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アーカイブの役割とは/真実の保存か、偽証の創作か?(3/3)
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投稿者 鷹眼乃見物 日時 2005 年 3 月 01 日 14:57:08: YqqS.BdzuYk56

アーカイブの役割とは/真実の保存か、偽証の創作か?(3/3)

[3]現代社会におけるアーカイブの役割(ガバナンス正統(当)性維持の意味)
   
 帝国であれ、絶対王政であれ、議会主義民主制であれ、「国家権力」にとって重要な要素を一つだけ挙げるとすれば、それは「国民(市民)の生命」ということです。また、年貢であれ、税収であれ、兵役であれ、健康な「国民(市民)の生命」の存在が前提となります。同じ意味で「国家権力」が次に求められるのは、その権力の「ガバナンス正統(当)性を維持する」ということです。「ガバナンス正統(当)性 の維持」にとって必要なことは、その正統(当)性を証明できる証拠を一般国民の眼前に示すことです。

 まず、この証拠の役割を果たしたのが宗教(神の権威)であり、それは、例えばアメリカのブッシュ政権を支える「キリスト教右派勢力」の存在のように、現代の民主主義国家でも重い矛盾(ジレンマ)を引きずる問題となっています。ともかくも、やがて誓約・協定・談合などの証拠として「公文書」(条約・誓約等の文書)が重視される時代に入ります。現在、国家の権威(ガバナンス正統(当)性)、または歴史アカデミズム(歴史学会の権威)にとって重要視せざるを得ないのが「歴史資料・史料」としての古文書(公文書、民間資料)であることは世界で広く認識されていることです。これは19世紀後半以降の実証重視の傾向(論理・実証主義)を反映したもので、これは歴史アカデミズムだけのことではなく近代の諸科学に共通のものです。

 残存する過去の遺物(古文書等)は歴史的な事実を解明するための手掛かりという意味で「史料」と呼ばれていますが、欧米では、これを「Documents or Sources(前者の原義は『知らせる』で後者は『湧水』のこと)」(英米仏)、または「Quellen/原義は『湧水』のこと」(独)と呼んでいます。先に見たとおり、近代的な意味でのアーカイブ(公文書館)の制度が確立するのは、「フランス革命」(1789)後の1794年にアンシャン・レジーム時代(anciens regimes)の公文書や諸記録を保存・管理する目的で創設された「フランス国立中央文書館」に始まりますが、それ以前の時代は図書館・図書室と公文書館の区別は曖昧のままでした。(ただ、以下で述べるように、9世紀のカロリング朝・フランク王国のカール大帝の下でアーカイブ制度の先進事例が生まれています)

 近年の歴史アカデミズムの世界的な傾向は、人間の営みが生み出した凡ゆる痕跡を公文書と区別せずに等しく史料として取り扱うようになっていることです。少し前の歴史学ではほとんど無視同然であった絵画・彫刻等の芸術作品、あるいはドラマ・詩・小説等の文学作品、聖人伝や人物事跡禄などが注目されるようになっています。例えば、シェークスピア(William Shakespear/1564-1616)の『ヘンリー5世』、『ヘンリー6世』などの作品を歴史史料の観点で読み解き、「百年戦争」等の実像に少しでも近づこうとする取り組みなどが行われています。このような「史料」が評価されるのは、記述内容の真偽もさることながら、その「史料」の“存在自体が何らかの歴史的事実を反映している”と考えられるようになったからです。これは、後に「Appendix」で述べる「生命に刻印されたエクリチュール」の意味の重要性が漸く理解されつつあることでもあります。しかし、このような傾向が顕著なのは未だ欧米諸国に限られています。特に日本では、官民とも、この点に関する意識レベルが低劣なまま放置されています。

 また、このような意味で多角的に「史料」を評価した結果として歴史の実像が姿を表したとしても、それが実際にアカデミズムの世界で公認される迄には非常に複雑な手続きを踏む必要があるようです。例えば、これから述べる「ガロ・ロマン時代〜フランク王国」(およそ4〜9世紀頃)のヨーロッパ史、いわゆる中世前期の歴史が学校教科書で詳述されていないのは、この時代の歴史記述について未だこのような意味での手続きが必要なためだと思われます。それはともかく、この時代の歴史の概要を一瞥することは、アーカイブ制度の意義を考えるために必須と思われるので、フランク王国の歴史を中心に、この時代を概観してみることにします。

