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村上ファンドやライブドア等とは対極の「もうひとつの世界」
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投稿者 接続中 日時 2005 年 4 月 11 日 09:04:20: LZLXOvm1qmTy2


村上ファンドやライブドア等とは対極の「もうひとつの世界」
http://www.chibalab.com/news_otoshiana/documents/050410.htm

■友人Kの「奇妙な偶然の一致」

ここ1年半ぐらい会ってない友人から、突然電話がかかってきて、会いに来るという。そう言えば、その友人から電話がかかってくるほんの二三日前に、何気なく彼のホームページを思い出して久しぶりに開いてみたら、なんと閉鎖されてしまっていたのだ。とはいえ彼から電話がかかってくる瞬間まで、そのことを私はすっかり忘れてしまっていた。今後その「友人」のことを、仮に彼、または友人Kと書くことにする。

友人Kは現在47歳で、3年ほど前に、ようやく結婚することができたのだ。彼は時流の社会常識的生き方にはほとんど関心がなく、畑で野菜を自分流に一から育てたり、自己流の奇妙な家電製品を作って、私に試作品を見せに来たりするユニークな友人の一人だった。彼は私の影響を受けて、写真を撮るのもいつのまにか趣味になって、なんともハッピーな、人の心をふんわかさせる写真を、実に上手に撮ってくるのだ。

友人Kがレンズを通して写し込む被写体は、季節の花々や昆虫や自作の野菜や幾何学的な造形等なのだが、そこに映っているのは視覚的な美を一気に飛び越えて、生命のハーモニーというか、躍動感そのものなのである。たとえば「たんぽぽ」の花びらに蝶が舞い降りようとしている瞬間をとらえた彼の写真は、「生命のささやき」のようなモノを見事に写し込んでいるのだ。上手で美しい写真は、嫌というほど観てきた私なのですが、自分までが蝶になってしまったような気分にさせる吸引力ある写真をみたのは、もしかしたら、その時が最初だったかもしれない。

常識的な美意識や感性や判断力が、その写真が放つ「生命のささやき」のようなモノの前で、ふっとかき消されてしまう。そしてとても幸せな気分に、全身が満たされるような感じなのだ。うーん、なんて表現していいのかよく分からない。私の感性よりも、彼の感性の方が、生命の法則と調和していて、きっとはるかに「進化した感性」にちがいないと感じさせられる。

友人Kの、今はもう閉鎖されてしまったホームページも、まさにそんな感性の延長線上にあって、遠い記憶の安らぎで満たされた、静かで終わりのない輪廻転生のような独特な世界が描かれていた。彼が45歳近くになって、ようやく結婚相手と出会えたのは、インターネットやメールの持つソウルフルな特性の「場」を持つことが近年たやすくなった為に、友人Kのなんと半分の年齢の美しい異性を、物理的な様々な条件をまるで無視した運命的な絆で結びつけたのである。

久々に訪ねてきた友人Kは、お互いの近況を話している途中で、“奇妙な偶然”について前触れもなく話し始めた。インターネットで知り合って結婚した奥さんと、ある日何気ない会話をしていて、「不思議な偶然」に気が付いたそうなのである。今の奥さんが高校生の頃、ホッケーの試合のために富山の石動の中学のグランドに来ていて、ホッケー仲間の三人でグランド脇のほうを立ち話をしながら歩いていた時に、白い車が彼女たちの横を素通りしようとした。ちょうどその時に中央にいた女の子が、その白い車に向かって手を振ったのである。

その白い車のドライバーは、見知らぬ可愛い女の子が何で手を振っているのだろうと思いつつ、通り過ぎていったのである。女の子は、その白い車のドライバーを、自分らがホッケーでお世話になっている学校の先生だと勝手に勘違いして、手を振ってしまったのである。もちろんその可愛い女の子は、ホッケーの試合の後四国に帰ってしまい、何年も年月が過ぎた後、偶然にインターネットを通じて運命的なソウルメイトとなり、結婚したのである。

そして結婚の許可を得るために、友人Kが彼女の実家を訪ねて何とか許可を得た後、彼女と一緒に近所を散歩してみて、友人Kはびっくりしたのである。彼女の家のすぐ前に河川敷があって、そこから見た景色が、友人Kがいつも夢の中で出てくる景色とまったく同じだったのである。ただひとつだけ違うのは山をバックにした景観に高速道路が走っていなかっただけなのである。それ以外は、まったく一緒だったそうなのである。

