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佐藤優(著) 『国家の罠』 ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で世論は動き、検察が情報操作工作を行っている
http://www.asyura2.com/0502/bd39/msg/526.html
投稿者 TORA 日時 2005 年 5 月 03 日 15:26:42: CP1Vgnax47n1s

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu94.htm
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佐藤優(著) 『国家の罠』 ワイドショーと週刊誌の中吊り
広告で世論は動き、検察が情報操作工作を行っている

2005年5月3日 火曜日

◆「国家の罠」佐藤優 4月17日  Jun Seita's Web
http://junseita.com/mt/archives/2005/04/post_7.html 

本質的な情報を抽出する能力の必要性について、改めて考えさせられる。
「新聞は婆さん(田中眞紀子大臣)の危うさについてきちんと書いているんだけど、日本人の実質識字率は五パーセントだから、新聞は影響力を持たない。ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく。残念ながらそういったところだね。その状況で、さてこちらはお国のために何ができるかどうかということだが......」と(外務省)幹部は続けた。
検察は基本的に世論の目線で動く。小泉政権誕生後の世論はワイドショーと週刊誌で動くので、このレベルの「正義」を実現することが検察にとっては死活的に重要になる。
最近、検察が政治化していることは事実だ。しかし、国策捜査との絡みでは、その政治化が広範な国民に危機を及ぼすには至っていない。国策捜査のターゲットとなるのは、一般国民ではなく、第一義的に国家の意思形成に影響を与える政治家で、その絡みで派生的にそのような政治家と親しい関係をもつ官僚や経済人だ。一般国民は、むしろ検察に対して「もっとやれ」とエールを送っているのである。より正確に言うならば、一般国民からの応援を受けることができるように検察が情報操作工作を行っているのである。
この本を読む前と後では、鈴木宗男ー佐藤優事件に対する理解は全く異なるものとなる。しかし、著者は一流の情報屋である。そのことは本文の随所から理解できる。すなわち、本書に記載されている内容についても、公開して良い情報と、いけない情報の選別はきわめて合理的に行われているはずである。新しい理解も部分的な情報に基づいたものであることを意識しておかなければならない。

◆時代のけじめとしての国策捜査 アルルの男・ヒロシ 国際戦略コラム
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/170404.htm

最近、『国家の罠』(新潮社)という本を読んだ。著者は、元外務省の佐藤優氏です。

この本の帯には「これは国策捜査だ」と書いてある。佐藤氏は鈴木宗男と密接な関係を築いていた外交官で、なおかつロシアのユダヤ人コミュニティに多くの情報源をもつ日本の「諜報員」のようなことを沢山やってきた人だ。イスラエルのエリート養成大学である、テルアビブ大学のゴロデツキー教授という人とのパイプも深い。

その佐藤氏が、ロシア支援委員会の費用の流用に関する「背任」と、三井物産の北方領土へのディーゼル発電機の供与を巡る業者選定における談合の問題で、東京地検特捜部に逮捕されたのは2002年5月のことである。

その後、新聞報道で、佐藤氏が「これは国策捜査だ」というコメントを出したということを我々は知ることになった。私はてっきり、これは佐藤氏が、検察に対して、「お前達のやっていることは国策捜査だ」と非難の意味を込めてぶつけた言葉であると思った。ところが実際はそうではない。

佐藤氏は、本書の218頁以下数カ所で、取り調べ担当の西村尚芳検事が、「だってこれは国策捜査なんだから」と自ら進んで捜査の性質を明かした、と述べている。なんと検察自身が国策捜査ですよと佐藤氏に話したというのだ。

西村検事と佐藤氏は、検事と被疑者という立場でありながら、国策捜査というものについて、相当なレベルで突っ込んだ議論をしていた。これは本書の287頁「下げられたハードル」以下で述べられている。佐藤氏は、国策捜査は「時代のけじめ」であり、そこで逮捕された人は単に「運が悪かった」ということになる。