・・・・・・・・・・・・・ここから「『ガロ・ロマン時代〜フランク王国』(およそ4〜9世紀頃)の概観」の(始まり)・・・・・・・・・・・・

 西ローマ帝国が滅亡(476年)したあと、西欧世界は言語上の大混乱期に入ります。それは、ローマ帝国の政治権力体制が瓦解したことによって、今まで支配と統治のための言語として使われてきた古典ラテン語(ローマ時代の公式な文語)の権威が次第に弱まることになったからです。

 この時代に先行するガロ・ロマン時代(Gallo-Roman period/BC3世紀末〜AD476年)、つまり共和制ローマから帝政ローマ時代の滅亡までに至る約700年間の西欧世界の公式な言語(行政用語)は古典ラテン語でした。無論、この間のガリア地方(現在のフランス全土及びドイツ西・中部を中心とする地域)では、現代のフランス語・ドイツ語などにつながる地域言語・部族言語の変化が進行していました。そこで大きな役割を果たしたと思われるのが俗ラテン語(口語として使われていたラテン語)です。つまり、俗ラテン語は、この間にケルトやゲルマンの部族言語の変化に対して大きな影響を与え続けていた訳です。

やがて、5世紀頃になるとガリア地方のケルト語は俗ラテン語の中で消滅したと考えられています。一方、イタリア半島に残った俗ラテン語はイタリア語の中核(原型)を形成することになるのです。そして、このような言語状況が進むガリアの地において、次第にフランス語とドイツ語の輪郭が立ち上がってきますが、このような変化が著しく進んだ時代は、フランク王国が成立・発展し滅亡するまでの時代にほぼ重なります。

 フランク王国は、中世ヨーロッパの前半に成立していたフランク族(ゲルマン民族に属す/フランケン族ともいう)の王国です。481年頃、クロービス(Clovis/ca465〜511/サリー支族の王子)はライン川の北に住むフランク族の一派で自らが属するサリー支族、その下流に住むレミ支族及びリブリア支族などを統一してライン川を南へ渡り、当時、トキサンドリア(Toxandoria)と呼ばれていたあたり(現在の北フランスのシェルデ川とベルギー地方に跨る地域/およそフランドル地方に重なる/ローマ時代からの重要拠点でローマの主力軍団が置かれた地域)から北フランス(ほぼ現在のイール・ド・フランス(中心地パリ/古称ルティティア)、シャンパーニュ、ロレーヌ地方に及ぶ地域)でメロヴィング朝・フランク王国(メロヴィングはクロービスの祖父の名メロービスから命名)を建国しました。その後、クロービスはチューリンゲン族を攻撃してフランク北部(現在の中部ドイツ)を押さえ、ブルグンド王国と同盟を結び現在の中部フランス・南フランス・北イタリアあたりの政治環境を安定させました。なお、ドイツのフランクフルト(Frankfurt am Main/ドイツ中西部・ヘッセン州最大の都市)も、6世紀に入って早々にクロービスがアラマン族(ゲルマンの支族)を南方へ駆逐してマイン川を渡った地点という意味で、この都市名が付けられました。

 このようにして、全ガリアの政治状況を安定させたクロービスは、496年のクリスマスの日にランス(Reims/シャンパーニュ地方・レミ支族(Remi)の中心都市/Remi→Reimsに転訛)の司教レミギウス采配下のランス大聖堂(ca5世紀〜 )で約300人の配下の兵士たちとともに洗礼及び塗油の儀式を受け、異端アリウス派から正統アタナシウス派キリスト教に改宗しました。このようにしてローマ教会と手を結んだフランク王国は異教徒を撃退しながら、その領土を拡大してゆきます。