友人Kが夢で見たシーンは、自分のようでもあるのだが、何故かかなりの老人になっていて、河川敷にある畑で一生懸命畑仕事をしている様子なのだという。そして夢の中で、その老人と彼女(友人Kの奥さん)がとても親しそうに話しているシーンなのである。直ぐに彼女にその話をしてみると、彼女の今はなくなってしまったお祖父ちゃんが、河川敷でいつも畑の世話をするのが大好きだったことと、またその頃はまだ高速道路は通っていなかったことを説明されたと云うのだ。なんとも「奇妙な偶然の一致」である。

そんな友人の話を聞いているちょうどその時に、東京にいる妹から電話がかかってきた。妹とは、生まれてこの方たった一度の喧嘩もしたことがないという私なのに、何故かその時は成り行きで、母親のことで、妹と大喧嘩を電話でしてしまったのである。あまり大声を出してしまったために、せっかく訪ねて来てくれたのに、気まずい思いをさせて申し訳ないといって友人に謝ると、実を言うと、自分も妻と別れる別れないの大喧嘩をつい最近やってしまって、不安と気分転換を兼ねて、今日私を訪ねてきたというのである。

■共時性とヒツジの箱の絵

なんとも、奇妙なシンクロ二ティである。友人が言うには、私と話していると、何故か気持ちが落ち着いてくるのだそうである。そして、目に見えないモノのつながりについて話せるのは、私しかいないという。そんなわけで、ここで今から約100年前の1903年に生まれ、26歳の若さでなくなった天才童謡詩人、金子みすずさんの「星とたんぽぽ」という詩を紹介したい。

 青いお空のそこふかく、

海の小石のそのように、

 夜がくるまでしずんでいる、

  昼のお星はめにみえぬ。

           見えぬけれどもあるんだよ、

           見えぬけれどもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、

かわらのすきに、だァまって、

 春のくるまでかくれてる、

  つよいその根はめにみえぬ。

          見えぬけれどもあるんだよ、

          見えぬけれどもあるんだよ。

以前のコラム、 「しゃがんでこそ、次なる跳躍ができる No. 47」 の終わりのほうでサン・テグジュペリの「星の王子さま」に出てくるウワバミの話を少ししましたが、「星の王子さま」には、そういえば、こんな場面もありました。

「ね……羊の絵をかいて!」

「え?」

「ヒツジの絵をかいて……」

そう、これはサハラ砂漠に不時着した飛行士と、星の王子さまとの出会いの場面ですね。飛行士はポケットから1枚の紙と、万年筆を取り出して、星の王子さまがほしがっているようなヒツジを描こうとしますが、なかなか上手くいかない。なかば投げやりな気持ちになって、いいかげんに描いたヒツジの箱の絵を持ちだしながら、飛行士はぶっきらぼうに言います。

「こいつぁ箱だよ。あんたのほしいヒツジ、その中にいるよ」

するとどうでしょう。星の王子さまの顔が、ぱっと明るくなって、こういいます。

「うん、こんなのが、ぼく、ほしくてたまらなかったんだ。このヒツジ、たくさん草をたべる?」

■ 世界はロールシャッハテストのシミのようなもの?

つまり、私たちにとって、誰の目にも同じように映る客観的な実在なんてものはなく、人は自分の見たように世界を脚色して眺めているに過ぎないということである。たとえば、こんな風な有名な禅問答の例がある。

ふたりの僧が、風に揺れている旗を見ていました。ひとりの僧が「揺れているのは旗だ」と言いました。するともうひとりの僧が「いや、揺れているのは風だ」と強く反論しました。そこに層たちの師がやってきました。そこでふたりは「いったい、どちらの意見が正しいのか教えてください」と尋ねました。すると師は、「どちらも間違いだ。揺れているのは意識にほかならない」と答えたのである。

ようするに私が思うに、私たちは、一匹のヒツジをいろんな角度からビデオカメラで撮影し、そのヒツジの映像を、それぞれ違う多くのスクリーンで眺めているために、まるで何匹ものヒツジの群れが、連動して動いているように錯覚しているような視点に立たされているのではないのだろうか。マルチスクリーンの裏側を覗けば、実のところ、一匹のヒツジしか存在していないかもしれないのだ。

また『迷った時は運命を信じなさい』というディーパック・チョプラの最近の著書で紹介された物理学者のシュレディンガーによる有名な「思考実験」でも、奇妙なことが指摘されている。