この点では、特捜の捜査には、首をかしげざるを得ないものが多く、大抵は政財界人の一種の「権力闘争」に過ぎないのではないか、と思っていた私にはすごく腑に落ちる部分であった。

西村検事は、さらに、「そういうこと。評価の基準が変わるんだ。何かハードルが下がってくるんだ」とまで述べている。事後法ではないにしても、法律の適用基準が変わってくる。政治家に対しての国策捜査は徐々にハードルが下がってくる。

西村氏に対して、佐藤氏は「あなた達検察が恣意的に適用基準を下げて事件を作り出しているのではないだろうか」と疑問を投げかける。西村氏ら検察の議論は、因果関係が逆ではないか、といっているわけだ。

西村氏は、「僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準を決めなくてはならない」として、一般国民の正義を引き合いに出して、検察の決定を擁護している。「ワイドショーと週刊誌の論調で事件が出来ていく」ことを、この検事は「それが今の日本の現実」だと素直に認めている。

私は、この西村検事のくだりを読んで、納得すると同時に、やはり違和感を覚える。西村氏は、ワイドショーで日本の世論が形成されていくことを認めながら、それは「一般国民の感覚」であると言っている。そこには、マスメディアが国民の世論を一定方向に人為的に操作しようとすれば出来るという認識が足りない。

ある日突然、法律の適用基準が変わるのは、国民の正義感を受けたものではない。むしろ、その基準が変わったことをきっかけにして、「国民の正義感」というものが、マスコミを使って変容させられていく、という過程があると見るべきではないだろうか。

それでは、佐藤氏、鈴木氏に対して、国策捜査が行われなければならなかった原因とはなんだったのか。佐藤氏は自分なりに原因を分析している。彼自身が書いているように、国家機密に類する事柄を佐藤氏は多く抱え込んでいる。これは鈴木氏も同様と思われる。

佐藤氏は、外務省内部の潮流の分析からこの問題を考えている。冷戦後の外務省の潮流として、佐藤氏は、@親米主義Aアジア主義B地政学論の3つの流れが存在すると分析している。米同時多発テロと一連の外務省騒動(田中真紀子外相の更迭)によって、AとBの人脈が外務省から駆逐されたと彼は書く。特にこのBを体現していたのが、どうも鈴木宗男氏だったらしい。この地政学論というのは、勃興する中国を牽制するために、日米露で中国を地政学的に封じ込めるという戦略で、冷戦時に対ソ強硬派であったロシアン・スクールの官僚たちの作戦だったという。

このAチャイナ・スクールとB地政学論が失脚することで、我が世の春を謳歌しているのが、@の親米主義ということなのだろう。

さらに、佐藤氏は、本書292頁以下で、日本の政治が、ケインズ型からハイエク型に向かっていると述べており、鈴木宗男はケインズ型政治家の代表格であったと述べている。このハイエク型というのは少々異論を招く呼び方だろうが、要するに新古典派自由主義のことを指し、小さな政府を目指した、共和党ブッシュ政権の経済思想を指していると思われる。私は、ハゲタカ・ファンドによる日本買いによる「日本再生」といった、小泉政権の経済政策もこれに含まれるだろうと理解している。

その経済思想の転換とともに、国民の世論も「国際協調的愛国主義」から「排外的ナショナリズム」への転換をむかえているという。日本のナショナリズムが排外的ナショナリズムに移行しつつあるという、佐藤氏の分析は傾聴に値する。

佐藤優氏は、以上のような大きな枠組みの中で、鈴木宗男事件を捕らえている。一方で、捜査の手が森前首相に及びそうになったら、突然検察の捜査が終わって、担当検事も異動になったとも書いている。国策捜査を命じたのは、日本国内では、どうも森氏や小泉氏の周辺にある人々であると示唆しているようである。

総じて言えば、この本で展開される「国策捜査論」にこそ、この本の価値があるといえる。国策捜査は、一般市民に関係ないところで行われるので、厳密には検察ファッショではないが、事件を無理矢理に作るという点では明らかに異常である。ところが、国策捜査でパクられた人は「運が悪かっただけ」なので、実刑を喰らわせることは少なく、大抵は執行猶予が付く。この見事な「バランス感覚」によって、国策捜査が成り立っているということが分かった。これは極めて貴重な証言であり、告発である。