 732年、フランクの分国アウストラシア(フランク王国の東北部、現在のシャンパーニュ周辺でランスが中心地)の宮宰(本来はメロヴィング家の家政を仕切る執事的な存在/王権の凋落とともに行政の実権を掌握)のカール・マルテル(Karl Martel/ca689-741)が“トウール・ポワティエ(間)の戦い”(戦場は未詳)でイベリア半島からピレネーを越えて侵入したウマイヤ朝イスラム軍を撃退します。更に、カール・マルテルの息子・小ピピン(Pippin3世/Pippin der Jungere/714-768)は、ローマ教皇よりメロヴィング家から王位を簒奪することについての了承を得てカロリング朝(カロリング朝は後になってからカール大帝の名を取って命名された)を興します。更に、小ピピンは息子カール(後のカール大帝)に命じてランゴバルド王国(6世紀に北イタリアで栄えたゲルマンの一派、ランゴバルド族の王国)を滅ぼし、その中心都市であったラヴェンナ周辺の土地をローマ教皇ハドリアヌス1世へ寄進し、これが教皇領の始まりとなりました。

 800年、ローマ教皇レオ3世は教皇領寄進を始めとするローマ教会への貢献を評価して、小ピピンを継いだカール大帝(Karl der Grosse/Charlemagne/742-814/身長195cmの体躯から命名)に「ローマ帝国の帝冠」を授けます。その結果、名目上ではあるにせよ、ここでローマ帝国が復活したことになり、同時にそれはフランク王国が東ローマ帝国(ビザンツ政権、ビザンツ文化圏)の影響から脱したことを意味するとともに、ローマ・キリスト教文化とゲルマン文化が本格的に融合したことを象徴する出来事でもありました。

 このような激動の時代(5世紀〜9世紀頃)の中で、古典ラテン語(文語ラテン語)は単語や正書法が著しく変化し、乱れ始めていました。しかし、ローマ時代に辺境の地とされたイングランドやアイルランドには古典ラテン語の文化がそのままの形で保存されていました。このため、カール大帝はイングランドのアルクイン(Alquin/ca730-804/イングランドの神学者)らの学者を招聘し、トウール、サン・ドニ、アーヘンなどにラテン語学校を建設して正統な古典ラテン文化の復興をめざしました。このため、カール大帝の時代はカロリング・ルネサンスとも呼ばれています。

 やがて、カール大帝の子であるルードヴィヒ1世・敬虔王(Ludwig1/Ludwig der Fromme/Louis le Pieux/778-840)が死ぬと、カール大帝の4人の孫たちの領土争いが始まり、843年のヴェルダン条約で、東フランク王国(現在のドイツ地方を中心とする国/ルードヴィヒ2世が統治)、西フランク王国(アキテーヌ地方(同じルードヴィヒ1世の子、ピピン・アキテーヌ王が統治)以外の現在の北・西部フランスに重なる国/シャルル禿頭王が統治)及び中部フランク王国(現在のオランダ・ベルギー・ブルゴーニュ・スイス・プロヴァンス・北イタリアを中心とする国/長兄であるロタール1世が統治)の三つの国に分裂しました。更に、ロタール1世が死ぬと中部フランク王国の領土は870年のメルセン条約で東西に分割され、結局、旧フランク王国の領土全体が現在のフランス(西フランク)、ドイツ(東フランク)、イタリア(北イタリア地方)の三つの地域に分かれることになりました。

・・・・・・・・・・・・・ここで「『ガロ・ロマン時代〜フランク王国』(およそ4〜9世紀頃)の概観」の(終わり)・・・・・・・・・・・・・・

 ところで、8世紀後半頃になると北部フランス(フランク王国の一地方)で一般の人々が使う言葉は、もはやラテン語とは言えず古フランス語と呼ばれる言葉の段階まで変化していたと考えられています。このような時代に書かれた古フランス語で書かれた最古の文献とされる『ストラスブールの誓約書/Sermets de Strasbourg』(842年)が残っています。ストラスブールはドイツ国境(シュバルツバルトの森)に近いフランス東部・アルザス地方の古都です。それはカール大帝の孫たちが領土を争ったときの出来事ですが、統一国家を主張する長兄ロタールに対して分割統治を主張する二人の弟たち、つまりルードヴィヒとシャルルは兄に対抗するため同盟を結び、842年2月14日にストラスブールで誓約書を作成しました。

