.com/0411/war65/msg/871.html
投稿者 戦争とはこういう物 日時 2005 年 1 月 12 日 01:45:06:N0qgFY7SzZrIQ
 

 本来なら「イラク派遣での米軍支援」の問題が取り上げられねばならない筈だが。「支援」名義での帰還でどのマスコミも誤魔化されたらし。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20050111/eve_____sya_____003.shtml

スマトラ沖地震津波で現地海域から帰国し家族と対面する護衛艦「きりしま」と「たかなみ」の隊員=11日、海上自衛隊横須賀基地で

インド洋で米軍などへの支援活動からの帰途に遭遇したスマトラ沖地震津波で、被災者の捜索などの救援活動を行った海上自衛隊の護衛艦「きりしま」と「たかなみ」が十一日、母港の海自横須賀基地(神奈川県横須賀市)に帰港した。
 二隻は、テロ対策特別措置法に基づく支援活動のため、昨年八月に同基地を出港。インド洋での活動を終え帰国の途中、タイ政府の要請を受けて昨年十二月二十八日から今年の元日まで、プーケット島沖などで捜索活動などを展開。五十七人の遺体を収容したほか、国際緊急援助隊員や機材を艦載ヘリコプターで被災地間を搬送した。
 派遣艦隊を指揮した第六一護衛隊司令の深田卓夫一等海佐は「収容した遺体には、小さなお子さんも多数いた。同じ年ごろの子どもを持つ乗員は、胸を熱くしてつらく悲しい思いで作業に当たった。沖合には多数の遺体のほか流された木やバンガローなどがたくさん浮かび、津波のすさまじさを実感した」と語った。
 出港後の八月十五日に長女が生まれたという、きりしま乗員の二等海曹(34)は「遺体には三歳ぐらいの子どももいて自分の子どもを思い起こし、悲しくつらかった。あんな悲惨な津波被害は考えられなかった」と話し、子どもや妻と抱き合い再会を喜んだ。

 次へ  前へ

戦争65掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。