とはいえ、ここまで被疑者と密接な関係を築いて、対等の立場で議論をたたかわせた、西村検事は、検察上層部に疎まれたようで、地方の検察庁に異動(左遷)されてしまった。

国策捜査=時代のけじめ論は、堤義明氏逮捕にも繋がる極めて重要な視点である。
是非一読を勧めたい。


(私のコメント)
今朝のテレビ朝日のスーパーモーニングで佐藤優氏の書いた「国家の罠」を取り上げていましたが、本を直接ワイドショーが取り上げることは珍しい。それだけこの本が話題を呼んでいるのですが、私はまだ読んでいない。ウエブサイト上でもこの本の書評が多く見る事が出来るのはそれだけネットでも話題を呼んでいるからだろう。

スーパーモーニングでは直接佐藤元分析官と鈴木宗男氏に直接インタビューしているが、その佐藤氏と鈴木宗男氏を一番追い込んだのはスーパーモーニングのようなワイドショーというのは皮肉ですが、暗に背後でこのようなマスコミを操る官邸があり、それを利用して検察が動く。まさにマスコミ独裁国家が出来上がっている。

マスコミが独裁的権限を持っているかのようですが、マスコミを背後から操っているのは情報を一番握っているところ、つまり官邸や中央官庁がマスコミを操作しているのではないかということが推測できる。マスコミは情報を売るのが商売だから、その情報を提供してくれるところに弱い。

一番わかりやすい例が記者クラブですが、記者クラブ制度で大手のマスコミが情報を囲い込み、外部からの参入を阻止している。だから官邸や中央官庁は容易にマスコミを操作することが出来る。だから大手の新聞社やテレビ局はたくさんあっても伝える情報は似たりよったりになる。

鈴木宗男元議員や佐藤元分析官が起訴された罪状は今までなら起訴されなかったような微罪なのですが、ワイドショーなどが田中真紀子と鈴木宗男の対決と騒いだために、結果的に田中真紀子は外相をクビになり、鈴木宗男は国会から追放された。マスコミと検察とが連携して彼らを追い込んだのだ。その構図は田中角栄を追い込んだロッキード事件によく似ている。

私がまだこの本を買って読んでいないのは、本屋でパラパラとめくってみたのですが内容的に「株式日記」で書いていることと同じであり、特に目新しいことはなかったからですが、佐藤氏と検察とのやりとりは検察の正体を知る上では面白い本だろう。

検察の検事と外務省の元分析官のやりとりですから、スパイ小説を読むような面白さがあるのでしょうが、私には特にどろくべき事実は目につかなかったのですが、裁判で控訴中だから書くに書けない事実もたくさんあるのだろう。また書いてあることも全部が事実であるか動かもわからないし、全体的な日本の構図を頭に入れてから読むべきだろう。

外務省の勢力争いについても、親米派とアジア主義という親中派と地政学論のロシア派が派閥を作っていたが、この事件によって親中派と親ロシア派が粛清されて外務省は親米派が主導権を握ったようだ。しかしこのような事は外務省にとって自殺行為であり、また選挙によって政界が親中派が勢力を盛り返したら親米派が追放される。

このように外務省は外国の勢力の手先になることによって外務省内の勢力争いに凌ぎを削っているのですが、外務省には日本の国益を優先する民族派というのはないのだろうか。外務省の連中に任せていたら日本は外国の手先になるような外交になってしまうだろう。

私は事件当時から鈴木宗男にしても佐藤分析官にしてもロシアに深く取り込まれて、ロシアの操り人形になっていたと私は見ていますが、スパイは敵のスパイに一番取り込まれやすい。そしてしまいにはどの国の為に働いているのかわからないようになって、国から捨てられる運命にある。佐藤元分析官もミイラ取りがミイラになっていたことに気がついていたのだろうか。

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