 それが『ストラスブールの誓約書』と呼ばれる古文書(大変に古い公文書)ですが、その文書の内容はルードヴィヒとシャルルが同じ文章を古ゲルマン語と古フランス語で交互に述べ合いながら誓約した形となっています。そして、この誓約を交わした後、東フランク(ドイツ側)と西フランク(フランス側)双方の軍指揮官が、交代で相手側の軍勢が理解できる言葉で誓約書を読み上げました。つまり、ルードヴィヒ(東フランク)側の指揮官は古フランス語で、シャルル(西フランク)側の指揮官は古ドイツ語で読み上げたわけです。

 この古文書『ストラスブールの誓約書』から教えられる重要な点が三つあります。一つは、8〜9世紀頃のフランク王国では、王族等の支配層の人々(恐らく彼らはバイリンガル以上の言語能力が求められた)は別として一般の民衆が古フランス語圏と古ドイツ語圏の領域でそれぞれ生活する棲み分けがかなり進んでいたと考えられることです。因みに、9世紀〜14世紀頃までのフランス語は古フランス語、14世紀後半〜1600年頃までのフランス語は中期フランス語と呼ばれます。

 およそ8〜9世紀頃に成立したと考えられる古フランス語は、ロアール川を境として、その北側の地方では「ハイ」のことを「oui」(ウイ)と言い、同じことをロアール川の南側の地方では「oc」(オック)と発音したため、ロアール川以北の方言は「オイユ語」(Langue d’ouel(オイユ)/ouelは後のoiu(ウイ))、ロアール川以南の方言は「オック語」(Langue d’oc)と呼ばれてきました。現在、フランス語の方言としての「オック語」は南フランスのラング・ドック地方(カルカソンヌ、ナルボンヌ、モンペリエ、ニームなど)を中心に残っています。一方、ほぼカロリング期に重なる750年頃〜1050年頃の東フランクの住民を中心に使われていたドイツ語は古高ドイツ語、1050年頃〜1350年頃までのドイツ語は中高ドイツ語と呼ばれます。

 もう一つはカール大帝の時代から始まっていたことですが、カロリング朝・フランク王国で最も重視された行政の仕事が「文書局」(cancellaria)と呼ばれる部門でした。そして、既にルードヴィヒ1世の時代にはフランク王国の行政文書の形が高度に洗練され「カロリング王文書形式」と呼ばれる正統な形が整っていたのです。ここに見られるのはヨーロッパの行政が中世初期の揺籃時代から、外交・戦争などの約束事を記録文書化し、それらの行政文書(公文書)を厳重に保管・管理するという意味での「文書中心主義」による国家統治の考え方が根付いていたのです。

 それは、ゲルマン民族の「特徴的な分割相続」の伝統ゆえに際限のない領土争いが引き続いたことも原因になっていると考えられますが、いずれにせよ、国家統治(国家のガバナンス)の正統(当)性が、このような意味での「文書主義の原則」によって裏打ちされていた訳であり、その原点は、カール大帝がアルクインに命じて、トウールに学校付設の「書字施設」を開設して写本のコピーを制作させたことに始まっているのです。そして、カール大帝の「文書局」は、フランク国王のガバナンスの正統(当)性を記した行政文書(公文書)を作成・保管する、つまり“現用・非現用の行政文書全体”を視野に入れて管理する権限が付与されたアーカイヴであったのです。

 驚くべきことに、このような視点は、近・現代におけるアーカイブの最先端を行くフランス、アメリカ、韓国などのアーカイブ制度の理念(根本精神)を先取りしています。そして、このような観点から見る限り、残念ながら我が日本のアーカイブに関する理解は、遥か1,000年以上も前のフランク王国のレベルにも達していないというお粗末さです。それどころか、省庁再編時の大蔵省のようにチャンスと隙さえあれば為政者(政治・行政)側にとって都合が悪い公文書はできる限り消し去って、当初から存在しなかったことにしようという意図が見え見えで、まことに忌むべき政治・行政サイドの低劣な意識ばかりが目立ちます。