『箱の中に、電子とエサが入ったふたつきのお椀が置いてある。お椀には仕掛けつきのレバーがあり、電子が粒子になるとふたが開き、波長になるとふたが閉じたままになるようになっている。この箱の中に猫を入れ、もし電子が粒子になれば、お椀のふたが開き、猫はエサを食べておなかがいっぱいになります。電子が波長になれば、猫はずっとおなかを空かせたままになる。

しかし、箱を開けてみるまでは、猫は満腹と空腹のどちらでもあることになる。どちらの状態になるかは、箱を開けてみて始めて決定されます。「観察しなければ、可能性はあくまで可能性のままなのです」』

やれやれ

どうやら世界はロールシャッハテストのシミのようなものらしく、私たちの「意志」によってのみ体系化され、触れたり匂いをかいだりできる「物語」が誕生するらしい。もし私たちが「意志」を抱かなかったとしたら、恋人の姿や顔も判別できず、草木や四季の香りも、単なる白と黒の斑点、無意味で不連続な線にしか見えなくなり、世界は美しい物語ではなく、脳の中で点滅する電磁信号、乱雑な電気発火のデジタル信号に過ぎなくなります。

観察者としての振舞おうとする私たちの「意志」がなければ、すべてのモノは純粋な可能性としてしか存在できない。この純粋な可能性の仮想領域では、何ものも消滅することはなく、終わりがなく、すべてのものを包み込んでいる。つまり、私がコラムの中でよく使うマトリックス(母胎)なのである。このマトリックスの『場』の潜在性をうまく利用することで、私たちは奇跡を起すことも可能となる。

■マトリックス的想像の飛躍

エゴである私たちの「個人的な心」に対して、この「マトリックス的な心」は純粋な霊(スピリット)の世界であり、時空間の境界を軽々と飛び越えて、すべての出来事を結びつけ、常識的な限界を跳躍して奇跡を現実化してしまう。そして様々な共時性という、不思議な「偶然の一致」を私たちの日常の中に引き起こす。

このマトリックス的想像の飛躍こそが、宇宙衛星、携帯電話、パソコン、コンコールド旅客機、インターネットやEメール等を産み出してきたのである。ライブドアや村上ファンド等の、抑圧されたエゴを拡大していく独りよがりな錬金術ではなく、もうひとつの「マトリックス的な心」による願望実現法則があるのである。以前のコラム、 『エゴは鏡に映った「影」である No.18 』 でも書いたように、資本主義の弱肉強食思想が根底にある「個人的な心」であるエゴは、私たちをして世界の中で孤立しているような「幻想」を無意識に刷り込む。

そして私たちは、他の人々から切り離されたバラバラで、いつも不安定な恐怖と孤独感に追いやられる。この「恐怖」と「孤独感」こそが、物質資本主義のインフラであるために、この間違った思い込み(幻想)は、資本主義の略奪思想によってより強固なものに洗練されていくことになる。エゴという私たちの鏡に映った「影」は、常に私たちを攻め立て、心の安らぎを得るためには、もっと多くのものを手に入れなければならないと暗示をかける。エゴの求める間違った方向に目を向けるやり方に、私たちはまんまと嵌められてしまう。

そして私たちをして、常に「外」の意味のない現象に意識を縛りつけさせる。心の安らぎや豊かさや愛情さえ、「外」に求めるよう仕向ける。なぜなら、私たちが内なる「存在」に目覚めたなら、エゴは自分の活躍する唯一の舞台を失ってしまうことになるからである。私たちの本当の「存在」は純粋な意識なのだ。純粋な意識は、なんの束縛にも縛られていない、無垢な喜びであり、無限の沈黙なのだと思う。

自分が本当は誰であるかを知れば、それを知るそのものの中に、どんな夢でも実現できるパワーがあるはずである、と私は思っている。ライブドアや村上ファンド等の抑圧されたエゴの拡大であるゲームの法則は、短期の中で自らのエネルギーを消耗し、崩壊していくように思う。


千葉邦雄のニュースの落とし穴

http://www.chibalab.com/news_otoshiana/

《主な参考文献および記事》

(本記事をまとめるにあたり、次のような文献および記事を参照しました。ここに、それらを列記して、著者に感謝と敬意を表すると共に、読者の皆様の理解の手助けになることを願います。)

★ 「ゆらぎ」の不思議な物語  佐治春夫  (PHP研究所 1994)

★ 迷った時は運命を信じなさい ディーパック・チョプラ 住友進訳  (サンマーク出版 2004)

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