 アーカイブに関する、このように貧困なわが国の現状を改善するために必要なのが「アーキビスト倫理綱領」と「文書基本法」の制定ということです。これは前回(1/3)にも述べたことですが、我が日本のアーカイブ制度は致命的ともいえる欠陥を抱えているが故に、これらの基本法の整備が提言されているのです。つまり、現代日本の「公文書館法」及び「国立公文書館法」には、約200年以上も前にフランスで創設された「フランス国立中央文書館」が謳う巨視的な歴史観と文化観が決定的に欠落しているのです。従って、現用(現在の行政業務で利用中)の文書の管理までを視野に入れた、別に言えば記録のライフサイクル全体を広く見渡すという観点で「文書管理」を徹底するためには、アメリカ、フランス、韓国などの先進的な文書管理制度を是非とも見習うべきで、これらの観点を取り入れた、アーカイブのあり方についての法整備が必要なのです。

  因みに、国際資料研究所(http://djiarchiv.exblog.jp/)では、以下のとおり二つの法整備案を提言しています。

●アーキビスト倫理綱領(案)http://www.archivists.com/ica_moral.html

●文書基本法(案)http://dji2.exblog.jp/

 古文書『ストラスブールの誓約書』が示唆する三つ目の論点は、認識論における「エクリチュール」の問題です。エクリチュール(ecriture)とは“人間が書くという表現活動、生きた人間が残す生命の軌跡、書かれた文字や記号”というような哲学的・認識論的なフィールドの用語です。我われ一人ひとりの人間、地域社会あるいは国家でも同じことですが、もしエクリチュールの働きと助けがなければ一人の人間の死とともに、そのような人間、地域社会、国家などの存在は時間の経過とともに忽ち人々の記憶から消滅し、あるいはデフォルト(無かったことに)されてしまいます。そして、恐るべきことに数年も経たぬうちに、そのような人間、地域社会、国家あるいは様々な出来事は始めから存在すらしなかったことにされてしまう恐れさえあるのです。

 それどころか、直近の認知心理学等(数学者ロジャー・ペンローズらの新しい理論/下記・注、参照)の分野の研究では、エクリチュールと「人間の意識」の関係が注目(エクリチュールの働きがなければ“意識”は生まれない?)され始めているのです。余談ですが、このようなことと関連するのが古来から伝わる地方の市町村名や地名の問題です。中部国際空港(セントレア)の開港に因んで合併後の新市名候補を「南セントレア市」と決めたことで批判を浴びた愛知県美浜町と南知多町で、2月27日に合併の是非を問う住民投票と新市名を決めるアンケートが行われました。その結果、住民投票では2町とも合併反対が上回り、合併そのものが白紙に戻ってしまいました。また、流石に「南セントレア市」の命名に対しては全国からも批判の声が届いており、結局、この合併が実現しなかったことに胸をなで下ろした人々が多かったと思われます。市町村名や街の通りの名前など、いわゆる昔からの地名を軽々に変えるべきでないことは、古文書『ストラスブールの誓約書』が示唆する三つ目の論点にかかわることです。

<注>Rojer Penrose(1931〜 /イギリスの数学者・理論物理学者、ケンブリッジ大学教授)
・・・ペンローズは宇宙の構造に関して、一般相対性理論と量子力学を統一した「Twisuter仮説」を提唱している。認知心理学・人工知能研究等の先端領域では、「Twisuter仮説」の“脳神経内で形成される抽象的なベクトル空間への応用可能性”が注目されている。このベクトル空間で出現するグラフ的な表象(全身条件が一定の重みを付けて分配する多次元関数的な分散表象の軌跡)こそがニューロン(脳神経細胞)内部のエクリチュールと定義できる可能性がある。

 従って、いつの時代でも、自らのガバナンス正統(当)性を誇示する意志と身勝手な政権維持の意図(少しでも長く政権を維持して歴史に名を残すとともに甘い汁を吸い続けたいという、自己中心的な野望と欲望)のために、政治権力者たちは、このエクリチュールの操作(公文書、歴史資料などの廃棄・消去)の可能性に目を凝らしているのです。そこでは、「現実の出来事と事実の消去」だけでなく、政治権力者による積極的な「偽証の創作」(証拠のデッチあげ/イラク戦争を始める口実とされた“大量破壊兵器存在の問題”など、事例の枚挙には困らない)さえ行われます。しかし、このような政治権力者による意図的な「エクリチュールの操作」は、主権在民の現代社会に生きる我われ一般国民の人間としての尊厳に対する冒涜であり、最も悪質な犯罪行為だと断言できます。このような訳で、アーカイブの問題は実に致命的ともいえる一般国民(市民)への人件侵害に直結する問題でもあるのです。

 また、政治権力者自らが属する国家の管理体制そのものにとっても、絶えず、このような意味で歴史的現実が消去されるままに放置することは、長い目で見た場合は「国家的なリスク管理」の脆弱さという自己矛盾的な問題を抱えていることにもなるのです。なぜなら、リスク管理についての最重要な論点(公理)は「間違いを犯さぬ人間はいない」と「リスク恒常性」の二点だからです。前者についての説明は不要だと思います。後者の意味は「先端科学技術など人間の英知をどれだけ引き出し、それを活用・駆使・改善したとしても、これで万全というレベルには永遠に到達できない」という厳然たる現実を直視し、この現実に対し謙虚になるべきだということです。このような国家的リスク管理についての緻密な配慮からアーカイブ(文書局)を整備・充実させたという意味で、先に述べたカール大帝の慧眼には恐るべきものが感じられます。

 映画『スタ-ウオーズ、エピソ-ド2』の中に「銀河系公文書館」のエピソードがあります。ジエダイの騎士が、ある星の存在についての証拠を求めて「銀河系公文書館」を訪ねますが、そこのアーキビストは次のように返答します。・・・この公文書館に証拠記録(データ)がないということは、その星は最初からこの銀河系には存在しなかったということです・・・ところが、ジエダイの騎士がおおよそ目星をつけた場所へ行ってみると、なんと、その星はシッカリ存在していたのです。ここで描写されているのは、政治権力によって操られる道具と化した「銀河系公文書館」の憐れな姿です。

 このエピソードから連想されるのは、逆説的な意味合いとなりますが、昨年の国会で小泉首相が使った・・・大量破壊兵器が存在しなかったからといって、フセイン大統領が存在しなかったことにはならない・・・という詭弁です。これは無関係な言説どおしを強引に結びつけて一見意味ありげな表現を装ってみせる常套的な詭弁の手法で詐欺師の論法であり、人を欺くための小細工的テクニックです。このような小泉首相の詭弁を弄する言動から臭い立つのは、“自分にとって不都合な証拠は強権的に消去し、もともと存在しなかったことにしてしまいたい”という奢れる権力者の傲慢な意志です。

このような政治手法がまかり通るようでは、今の日本が先進民主主義国家の一員だとはとても言えません。公文書館の根本が主権在民という民主主義の原則と関連することを理解できるようにするため一般国民の意識改革と「アーキビスト倫理綱領」及び「文書基本法」の整備を急がぬ限り、日本のアーカイブ制度は、いずれ映画『スタ-ウオーズ、エピソ-ド2』の「銀河系公文書館」のような悲惨な役割を担わされる懸念があります。

 また、 2004.5.12付の朝日新聞(記事、海外文化/国際資料研究所代表、小川千代子氏)によると、突然、ブッシュ大統領がアメリカ合衆国アーキビストを交代させると発表したため、米国アーキビスト協会(SAA/Society of American Archivists/http://www.archivists.org/)、図書館、歴史家などの九つの諸団体が懸念を表明して公聴会を要求する騒ぎになりました。合衆国アーキビストという役職は、国立公文書館を擁する国立公文書館記録管理庁(NARA/National Archives and Records Administration /http://www.archives.gov/)のトップのことです。NARAの仕事は、合衆国連邦政府の公式な記録を包括的に管理し、その公式の歴史資料を後世のアメリカ国民に伝えるという重要な役割を担っています。

従って、そのトップの交代人事は慎重に行われるべきと考えられており、その交代の必要性がある場合には関連団体と事前に十分な打ち合わせを行うことが慣例となっていました。ところが、ブッシュ大統領は、この慣例を一方的に破り、突然の人事交代を通告したのです。その後のこの騒動の決着については詳細な報道がなかったようなので詳しく承知していません。しかし、間接的な情報によると流石のブッシュ大統領も、この問題については引き下がったようです。
(参照、http://blog.goo.ne.jp/remb/e/8df7044f4a9998df3057abd11c9c4775

 なお、「エクリチュール」についての詳しい論考は「Appendix」として記述する予定です。

<参考URL>
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/
http://takaya.blogtribe.org/archive-200502.html
http://blog.goo.ne.jp/remb/

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